BOOK REVIEW――思考のためのブックツール・ガイド
歴史の中に、「未来」をみいだすことができるか                                                1997/Spring




       わたしは、歴史自体のみに興味をもつことはできなかった。

       歴史を整理し、意味や価値をとりまとめ、未来とのつながりをみいだして、

      はじめて、その歴史に興味をもつことができた。

       だから個別的な事件やことがらを記述してゆくだけの年表史には、

      なんの魅力も感じることができなかった。

       このページは、BOOK REVIEW「経済や社会は、これからどうなってゆくのだろうか」

      とのつながりにおいて、はじめて意味をなすものである。




  アーノルド・トインビー『歴史の研究』 世界の名著73 中央公論社 1500円

        

        文明がなぜ発生し、どのように衰退してゆくかということが追究された、

       文明史の大著の、1/10にもみたない縮刷版であるが、

       エッセンスはこの本でつかみとることができるのではないだろうか。

        文明はだいたい気候の変化などの挑戦をうけて、

       それに応戦することによって、発生してゆくという。

        創造的少数者が文明や文化の魅力をつくりだし、

       それを多数者が模倣するのが、文明の成長期にみられる。

        だが、やがて創造者は魅力をつくれなくなり、力づくで多数者を

       支配することになると、文明は滅んでしまうことになる。

        まことに現代日本社会や、企業社会にみられる構図ではないだろうか。

        これらは昔は多くの人を惹きつけた光り輝くような魅力をもっていたのだろうが、

       現在は死ぬほどつまらなく、廃虚のようになんの魅力ももたない。

        このように文明、あるいは社会や組織は、衰退してゆくことになるのだろう。

        トインビーのこの書は、現代おこりつつある変化や社会にたいしての、

       ひじょうに鋭い多くの示唆を与えてくれる。

        宗教が、新しい世界国家を誕生させるまでのさなぎになるという説は、

       紀元前にシャカやソクラテス、孔子や老子がまとめて現れた精神革命の

       奇遇さを説明してくれるのではないだろうか。




  梅棹忠夫『文明の生態史観』 中公文庫 500円

          

         これは魅力的な本である。

         だいたい東南アジアやインドにかけての文明の考察を記しているのだが、

        文明とはなにか、文化の違いはなぜあるのか、といった問いが、

        行間のなかから、たえずのぞき出している。

         なぜ文化や文明は、東南アジアやインド、イスラムなどの地域によって、

        それぞれ個別的に違ってきているのだろうか。

         そんな問いを抱かざるを得ない著書である。

         おもしろいのは、近代技術の発展した地域が、ヨーロッパと日本という、

        世界の中心からはずれるような片田舎からなぜ起こったのかという説明である。

         だいたい中国やインド、イスラムというのが、歴史的には、

        世界の中心地域であったのだが、遊牧民によって壊滅的に破壊される

        歴史をくり返してきた。

         そのために破壊をまぬがれた世界の両対称にあるヨーロッパと日本に、

        近代化はおこったというのである。

         やさしい言葉で、まだ完成してない問いを発するスタイルは、

        読者をともに考えさせようとする誘いのようでもある。




  川勝平太『日本文明と近代西洋 「鎖国」再考 NHKブックス 890円

          


         この人の理論は世界から注目されているそうだが、

        この本はたしかにひきこまれて読める。

         インドから中国にはじまった木綿による「衣料革命」が、

        それぞれ大陸の周縁にあるイギリスと日本に大きな経済的不均衡をもたらし、

        そのためにイギリスでは産業革命がおこされ、

        一方、日本では鎖国のあいだに生産力を高めていたというのである。

         つまりは木綿が、室町以降の日本文化を根本から変革させ、

        イギリスが機械化をひっさげて世界史にのりだす契機になったというのである。

         木綿が世界的規模で交易され、それによって機械化が進展したというのは、

        なんとも意外である。

         木綿ごときものが、世界史を怒涛のように押し流し、現代の機械文明を用意した

        などということは、政治・軍事の世界史をたたきこまれてきたわれわれにとって、

        さぞ拍子抜けするものではなかろうか。

         日常の生活道具・文化が基軸となって、世界史を動かしてきたのである。

         たしかに現代も、自動車や電化製品などの道具によるところの変化が大きい。

         日常の生活から、あらためて世界歴史をながめてみるべきではないだろうか。

         この経済史によって、はるか昔の歴史物語と思っていたものが、

        かなり身近なもの、地続きなものとして実感できるのではないだろうか。

         この歴史図式によると、現代はどのような潮流のもとに動き、

        流れ出しているのだろうか。

         かつてイギリスと日本が経済的危機におちいったように、

        現代の周縁国がなんらかの巻き返しとともに、新しい文明を生み出すのだろうか。




  フェルナン・ブローデル『歴史入門』 太田出版 1600円

          


         ブローデルの『物質文明・経済・資本主義』という本は、

        興味をひかれるのだが、バカ高いし、ヤケに長大である。

         その内容の紹介をしたのが、この本である。

         おもに日常の生活史や経済史をとりあつかっている。

         ヨーロッパの経済の中心はヴェネチアからアンヴェルス、ジェノヴァ、

        アムステルダム、ロンドン、ニューヨークへと移り変わっている。

         その経緯をこの本では追っている。

         ブローデルは政治史を疎んじ、日常生活や経済史、社会史をメインに

        歴史をとりあげて、歴史学に大きな衝撃と影響をあたえた。

         このような歴史のほうが意味があると思うし、日常生活を離れて、

        われわれの生活があるわけでもないし、歴史もこれを中心に展開してきたのだ。

         政治史の重視というのは、王や政治家だけが過去に存在し、

        日常のわれわれは存在せず、まったく無の存在だと宣言するようなものだ。

         この世界は政治家たちだけが存在するに値すると表明するような

        歴史なんか、もうゲロ吐きものである。

         このような価値観は、もうわれわれの日常生活とマッチしない。

         日常の生活や経済が歴史を動かしてきたという視点で歴史を見つめないと、

        歴史にはなにも学ぶところがないのではないだろうか。

         現在の政治家同様、見るにたえないし、聞きたくもない。




  今村仁司『作ると考える 受容的理性に向けて 講談社現代新書1000 550円

         


         近代の問い直し。

         これまでの日本は、「経済大国」になるという一大目標をかかげて、

        つっ走ってきたわけだが、そこにたどりついたら、いったいなにが残ったのか。

         からっぽな空虚感や無意味さ、豊かさとはほど遠い毎日。

         これは政府や大企業、労働条件などなどが悪いという、だれかのせいではなく、

        根本的に「前提」が誤っていたと気づくべきではないだろうか。

         前提とは、ヨーロッパ啓蒙主義が考えだした、人間の歴史はどんどん進歩してゆき、

        いつの日にか、完成の域に達するという「進歩史観」である。

         しかし啓蒙が進んだはずの20世紀の歴史は、人類史上まれにみる、

        大量殺戮と破壊と、愚昧の時代であった。

         いつか「楽園」や「経済大国」、「社会主義」、「ユートピア」のような天国が

        実現されると考える計画のなかに、その残虐性が仕込まれているのではないか。

         今村仁司はこの本の中で、おもにベンヤミンをとりあげながら、

        徹底的な近代進歩史観、近代歴史意識を問いなおす。

         ベンヤミンにとって進歩や完成などは問題ではなく、

        現在の圧制と悲惨、暴力からの解放がすべてであり、目的なのである。

         公衆トイレをすべて金ぴかにするといったレーニンの明日の目標は、

        現在の圧制や悲惨から民衆の目をそらすための「にんじん」ではなかったのか。

         経済大国にのぼりつめた現代日本人はこのことに気づいているのだろうか。

         そして同じ過ちをくり返さないためのなんらかの思想をもつことができるのだろうか。

         これは過去の過ちを一望できる地点に立った、現代人の課題である。




  吉見俊哉『「声」の資本主義 電話・ラジオ・蓄音機の社会史
                  講談社選書メチエ 1500円

            

          これからインターネットがどうなってゆくかと予測するさい、

         電話やラジオ、蓄音機といったものがどのように社会に広がっていったか、

         ということを知ることは、ひじょうに参考になるのではないだろうか。

          一方向的で、受動的なラジオ放送がもともと、

         アマチュアの双方向の無線からはじまったと知ったのはこの本からであり、

         インターネットもそうなる可能性もなきにしもあらずだ。

         歴史の通史ではなく、このような技術からピックアップしてくる歴史というのも、

        ひじょうに有益なのではないだろうか。

         未来を歴史から学ぶさい、いちばん大事なのは、

        歴史のある時点から、先がまったくみえないという状況を想定することが、

        未来を読むための訓練になるのではないだろうか。……むずかしすぎるか。




  川北稔『洒落者たちのイギリス史 騎士の国から紳士の国へ
                   平凡社ライブラリー 1000円

         

         学校の歴史からは知ることもできない、イギリスのふつうの人たちの息吹が

        聞こえてくる興味深い本である。

         ファッションの流行が、どのようにイギリスの社会階層を

        うち壊してゆくことになったのか、贅沢禁止法といったもので

        不明確になってゆく身分や階層に歯止めをかけようとしたことなどが、

        記されている。

         インドの茶やキャラコを求める市民の欲望が、資本主義の原動力に

        なってきたということがよくわかる。

         いつの時代でも、優越や富を見せびらかすことが、経済の原動力に

        なってきたのであり、いまとなんら変りはないと思うと、感慨深いものがある。




  角山栄・村岡健次・川北稔『産業革命と民衆 生活の世界歴史10
                     河出文庫 680円

           


         政治史や軍事史からはとても見えてこない、

        イギリスの庶民たちのすがたを描いた好ましい本である。

         ガラス窓や乗り合い馬車、鉄道ができたことなどが記されており、

        庶民たちはどのような目でこれらを見守っていたのだろうか。

         茶やコーヒーハウス、喫煙などの習慣が浸透するさまが描かれており、

        わたしは、学生のころ通っていた喫茶店の起源がこんなところにあると知って、

        みょうな歴史のつながりを感じた。

         また工場労働者の悲惨な生態が描かれており、

        マルクスが社会主義を夢見た風景が、うかびあがってくるようだった。




  長島伸一『大英帝国 最盛期イギリスの社会史 講談社現代新書934 650円

           

         この本もイギリスの庶民たちのすがたが描かれた書物であり、

        すこし政治史的な要素が強いが、全般的な概括には適当な本である。

         この本で驚いたのは、すでに19世紀に通勤という形態ができあがっていたことだ。

        職住分離はここからはじまり、男女の分業化も、鉄道によりひきおこされたのである。

        鉄道がいかに社会や人間の関係を変えたのか、よくわかる。




  弓削達『素顔のローマ人 生活の世界歴史4 河出文庫 680円

          

         繁栄の大国であるローマに住んでいた人たちがどのような生活をし、

        どのような暮らしをしていたのか、どんなことに思いをはせていたのか、

        といった日常の生活風景がつづられた、興味深い本である。

         物質文明や享楽の淵にたたずむ現代日本人われわれと、

        共通するすがたをここに見出せるのではないだろうか。

         妻も少女も貞操をまったく守らず(道徳的に非難する気はまったくないが)、

        寝そべりながら食事をし、食べるために吐くような享楽の日々を送っていたローマ人。

         文明とはこのような、ある意味では、人々が求める快楽や享楽のなかに、

        その滅亡の芽を潜ませているのだろうか。

         だが、「滅亡」というのは物質文明や領土の拡大に価値をおく考え方から

        出ているもので、かならずしも、それを嘆くことはないかもしれない。

         文明が滅んでも、その土地の人たちは現在でも生きつづけているのだから。

         印象的なのは、ポンペイの地に埋まった人々の記録である。

         ついきのうまで生活していたような記録が残っている遺跡は、

        人間や文明のはかなさを感じざるをえない。




  弓削達『ローマはなぜ滅んだか』 講談社現代新書968 600円

            

         ローマ帝国が世界史のなかにおいていちばん繁栄した国であったというのが

        自明のようになっているが、世界史地図をみれば、ローマよりもっと

        領土の大きい国はいくつかあったし、物質的に富んだ国も多くあっただろう。

         ヨーロッパ史上において、いちばん繁栄した時代を、

        ヨーロッパ学術のせいでそれが世界のNO.1と思い込まされてきただけだ。

         だがこのローマ時代は、第三世界の収奪による繁栄という、現代世界と

        よく似た構造をもっており、そのミニチュア版ともいえ、学ぶことが多くある。

         われわれにとってあまりにも遠く、実状が知られることのない第三世界というのは、

        ローマ人にとっては、蛮族や奴隷の住まう土地であった。

         現代に現れているように、後進国は先進国を追い越してゆく。

         ローマの滅亡というのは、先進国の行く末を暗示しているのではないだろうか。     




  林屋辰三郎 梅棹忠夫 山崎正和編
      『日本史のしくみ
 変革と情報の史観  中公文庫 480円

             

         日本歴史の変革期はなぜおこったのか、情報は歴史に対して

        どのような働きをなしてきたのか、といったことを中心に語られている本。

         日本史の変動や政治の交替劇などはなぜ起こったのか、ということを、

        ひじょうに鋭い視点で、説明してくれる。

         鎌倉幕府が滅亡したのは、海上経済の繁栄にとり残されたからであり、

        日本はぜにの政権と米の政権が交互にくり返されてきたといったことや、

        室町時代に物の経済から、情報伝達者の活躍する時代に替わったこと、

        といった日本史を理解しやすくする図式を呈示してくれる。

         どうも歴史というのは、経済に有利になる者が力をもってゆき、

        あるときは時の権力に押しつぶされ、あるときには政権をにぎるようだ。

         お山の大将を、足元から掘り崩してゆくことがくり返されてきたのである。

         現代も物の経済から、情報の経済へと移ろうとする室町末期の時代に

        似ているのだろうか。

         現代のお山の大将は、すでに大きな山がほかにできあがりつつあり、

        自分たちの山の下には大きな空洞が空いていることに気づいているのだろうか。

         お山の大将は、下にいる者の痛みや苦しみがまったく見えなくなり、

        自分たちの利益や保身、享楽、問題だけに奔走するようになると、

        もちあげられていた山が崩れ去り、地面にたたきつけられることになる。




  大江一道『入門 世界歴史の読み方』 
            エスカルゴ・ブックス 日本実業出版社 800円

          


          電話番号の羅列のような退屈な学校の歴史と違って、

         この本は欲望や所有、富、都市の道や鉄道、文字と思想、宗教的熱情、

         といったキーワードから歴史を結びつけており、このような捉えなおしは、

         歴史の意味をくみとるということでひじょうに有益だと思う。

          このような歴史書はひじょうに魅力的なのだが、

         わたしが求めているものにはもう一歩およんでいない感じがする。

          歴史はなぜ動くのか、なぜ政権は交代し、国家は滅ぶのか、といった

         歴史のしくみ、理由、あるいは法則といったものが説明されていないのだ。

          これでは教訓を得ることや、過去の間違いや失敗を学習することができない。

          歴史はこのような意味のあるまとめ方をされてはじめて、

         その価値や真価をもつようになるのではないだろうか。

          生物学では、分類学から進化論へと進んだのであり、

         歴史学にもこのような飛躍が求められるのではないだろうか。

          歴史の「サイクル理論」では少しむりがありすぎるので、

         歴史変化の「要因史」、「動因史」といったものは、出てこないだろうか。




  井野瀬久美恵『[受験世界史]の忘・れ・も・の』 PHP文庫 480円

            

          この本も映画『007』や『マルコムX』、『ラスト・エンペラー』などから、

         歴史をひもといており、なかなかおもしろい作りになっている。

          受験のために世界史の年表を覚えるなんて、おそろしく退屈だし、

         拷問のようであり、それ自体にはなんの益もない。

          この本はなんとかその無味乾燥さを解消しようとして、

         コーヒーや鉄道、ワインなどから歴史のおもしろさを紹介しようとしている。

          でも本自体がおもしろくなるより、こちらのほうが歴史に対する知識の必要性を

         感じて、はじめて歴史は有益になり、おもしろいものになるのではないだろうか。

          わたしのばあいは、これから経済や社会がどうなってゆくかという疑問のもとに

         歴史を学ぶ必要を感じたのだが、残念ながら、現在の歴史書には、

         わたしの疑問や謎を満足させる書物はほぼ見つけられなかった。

          歴史を動かしている原因、動因といったものはなんなのか。

          われわれはなにを求めてき、どこを目指しているのだろうか。

          いま、歴史にはそのような哲学的な問いが必要なのではないだろうか。




  湯浅赳男『世界五大帝国の興亡と謎』 ラクダ・ブックス 日本文芸社 780円

          


         ふつうローマや中国、ヨーロッパの興亡史はよく見かけるが、

        この本では、ビザンツとイスラームがとりあげられているのがよい。

         またウィットフォーゲルやモデルスキー、マッキンダーといった学者の名前を

        入れて学説を紹介してくれるのは、歴史の叙述を「事実」そのものだと

        勘違いしがちな一般のわれわれにとって、これが個人の「意見」にしか

        過ぎないことを理解されてくれるという点で、重要だと思う。

         「無記名」の言葉や文章は、ある人の「考え方」ということを見えなくさせ、

        それを「神の声」のごとくうけたまわってしまわせる危険なものである。

         この本の文明史のなかから、ヨーロッパの物質文明が曲がり角に

        さしかかっている現在から、未来を見抜くことができるだろうか。

         鉄道や自動車に基盤をおいた世界のショッピング・センター化は

        終焉を迎えたと思うが、どうやら、テレビやインターネットという、

        情報に基盤をおいた社会がはじまってゆくと思われるので、

        まだヨーロッパ、アメリカの文明は衰退してゆかないとわたしは思う。

         この本から学べることは、おもに政治の顛末史であり、

        政治というのは、経済の後追い、後始末のようなところがあるので、

        未来を予測しにくいかもしれないが、政治については何事か学べるかもしれない。




  大澤正道『世界五大文明衰亡の謎』 ラクダ・ブックス 日本文芸社 780円

           


          ローマ、唐、イギリス、ソ連、アメリカといった文明の衰退を探った書であり、

         2ページの項目別にまとめられていて、頭の整理には重宝する。

          著者は文明の赤信号には、@世界帝国の完成 A巨大都市の出現

         B消費文明 C拝金思想 D人口の減少、が現れるといっている。

          繁栄の証しと思われているものは、じつは、

         衰退のはじまりにほかならないのである。

          これらの兆候はほとんど日本に現れているのではないだろうか。

          でも文明の衰退を憂えるよりか、このようなことに価値をおいた尺度を捨てて、

         人々の日常の幸せや文化の豊かさに価値をみいだしてゆくべきではないだろうか。

          世界の頂点にランクされることを、日本人は明治から昭和にかけて

         望んできたのだが、そのために「軍国主義」やら「経済至上主義」といった、

         「全体主義」の悲惨な目に、われわれ個人は押しつぶされてきた。

          そのような「観念的」な虚構が、ほんとうにわれわれを幸福にするのか。

          幸福の尺度を世界や社会からはじめるのではなく、個人の身の回りから

         はじめるべきではないのだろうか。

          また、価値観のモノサシを一元的にではなく、多くもつことだ。

          経済や富のモノサシだけで人生を生きるのは、綱渡りをしているようなものだ。

         落っこちるのが恐いから、ますますそこにしがみつき、人生が貧困化する。

          個人が不幸せであったら、社会や世界が幸せになれるわけがない。




  高坂正堯『文明が衰亡するとき』 新潮選書 1000円

            

         この本では、ローマ、ヴェネツィア、アメリカの衰亡がとりあげられている。

         ローマの衰亡では多くの説が検討されているが、その説はいずれも

        当時の時代の危機を写しとったものであり、ある意味では現代論ともいえる。

         歴史とはいつだって現代論ではなかったのだろうか。

         衰亡の原因としてあげられている大衆社会や森林の伐採、福祉国家などは、

        すべて現代にも共通して問題となっているものである。

         現代の問題を、歴史や過去の中に放り込んでいるだけともいえる。

         ただ歴史の場合にはその行く末や結果がわかっている。

         だからこそ、歴史には学ぶことがあるのだが、現代と共通した性質や体質が、

        ほんとうに歴史にあったのか確かめるのはむずかしいのではないだろうか。

         われわれは正確な歴史を見ているというよりか、われわれ自身の姿や

        価値観などを見ているに過ぎないと理解したほうがよいのではないだろうか。




  湯浅赳男『ヨーロッパ帝国の興亡と謎』 ラクダ・ブックス 日本文芸社 780円

            

         ヨーロッパというのは近代文明をつくった社会であり、

        その歴史を知ることにより、なにかを学べるかもしれない。

         ただこの本もあいかわらず政治史なので、歴史の流れや動き、原因、

        社会の欲望、方向といったものが、なぜ醸成されたのかといったことを

        知ることはむつかしい。

         政治史や軍事史というのは、歴史の動因といったものがひじょうに

        つかみにくいし、なぜ歴史上の事件が起こったのかということもわかりづらい。

         やはり経済や技術、社会の欲望や目的といったものが、

        歴史を動かしてきたのではないだろうか。

         政治というのは、海流の表面に砕ける「波しぶき」みたいなものではないのか。

         ではなぜ政治や国家というものが、歴史の前面に捉えられてきたのか。

         たんなる仮想だが、資源や土地を所有する権利が国家という領土にあったから、

        つまり所有権の根拠を、政治家や国王に求め、権威づける必要があったから、

        かれらは重要になったのではないだろうか。

         所有権の権化――所有権の根拠を一身に背負わされたのだ。

         かれらは土地が富をうむ時代の産物ではなかったのだろうか。

         だがそのような時代は終り、社会経済の欲望や動きが重要になり、

        歴史もそのような観点から、捉えなおすべきではないのだろうか。




  栗本慎一郎 阿部謹也 山口昌男ほか
      『いま「ヨーロッパ」が崩壊する 上下』
 カッパサイエンス 光文社
           「殺し合いが「市民」を生んだ(上)」  870円
           「「野蛮」が「文明」を生んだ(下)」   850円

           


          こんなにおもしろくて、ためになる学問の本はそうないと思う。

          これまで日本はヨーロッパを模倣し、無条件の賛美と崇拝を送ってきたのだが、

         もはや新しい魅力を創り出せない時代にきてしまった。

          いまや、ヨーロッパとは何なのかと問い正さなければならない。

          ヨーロッパとは、完璧な知識や技術をもった、一点のくもりもない、

         優れた文明だったのだろうか。

          制度やシステムを無条件に日本に移植するのではなく、

         どのような歴史的経緯をへて、それができあがったのか知らなければならない。

          ヨーロッパの成り立ちを知ることにより、

         われわれはヨーロッパへの無条件の賛美と模倣から脱却し、

         そしてみずからの日本社会を問い直すことができるのではないだろうか。

          まずは日本の世間の性質や成り立ちといったものを知らなければならない。

          頭だけをすげ替えても、ヨーロッパ的な社会制度と、

         日本的な世間のありかたは、接点をもたない。

          政治も、行政も、法律も、有効に働かなく、現在のわれわれ個人は

         だれにも守られず、なんの身を守るすべも、手段も方法ももたないと感じている。

          政治にたいする無力感は感じているのだが、それがなぜなのか、

         どうしたらなんとかなるのか、まるでわれわれにはわからない。

          これは日本の世間のしくみを知らずに、ただ無条件にヨーロッパ型の

         政治や法律のシステムをもちこんだためではないのか。

          日本特有の世間という非合理な圧制的システムから、

         われわれ個人が守られる、なんらかの制度がつくられるべきではないのだろうか。

          われわれは世間からの排除を怖れるために(本書、阿部謹也氏の講義参照)、

         ひじょうに不自由な、鎖につながれたような人生を送っているのではないだろうか。

          われわれは日本的世間のシステムに対応する法や政治システムを、

         新たに創出しなければならないのではないだろうか。




  大澤正道『世界六大宗教の盛衰と謎』 ラクダ・ブックス 日本文芸社 780円

            

          宗教とはなんなのだろうか。

          宗教とは世界観なのか、それとも社会のルールや規律なのか、

         あるいは社会や組織のマネジメント、もしくは政治なのか。

          どうも宗教の開祖から遠ざかるほど、政治的な要素が強くなるようである。

          ほかの組織や社会も同じと思うが、はじめは目的を真摯にもったひとが

         宗教をはじめ、それに権力や地位をもとめる人たちが群がり、

         最後にはそこに安定や安心、もしくは多数者に追随する人たちが集まってくる。

         そしてみずからの重みによって崩壊してしまうのではないだろうか。

          この本はユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、道教、神道の

         教義や歴史をとりあつかったものであり、人間や社会についての

         なにかを学べるかもしれない。




  謝世輝『これでいいのか世界史教科書』 カッパサイエンス 光文社 870円 

           『これでいいのか世界史教科書』 カッパ・サイエンス     

  
          これはなかなか興奮する本である。

          世界の中心はもともとはアジアやイスラム、騎馬民族であり、

         ヨーロッパが世界の中心になったのは産業革命以降にしかすぎず、

         現在の教科書はあまりにもヨーロッパに重点を置きすぎだと批判している。

          アジアやイスラム、騎馬民族はもっと評価されるべきであり、

         政治史だけではなく、社会史や経済史にももっと重点を置かなければならない。

          どうもわれわれはギリシャやローマなどのヨーロッパ史を

         あまりにも重視しすぎ、世界のすべてだと思いこみすぎているのだ。

          ヨーロッパの科学はイスラムの科学から多くを学んだし、

         世界貿易も大航海時代よりはるか前からはじまっていたし、

         またイスラムの科学はインドのグプタ時代から多くを学んだのである。

          われわれは、ヨーロッパのはったりにだまされてきたともいえるのである。

          ただ、繁栄に尺度をおく考え方があるから、優劣はつけられるのであり、

         大きいことや早い発見などに盲信する捉え方には疑問をもちたい。

          歴史とは価値や優劣がなければ、それを描くことはできないのだろうか。




  伊東俊太郎『比較文明』 東京大学出版会 UP選書 1854円

             

          なんのために文明を比較するのか。

          文明を比較すれば、なにが見えてくるのだろうか。

          文明の長所や短所、学ぶべきところ、学ぶべきでないもの、盛衰の理由、

         といったものを客観的に見ることができるのではないだろうか。

          つまり、商品を選択することと同じで、多くの商品をほかと比べることによって、

         その機能の優れたところや、デザインの好みなどを見つけることができる。

          文明を比べることによって、よいところをとり入れ、同じ過ちや失敗を、

         二度とくり返さないようにしなければならない。

          この本では、おもに西欧中心主義からの脱却を図るために、

         比較文明という方法が使われているようである。

          科学がヨーロッパから始まったのではなく、その多くを中国やイスラムから

         学んだという感嘆する事例がたくさんあげられて説明されている。

          またヨーロッパの古代、中世、近代という時代区分のかわりに、

         人類革命、農業革命、都市革命、精神革命、科学革命を提唱している。

          現在は新しい革命の時代を迎えつつあるが、筆者は情報革命は

         科学革命の延長線上にあり、いまおこりつつあることは、

         物質主義をのりこえて、心と物の調和をめざす「人間革命」であるという。

          なお、日本は古くから東洋の文明に学び、西洋の文明も

         多くとり入れてきたことから、比較文明には適していると筆者はいう。

          いま、求められているのは、やはり西洋科学を受容した上での、

         東洋思想の再評価ではないだろうか。




  山口修『情報の東西交渉史』 新潮選書 1050円

            

          古代から情報はどのように運ばれ、伝えられてきたのか、

         世界の地図はどのように捉えられてきたのかということがのべられている。

          ヨーロッパの大航海時代から世界はつながったのではなく、

         イスラムがそのはるか前にかなりの航路を広げていた。

          シンドバットとかアラジンの魔法のランプの話、砂漠をゆくラクダの姿を

         われわれが知っているのは、その証左ではないだろうか。

          われわれが思うより、世界はもっと古くからつながっていて、

         とくに陸送より、海運のほうがはるかに早いとするのなら、

         もっと人や情報の移動といったものは行われていたとわたしは思う。

          人間の情報伝達能力が、千年や二千年の単位で飛躍的に増大したのではなく、

         もっと大昔から備わっていたと考えるほうが、妥当ではないだろうか。

          われわれは昔の人や社会を劣位におく思考に慣らされているが、

         人類がここ何千年かのうちに飛躍的に進化したとはあまり考えられない。




  宮崎正勝『イスラム・ネットワーク アッバース朝がつなげた世界
                 講談社選書メチエ 1500円

             

          ヨーロッパに先駆けて、イスラムが世界的規模でどれだけ交易を

         おこなっていたのかということがわかる本である。

          北欧・東欧から9世紀のアラブ銀貨がみつかっており、

         インドや中国とも交易をおこなっており、バグダードは繁栄をきわめた。

          ただこの本はイスラムの繁栄を知るには、いまいちぴんとこない。

          アラブ人たちの消費生活や都市生活などの喧騒がつたわってこないし、

         ムスリム商人たちの活躍もあまり思い浮かべられない。




  長澤和俊『海のシルクロード史 四千年の東西交易 中公新書 580円

          『海のシルクロード史』 中公新書


          紀元前2500年から1500年にかけてのインダス文明はすでに

         メソポタミアと交易があり、紀元前1300年からフェニキア人は

         アラビア、エジプト、インドと交易し、アフリカを一周したそうである。

          世界ははるか太古から海上交易でつながっていた。

          この本では、ローマ人とインドの交易や、古代中国の南海貿易、

         イスラムの交易などがとりあげられている。

          人類はかなりの昔から、物質消費をおこない、商品にとり憑かれていたのだ。

          西洋の産業革命は、その延長線上に機械をとりいれただけだ。

          欲望の性質は変わらず、その手段や道具が進歩しただけなのである。

          いったいこれはなんなのだろうか。

          なぜ、遠方の特産品や稀少な原料などに価値がおかれ、求められたのか。

          人間は想像することもできないくらいの遠い地域のモノに、

         言いしれないほどの魅力を感じてきた。

          なにが過去の人たちの欲望をこれほどまでに駆り立てたのか。

          この世界の果てや宇宙がどうなっているのかといった疑問や不安が、

         遠方からの商品をひきよせたのではないだろうか。

          つまり閉じた世界観や宇宙観を完成させたかったのではないだろうか。

          完結していない、果てしのない世界は、われわれを不安にさせる。

          商品の世界交易というのは、その穴を埋める試みではなかったのだろうか。

          現代はその商品による世界観の完結は限界に達し、

         知識や情報による世界観の完結――つまり心の中の世界像の完結に

         向かってゆくのではないだろうか。

          だが、これもいずれは失敗するのではないだろうか。

          思考や言葉が、未知の世界や不安を埋めることなどできないのだ。     




  松田壽男『アジアの歴史 東西交渉からみた前近代の世界像
            同時代ライブラリー 岩波書店 850円

             アジアの歴史―東西交渉からみた前近代の世界像

          アジアというのは広大な大陸で、歴史の動因を探すのは容易ではない。

          遊牧民というのはほかの国々にどのような影響を与えのたのか、

         中央アジアの国々はどのようなものであったのか、理解するのは難しい。

          この本はアジアの気候や風土によって、その歴史を探ろうとしたり、

         地理を図式的にまとめて、なんとかこの広大なアジアを理解させようとしているが、

         それでも遊牧民や中央アジアの人たちというのはわからない。

          海がまったくない草原や砂漠の地帯に暮らすということが、

         日本人であるわたしにはまったく理解できないのである。

          この人たちの目標や価値というものが見えてこないのも一因だろう。

          ヨーロッパやアメリカの文化や歴史ならかなり見えてくるのだが、

         かれらの文化や歴史はほとんど見えてこない。

          われわれの工業や商業に価値をおく捉え方が、かれらを曇らせるのだろう。

          おそらくアジアのなかにすばらしい価値をみいださないと、

         アジアは見えてこないのだろう。




  亀井高孝・三上次男・堀米庸三編『世界史地図』 吉川弘文館 330円

             標準世界史地図

          この国家の衰亡史をながめていると、いろいろな想いがわいてくる。

          いったいなぜ国家は領土を拡張したり、あるいは消滅していったのだろうか、

         なぜ強大な国家や群小の国家が現われたりしたのだろうかと多くの疑問がわく。

          またこの地図では遊牧民たちははっきりとした領土が示されていないし、

         アフリカの文明の歴史はほとんど抹殺されていることに気づく。

          地中海の海上交易が古代から発達していたのなら、

         インドネシアあたりもかなり貿易が栄えていたのではないかと思う。

          わたしはあまり年表的な歴史の知識をもっていないので、

         よけいにいろいろなことが気にかかるのだが、歴史書にあたってみても、

         なんだか砂をかむような収穫しか得られないので、

         もうすこし魅力的な書き方をした歴史書が出てこないのかと思うけど、

         あるいはわたし自身のほうに魅力をみいだす力がないだけかもしれない。




  加来耕三[監修]+原遙平[著]『歴史がわかる事典』
                日本実業出版社 1500円

            

          歴史「学」についていろいろなことがわかる事典である。

          歴史の年表だけのべたものではなく、方法論や認識論といった

         角度からのべられた本を読むことも、また大事ではないだろうか。

          歴史というのは、ある人の主観と価値観を離れてはありえない。

          げんざい知られている歴史観・歴史像というものが、

         「絶対的」、「完璧な真理」などとまちがっても思ってはならない。

          げんざいの社会の価値観とともに、歴史像というのは変わってゆくものだ。

          歴史というのは、ほとんどが空白の、わずかばかりが見えている絵画に

         すぎないものだとわたしは思う。

          ところで日本人というのは、三国志とか秀吉とか家康、竜馬といった人たちが

         とても好きみたいだが、わたしはあまり興味をひかれたことがない。

          どちらかというと、サラリーマンが自分たちの出世や地位の向上を

         歴史上の人物に重ねて、あまりにもヒーローぶりすぎている――

         美化しすぎていると思うのだが、よけいなお世話だろうか。

          かれらは歴史上の人物というよりか、現代人の価値観が結集したものでは

         ないだろうか。

          そのような価値観が高度成長期のエネルギー源だったのだろうか。

          わたしにはそのような価値観やメンタリティがまったく欠落しているので――

         どちらかといえば嫌っているので、かれらには憧れることがないのである。  





  『日本史探訪16 国学と洋学』 角川書店編 角川文庫 560円

           


          わたしはこの本がとても好きである。

         なぜなら、日本の江戸時代の思想家や知識人といった人たちを

        知る機会というのはめったにないのだが、この本では本居宣長、頼山陽、三浦梅園、

        杉田玄白、華岡青洲、緒方洪庵といった人たちの紹介がなされているからだ。

         ヨーロッパの知識人ならいくらでも知る機会はあるのだが、

        日本人でありながら、先人の知恵というものを知ることができないのは惜しい。

         わたしはこのころの思想家というものをほとんど知らなかったし、

        なにを問題にし、どのようなことを考えていたのかもほとんどわからなかった。

         たしかにこのころの文章はもう読めないほど、断絶があるかもしれないが、

        わたしのじいちゃんやばあちゃんのそのまた前のご先祖が、

        同じ時代に生きていたと思われるので、なんだか身近に感じられるのだ。

         知らない人のために説明しておくと、貝原益軒という人は実証医学の祖、

        頼山陽は明治維新の思想的指導者、本居宣長は国学の大成者、

        大塩平八郎は乱をおこした役人、三浦梅園は宇宙の構造を独自に哲学した人、

        平賀源内は発明などマルチな活動家、司馬江漢は洋画の先駆者、

        杉田玄白は蘭学の創始者、華岡青洲は麻酔手術をはじめた医者、

        渡辺華山は画家・洋学者、高野長英は蘭学者、シーボルトは日本研究をした人、

        緒方洪庵は幕末の人材をそだてた蘭方医である。

         わたしはこのなかで、大分のいなかのほうで、独自の哲学をうちたてた、

        三浦梅園のようないき方にあこがれた。     





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