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 ■070101断想集


 ■古代人はなぜ巨岩を崇めたのだろうか?           2007/1/1

 なぜか巨岩を祭る神社に興味が魅かれる。見ると圧倒されるというのもあるが、それ以上に巨岩を祭り、崇めた意味がまったくわからないのである。謎が私を魅きつけるのである。

 また古代の太陽信仰の聖地にはかならず磐座が祭られていた。太陽とどのような関わりがあるというのだろう。ますます謎である。石を祭る原始信仰の意味がわかれば、古代人の世界観の根本が見えてきそうな気がするので、厳かな興味を抱くのである。

 さいきん大阪付近でみつけた磐座の写真をいくつか紹介したいと思う。

 
奈良県柳生の天乃石立神社の磐座。山の森の奥にとつぜんあらわれる切り立った人工的な岩の壁に思わず「これはなんだ」と思った。高さは6mある。
横から見るとこのような角度で立ち上がっている。
そしてこれが天照大御神。なぜ太陽の神がこれなのか。
一刀岩といってげんざいは柳生一族と関わりのある岩とされているが、私はこれはむかしは女性器の象徴として崇められていたのだと思う。女性器は太陽や豊穣を生んだのである。
巨石の多い山添村の神野山のなべくら渓。天の川を模してつくられたとされるが、はたして? 山添村いわくら文化研究会ホームページ
磐船神社といえば交野市にあるが、河南町にもあり、このような磐座が祭られている。
これはあきらかにワレメのある女陰を祭っているのだろう。いまなら子宝祈願の岩だろうが、むかしは豊穣や再生が願われたと思われる。世界は女陰から生み出されるものだったのである。
生駒市にある稲蔵神社の磐座。ぬぼ〜とした三角形の妖怪みたいだ。高さは6mもある。うしろ側はつたが幾重にも重なり合って、まるで脈打つ血管のようだ。でも男根と呼ぶより、おにぎり。
生駒山系の高尾山山頂ちかくにある鐸比古(ぬでひこ)大神。河内が見渡せる景色のいいところにある。比古とは「日子」であり、「彦」になり、「日女」は「姫」である。つまりみんな太陽神の子なのである。
たまたま通りかかって息を呑んだ吉野の岩神神社の巨岩。高さは十数mあるそうだ。岩というよりは崖である。
交野市にある磐船神社の磐座。饒速日(にぎはやひ)が乗ってきた天の磐船とされる。いわゆる天孫降臨神話というものである。
滋賀県の巨岩信仰の箕作山(みつくりやま)。太郎坊宮が中腹にあって、巨岩むきだしの山そのものが崇められたような奇怪な風貌をしている。
わかりにくいが、生駒山系の岩戸神社。岩山がご神体とされており、となりの高座神社は天照大神を祭っている。太陽の神は岩盤のワレメから毎朝生まれると考えられていたのかもしれない。

 ▼紹介した磐座マップ
 

 ▼磐座にかんするリンク
 磐座(イワクラ) 種々の石
 磐座・巨石、磐座、巨石
 岩石祭祀学講座
 岩石信仰の対象とその祭り
 イワクラ(磐座)学会 -Iwakura Study Society-




 ■こういう神なら祈りたい――最明寺滝           2007/1/6

 私は磐座に魅かれるのだが、理由がわかった気がする。私は神社や寺の神仏を信じているわけではない。いってみても建物や仏像を拝めているだけで、ちっとも神性や実在性が感じられないのである。

 それに比べて磐座は大自然の神秘性や荘厳さを感じさせるのである。こういう気持ちならわかる、祈りたいという気持ちになる。原始宗教はいまでは失われてしまった信仰の原点を教えてくれるのである。自然の神秘さには畏怖や荘厳な気持ちを抱かずにはいられないのである。

 現代の神や仏にはこのような神は失われてしまっている。なんのために神社や仏が祀られているのかよくわからない。人為性や作為があまりにもつけ加えられすぎているのである。聖性の原点を教えてくれるということで、私は自然の神に魅かれるのである。

阪急宝塚線山本駅から最明寺川をさかのぼると、巨岩がごろごろ転がっていて、このような岩場の陰にいきつきます。
右手の岩場のくぼみには天地明王という祠が建てられています。ふつうこういう霊場は空海伝説が重ねられたりするのですが、ここにはいないみたいですね。
最明寺滝です。おそらくこの滝も神として祀られています。川の源流は生命と誕生の起源でもあります。滝つぼはもしかして子宮でかすね?
その奥の岩場の深い亀裂には地の底に通ずるかのような不動明王が祀られています。大地の神がおそらくここに坐すと古代から思われてきたのでしょうか。くぼみは生命が生まれる女陰でもあります。
ここにいると大地の神が地の底からうごめているような厳粛な気持ちになります。神仏とはそもそもこのような畏怖の感情から生まれたのではないかと思います。
このような岩場の裂け目に最明寺滝や不動明王はあります。ここは生命の誕生である子宮でもあり、再生の場と考えられたのかもしれません。死んで再生する、古代信仰の要です。
生命の源をつちかう水源地は守られるべき神域であったのはいうまでもありません。
この巨岩は西宮市にある越木岩神社の甑(こしき)岩です。高さ10m、周囲40mもある磐座です。現代でもこのような巨岩を祀る神社はあるのです。
甑岩より奥の高いところにある稚日女尊(わかひのめのみこと)の磐座です。後背地にある北山という神体山を祀る磐座であったのでしょうか。

 ▼最明寺滝と越木岩神社の地図
 





 ■無償経済の可能性と貨幣経済の欠陥        2007/1/6

 はてなアンテナでチェックさせてもらっている「まなざしの快楽(旧題「溢るる汚物」)だが、こんかいの「なぜ「生産消費者」は非金銭経済を目指すのか」で、金銭経済と非金銭経済という分けかたに興味をもった。

 未来学者トフラーの言葉「非金銭経済での活動が金銭経済に与える影響は、ますます大きくなっていく。金銭を使わないまま、多数の必要や欲求を満たしている。」をうけての考察であるが、私は他人の考えをなぞるのが苦手なので独自に考えたい。

 ネット社会は知識がどんどん蓄積されていっているのだが、無償労働が増殖していて、YouTubeなどで著作権保護が問題となっている。知識や情報というのはそもそも所有化できないものである。独占専有化できない。物体ではないし、交換できるものではないからだ。だから知識は書物やレコード、雑誌などと「物体」のあつかいをうけて、はじめて所有権・私有権があたえられた。または劇場や映画館、教室などのような空間の壁によって、商売として成り立った。

 ネットはそのような物体や空間の壁をすべてとっぱらった上で成り立っている。だから貨幣経済が浸透できない。しかし知識や情報を私的占有するのは人間にとって好ましいわけがない。知識は共有されてこそ、大いなる価値を発揮する。これまでの貨幣経済は知識の独占専有化をもたらし、多くの人に知識の伝達をさまたげ、不利益を生んできた。ネット社会の非貨幣経済はそのような弊害をうきぼりにするだろう。学校の公立化はそのような不均衡の是正をめざしたものであるが、序列の再生産装置になるとは皮肉なことだ。

 貨幣経済というのは物体の交換によって成り立ってきた。物体であるからこそ交換も可能であり、貨幣に換算されてきた。もとは食糧の交換に貨幣が威力を発揮したのはいうまでもない。食糧や物質は貨幣の交換にもとに価値を平準化・一律化され、その簡明なモノサシによって、市場経済は地球規模で拡大していったわけである。貨幣は人間の食料や物体の流通や分配を、簡潔になしとげていったのである。

 貨幣サービス社会は金の価値をひとり高める。人間は種の存続や人生を楽しむために生きているのではなくて、貨幣の交換や貨幣を生むための労働に生かされるかたちになる。つまり貨幣至上化による編制がおこなわれるのである。金で測られる・金で交換できるものだけに価値がおかれ、それ以外のものはいっさい排斥されてゆく。人間は他者への奉仕・労働・承認のみに生きる存在ではないと思うのだが、貨幣交換のシステムはそれのみに価値をおく社会をつくってゆく。

 自給自足経済・贈与経済・無償経済というものはどんどん駆逐され、人のあたたかみ、つながり、コミュニティは壊滅させられる。相互扶助の集団・地域も消え去り、分業化・専門化がすすみ、人はひとりで生きてゆくことができなくなり、イリイチのいう近代化された貧困(無能力)がすすむ。貨幣経済はその効率化のために人間という存在を機械労働化してゆくのである。まるでロボットの人生である。人間らしさを疎外された存在が労働者の目的になる。

 貨幣経済は富者と貧者を生み、ヒエラルキーを生み出し、人生の不均衡や差別をつくりだしてきた。職に就けない者やお金のない者は冷酷無比に排斥するシステムである。効率化・ロボット化しすぎた人間は「働かざるもの食うべからず」という格言を正当化する。もちろん人間は他者の痛みを理解し、助けたい存在であるから、飢餓や乞食、貧困層を助ける意味でキリスト教や福祉団体、それらの機能をもった国家が福祉や貨幣の分配をになうようになってきたのである。平等や福祉の思想は貨幣が作り出す貧困不均衡や差別を是正するために生まれてきたものである。

 貨幣は効率的に食糧や物体を均質化・一律化して分配するよくできたシステムであるが、かならず富の偏在や不均衡、貧困や差別を生み出すものである。この不幸を是正するシステムが国家に一極的に集中させられるようになったのが、近代国家や社会主義国家である。そしてその分配システムが市場経済の流れを分断・破壊するシステムであることが理解されるようになり、国家の分配システムが放棄されつつあるのがこんにちのありようである。

 われわれは貨幣に勝る人類の流通・分配システムはないものだろうかと思う。貨幣のほかにこの分配システムは夢想できないものなんだろうか。われわれは貨幣というモチベーションと機能のみでしか、共同体のために奉仕できない存在なのだろうか。

 ネット社会での非貨幣経済・無償労働の存在は、人間は貨幣のみのために生きる存在でないことを教えてくれる。または知識のように私的占有されるのではなく、共有財産として共有されたほうが人類に益するものがあるということも教えてくれる。贈与経済、無償労働というのは、貨幣経済が進展する中でものこっているものである。

 貨幣という分配システムをあらためて考え直すヒントが非貨幣経済の中に垣間見えそうな気がするのだが、人類の分配システムは貨幣のほかの手段で可能なものなんだろうか。われわれは貨幣システムにあまりにも支配・制御されすぎている弱い存在すぎないか。人類は非貨幣社会で生きられないものなんだろうか。貨幣のほかの分配の可能性、そのような光はないものだろうか。





 ■原付の免停と法定速度について          2006/1/13

  ねずみ捕りの現場にてぱちり。座席がずらりと。

 去年12月にスピード違反でつかまった。大阪から滋賀の近江八幡にいく遠出の途中で、国道一号線のねずみ捕りにほかの車がぼろぼろつかまるのといっしょに一網打尽にされた。27キロオーバーで、12000円の罰金。

 去年の三月くらいにも21キロオーバーで白バイにつかまって初心者講習をうけ、6点を超えたので「行政処分の出頭通知」がきた。はじめての免停です。こんかいは期間を短縮させる講習は受けないつもりだ。お金がアホらしいし、もう原付という免許には愛想が尽きた。

 原付なんか30キロの法定速度を守れないのは当たり前のことである。30キロで走るのは車の迷惑と邪魔になることであり、路注の車をよけれないし、右車線の車の流れにも乗れないから右折もとうぜんできない。交通事情を知るにつれ、このアホらしい法定速度を守る気なんかなくした。原付であれ、車といっしょの道路を走るのだから速度制限は同じ速度にするべきである。

 なぜこの法定速度は変えられないのだろうか。ネットで調べても不明だが、時間が止まっているとしかいいようがない。それとやはり警察の罰金収入のウマみが大きいのだろう。原付はヤクザさんのカツアゲの最大のカモである。現今の交通事情を無視した交通法規にはそういう利権があるのだろう。

 速度制限はほんらいは交通事故を防いだり、安全のためであろう。私も原付のゆっくりしたスピードの安全性は魅力的であると思うが、車のスピードというのは速度制限をほどこしても守られるというものではない。自生的秩序というものがある。

 それをつかまえて罰金や免停の罰則を課すことは、けっきょくは怨恨や憎悪を生み、果てしない対立関係といたちごっこを生むだけであり、中高生のような禁止と規則の破壊を快楽と大人の仲間入りと見なす認識をつくりだすだけである。

 つまりは速度制限なんて意味のないものであり、あくまでも努力目標にすべきであり、罰則なんてたんなる公権力の金銭強奪にしかならないのである。とりしまる警察が怨まれるばかりである。注意だけならどんなに気持ちが和らぐことか。車道の安全秩序はドライバー自身たちにゆだねるべきである。罰則はあきらかな危険行為や暴走行為にとどめるべきである。

 速度制限や罰則は安全や正義という美名のもとおこなわれるが、金銭強奪の集団をつくりだしているだけであり、法定速度が守られることはまずない。法律や罰則は効果がない。交通法規はたんなる公権力の暴走や迷宮入りを生み出しているだけに思う。

 ただ交通の安全を守ることはほんとうに大切なことだと私も思う。年間一万人も死者を出している交通事故はぜひ防がなければならない。しかし速度制限や罰則は向かう方向が違ってしまうし、見えないところでは違反が当たり前にはびこるのである。安全は罰則であるより、車の性能自体に速度制限が設けられるべきなのかもしれない。

 交通罰則は街中をふつうに歩いていて、いきなり職務質問されたり、あらぬ嫌疑をかけられりすることと同じ不快感がある。交通法規という不自然な設定値を設けることにより、ヤクザに言いがかりや上納金を納めているような気になる。このような権力を乱用した交通法規は、市民のためというよりか、市民の敵や怨恨をつくりだしているだけのように思う。

 もう私は原付の免許とかかわりたくない。自動二輪をとるべきだと思う。といっても仕事がある人間に容易に教習所や試験に通えるわけでもない。自転車の自由と気楽な乗り物にもどったほうがいいのかもしれない。交通法規と罰則は小市民の自由と安楽を奪いとるだけである。原付に乗ってはじめて警察という存在がいかに不快なものなのかよくわかった。





 ■無縁社会と孤独死                  2007/1/14

 

 2005年9月にNHKで放映され話題になった『ひとり団地の一室』という番組の再放送をみた。千葉県松戸市のニュータウンで孤独死があいついでいるという。大阪市でも孤独死は85年から三倍にも増えている。40代50代の働き盛りもふくまれるのである。

 一人世帯はこの5年で12%増え、高齢者は三割近く増加しており、一人世帯は三割に達している(統計局)。近所に付き合いや話相手もいない老人も増えており、まさにこの社会は「無縁社会」となろうとしているのである。

 いぜん風間茂の『ホームレス人生講座』(中公ラクレ新書)という本を読んだが、ホームレスも血縁や社縁から断ち切られるから路上に放り出されるのだとのべていたが、この孤独死も同じような人とのつながりがまったくない無縁社会から発生しているのだろう。

 私も数年前、貯金だけで失業期間を半年ほど過ごしていたことがあったが、毎日ほとんどだれとも口を聞かない日々がつづいた。会社や仕事からはなれると、街中では人とのつながりをまったくなくす世の中がひろがっているのである。失業した中高年や定年になった高齢者もこのような日々を毎日送っているのだろうか。

 戦後の日本人は田舎から都会に出てきて、会社だけのコミュニティをつくり、近所とのつきあいを断った関係をつくりあげた。田舎の因習的な関係を拒否し、核家族に自由と幸福をもとめるライフスタイルを築いたのである。そしてお金と仕事だけで人とつながる関係をつくり、近所には知り合いのいない街をつくりあげたのである。会社から離れると人はたちまち孤立した個人として放り出され、だれともつながりのない世の中に住まうことになったのである。

 たしかに近所とのつき合いはっとうしいものである。監視されているような息苦しさがあった。会社でのつきあいにわずらわしい思いをし、仕事でくたくたになって、近所で人とつきあう余裕もなかったのだろう。しかしそんな世の中で失職したり病気になったりしたら、近所ではだれとのつながりもないのである。そうして世間から忘れ去られるように生をひっそりと終えるのである。

 戦後の人たちはなにをまちがったのだろうか。このような人生の終わり方は戦後日本の大きな過ちの結果だったのだと思う。

 私はいつもの自分の主張で申し訳ないと思うが、やはり戦後の「経済至上主義」と「会社中心主義」のせいだと思う。会社と労働に「国民総動員体制」がかけられたために、われわれは会社以外のコミュニティをつくる時間も余裕も奪われたのである。会社だけがコミュニティであり、共同体であるシステムをつくりあげてしまった。それは人間らしい生き方の強奪であり、人間としての生活を奪うシステムであった結果が、この孤独死なのである。せめて会社以外の比重がかけられる社会であったら、このような人生の終末は防げたのではないかと思う。

 貨幣経済の進展も人との関係を断ち切っていった。農業社会で大家族で自給したり、近隣で食べ物を融通しあったりする関係も断ち切られ、お金とサービスで買える関係だけに置き換わっていった。家族や共同体は解体され、金とサービスで買える関係だけに個人は切り離されていったのである。

 それは便利で効率的なものであったが、代わりに人とのつながりや縁をぱらばらにする関係でもあったのである。そのような貨幣サービス関係だけでは死は看取られることはないし、個人の行状が知られることもない。効率的で自由な個人主義は人の生き死も自由であり、そして無視されるのである。われわれはこの効率的であるが、生死も見捨てておかれる社会に今後も将来をたくすべきなのだろうか。

 先ほど読んだ広井良典の『持続可能な福祉社会』(ちくま新書)に、この孤立したコミュニティ論に一章が割かれ、「コミュニティとは、本来「死」という要素を本質に含むものであり、同時にまた、”「死」を含むコミュニティの再構築”が現在そしてこれからの日本社会にとっての大きな課題なのではなかろうか」とのべられている。

 この本には先進国の社会的孤立を比較したデータがあり、家族以外に人と会う頻度をあらわしたものだが、日本では16%ほどの人が人と会わないとされており、ほかの国に比べてダントツである。アメリカやオランダ、イギリスなどは6%〜2%におさまっている。日本がいかに孤立した無縁社会になっているかということだ。

 日本人は自分の知らない人に対してのコミュニケーション技法や能力をまったく発達させてこなかったのである。そのような結果が死後のタイムラグをへての発見となってしまうのである。近隣とつきあいのない快適な関係が、孤独死という人が死んでも見捨てられるような痛みや悲しみをわれわれにつきつけるのである。つまり人が死んでも放っておかれるような社会や地域をわれわれはこれからも継続させてゆくつもりなのか。

 葬式というものは、不思議なものだと思うが、死んでしまった本人は葬式がおこなわれている自覚はすでにないはずである。どちらかというと、残された人の悲しみや慰めのためにおこなわれるものであり、または生前の本人の安らかさをもたらすものであろう。孤独死は残ったわれわれにえもしれぬ悔恨を与えるのである。

 われわれは戦後に都会に出てきて、近隣とつきあいのない自由で効率的な社会をつくったが、そのような社会には孤独死という痛みをわれわれにつきつけるのである。会社とお金の関係だけでは、われわれは人としての関係を築いているいるとはいえない。隣人が死後何日もたって発見されたとしたら、私たちにとってどんな痛みや悲しみをもたらすものか、考えてみなければならない。

 私たちは近隣とのつきあいのない関係の中で孤独死やホームレスをたくさん生み出しているのである。いまでも孤立や孤独の中で生きている人もたくさんいるはずである。われわれはそのような痛みを放置したままでも、近隣とのコミュニケーションやつながりを断った関係をつづけてゆこうというのだろうか。

 日本人は知らない人に対する、身内に対する「ソト」の人に対しては冷酷で冷淡すぎる。このような行動様式がいま、ぼろぼろと孤独死やホームレス、または困窮した人たちを生み出しているのである。われわれは不快で窮屈にならない近隣とのコミュニケーションや関係を新たにつくってゆかなければならないのである。

 老後や健康の社会保障というのは国家や会社だけが与えられるものではない。家族や親族だけが頼れるものではない。近隣や共同体こそがまず担わなければならないものである。私たちはそういう自覚と覚悟があまりにも薄かったのではないだろうか。





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