■女の子の関係性による暴力 2007/2/26
『女の子どうしって、ややこしい!』 レイチェル・シモンズ
草思社 2002 1400e
これはまちがいなく私が何年も前から読みたいと思っていた本だ。グレート・ブックスに選ばれるべきものだ。
女の子どうしのいじめやいやがらせ、無視などをとりあげた本なのであるが、私もつくづく集団のむずかしさというものを思い知らされてきた。個人はいい人であっても、集団となると人間はまったく「別の生き物」になる。暴虐性や残酷性を発揮して、人びとを呑みこみ、手のつけられない状態になる。集団の力学に捉えられると、集団は「妖怪」になるといいたいくらいだ。
だれもが経験したと思う。学校でのいじめや仲間外れの怖さ、そして仲間との不安定な関係やいつ切れるかもしれない友だちとの危うい関係。私はいつしかもうそんな集団との関わりはできるだけ避けたいと思うようになっていた。そしてどうやったら集団とうまくつきあえるのか、答えを探りたいと思うようになっていたのだが、驚くことに心理学や社会学では集団での関係がまったく研究されていないのだ。
個人の心理学はたくさん研究されていたり、群集心理などはいくらか研究されているのだが、この仲間集団の研究というものがまったくなされていないのである。人間というのは個人が孤立して存在する心理的存在というものではまったくなく、ハナから集団人といってよい存在である。仲間や集団によって人間は変わり、動かされ、パーソナリティも決まる。それなのに集団が研究されていないというのは恐ろしいことである。
この本では女の子の陰湿ないじめの手法を「裏攻撃」と名づけ、怒りや衝突を避けるために女の子は独特な遠まわしのいじめをおこなうとされ、直接的なけんかや対立をいとなわない男の子と違うとされているが、男だってそんなに変わらないと思う。非行や暴力的なものが禁止されればされれるほど、男のいじめも女性に似てくるのではないかと思う。
女の子でとくに目立つのがひとりを怖がり、とにかく群れることだろう。「休み時間にひとりで歩くのはいやです」「ホームルームやランチの時間、廊下を歩く時にひとりきりにならないためなら――なんでもするだろう」「それはつまり、まわりから孤立しているということ。何か変なところがある、ということなんです」「「完璧な女の子」は「完璧な人間関係」とセットだと知っている」「人間関係の不安定さが女の子の日常を黒雲のようにおおっているために、孤立の脅威はいつも重くのしかかっている」「人間関係の技術が女の子の社会的アイデンティティを決めるとすれば、孤独は最悪の不幸である」
女の子は友だちとうまくやることが期待されており、孤立することはその失敗の烙印なのである。女の子はそれが恐怖である。だからいじめやいやがらせがおこなわれるとき、徒党や同盟を組んで集団で無視されたり、いやがらせをされたりするのである。女の子の最大の恐怖が利用されるわけである。「関係性による暴力」という策略がもちいられるのである。
このダメージやトラウマを背負った女の子たちは何十年たっても鮮明にその恐ろしさを覚えているというし、自分を虐待する友達であってもその仲間関係から離れられないのである。女の子のいじめは仲良しグループの内部で外に見えないかたちでおこなわれるのである。これはまさしく男女間で生み出されるドメスティック・バイオレンスの原型をとなるものである。女の子にいわせれば、それも「ひとりぽっちになるのにくらべれば、なんでもまし」なのである。
「失敗の烙印」を押されたくないがために女の子たちはだれかをその血祭りにあげる。恐怖はだれかの贖いによって埋められるのである。これは男でも、どんな集団関係においても働いている基盤となるルールだろう。そしてその恐怖はその集団内において上や下にはみ出るものたちの縛りや同調化をうながし、人びとの自由や信条を奪い去ってゆくものなのである。
私たちはこの集団というものの恐怖をどうやったら制御できるのだろうか。集団に支配されるのではなく、集団を支配すること。そしてどうやったら集団とうまくつき合え、集団の凶暴性やいじめの同調化に巻き込まれずに抗することができるのか、そのような知恵と技法がぜひ必要なのである。われわれはあまりにも集団というものを知らなさ過ぎるのである。
著者のレイチェル・シモンズは女の子の攻撃性が社会的に認められていないため、このような水面下でのいじめがおこるといい、女性の攻撃性が認められる社会になることが必要だといっている。仲間とうまくやることが重視され過ぎる社会はぎゃくに孤立やいじめを生むのである。仲良しごっこは孤立という落とし穴を前提として成り立つ。仲良しは対立や外部が元からセットなのである。しかし攻撃性を表に出しすぎるのもな〜と思わなくもないが。まあ、内なる攻撃性を認識するのが大切だということである。
白人中流階級とは対照的に黒人やヒスパニックでは怒りや不満は口に出す。相手と対決することは母から教えられるという。人間関係を最優先して「いい子」になるのは危険なのである。他人との衝突を避けると「クズ」の烙印を押され、もっとひどい暴力を受けるそうである。なんかこの話を聞いていて、すかっとした。
私たちは集団やグループというものをあまりにも知らなさ過ぎる。だれもが学校や職場、家庭などで経験しているものなのに、研究の光が当てられることもない。そして集団の荒波の中をやみくもに泳いでゆかなければならないのである。この本はそのような集団の力学に光を当てた優れた本である。集団というものがどんなに凶暴で残酷なのか、白日の下にさらすだけでも大きな価値があるというものである。
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