本文へジャンプ
▼テーマは古代史 

 



 ■041212断想集 なぜ歴史を知りたいのか?




古代史を知って、何になるか?       2004/12/12

 いま古代史の本を何冊か読んでいるのだけど、古代史を知って何になるという気持ちはたえずある。深入りしたくないと思うし、文庫や新書ならいいけど単行本は買いたくないという気がしている。

 そもそもわたしの古代史への興味は、歴史地理からのつづきである。関西のハイキングをしているうちにこの土地にはどんな歴史や過去があったのだろうと思うようになった。古い地名や言葉になじむうちに連想的に古代史に興味が向かったわけである。

 歴史とは終わったことである。もうすでに終わってしまい、存在しないものの足跡を追うことになんの意味があるのだろうか。歴史を知ったり、由来を知ったりすることは、知的好奇心を満足させる。いったいなんの満足なのだろうか。

 かつてこの地に存在した人がいて、生や営みをおこなったが、いまはもう存在しないと想像することは人のはかなさや、過ぎゆく時間のあわれさを感じさせる。しかしそれはたんなる懐古の感情であって、それを味わうことの価値はあまりないと思う。役に立つものではない。

 私たちはなぜ歴史名所に足を運ぶのだろうか。懐古の感情を味わうためだけにそこを訪れるのだろうか。歴史上に好きな人物がいて、その名所に訪れれば、いまはすでに存在しないその人の存在感を実感することはできるだろう。だから何だという気がするが。

 歴史を学ぶ理由として過去のあやまちをくり返さないためという話をよく聞く。だけど歴史へ興味が向かう人を見ていると、そうとは思われない。歴史的キーワードとか歴史的環境にひたるのがことのほか好きだという感じがする。過去というもうすでに存在しない想像の環境に羽を広げるのが好きなのだろう。すこし現実逃避の感がするが、現実逃避はおおいにけっこう。

 私は経済を学ぶには歴史を学ぶのがすごく大事であると思う。いまの経済がなぜこうなっているのかと考えるには経済の歴史を知らなければならない。ドラッカーや堺屋太一は現在の経済のありかたを歴史から説明しているからものすごくおもしろかった。現在とのつながりが興味をもたらすのである。そのつながりが見出せないと、歴史には多くの人が興味をもてない。現在の説明が大事なのである。

 私がいまのところ古代史に興味があるところは地理と歴史であるが、大和朝廷と天皇家が誕生するいぜんの権力闘争や国家の集結のしかたに興味がある。国家と歴史ができあがる前のおぼろげな存在感に興味が魅かれるのである。

 でも古代史への興味は読書まかせである。ある本が興味を喚起してくれるのにまかせるばかりである。自分からこれはなんでだろう、これはどう考えればいいのだろうか、という自由奔放な疑問や思考はめぐらせられない。やはり歴史には事実がひとつしかなく、解釈を広げることはできないから、自由な思索を好む私としては窮屈さを感じるのだろう。

 古代史の読書はもうすこしつづけるが、やはり私は現代への問題を考えることがいちばんだと思う。歴史へはあまりのめりこみ過ぎたくない。歴史の中にはかずかずの疑問や問題を見出すことが可能であるが、現在にとっての問題につながらない価値のない問いも多くあるわけで、できればそういう迷宮にはのめりこみたくない。古代史を学ぶにあたって、そういう問いはたえず忘れたくない。


▲このスペースの文字の入力がものすごく遅いです。ストレスです。どうしてなんでしょうか。





 ■なぜ聖夜が「性夜」になったのかについての考察       2004/12/25

 クリスマス・イブがカップルのセックスの夜になったのは大いなる皮肉というほかない。そもそもキリスト教は性を激しく禁止した宗教だ。キリストは童貞であり、母マリアは処女懐妊といわれたように性にまつわる話は徹底的に削除されている。修道院も女性を断った。

 そんなキリスト教のクリスマスが日本に根づくようになると、なぜカップルやセックスの日になったのだろうか。

 そもそもクリスマス・イブはケーキを食べる夜だったように記憶する。ケーキ業界はおおいに儲かった。そのうちにプレゼント業界やレストラン業界、ホテル業界などがクリスマス商戦に参入し、TVや音楽業界がイメージ戦略をすすめることによって、若者のなかにすっかり定着することになった。もっと上を目指すステップ・アップ消費、高級化で個性を主張しなければならない時代の流れである。音楽業界のイメージ煽情も強い。産業が必要としたのであり、そして若者や男女の関係で必要とされていったのだろう。

 イブがロマンティックな夜になったのはとりあえずキリスト教はイメージだけ移植したわけである。教義や戒律がまったく根づいていないのは、イブがセックスの夜になったのと同様、いうまでもないことである。

 キリストの生誕する前の夜がロマンティックなセックスの夜になったのは、キリスト教が愛を説く宗教であるからわからないでもない。しかし禁欲を説くキリスト教がセックスを奨めるとは思われない。日本では宗教を受容する頭が空っぽだったから、下半身だけが受容・需要したわけである。

 キリスト教の教義はちっとも受容されずにクリスマスという慣習だけが受容されたのはなぜなんだろうか。

 日本人はともかく形だけを採り入れるのが好きである。内実が空っぽのほうがより大勢に受容される。キリスト教国家は金持ち国家であり、先進国家である。日本は近代国家になったときから国策として金持ち追っかけをすすめた。ともかく金持ちはカッコイイ、金持ちのなんでもかんでも猿真似をしようという国になった。禁欲や抑制は美徳ではなくなった。

 解放された金持ち憧憬が、キリスト教教義ではなくて、クリスマス慣習だけを受容した。宗教や思想を受容したのではなくて、金持ちの生活スタイルを真似ただけであるから、スタイルは下半身だけに受容されたのである。

 クリスマス・イブというのは金持ちイメージの真似だけである。だから中身は空っぽでいいのである。ともかく金持ちの真似をして、金持ちと同じことをしていれば、満足なのである。社交やカップルの文化が興隆すれば、多くのマーケット、業界が潤えばいいのであって、キリスト教教義はどうでもいいのである。

 キリスト教、もしくは西洋国家からは一夫一婦制の規範もとりいれた。それ以前の日本は庶民において性の規範はもっとゆるく、稲の豊穣を祈る意味でも性交が隠微なものになることは少なかった。近代国家はそれを日本の後進性や恥だと思い、一夫一婦制や厳格な性道徳を根づかせようと努力した。

 処女や貞操の価値が高まった。これらの価値が高まるということは、それらが商品や市場に組み込まれるということである。性が禁止されるということは、性が有料になるということであり、お金を使わなければ性関係や婚姻関係が得られないという関係になることである。市場に組み込まれた性は抑制されて、強力なマーケットをかたちづくってゆくことになったのである。

 禁止されたもの――有料になった性は多大なお金やサービスをかけて手に入れなければならないものになった。戦後の終身雇用慣行もてつだって、女性の性は終身契約になり、生涯をかけてでも支払わなければならない資産級になったのである。

 クリスマスはそのような男女の関係に組み込まれた新たなマーケットだといえるだろう。厳しく抑制された性関係はぎゃくに有効なマーケットになるのである。

 いじょう、長くなってしまったが、禁止された性関係がぎゃくに聖夜を性夜にしたと私は考えてみる。キビシイ性関係が性のマーケットを広げる、そのからくりがクリスマスにあらわれているのではないかという私の一考察である。





 ■饒速日尊( にぎはやひのみこと)の降臨の地を訪ねる        2004/12/26

 きょうは天皇家より先にヤマトに降臨したといわれる饒速日を祭る交野市の磐船(いわふね)神社にいってきました。京阪私市駅からバスの本数が少ないので天野川ハイキングコースをさかのぼって一時間半くらいかかりました。山を降りるときには日が沈むまでに間に合うかと必死でした。写真で紹介します。

案内板には饒速日が降臨した哮峯(たけるがのみね)とありましたが、どうなんでしょーか。となりではロッククライミングをやっておりました。
星のブランコといわれるつり橋です。わくわく楽しませてもらいました。
これが磐船神社のご神体と思われる巨大な岩です。圧倒されます。その下には巨岩がごろごろ積み重なって川が流れています。
饒速日はこの岩船にのって天降ったとされていますが、古くは巨岩を信仰していたものが、降臨神話がつみ重ねられたのだと思います。こんな山奥に饒速日の宮がつくられたとも考えられないし。
天野川がトンネルをぶち抜いて流されていました。すごい発想です。

 きょうは饒速日が祭られている八尾の跡部神社にもいってみたかったのですが、時間が足りなかったのでまたいってみたいと思います。饒速日の足跡をたどってみたいと思ってます。

  磐船神社の地図です。




 ■歴史愛好家はなぜ多いのか        2004/12/28

 歴史愛好家はほかの知識ジャンルにくらべてダントツに多い気がする。私の好きな思想や社会学はそんなに多い感じがしないし、生物学や物理学が好きな人もそう多くはいないだろう。

 なぜ歴史愛好家だけこんなにたくさんいて、ある程度市民権を得ているようなところがあるのだろう。

 考古学は新聞のニュースになる。生物学や天文学の発見はニュースになったりするだろう。私の好きな思想や社会学がニュースになることはほとんどない。ファンが増えた心理学もニュースにはならない。歴史は一般市民の関心事として認知されているのである。

 歴史は一般市民の多くの人に関わりがあるといえる。国民や民族のルーツはわれわれ日本人と関わりのあることであり、中世や近世の歴史はわれわれのご先祖さまが直接生きていた世の中と関わりのあることである。

 いささかナショナリズムめくが、歴史は国民の教養として考えられているのだろう。日本人の歴史好きというのはナショナリズムと結びついているのだろうか。

 私はいま古代史を追究しているが、じつは現代の問題とはいえない歴史にはあまり深入りしたくないと思っている。私はやはり現代の問題を考えたい。もう終わってしまい、現在生きるわれわれの問題となりえないものは、あまり深く追求したくないと思っているのである。といっても興味は言葉の連想ゲームのようにつながってしまうものだが。

 歴史はやはり現代のだれにとっても関わりのあることである。われわれはその歴史があってこそ、現在この地に生きている。そしてその時間と人間はもう存在していない。自分のものでありながら、自分が知り得ないもの――自分が存在しない前に存在していたもの――その間隙を人は埋めたがるのだろう。生まれながらの欠損感という不安が、興味を歴史へと向かわせるのである。

 日本国の誇りや結集力のために日本の歴史を学ぶというナショナリズムの性質も日本人には多いのだと思う。歴史というのはやはり国家主義である。天皇や将軍の活躍を学ばされる歴史というのはナショナリズムのなにものでもない。われわれ無名の庶民にかれらの活躍がなんの関係があるというのだろう。権力者をたてまつる心性がナショナリズムを生む。

 歴史を好きになる人というのはマンガや時代劇などで興味を魅かれる人も多いと思う。また戦国武将や幕末に活躍した人たちをサラリーマンに重ねるカンちがいな英雄視にあずかるところも大きいのだろう。現代サラリーマンの誇大妄想がかれらをヒーローに仕立てるが、器や大きさがあまりにもかけ離れているのが恥ずかしい。

 歴史を学ぶ意義に過去の過ちや愚行をくり返さないためという理由をたまに聞くが、歴史好きな人はそんな有益な目的のために好きになるのではないと思う。歴史の舞台や太古の雰囲気に浸るのがことのほか好きだからという感じがする。歴史は現在ではもう想像力でしか知りえないものであるから、想像力の環境に身をおくのが快楽であるのではないかと思う。

 歴史好きな人は現代的なカッコよさが乏しいイメージがある。過去に興味を向かわせる目が現代的センスを遠ざけるのだと思う。思想家好きな人はラディカルな現代的感覚をもっているように感じられるが、宗教的狂気さのイメージも混入する場合もあるだろう。

 歴史愛好家は現代に目を向けないがゆえにいささか仙人的で嫌世的な要素がある。ちなみにオタクが嫌われるのは、性的要素が感じられるからだろう。性は好奇心が嵩じると他人の利益や所有権とぶつかり合う一筋縄でいかない領域である。一方的な好奇心は異性の自由や所有権を侵害するから不快なのだと思う。

 歴史好きな人は現代にあるものでも現在に目が向かわずに過去だけに視線が向かっている。現在を見放しているような感もないわけではない。

 歴史ジャンルはほかの知識の中でも、たとえば思想や心理学とくらべると多くのファンがいる。学者顔負けの素人や研究熱をもっている人も多い。私の好きな思想や社会学にもこのような裾野が広がればいいのになと私は羨ましく思う。





 ■紹介した本のクリック数がamazonでわかった        2004/12/29

 うれしい。うれしい。当サイトで紹介した本のamazonへのクリック数がamazonでレポートができるようになっているので、人気度がわかってうれしい。いわば当サイトのブック・ランキングである。

商品別トラフィック−クリックスルーレポート
October 1, 2004-December 31, 2004
商品名 クリック
リチャード・カールソンの楽天主義セラピー 16
なぜ彼は本気で恋愛してくれないのか 13
捨てて強くなる―ひらき直りの人生論 11
自省録 10
バーソロミュー―大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ 9
自我の終焉―絶対自由への道 7
無境界―自己成長のセラピー論 7
オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す 6
どう生きるか、自分の人生!―今日を後悔しない生き方 ダイアー博士の「生活哲学」 6
菜根譚 5
孤独であるためのレッスン 5
キリストにならいて 4
この人と結婚していいの? 4
「嫌いな自分」を隠そうとしてはいけない 4
ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 4
筋肉疲労が病気の原因だった!?―驚異の触手療法 4
グルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門 4
世界の名著 4 老子・荘子 (4) 4
大衆の反逆 3
整体 楽になる技術 3
決定版 人間通でなければ生きられない 3
戦争論―われわれの内にひそむ女神ベローナ 3
天皇家はなぜ続いたのか―「日本書紀」に隠された王権成立の謎 3
消費社会の神話と構造 普及版 3
日本書紀の読み方 2
日本の古代〈8〉海人の伝統 2
セスは語る―魂が永遠であるということ 2
「心の専門家」はいらない 2
自由からの逃走 新版 2
夜這いの民俗学・性愛編 2
聖なるものの社会学 2
ボディートーク入門―体が弾めば心も弾む 2
フロイト先生のウソ 2
清貧の思想 2
戦争と平和 2
菜根譚 1
自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実 1
日本書紀〈下〉 1
利己的な遺伝子 1
タイタニック 1
猿の惑星 BOX SET 1
昔話とこころの自立 1
疲労回復の本―あなたの心身疲労を気功で癒す 1
日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか 1
生業の歴史 1
フレンチドレッシング 1
昔話の魔力 1
思想なんかいらない生活 1
くらたま&岩月教授のだめ恋愛脱出講座 1
性的唯幻論序説 1
機会不平等 1
唯識のすすめ―仏教の深層心理学入門 1
〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター 1
ひとを“嫌う”ということ 1
秘密の心理 1
合計 183


 ■「人生最高の書」が多くランキングされているのはありがたい。数多く読んだ本の中で目からうろこが落ちた本ばかり集めているので、外れはないと思う。でももちろん私が思い切り感銘したとしても、ほかの人も同様に感じるとは限らない場合も考慮していただきたいが。

 意外に思ったのは『捨てて強くなる―ひらき直りの人生論』が上位にきていることだ。これは自己啓発のすでに絶版だと思われるおもちゃのような本で、「こだわり」や「価値観」を捨てるというすばらしい本だが、メジャーでないからこそありがたかった。

 『バーソロミュー―大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ』『セスは語る―魂が永遠であるということ』のような怪しげなチャネリング本が多くクリックされているのは意外だった。

 ベスト本だけではなく、過去のページからクリックしてくれた本もあるわけで、読者の方がトップページだけではなく、ほかのページも見ていてくれることがわかって感謝である。『ひとを“嫌う”ということ』 『機会不平等』 『日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか』 『フレンチドレッシング』 『思想なんかいらない生活』 『くらたま&岩月教授のだめ恋愛脱出講座』 『利己的な遺伝子』 『〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター』は目につきやすいページにおいているわけではないのである。

 こういうamazonのトラフィックレポートはサイト制作者としては、サイトのどのページが人気があるのか一目瞭然にわかって、こういう仕組みがアクセス解析になんかあったらいいなと思わせるものである。すでにあるのかもしれないが、アクセス解析は有料の場合があったりするし、なかなかそこまで知ろうとは思わないしね。

 このクリック数は売り上げ数と直接結びついているわけではないのだが、人気度がわかってとてもうれしい。売り上げはこのサイトのアクセス数の少なさからはじめから度外視しており、画像だけがいただければいいとアソシエイト契約したものである。

 それでもこのサイトから三冊amazonで本を買っていただいたことになっている。紹介料はたったの70円である。それでも私のHPから本の興味をもってくれた人の存在がわかってうれしいのである。





 ■人に読んでもらうHPをつくることについて      2004/12/31

 このHPは自分の考えたいこと、知りたいことを中心に書かれており、あまり読者の方の興味とか楽しみを予想していないのだが、やっぱりアクセス数は気になる。何度も増えているかと確認しに行ったりするし、増えていたりしたらおおいに喜ぶ。

 でも読者の方がどのようなものを知りたいと思い、どのようなものを読みたいかについては、配慮を欠いている。自分の興味や関心を優先し、そういうかたくなな姿勢のほうが自分の思索には返っていいのだと思っていたりする。

 書く内容についてもわざと話題や検索にひっかかりそうなテーマを避けたりしている。自分の関心に共鳴してくれる人だけを探しているのだろうか。これではアクセスは増えないし、検索にひっかかることもないだろう。一方では気にしているのにである。

 人に読んでもらおうと思ったら、検索にひっかかるようなテーマを選ぶべきである。そういう迎合的なHPはつくりたくないと思っているのだが、だとしたらHPを訪れたいと思う人はとくに限られてくることになるだろう。それでは私が密かに気にするアクセスが増えることはない。

 おそらく私は自分の楽しみのためだけにHPをつくっているというポーズをとりたいのだろう。読者の興味の引きそうな話題を避けるというのは、人を楽しませるためにこのHPをつくっているのではないという姿勢のあらわれなのだろう。

 この断想集というのはインターネットができる前から、個人的に思索をつみ重ねてきたものである。まったく自分の興味や関心のためにおこなっていたもので、人に見せる気はまったくなかった。カバー・ノートからはじまったものがワープロになり、ホームページになっただけなのである。

 私は密かに自分の極私的な楽しみが人にもわかってもらえるはずだという淡い期待を抱いているのだろう。私の楽しみをわかってくれよと叫んでいるのかもしれない。なぜ私の楽しみがわかってくれないのかと泣いているのだろうか。

 でも自分の楽しみだけを、HPという人に見てもらうためのメディアで押しつけるのは、ひとりよがりな日記と変わりはしない。人にもっとたくさん見てもらいたいと密かに思う以上、やはり読者がなにを楽しみにするかをすこしは考慮しなければならないと思う。

 私はこのHPの読者がどんな人で、なにに興味をもち、どのようなことを知りたいのかといったことの想像力をほぼ欠いている。読み手を想像する能力がまったくない。訓練しなければなと思う。

 ちょうどおもしろいサイトを見つけた。1からわかるおもしろ日記の書き方講座…326style.comである。文章技術の本は敬遠してしまうのだが、なぜかこのHPは読みやすかった。

 たとえば「誰に向けて書くのか」といった項目や、「人が読みたいと思うことを考える」、「書きたいことを一つに絞る」などの項目が参考になった。ほんと私は他人の目からこのHPはどのように見えてるのかという目が欠けている。ぜひ育まなければと思う。読者の方からもぜひ教えていただきたい。

 さて、これからはすこし検索されやすいテーマやキーワードでHPをつくってゆく努力も必要だと思っている。自分の楽しみ+読者の方の楽しみも考慮するようにしたいと思う。でないと読者の方にも申し訳ないだろうし、密かに気にするアクセスも増えることはない。

 「読者の方はどのようなことを読みたいと思っているのか、知りたいと思っているのか」――このことを頭の隅におきながら、HPを更新してゆきたいと思う。あくまでも努力目標ですが、そういうことを気にしたHPづくりにしてゆきたいと思う。


 ▲2004年もお世話になりました。2005年もどうぞよろしくお願いします。願わくばもう少しメールをいただければありがたいです。



あなたの思ったこと、感じたこと程度でいいですから、
気軽にメールしてください。
 
 ues@leo.interq.or.jp





■12月だというのに年末気分はまったくありません。年の瀬が迫っているという気分もまったく感じられません。クリスマスなんて私にはどうでもいいです。職業人生に染まるとこういう人間になるのでしょうか。年中、職業スケジュールに縛られて時間の感覚は麻痺しています。

子どものときみたいに年末とか正月気分とかもう一度味わってみたい気がします。世界や季節はもう少し神秘的で、物語的であったと思うんですが。




■37歳のわたくし、糖尿病の疑いありと診断されました。私はやせていますが。夏はミルクコーヒー、炭酸のペットボトルを一日2.3本がぶ飲みします。揚げ物ばかり食べています。というか現代人はみんな糖尿病になるしかないよ。栄養をとりすぎるとからだに悪いという逆説。お茶のペットボトルにかえました。




■「年金とは生活保護のことである』――とある弁護士がTVで語っていた。思わず唸った。少子化の時代にはこういう発想が必要なのかもしれないなと思った。社会主義によってゆがんた人生観はどこまでとり戻せるのか。老いに対する覚悟が必要なのだろう。




■Googleのサイト内検索をようやく入れることができました。

ドメイン(おそらくcom.やjpまでのこと)でしか検索できなかったので、苦肉の策として検索欄に「断想集」と「書評集」を入れたら当HPが検索できるようになりました。

書名や著者名、あるいは興味あるテーマやキーワードで検索してみてください。




■プロバイダのホームページ容量20Mを5Mほど超えてしまいました。画像の入れすぎです。どうしましょう?




書評インデックスに年間のベスト本「Great Books」の画像写真をつけくわえています。私の選りすぐりのオススメ本をぜひごらんください。




■押入れを整理していて、思わず岩明均の『寄生獣』に読みふけってしまいました。

『寄生獣―完全版 (1)』アフタヌーンKCDX (1664)


 奇怪なかたちに変身する寄生獣はもちろんのこと、生命や環境というテーマのことより物語の吸引力にもひきこまれました。

 雑誌はいくらかは捨てられるのですが、やっぱり本は――ほぼ読み返さないのですが――捨てるふんぎりがつかないものですね。




■HP容量を超えると、interQでは新規入会が必要になるという。ムカツク。
ブログへの移行を真剣に考えなければいけないな。
ブログはいろいろ制約がありそうだし、馴染んだHPビルダーとお別れするのは気が引けるし。どうしましょ?





■おすすめ社会批判本
 社会に吼える!

『60冊の書物による現代社会論』 奥井智之 中公新書

社会論を知るための羅針盤。

『現代思想のキイ・ワード』 今村仁司 講談社現代新書

思想家がカッコイイ。

『人間における自由』 フロム  東京創元社

フロムの人間洞察眼。

『孤独な群衆』 リースマン みすず書房

画一化する大衆。

『監獄の誕生―監視と処罰』 フーコー 新潮社

見せしめの刑から監視する刑になぜ変わったのか。

『道徳の系譜』 ニーチェ 岩波文庫

善とは自己の利益にすぎない。

『欲望と消費』 イーウェン 晶文社

あわれな消費。

『人間を幸福にしない日本というシステム』  ウォルフレン 新潮OH!文庫

タイトルがよすぎる!

『その日ぐらし 江戸っ子人生のすすめ』 高橋克彦・杉浦日向子 PHP文庫

明日の心配をしない幸せな人生。

書評はこちら。
「現代人はなぜ、「みんな」と同じ生き方しかできないのか」





■共同幻想論
社会は幻想によってなりたっている?

『自己と他者』 レイン みすず書房

集団は空想を正当化する。

『ものぐさ精神分析』 岸田秀 中公文庫

衝撃の共同幻想論!

『現代思想の冒険』 竹田青嗣 ちくま学芸文庫

現代思想がすらすらわかる。

『ニーチェ全集〈13〉 権力への意志(下)』 ちくま学芸文庫

人間は虚構しか知りえない。

『ポスト・モダンの条件』 リオタール 風の薔薇刊 白馬書房

「大きな物語」の終焉。

『言語・思考・現実』 ウォーフ 講談社学術文庫

世界観は自国語に規定される!

『意味の世界』 池上嘉彦 NHKブックス

言葉の不完全さを知る。

『言葉と無意識』 丸山圭三郎 講談社現代新書

ソシュールから文化論へ。

『マンウォッチング〈上〉』 モリス 小学館ライブラリー

人間を読む目が変わる。

『わかりたいあなたのための現代思想入門』 小阪修平他 別冊宝島 (44)

思想家がヒーローになる。

『共同幻想論』 吉本隆明 角川文庫ソフィア

国家も幻想である。

『近代科学を超えて』 村上陽一郎 講談社学術文庫

科学も幻想である。

『現代科学論の名著』 村上陽一郎編 中公新書

科学という神を疑うために。

『世界の共同主観的存在構造』 廣松渉 講談社学術文庫

漢語のような難解な哲学書。



   
inserted by FC2 system