■独身30代女性が市民権を得るための本だろう 2005/1/16
『負け犬の遠吠え』 酒井順子
講談社 2003 1400e
酒井順子
去年の流行語にもなった「負け犬」だが、ライトエッセイなので古本で手に入るまで読む気になれなかった。
あまり読後感のよい本ではないが、負け犬の生態と女性への観察眼はかなり鋭い。独身30代女性の考えや思い、行動があますところなく述べられている。
ただそのような人を観察し、批判し、評価するものの見方が、彼女の憂鬱や不幸をかたちづくっているのではないかと私は思うのだが。人を切る刃が返す刀で自分も切り刻むのである。
「負け犬」という言葉をはじめて聞いたとき、独身女性がどんどん増えて行き、自立するキャリア女性がもてはやされる流れの中で、ここにきてどうして独身女性が「負け犬」なのかと思った。
そもそも彼女たちは勝ち犬たる母親の家庭と育児しかない生き方に愛想をつかして、結婚をひきのばしてきたのではなかったのか。著者の酒井順子はそのような勝ち犬の不幸についてはまったく想像力を欠いているのがふしぎである。
ただやはり厳然たる結婚と子育ての帝国があり、負い目は年を経るごとにしのび寄ってくるのだろう。
そういう負い目の中、パワーボリュームとなってきた独身女性が社会での位置を明確にするために彼女たちはファミリー帝国に負けてやらなければならなかったのだと思う。もちろん負け犬さまがマーケットにとって無視できない存在であるからこそ、もてはやされるのだろうけど。
負け犬さまというのはマスコミや消費社会がさんざんもてはやして生み出した存在である。子育てや家庭はつまらないといって、彼女たちを消費社会や企業社会にくみこんだ。生殖という人生にとって大切なものを置き去りにした経済優先国家の落とし子なのである。
消費や経済を大切にしすぎた社会は子孫の再生産という生命のいとなみをなぜか欠落させてしまう。趣味や消費にうつつを抜かす人間は生殖に魅力を見出せなくなるのである。それを文化や文明の進歩というものかもしれないが、子孫の数が減るのなら本末転倒である。
負け犬さんはこれからも増えてゆくことだろう。対して男のオタクもフリーターやニートも増える。女は自分で食おうとして、男は稼ぐ気力をなくして、おたがい生殖からどんどん離れてゆく。まあ人口が爆発しすぎたのだから調整弁が働いたくらいに思うのがいいかもしれない。
問題は層をなしてきた負け犬さんが、結婚帝国から責められずにどうしたら幸せに生きてゆけるかということだろう。たぶん結婚は国家総力戦体制の残滓であり、以前は独身で終える人もたくさんいたのだと思う。またそういう時代にもどってゆくのだと思う。負け犬と呼ばれる女性はそういう時代への布石なのだろう。
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