BOOK REVIEW――思考のためのブックツール・ガイド 1997/Spring
思考というのはどうやら自分自身をみずから傷つけ、苛ませ、過去や未来の悩みや苦しみの世界に放りこみ、また言葉による虚構の世界を「実体化」させ、われわれを苦しめるもののようだ。
このような思考の苦しみを教えてくれるのがトランスパーソナル心理学だ。
ただ、このジャンルはあまり文献が充実していないことが残念であり、宗教に近いこともあり、盲目的な依存形態には警戒が必要だと思う。
ケン・ウィルバー (1949〜)
『意識のスペクトル 1・2』 春秋社 各2575円
東洋宗教を西洋心理学としてとりこんだ本で、古くから日本にある仏教も、「アメリカン・パッケージ」の包装に包みこんで逆輸入されれば、ひじょうに魅力的にみえる。
また、アメリカン・スタイルは古来の仏教とちがい、現代語訳で読みやすく、説明や紹介のしかたもひじょうに詳細をきわめて、かなり理解しやすい。
古い仏教は漢字や古い表現がおおく読みづらく、ゆえに理解しづらいし、理解できないのものは読んでもムダだし、パッケージが古くさく、魅力的にみえない。
ただし、さいきん読み出してわかったのだが、仏教には心理学的にも認識論的にもかなり重要で価値のあることがのべられており、そういう意味で逆輸入型の仏教や、ケン・ウィルバーなどには期待するのである。
この本は、「わたしをブチのめした十冊の本」で紹介した『無境界』の、より詳細な説明になっており、新たな知見を得られるだろう。
「1 意識の進化」では、境界のない世界があらゆる知識によって説明され、「2 意識の深化」では、仮面と影の統合、自我と身体の統合、身体と世界との合一がのべられている。
『アートマン・プロジェクト』 春秋社 2884円
この本は新たな造語などがたくさんあり、理解するのにひじょうに骨が折れるのだが、かなり重要な心理的な成長論がのべられているのだと思う。
アートマンとはインド哲学でいう世界との一体感であるが、われわれはこの感覚を原初にもっていたのだが、誤ってほかの身体や自我に自己を同一化してしまったために、それをとりもどそうとする試みをおこなうのだが、その代用の試みをアートマン・プロジェクトとよぶのである。
この試みは世俗的な目標や活動によって、ひとまずは満足させられる。
世界や他人を支配したり、生命を創造させたり、歴史に名を残したりといった事柄は、これらはすなわち「神」になろうとする、誤った試みにほかならないのだ。
このような試みは幼児期からおこなわれており、アートマンと思われた誤った同一化の対象が、ことごとく失敗するさまを、精神分析の発達理論と重ね合わせながら、説明されてゆくのがこの本である。
精神分析の「奇怪」な発達理論も、これでかなりすっきりと理解しやすくなる。
誤って同一化した「対象」はかならず、崩壊や「死」をうみだす。
それから逃れようとして、われわれは心理的な成長をへてゆくのである。
『眼には眼を』 青土社 2800円
この本は読みとおすのにひじょうに疲れたし、さすがにうんざりしてしまった。
ほかの理論にたいする反論や、ごつごつとした難解な訳語は、わたしの忍耐力を越えていた。
またわたしが知りたかったのは、このようなことではなく、やはり『無境界』や『意識のスペクトル』のような理論なので、この本はわたしにとってはあまり得ることがなかったように記憶する。
なおこの本と『アートマン・プロジェクト』は書店では見つけられず、古本屋でかろうじて見つけました。
『空像としての世界』 ケン・ウィルバー編著 青土社 2800円
わたしが社会の「共同幻想論」に興味をもっていたころに読まれた本で、タイトルはいかにもそれらしいが、内容は物理学や宇宙論、神秘主義などが、それぞれの一線の学者たちによって語られているものだ。
だからトランス・パーソナルの脈絡から読んだわけではないので、あまり深い理解はできなかったように思う。
ジッドゥ・クリシュナムルティ (1895〜1986)
『自我の終焉』 篠崎書林 1960円
クリシュナムルティの本のたいていは、対談集なのだが、この本はクリシュナムルティみずからの筆による、全体的な解説がなされており、ひじょうに貴重である。
クリシュナムルティの全貌を知るにはもってこいの本だ。
対談集ばかり読んでいると、いろいろな対話がばらばらに、頭のなかに乱雑に散らばってしまうので、かれの思想をまとめるという点で、この本はひじょうに重要である。
「自我」についての考え、「恐怖」、「思考は問題を解決できるか」といったことを筋道たてて説明してくれる著書はほかにあまりないと思う。
わたしがこの著作で感銘した点は、「思考する人」がいるのではなく、「思考」だけがあること、「努力」とは闘争と混乱と悲惨をうみだすこと、きのうの心象があたらしいものに出会うこと――あげれば、きりがない。
クリシュナムルティという人は、ものすごい「心理学者」であり、この人をあやしげな「宗教」の範疇に閉じこめておくことは、おおくの人の損失となるだろう。
『生と覚醒のコメンタリー 全四巻』 春秋社 各巻2500円前後
自然の風景の描写と、対談集がひとつの章としてまとめられたのが本書である。
せっかちなわたしは、なぜこんな自然描写なんかあるのだろうかといぶかっていたが、どうも、のちの対談の内容を象徴しているようだ。
じっくり読んでいるうちに、わたしはこの自然描写がひじょうにここちよいものに感じられてきた。
この本は主著とよばれているように、クリシュナムルティのさまざまなことがらにたいする考え方がのべられており、百科全書的な様相を呈している。
「過去に対して刻々と死ぬこと」、「あるがままであること」といったことばや、あるいは「精神」や「思考」、「過去」にたいする独特の表現が、みょうに心にのこった。
この本はクリシュナムルティの辞書のような本で、かれの全貌を知ろうと思ったら、この本がふさわしいのではないかと思う。
ところで、クリシュナムルティの顔というのは、どのような性格を連想させるのだろうか。
日本人であるわたしは、インド人の顔からその性格や感じを読みとることなどとてもできないが、どうも温厚さや人なつっこさはあまり感じられない顔に思える。
要は、中近東系の「あやしげな」人の顔に見えてしまうということだ。
『生の全変容』 春秋社 3200円
宗教学者アンダーソンとの対談集。
対談集というのは、わたしはあまり好きではなくて、クリシュナムルティの考え方がはっきりと示されていなかったり、相手の言葉によって、会話の流れがどんどんズレていったり、また対談者同士のかみあわない話というのは、どうも読みづらい。
要は、わたしはクリシュナムルティの思想のエッセンスを知りたいだけなので、あまりより道はしたくないのである。
『未来の生』 春秋社 1854円
クリシュナムルティ・スクールの生徒たちに、いかに「中古品」の人生を送らないですむかといった話をしている本。
働いたり、世俗的な欲望をもったり、権威や親に従ったりといったことを、辛辣に、容赦なしにさらけ出し、生徒たちに語りかけているさまは、ちょっとびっくりするくらいだ。
そういえば、日本の教師が、社会や企業、親、既定の人生のありかたといったものを、生徒たちにこんなにもあからさまに批判することはまずないだろう。
クリシュナムルティは恐怖が、権威に従わせる原因をつくるといっている。
だから恐怖を見極め、恐怖から自由にならなければならないというのである。
といっても、批判だけではメシは食えないと思うのは、あまりにもわたしがスネすぎているのだろうか。
現代の日本で、「中古品」の人生を送らずに、生きてゆくことなどできるのだろうか?
バグワン・シュリ・ラジニーシ(和尚) (1931〜1990)
『存在の詩』 めるくまーる 1751円
わたしがトランス・パーソナルもニューエイジもなんにも知らないときに、本の装丁とか詩のような文章に魅かれて読んだ本。
ひじょうに安らかな、流れるような、ほんわかとさせてくれる本である。
一行ごとの改行の文章はひじょうに読みやすいし、本のくねり具合もひじょうにこころよい。
内容はというと、当時わたしはヨーロッパ思想ばかりを読み、この本も東洋系の人がどのようなことをいっているのか、のぞいてみたていどで、人生論的に読んだだけで、ほとんど頭にのこっていない。
だが、さいきん思考を捨てるテクニックを知ろうとして、軽く読み返してみたら、なかなかわりやすく、かみくだいて説明しているようだった。
クリシュナムルティという人は、理詰めでものごとを説明してゆくが、ラジニーシという人は、ジョークやたとえ話をはさみながら、話してゆく。
わたしはラジニーシという人をどう評価してよいのかわからないが、インド的な、宗教的なイメージが前面に押し出されているために、ちょっと勘弁してよ、という感じがするのだが、内容的には、親切で、親身になって教えようとしていたのではないかと思う。
アメリカではカルト的だといろいろ批判があったそうだが、いっている中身は信用してよいのではないかと思う。
『一休道歌 上下』 めるくまーる 各2600円
この本はなかなかよかった。
上下巻で約1400ページにもなる大著だが、なんの重みもなく、すらすらと読める。
『存在の詩』とちがって、一行改行ではなく、ふつうの文章の組み方をしているので、ラジニーシの言わんとしていること、人となり、といったものがよく出ていると思う。
多くを説明しようとする意志に満ちあふれている。
ひじょうにやさしく、例のごとく、たとえ話やジョークをたくさん織りまぜながら、それでいながら、人間や社会にたいする鋭い洞察を示しつづけている。
ラジニーシという人はキリスト教や仏教から、フロイトやユング、マルクスやアインシュタインといった、ありとあらゆる人をあげており、内容もそれにともない、さまざまな事柄についてのべているので、できれば、このような分厚い本を読むほうがよいのである。
あちこちに手を出している人を、小さな網ですくうことはできない。
この本は、一休の道歌を題材に話が進められてゆくのだが、なぜか仏陀の話のほうがひんぱんに出てきたようにおもう。
なお、この本は古本屋で手に入れたが、やはり「とんちの一休さん」でメジャーだからよく売れたのか、それとも手放す人が多いのか、古本屋でよく見かけることが多い。
『般若心経』 めるくまーる 1751円
般若心経というのは、坊さんがよく唱えている「色即是空 空即是色」というやつで、宗教とまったく関わりがなかったわたしは、この現代語訳を読んで驚いた。
「この世においては、すべて存在するものには実体がない。
……目もなく、耳もなく、……心の対象もない」
思考や意識ならまだしも、物的対象にも実体がないというのはかなり「ラディカル」だ。
この『般若心経』をラジニーシがどのように語り、味つけしているのか、というよりか、物体に実体がないという考えをもっとくわしく説明してほしかったのだ。
この本でよく理解できたとはいえない。
わたしの理解の仕方は、ひじょうにヨーロッパ的な微に入り細にうがつ説明でないと、満足のゆく理解ができないのだ。
そのような説明のスタイルでないと、わたしは心から納得できないのである。
ラジニーシは西洋学問的な、顕微鏡をのぞきこむような説明といったものはおこなわない。
その点はわたしの頭のしくみにとっては残念だが、そのほかのことでは、おおいに学ぶことの多い、感動できる本である。
この本の中から一点だけ気に入っているところをあげるとすると、人間の弱さを川のたとえでのべているところで、強くなろうとしたら、川の流れに刃向かうことになり、ひじょうに苦しいが、いっしょに流れ漂うと、なんの苦痛もなく、それのみか、強さも弱さもなくなっているという点である。
『私が愛した本』 和尚エンタープライズジャパン 1800円
ラジニーシがどのような本を読んでいたのかわかる本。
ニーチェやウィトゲンシュタイン、ラッセルといった西洋哲学の人たちを読んでいたというのは、やはりインドの宗教者ということで、驚きである。
ラジニーシがさまざまな人たちにどのような評価づけをしていたのか、ひじょうに興味のつきない本である。
さまざまな本を手放しで賛美し、それについて語っているときに感極まって、何度か涙を流している。
好きな本をベタ褒めにしているさまは、こころよいばかりだ。
カリール・ジブランがひんぱんにあげられ、鈴木大拙が高く評価され、アドラーがニーチェの猿まねだとののしられ、アリストテレスが癌だといわれ、サルトルは頭の体操……あとは自分で読んでください。
ジェラルド・G・ジャンポルスキー『愛と怖れ』 VOICE 1380円
われわれのふだんの生活での、他人やものごとに対する認識や現実について、ひじょうに重要な、銘記しておくべきことがのべられている。
現実というのは自分がつくっており、選択できること、他人を非難したり、評価したりすることは、自分自身を苦しめているのみであるということだ。
つまり他人に腹をたてたり、非難したりすると、ブーメランのように自分の不快感や苦痛として返ってくるのである。
なぜなら、他人についての思いや考えというのは、すべてわたしの心の「中」に属し、それによって怒りや悲しみがわきあがるからだ。
他人を非難するということは、自分自身の感情や気分を傷つけ、最悪なものにするということなのだ。
われわれは通常、他人が悪いから、わたしの感情は最悪なものになったと思っている。
だが、わたしを最悪な気分にさせているのは、自分自身の他人に対する考えを、すぐに捨てずに、いつまでも抱えつづけたからなのだ。
他人についての考えをいますぐにでも捨てたら、わたしを苦しませるものはなにもなくなるのである。
たしかに他人はわたしにとって腹が立ち、気に食わないかもしれないが、その考えにしがみつづけるということは、自分自身を傷つけているだけなのだ。
他人を謝らさせたり、改善させようとする前に、まず、自分の苦痛や不快感から解放されるほうが、先決ではないのだろうか。
また怒りはまちがいなく、相手の恨みや反発を買う。
恐怖や脅えで他人を支配することはできるかもしれないが、怒りで他人をほんとうに変えることなどできないのだ。
もうひとつ重要なジャンポルスキーのメッセージは、過去をいっさいのこだわりなしに捨てるということである。
過去をなんども思い返したり、反省したりすることは、苦痛や苦悩、悲しみや怒りを、いつまでも継続させるということなのだ。
この本は、このようなひじょうに重要な認識のしかたについてのべられているが、この考えのもとになった『奇跡の学習コース』という本は、いわゆるチャネリングによって与えられたそうである。
ジェラルド・G・ジャンポルスキー
ダイアン・シリンシォーネ 『やすらぎ療法』 春秋社 1800円
『愛と怖れ』より9年あとに発表され、もっとくわしく、内容が細やかになっている。
ジャンポルスキーの他人や過去にたいする認識というのは、わたしもおおいにうなずけるのだが、愛、愛、愛、ばかり強調されるのは、ちょっとゲロ吐きものである。
ただ他人にたいする感情は、もろに自分自身に戻ってくるので、よい感情をもつべきであることは、まったくそのとおりなのだろう。
だけど、わたしにはいまひとつ、この愛という言葉をうけいれることができない。
ロックでは愛ばかりが唄われ、ドラマでも愛ばかりが語られる。
そういった商業主義に毒されているからうんざりしているのか、それとも否定的な心のほうが、わたしにとってはここちよいからなのだろうか。
ともかく、他人についての考えは自分自身に感情として返ってくること、過去や未来についての考えは、いっさい捨てること――このことが重要である。
ウエイン・W・ダイアー『どう生きるか、自分の人生』
三笠書房 知的生きかた文庫 500円
この人は自己啓発の範疇に入る人だが、東洋宗教にひじょうに近い、重要な考えをもっている。
過去や自分の力におよばないことは悲しんでもしかたがないこと、自分の現実は、自分自身がつくりだしたものであり、選択できること、こういったことを、「犠牲者にならない」というキーワードで、その脱出法を、ひじょうに力強く説明している。
自己啓発というのは、その大げさな言葉づかいによって軽く見られがちだが、この人の言っていることは、心理学的にもかなり根拠があると思う。
われわれは過去の終ってしまったどうにもならないことに悲しんだり、理解できない非常識な人に腹をたてたりして、不快な毎日をすごしているが、これはみずからをみずからによって犠牲者にしているにひとしいのだ。
なぜならこのような悲しみや怒りは、みずからで選びとることができるからだ。
われわれはそのことを知らなかったり、これまでの習慣から、悲しみや怒りにみたされた不快で悲惨な毎日を送っているのだが、ダイアーはこのような毎日は、みずからによって選択しているのだと教えてくれる。
われわれの心や思考だけが、このような目にあわせるのであり、そのことがわかっているのなら、同じ過ちは二度とくり返さないだろう。
なお、ダイアーの前著『自分のための人生』は、全世界で1250万部売れたそうだが、わたしはなぜかこちらの本のほうが、心につき刺さってきた。
マルクス・アウレーリウス『自省録』 岩波文庫460円/中公バックス「世界の名著」
マルクス・アウレーリウスというのはローマ時代の哲人王だが、この本は自分のために書かれた、ひじょうに人間くさい書物であり、朝起きるのがつらかったり、いやな人に出会うのをおっくうがったりすることを、みずから戒める文章を書いており、わたしはこの書がとても好きである。
名声や死、人生のはかなさなどを、ひじょうにあきらめの境地からのべるさまも、ひじょうに好ましく感じられる。
この本をトランスパーソナルの項目に入れたのは、思考や判断力を捨てることの安らかさをうたった箇所が、随所に見受けられるからだ。
この心の働きのみが、われわれを苦しめるのである。
同じようなことはストア哲学者のエピクテトス(『要録』)もいっており、中公バックス「世界の名著」では、かれらの著述が同じ一冊の本にまとめられている。
アラン『幸福論』 現代教養文庫480円/集英社文庫/岩波文庫
げんざい3つの出版社から出されていて、評価されているのだろうか。
わたしがこの本を読んだとき、ヨーロッパ哲学ばかり読み、考えつめることに価値をおいていたので、考えたり、本を読みすぎることは、健康によくないとひんぱんにいうこの哲学者に当惑ととまどいをおぼえた。
それでも考えることが精神をゆううつにおちこませ、幸福なようにふるまえば、幸福になるのだ、といった言葉にはひじょうに感銘した。
気分や感情はなにかによってもたらされた「結果」なのではなく、「原因」なのである。
祈りや手仕事、首をすくねること、笑い、などがゆううつな心を入れ替えるのに、どんなに役立つか、とアランは教えてくれる。
中島義道『時間を哲学する 過去はどこへ行ったか』
講談社現代新書1293 650円
過去や時間について考えることは、われわれの悩みや悲しみから解放されるためには、ひじょうに重要な問いである。
なぜなら、過去こそがわれわれに多くの苦しみをもたらすからだ。
われわれはふだん過去や時間のことについて疑問に思ったり、過去はどこに行ったのだろうということを問うことはまずない。
だが、そのような無自覚な姿勢こそが、過去からの牢獄を、わたしたちの身の上につくってしまうのである。
この本はヨーロッパ哲学の影響のうえに、時間についての考察を進めているが、がぜん、おもしろくなるのは、5章からの「過去はどこへも行かない」からで、過去は「いま」を過ぎれば、すべてどこにも存在しない、一瞬のうちに奈落の底に消えてしまうという捉え方を打ち出しているところである。
われわれは過去はある、と思っているが、じつは過去はこの地上にはどこにも存在せず、ただわたしの頭のなかにあるだけなのだ。
頭の中に、過去の等身大のわたしや、経験や行為がおさまってしまうわけなどない。
このことに気づいた哲学者たち――アウグスチヌス、デカルト、ヒューム、マクタガート、といった人たちは、全身全霊で恐れおののきながら、時間について語っているのである。
それは同時に過去の呪縛から一瞬にして、解放されることを意味し、過去の非実在性をもっと深く理解すれば、われわれは過去の悔恨や恐れ、不安から、完全に遮断されることになるのである。
この本はそのことに気づかせてくれた、ひじょうに驚くべき書物である。
大森荘蔵『時は流れず』 青土社 1800円
前著にひんぱんに名前があげられている哲学者の書であり、この人も過去は実在しないという説をもっているが、ちょっとこの本は難解な言葉づかいが多く、わたしには理解しづらかった。
だが、この書にはひじょうに重要なことがのべられており、過去の想起は、じつはその映像のなかにはどこにも過去の目印がないことや、「意識」という言葉の廃棄が、のべられていたりする。
たしはこの意識問題にひじょうに興味をもったが、あまりにもむづかしすぎて、いまのところ理解できないでいる。
スタニスラフ・グロフ+ハル・ジーナ・ベネット
『深層からの回帰』 青土社 2400円
グロフというのは、トランス・パーソナル心理学の中心人物だが、神話的・オカルト的な世界は、たとえ臨床経験からみちびかれたとしても、日常の通常意識をいちども越え出たことのないわたしには、どうも苦手というか、あまり手放しの興味をもつことはできないのだ。
わたしはフロイトには興味をもてても、ユングはどうも、というタイプなのだ。
だけど、この本の中のさまざまな驚くべき臨床経験は、かなりひきこまれる。
物理的境界を超えて、動物や植物、鉱物に一体化する経験や、時間的境界を超えて、祖先や両親、あるいは過去生に同一化する経験は、じっさいのセラピー現場においておこったものであり、かなりの説得力をもつ。
グロフの提唱する、意識や精神にはなんの境界もなく、脳のなかに閉じ込められているのではなく、全世界・全宇宙に浸透しているという説は、かなり革命的なパラダイム転覆をふくんでいる。
わたしはこの本を読んでから、コリン・ウィルソンの『オカルト 上下』を読んだが、魔術や魔女、霊界といった世界にひじょうにうんざりしてしまった。
わたしはいま、わたしの見ている世界や知っている世界というのは、自分自身の知覚や思考がつくりだした「仮像」の世界にしかすぎない、ということを理解しているが、それ以上のことは理解できないでいる。
ロジャー・N・ウォルシュ+フランシス・ヴォーン編
『トランスパーソナル宣言――自我を超えて』 春秋社 2472円
ウィルバーやグロフ、チャールズ・タート、フリチョフ・カプラ、アブラハム・マズロー、といったトランスパーソナルの代表的な人物の論文がおさめられている。
トランスパーソナルが日常の経験にいちばん生かされるのは、思考や感情に同一化せずにいると、それらに巻き込まれずにすむということである。
たとえば恐怖に同一化してしまうと、ここから世界が広がってしまい、ここから世界が見られ、解釈されるものとなり、わたしは恐怖「そのもの」になってしまう。
だからこの恐怖から「脱同一化」することが必要なのである。
われわれはふだん思考や過去のこと、怒りや悲しみなどに同一化してしまっている。
そうすると「わたし」はそれ自身になり、そこから世界は「現実味」をおびたものとして広がってしまう。
トランスパーソナルはこのような認識のあやまりをわれわれに教えてくれるのである。
「思考」や「過去」、「自己イメージ」、「感情」だけが、われわれが思っているように唯一の「わたし」ではない。
これらは対象であり、対象ということは外界の事物と同じく、「わたし」ではなく、観察されるものなのである。
苦しみの多い、思考や感情から世界を開けるのは、やめるべきではないのだろうか。
概説書
わたしは概説書というのは、いちばん最初に読むべきではないと思っている。
まずは原典から先に読み、全体の解説書というのは、いくつかの原典をあたったあとで、はじめて読むべきだと思っている。
それに原典のほうがだんぜんおもしろいし、読ませる能力はかなりある。
概説書というのは、いろいろな人のばらばらな意見をまとめたものであり、その魅力や深さ、広がりを失わせてしまうものだ。
もちろんそのジャンルに入りやすくしたり、全体像を知るためには欠かせないものだが、原典をいくらか読んだあとのほうが、概説書の意味合いもぐっと増してくる。
このような意味で学校教育では、まずはかなりかんたんな解説書を読まされるために、魅力や興味を半減させるし、また学界にはすべてに統一した見解が存在すると思いこませてしまう。
できあがった、つき崩せない世界観に、だれも興味をもちはしない。
アン・バンクロフト『20世紀の神秘思想家たち アイデンティティの探求』
平河出版社 1800円
写真入りの人物紹介は、かなりカッコいい。
ふつう書物というのは、著者がどのような顔をしているのかわからないことが多いが、この本では表紙に思想家たちの写真がのせられている。
グルジェフやアラン・ワッツ、ハクスレー、シャルダン、ブーバー、といった人たちの顔を、はじめて知ることができた。
内容のほうはというと、著者のバンクロフト女史がかれらの思想をかなり深く理解し、要領よくまとめられているのではないかと思う。
入門書としてはぴったりだと思うし、西洋的な説明スタイルや概念のほうが、東洋系の人たちの説明より、なじみやすく、理解しやすいのではないかと思う。
巻末の著作リストもかなり参考になる。
吉福伸逸『トランスパーソナルとは何か』 春秋社 1600円
著者の吉福伸逸という人は、日本のトランスパーソナルの翻訳をほとんど手がけている人で、この本は、歴史的な経緯をかなりくわしく紹介しながら、トランスパーソナルの全貌を明らかにしてくれる。
ラジニーシがアメリカでどうあつかわれたとか、クリシュナムルティがアメリカでどう評価されているとか、アラン・ワッツやラム・ダス、スタニスラフ・グロフ、ケン・ウィルバー、といった人たちがどのようにトランスパーソナルに関わってきたか、紹介されている。
トランスパーソナル学の発達史というか、歴史がよくわかるようにできている。
巻末の参考文献はかなりお役に立つが、関連文献はあまりにも手を広げすぎているのではないかとすこし思った。
『新しい自分を探す本』 ブッククラブ回・編 1600円
精神世界専門書店が、項目別に500冊の関連書を紹介したブックガイド。
「傷ついた心を癒したいとき」「自分が嫌いになったとき」「個を超えるために」といったさまざまな項目別に、それぞれ5冊ずつの本が紹介されている。
わたしも精神世界関係の本を選ぶさいにかなりお世話になった。
本の表紙の写真入りで紹介されているのがいい。
かなり優れたナビゲーターではあるのだけれども、紹介文が中身の要約にあまりなっていなくて、その内容を読ませたいと思わせる文章になっていないことが、残念である。
『精神世界マップ』 C+F Communications編 別冊宝島16 1010円
書物別に項目がつくられており、かんたんな概説と本文の抜粋がのせられている。
著者名が概説の文章のなかに埋め込まれており、この構成はかなり理解しづらい。
多用された写真や図はかなり「あやしく」、ひじょうにいかがわしい本に仕上がっている。
わたしがこの世界に足をつっこみはじめたときに参考にした本で、クリシュナムルティやラジニーシ、ブラヴァツキー、グルジェフ、鈴木大拙、といった人たちの紹介がなされていたので、ひじょうに重宝した。
あやしく、いかがわしいこれらの世界のなかで、どのようにちゃんとした説を得るか、あるいはだからこそ、われわれがふだんもっている「正統的」な世界観やパラダイムを試されるときでもあり、その自明性を疑えるときでもある。
科学でも学問でも、さいしょはあやしげなものが後の正統的な学説になってゆくものだ。
もしかしてこのジャンルのなかに、のちの正統的になる学説の萌芽が埋まっているかもしれないのだ。
菅靖彦『心はどこに向かうのか トランスパーソナルの視点』 NHKブックス 850円
菅靖彦という人もトランスパーソナルの多くの翻訳を手がけている人で、この本はオウム事件の起った95年に発表されており、セラピーや自己啓発セミナー、カルト宗教の状況などが、くわしく説明されている。
げんざいの社会的危機も考察されている。
レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在』 角川選書 1800円
ニューエイジの歴史が、ブラヴァツキーからはじまって、グルジェフ、ラジニーシ、サイババとかなりくわしく説明されており、それだけでなく、西洋の神秘思想運動や、共産主義の先駆的共同体の紹介もなされている。
ニューエイジにかかわるさまざまなことがつめこめられており、大博覧会さながらの様相になっている。
ニューエイジや宗教の流れを本格的に知りたい人に向いているのではないだろうか。
『ブックマップ』 工作舎=編 1545円
工作舎というのは、ニューサイエンスを中心に、かなりカッコいいブック・デザインの書物を出している出版社だが、その本を中心に計900冊の関連書物が紹介された本格的なブックガイド。
ものすごく、しぶくまとめられている。
ジャンルもかなり広く、トランスパーソナルやニューエイジ、量子力学、哲学・現代思想、宗教学、科学史、民俗学ともりだくさんである。
この本の中から、魅力的な本、読みたい本を何冊も見つけることができるだろう。
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BOOK REVIEW
「仏教・インド哲学は世界を実体なきもの、「空」と見なすのか」へ
視覚や物体、肉体や自己に実体はないという考えは、仏教のほうがより深遠に追究している。
仏教書のなかから、理解することができるだろうか。
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