■030113書評集
▼2003/1/13
『フィールド・オブ・イノセンス』 川本三郎
河出文庫 1991 750e(古本)
アメリカ文学の本だが、アメリカの作家の名前をつらねているだけでもカッコよくみえるのは、いまだにアメリカが憧憬の対象なんだなと思わせる。金持ちの国はいつでもうらやましがられる。文化的にもカッコよく思える。どうしてなんだろうと思う。そしていつまでつづくのかと思う。
『風の丘を越えて』 李清俊
ハヤカワ文庫 1988 540e(古本)
韓国の『砂の器』のような泣ける作品かなと思ってよんだが、なんだか「恨」という意味合いがよくわからない作品だった。
『ポスト・オフィス』 チャールズ・ブコウスキー
幻冬舎アウトロー文庫 1994 571e(古本)
労働文学である。仕事の話をしつづける本というのもいまではめずらしくなったと思う。
『トルストイ後期短編集』
福武文庫 1989-1906 600e(古本)
虚栄心と聖者というテーマの『神父セルギイ』をよみたったからよんだ。ほかの作品もよんでみて思ったのは、キリスト教がテーマにすることは私にはとうてい理解しがたいということだった。
『ヨブ』 ロバート・A・ハインライン
ハヤカワ文庫 1984 780e(古本)
多次元世界をさまようコミカルな話を期待していたのだが、神学的世界観噴出でまるで読めたものではなかった。
『ミステリーの社会学』 高橋哲雄
中公新書 1989 720e(古本)
ミステリーをほとんど読まなくてもけっこう楽しませてくれる本である。殺人は都会だけではなく地方も意外に多い、近年まで小説を読むことが批判的にみられたのは家族の連帯感を阻害したからだ、イギリスは産業の停滞のため金利生活者がふえ、暇であることがステイタスになった、三十年代の大不況にはインテリが運転手や庭師の求人にとびついた、などの興味ある話がよめた。
『若者が≪社会的弱者≫に転落する』 宮本みち子
洋泉社新書 2002 720e
そうだな、若者を「社会的弱者」とくくることはとても納得できるカテゴリーづけだと思う。私の経歴からいっても実感できる。若者は世界的にみても貧困、低所得、失業、フリーター、未婚の坂を転がり落ちつづけているのである。
中高年は所得は高く、社会保障もしっかりしているほうだし、マイホームもある。世代間格差が確実にひろがっており、若者はその差をうめるべく親にパラサイトし晩婚化するしかない。
しかもいまのマスコミや世間はその現実をみようとせず、若者の怠けぐせとしてかれらをバッシングするのみですませている。自分たちの既得権益のやましさを、若者のバッシングでかわそうとしているかのようだ。
若者の危機に警鐘をならしたこの本はとても共感できる部分が多く、まるで自分の声を代弁しているかのような箇所がたくさんあった。若者が層として不利益集団になりつつある、という新たな認識のもと、社会政策やシステムを変えてゆかないと、将来の惨禍はたいへんなものとならざるをえないといわざるをえないだろう。若者のまわりの社会から変えてゆかないと、未来はないのだろう。ぜひこの本を読んでほしい。
『ホームレス人生講座』 風樹茂
中公新書ラクレ 2002 740e(古本)
ホームレスになる経緯を、それぞれの世代ごとに紹介した本である。けっこう出世していたり、大きな会社に勤めていたり、堅実な生活をしていた人が、かんたんにホームレスに転落してしまう。それぞれの人がどういう理由でホームレスになったのかはかんたんにはくくれない。
日本より景気が悪く経済が崩壊したような国でもホームレスや自殺者はもっと少ない。それなのに日本だけなぜホームレスや自殺者がこうもふえるのかというと、著者はこの日本社会が無縁地獄になったからだという。血縁や地縁、社縁がたちきられ、カネや効率だけをもとめた社会は、縁の切れた人をかんたんに路上に放り出してしまうのである。人の縁に救いやなぐさめがまったく見失われてしまったのだろう。ホームレスにはこの社会の縮図が凝縮されているというほかないだろう。
『山谷崖っぷち日記』 大山史朗
角川文庫 2000 495e(古本)
「つまるところ、私は人生に向いていない人間なのだ」――ここまで達観できて、自分の限界を認めることはそうたやすくはできないと思う。このような達観があるから山谷の生活や労働、ホームレスになってしまうかもしれない将来にも耐えられるのだと思う。
一見したところ西成に住むような人たちは人種が違うように思ってしまう。でもこの本を読んでいるかぎり、まったくふつうの人で、ふつうの思考論理をもっており、おなじ感情や情緒をもっていることに、あたりまえのことだがあらためて気づかされた。私は見た目からかれらはそうとう違う人種だという根深い偏見をつちかっていたみたいである。
山谷の日雇い労働者の仕事や生活が個人の内面から知れることはいろいろ参考になる。いざとなったらこんなふうにしても生きられるという知識がたくわえられるし、生き方や性格の幅をひろげることもできる。サラリーマンやファミリーの生活だけが人生ではないと多様な生を思うこともできる。でもやっぱりそうはなりたくないけど。。
『アンジェラの灰』 フランク・マコート
新潮クレストブック 1996 2900e(古本)
1930年代の大不況下のアイルランドの悲惨な貧困の家庭を描いた回想録である。パパは仕事を三週間でいつもクビになり、失業保険で食いつないでいる。しかもパパはその金をぜんぶ飲んでしまう。ママは教会に頼ったり、そこまでおちぶれてはおしまいだといっていた物乞いをしたり、生活保護に頼ったりする。そのあいだ、子どもはつぎつぎと死んでいってしまう。
私はこの回想録を貧困におちいったさいのセーフティガードのガイドブックのような読み方をしていた。教会が助けてくれたり、店がツケで買い物をさせたくれたり、親戚が助けてくれたりと、いろいろあったんだなと思う。でもそんなものも子どもの命を救うことはできなかったが。
パパは仕事がつづかないうえ、失業手当もぜんぶ飲み干してしまうというのは、すごい神経だと思った。よくこんな人がパパになれたと思うし、家庭をもとうと思うものかと思うし、有り金をぜんぶ飲んでしまう神経もそうとうなものだと思う。イギリスに出稼ぎにいっても仕送りをぜんぜんしない。時代がそういう男を許したのだろうか、それともそういう男がざらにいた時代だったのだろうか。この人たちには老後の人生設計の心配などまるでなかったのだろうかと思う。そんな贅沢な心配など無縁だったのだろうか。
マコート少年はほかのものより早く働けることに自慢を感じていたことは、私からしては意外だった。働くことを伸ばすことが昨今の自慢だからだ。でも自分で稼げる大人になったことを自慢に思うことが健全な精神というものだろう。マコート少年は貧困や盗みなどを経験しながら、のちにはりっぱな教師になっており、このような回想録を書くに到っている。その跳躍を可能にしたものはいったいなんだったのだろうと思う。
『日本の盛衰』 堺屋太一
PHP新書 2002 780e(古本)
ひさしぶりにビジネス書を読んでみた。大不況はあいかわらず好転せず、堺屋太一もあいかわらず同じようなことを語っていて、知価革命という自説にこだわっている。文明論としての知価革命はおもしろいと思ったが、これはたんにブランド・ブームのことをいっているにすぎないのではないかと思う。しかもみんながブランドをつくりだす社会がくるとは思われず、小さな業界内だけの話にどとまることではないのかと思う。まあ、カルチャーを売れということだと思うが、そういう仕事もごく限られた人のものになるだけだと思う。
『「甘え」の成熟』 和田秀樹
光文社 2002 1200e(古本)
たしかに、うまく人に依存できることも人の成熟だといえるだろう。自立や自我の確立だけをめざせば、まったく人と関係を結べない孤立する人になるだけである。人間関係のない孤立した人間が成熟した大人であるとはとてもいえないだろう。私も依存や集団というものをずっと忌避しつづけてきたが、この本のタイトルを書店で見てから「そうだな、成熟した依存も必要だな」と納得するようになった。
人間関係をまったく排斥するような自立した大人像は、人とのあたたかみやつながりをまったく切り刻んでしまう薄情な理想だと思う。それに集団や人間関係のなかでうまく関係を結ばないといまの社会ではやっていけない。依存をまったく目の仇にするのは行き過ぎだと思う。
自己愛も未熟な状態として批判されてきたが、自己愛がなければ人生の意味も目標もかなり空虚なものになってしまう。自己愛も認知欲ももっと認めるべきだと思う。
「成熟した依存」という理想はとても賛同できるのだが、この本では共感能力というキーワードで政治と消費を切っているのだが、このあたりはそんなにうまくいくものかと思えて、マユツバものに思えた。
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書評集 021201書評集 おもしろい小説を探してます 2002/12/1
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