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      わたしはどんな本を読んできたか




   ueshin.(うえしんと読んでください)のかんたんな読書遍歴です。 (1998/4更新)


    1967年夏の暑い日に大阪の堺にうまれる。

    げんざい、30才。

    子どものころには、恐竜と動物と、宇宙の図鑑をぼろぼろにした。

    10代のころは勉強にも読書にもあまり興味をもてず、手塚治虫のマンガSF映画

   アメリカのヒット・チャートやDCブランドなどに凝っていた。(いまはあまり興味なし)

    子どものときからTVを見て育ち、熱血ものとスポ根ものに洗礼をうけ、

   シラケとネアカの時代を通り、哲学や政治の話はタブーという雰囲気の中を過ごした。


    人文科学系の本に興味をもちだしたのは20歳すぎで、

   「村上春樹」ブームのときに海外の名作ばかりを読んでいたのだが、

   小説ではあきたらずに、ニーチェを皮切りに哲学にハマる。


    「慣習」や「大多数の人の生きかた」、「会社人間になること」といったことを

   嫌っていたわたしは、バブル期の「レジャー志向」や「高級志向」、

   「海外旅行ブーム」の強迫的な強制力に腹をたてて、

   「なぜみんながやるものは自分もやらなければならないのか?」

   とそのイラ立ちの解答を、「大衆社会論」にもとめたのである。(ブックガイドにリンク)

    フロム、J.S.ミル、オルテガ、リースマン、ニーチェといった人たちに感動した。


    そこから社会の「共同幻想性」といったものに興味をもち、

   社会は「虚構」によって組み立てられているのではないかと、

   「フランス現代思想」や「ヨーロッパ近代哲学」をかたっぱしから読みあさる。

    岸田秀や竹田青嗣、リオタール、ニーチェといった人たちが参考になった。


    不況期の94年くらいからは大恐慌の予測にビビッて、これからどうなるのかと、

   「ビジネス書」「文明論」といったものを読みあさる。

    社会がこれからどこに行こうとしているのかもわからなかったので、

   社会は経済にどれだけ規定されているのか、

   歴史はどのような価値で動いてきたのか、といったことを探ろうとした。

    堺屋太一やドラッカーのような歴史から経済を語る人はとてもおもしろかったが、

   歴史書はどうしても興味をもてなかった。


    言葉や思考によって考えたり、思索をきわめることに価値をおいていたわたしは、

   しだいに悲しみや憂鬱にとらわれることが多くなっていったのだが、

   ある本をきっかけに、思考を捨てれば落ち込みから解放されることを知る。

    ここからわたしは「悲しみや苦しみをもたらす思考とはいったいなんなのか」、

   「われわれの認識とは、思考によって組み立てられているが、

   それは実体あるものではなく、「空想」や「想像」と呼べるのではないか」と気づき、

   その解答を「トランスパーソナル心理学」「仏教」などにもとめた。

    クリシュナムルティ、ラジニーシ、ウィルバー、『大乗起信論』はスゴイと思う。


    このホームページをつくりはじめてから、

   いちじ、中断していた経済や社会批判への興味がもどってきた。

    公共の場にものを言えるこのインターネットというメディアのおかげだ。

    いまはこれから経済や日本人の価値観はどうなってゆくのか、

   会社絶対主義や経済至上主義はどうにかならないか、といったことを探っている。

    歴史への興味をなんとかこじあけようとしている。


    読書と並行して自分で考えるためにエッセーも書いてきた。

    やはりまったくゼロから疑問をといてゆく経験は、

   読書からは得られない自分の認識のありように気づかせてくれるし、

   まったく空っぽであるものごとを言葉で捉えたり、表現したりする訓練になるし、

   自分の疑問や問いは、ほかの著者とぴったり重なることはない、

   ということなどを知るきっかけになった。

    たとえなにかの答えを書物で見つけたとしても、

   それからまた新たに出た疑問は、自分で考えるしかない。

    そもそも文章を書かなければ、長くはものを考えられないということも知った。

    あるいは書かなければ、なにを考えているのかすらわからないことも――。

    (書くことに依存しすぎて、暗記と暗算はバツグンに悪いが。)


    参考程度にこれまでどんなことに興味を抱いてきたか、お知らせてしておきます。

    「これまで考えきたエッセー・タイトル一覧表」 





    職業はフリーターで、ひとつの会社にずっと釘づけられるのはいやだと

   いくつものバイトを経験しましたが、ずるずるとこの歳まできてしまいました。

    世間的に定職につくのが常識のようになっていますが、

   (それは経済的条件にしか過ぎないのですが、人は道徳だと勘違いしている)

   これから旧来の企業組織の形態が大きく崩れてゆくことが予想され、

   それにともない、ひとびとの価値観も大きく変貌してゆくと思われるので、

   どのような選択をすればよいのか、迷っているところです。


    30歳を機に就職しました。

    が、長時間労働のドツボの職場でした。

    終電帰りの毎日にはやはり耐えられないので、人事部の人に怒鳴られながらヤメました。

    エッセー創作と読書と公園での昼寝ざんまいのシツギョー生活を送ったのちは……?




      
          大阪の町についてひとこと



    現在、大阪市内の大和川の近くに住んでいます。

    夜の大和川は、暗闇のなかに街の灯りが栄えて、きれいですが、ちょっとコワい。

    コイやフナが釣れたり、野鳥が群がっていたりしますが、

   さすがに河口付近はヘドロできたない。

    だけど、あたり一面を見渡せる環境は、とても心が癒されます。

    トラックがうるさい。

    わたしにとって、大阪の街は好きでも嫌いでもなく、思い入れもべつにないです。

    平日の昼間に中之島公園や大阪城のベンチで眠るのは気持ちよくて、好きです。

    ホームレスのひとびとが多く、天王寺やミナミにもたくさんいて、

   以前より増えたのかはわかりませんが、地下街の通勤ラッシュの人々は

   みな無関心で、経済や社会のひずみを感じます。

    大きな公園の中にはテント暮らしの人が驚くほどたくさんいて、

   とうとうこの企業社会から逃げ出す人が臨界点に近づきつつあるなと思います。

    ミナミという街はとてもパワーがあって、いつもにぎわっていますが、

   わたしにとっては知らない人ばかりがいる、そっけない街。

    天王寺やミナミには大きな書店がいくつかあって、古本屋も合わせて、

   本屋のハシゴをするのが好きです。

    本屋によってある分野の棚が充実していたり、静かに検討できるところにあったりと、

   いろいろ微妙な特徴があるので、使い分けたりしています。

    いままで人文科学系の書物は大阪の中心部の書店にしかなかったのですが、

   郊外の書店にも並べられるようになって、驚いています。


    育ったのは南大阪のほうで、子どものころはまだ田んぼや雑草地が多く、

   わたしはカメやカマキリ、ザリガニなどを捕まえるのが好きでした。

    カメのいる用水路は、未知の世界の通路として、冒険と神秘の世界だった。

    いまは幹線道路が通り、ファミリー・レストランやカラオケ・ボックスが

   雨後の竹の子のようにつくられて、さながら車の商店街のようになってしまいました。

    でも、なんの未練もありません。

    郊外住宅地というのはあまり好きではなくて、知り合いに会うのもめんどくさいし、

   都会のほうが通勤には便利なので、いまは大阪市内のほうに住んでます。






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