Help Me! Heavy Bad Company

      サイアクの職場環境から

                                            1997/11/9.





    わたしは20代をフリーターとして過ごし、30歳を機に正社員の仕事に就職した。

    そしてその職場が長時間労働のサイテーの職場だったのだ。


    わたしも20代ならすぐに辞めていただろうが、

   いまはもう30歳、手に職のないわたしはそうどこにでも転職できるというわけではない。

    だいいち、フリーターを長くやっているうちに、

   職業能力に少しばかり自信を失ってしまっている。


    もちろんこの職場は現在、繁忙期だから、この時期が過ぎたら、

   身のふり方は考えるつもりでいる。


    この繁忙期というのがすさまじい。

    わたしは車の免許をもっていないので、終電のある11時までには帰れるが、

   ほかの人は自動車通勤なので、夜中の1、2時まで残業して、

   しかもつぎの朝は8時から仕事だ。

    眠れるだけでマシなのかもしれない。

    一日中ブッ通しで仕事をしつづけ、昼過ぎに仕事しながらときどき眠りこけている。

    そしてダウンして、休憩室のソファなどで眠ったりする。

    そんな毎日が、返上されるかもしれない休日まで、一週間つづく。

    残業時間が10時間というのは、いったいどういうことかわからなくなる。

    異常なまでにスサマジイ!


    朝、連絡なしでだれかが出勤してこないとなると、

   会社の者が自宅に電話し、つながらないと自宅まで押しかける。

    もうほとんど脅迫まがいだ。


    これではとてもこっそりと行かなくなって辞めるというわけにはいかない。

    しかも給料は手渡しで、銀行振込というわけではなく、

   辞めようとしたら一悶着ありそうだ。

    繁忙期は年末までらしいので、そこまでなんとか乗り切るしかない。


    こんなヒサンな職場が野放しになっているなんて、どうかしていると思うが、

   これがゲンジツなのだろう。

    どこかに告発しようとしても、やっぱりだれが密告したかバレるわけだし、

   職場にだって居づらくなるに決まっている。

    どこかで週40時間制が実施されたという話だが、

   ほんとうにそんなものに実行力があるわけがない。

    どこかの資料でかなりの企業が40時間を実施しているという話だそうだが、

   どこのだれがそんなウソっぱちを信じるのか。

    この国では、だれも企業から守られないのだ。

    法律では残業をしっかりと拒否できるという話だが、

   だれも守ってくれる人のいない職場のなかで、どうやって声をあげれるというのか。

    ほんとうにヒサンだ。

    個人としての無力さを感じる。


    正社員になれば、2、3時間の残業はガマンしなければならないと

   覚悟していたが、いくらなんでもここまでスサマジイとは思わなかった。

    誤算である。

    テレビを見る時間はないわ、本を読む時間も、

   楽しみな仕事終わりの書店通いもできないわ、そればかりか睡眠時間さえ削られる。

    もう頭を空っぽにして、なんの不満も感じないようにするしか、

   この期間を、健康的に過ごす術はない。

    貯金もそんなにないから、すぐには転職先を探すこともできないのである。


    この会社に入ったとき、やはり最近入った人が多く、

   新入社員がつぎつぎと入ってくるから、かなり劣悪な職場なのだろうと思ったが、

   これほど残業時間が多ければ、みんな辞めてゆくだろう。

    睡眠時間さえ満足に保証できない会社にだれが残るというのだ?

    そもそもこんな会社が野放しになっていること自体、

   この社会は企業に対して、なんの歯止めももたないということなのだ。


    こういう会社はどのようにこのような最悪な労働条件になったのだろうか。

    いぜん、わたしは派遣のアルバイトで、沈みかけた船のような職場に

   勤めていたことがあるが、そこは電気製造会社の下請けだった。

    職場の人間はたがいがささくれ立っていて、

   だれかがどこかでクビだクビだとのちうち回っていた。

    けっきょく、そのような会社はいくら給料がよくても、

   すぐ人は辞めてゆき、悪循環的に最悪の職場環境になる。

    わたしはその会社を、親会社が円高で打撃をうけ、仕事が激減し、派遣を打ち切られた。

    いつか辞めるつもりだったので、なんの感慨も抱かなかった。


    ヒサンな職場にクギつけられていたら、

   こんなヒドイ環境でほかに耐えている人もいるのだろうかと探したくなる。

    そうしたら見つかった。

    『はみ出し銀行マン』シリーズ(角川文庫)の横田濱夫だ。

    やっぱり銀行員も夜11時ごろまで残業して、しかもそれは無銭労働だ。

    しかも腹が減ってもメシを食わないというマゾ的な風習があるらしく、

   夜中になってしかメシが食えないらしい。

    長時間労働に拘束されれば、ウップンがたまり、

   ひじょうに攻撃的な気持ちが出てくるが、それが自分に向かうのかもしれない。


    銀行もスサマジイばかり、ヒサンらしい。

    わたしは自分だけがこんなヒサンな目にあっているわけではないと知ってほっと安心した。

    それにしても、銀行の内情というのはスサマジイらしい。

    オムツをして出勤する人や、精神的にまいってしまった人を座敷牢に閉じこめたり、

   自殺者を外部にもれないようにしたりと、イカレまくっている。

    そういえば、わたしの友人の銀行員は夜遅くまで帰ってこなかったし、

   オウム事件かと疑われた銀行員のハイジャックの事件も、

   これでその理由がわかるというものだ。


    この横田濱夫の『はみ出し銀行マンシリーズ』はとてもおもしろい。

    なぐさめられる。

    文章も勢いよい語り口で、ひじょうにサマになっている。

    ぜひこれからも会社のヒサンな実態を、オモシロオカシク暴いてほしいと思う。

    これからいろんな業界からもこんな会社のバクロ本が出れば、

   このカイシャ天国のイジョウさが少しは露見するかもしれない。


    だいたいわれわれはほとんどカイシャの実態や実情を知らずに就職する。

    雇われる側のホンネがほとんどわからないまま、

   われわれはまんまとカイシャの毒牙に絡みとられてしまう。

    そういうホンネで語られるカイシャ情報というのがまるでないのだ。

    カイシャの情報はほとんど雇う側のキレイごとばかりだ。

    これではどれだけヒサンな職場なのか、どれだけ人使いが荒いカイシャなのか、

   わからないまま、そのカイシャに就職しなければならない。

    職場のホンネをもっとわたしは知りたいと思う。


    わたしはフリーターとしていくつもの会社で仕事をしたことがあるが、

   こんな長時間労働の職場は、ほとんど定時で帰っていたこともあってあまり知らない。

    だけど正社員たちはバイトが帰ったあとも、何時間も残業していたのだろう。

    バイトが正社員といっしょに帰れるような職場は、

   わたしが経験した職場のうち、一社しかなく、そこは百貨店の物流センターで、

   仕事の量が少なく、社員の人たちはほとんどヤル気のない人ばかりだった。

    新入社員も給料が安いといって、早くも何人か辞めていた。

    ただ一度だけ、催し物の会場のセットを手伝ったときには、

   夜中の2、3時まで仕事をさせられたのは参った。


    ちょっと参考までにわたしがどんなアルバイトをしてきたか、紹介することにする。

    ちなみにこれは大阪の職場の話である。


    求人情報誌のアルバイトをやったことがあるが、毎日残業ばかりで、

   みんなかなりウップンがたまっていて、ピリピリしていて、わたしはすぐに辞めた。

    雑誌の編集だが、できあがった原稿を切り貼りするだけのツマらない仕事だった。


    アパレル・メーカーの出荷の仕事をしたことがあるが、

   ここもかなりカコクな職場らしく、みんなピリピリしていて、

   仲良く楽しくという職場ではなく、かなりヒサンだったと思う。

    人間関係がスサんでいる会社というのは、それだけ人使いが荒い会社ともいえると思う。


    それに比べて大阪の船場の卸の職場というのは、

   なごやかで、ひじょうに楽しい思いができた。

    若いころだったから、友だちがたくさんできたし、女性がかなり多かったのもよかった。

    人と話しやすい、よい職場だったが、

   これから卸の運命がどのようになってゆくのか、ちょっと心配だ。


    ある大きな新聞社で、通称「ボウヤ」とよばれる運び屋のバイトをしたこともある。

    ファックスやゲラをただ運ぶだけの、恐ろしくラクな仕事で

   ほとんどの時間、読書やマンガの時間にあてていてもよかった。

    ほかの職場に移るには、「リハビリ」が必要だなと友達と冗談をいうくらいだった。

    いつまでもバイトは「ボウヤ」とか「ボク」ばかり呼ばれるので、

   わたしはネーム・プレートを「ボク」と書き替えた。

    社員の人は朝刊の仕事が夜中の2時くらいで終わるので、交代制と思うが、

   やっぱり過労がたまるのだろう、よくいつも口をあけて昼寝をしていた人が、

   ぽっかりと逝ってしまったことがあった。


    わたしは絶対ライン作業なんかしたくないと思っていたが、

   一度短期バイトでライン作業をしてみようと、試してみたことがある。

    やっぱり想像以上にキツかった。

    2、3ヶ月だけつづけたが、真冬の沈うつな通勤風景が思い出される。

    だが、かつての高度成長を支えた労働者というのは、

   このライン作業をこなしてきたのではないだろうか。

    コピー機の組み立てで、ネジをさしこむ仕事だったが、

   えんえんとつづくライン作業にぞーっとしたものだ。

    職場の雰囲気はやっぱりかなり悪く、暴れて辞めていった女性や、

   休憩中にガイジンさんが欲求不満で叫んでいたり、

   ツラいことばかりと嘆くパートのオバちゃんや、ある宗教にゾッコンの人などいろいろだった。

    そこの社長がまた天皇陛下みたいに見回るのはムカついた。


    シンク・タンクでバイトをしたこともある。

    そこはほとんどほかの部署との会話がほとんどなく、それだけで驚いたが、

   ある意味では日本的な仲良しゴッコをしなくてもいいわけだが、

   ちょっとわたしにはこのような冷たい職場はつらすぎた。

    雑誌の編集のアシスタントだったが、官公庁や企業などに、

   資料をくれというぶしつけな電話ばかりしなければならかったので、

   気の弱いわたしはとても神経がつらかった。

    しかもこのあたりはオフィス街で、昼飯の席の確保がひじょうにむつかしかった。

    昼食戦争にはかなわない。


    ホテルの配膳係のバイトはすぐに辞めたが、

   あっちこっちのホテルに人数分を投入するさまはめまぐるしいばかりで、

   安定をのぞんでいたわたしはすぐに見切りをつけた。

    結婚式場でほとんど仕事の知識がないまま、

   ステーキを皿にもったりするのは、ちょっと困惑した。


    運送会社で、ビル内のテナントを回って商品の集配もしたことがある。

    このとき、20代の半ば近くで、先にいた学生アルバイトに

   敬語を使わなければならないことが屈辱でやめた。

    年下に仕事の指示をされるのはとてもツラいものがあるが、

   しょっちゅう職場を変えるわたしは、年下でも客相手の商売だと割り切るようにしている。

    それでもやっぱり複雑な気持ちだが、こんなことを気にしていれば、

   ほかの職場に移ることができないし、これからの社会ではこのような目にあうことは、

   かなり多くなると思うので、気にしてなんかいられない。


    高校のときには、百貨店、スーパー、ファミリー・レストラン、

   皿洗い、プールの監視員、すしの製造、といろいろやった。

    スーパーでは前の日付の商品を今日の日付に変えることを知ったし、

   道頓堀のある食堂では、串を洗ってもう一度使ったり、

   記憶は定かではないが、手をつけていない食べ物はもう一度出されたような記憶がある。


    ファミリー・レストランでは厨房の仕事をしたが、

   夏のあまりの暑さに鼻血を二度ほど出した。

    社員とか店長はかなり長時間働いているらしく、

   学生だったわたしは大変だなと思った。

    おとなしいわたしは、ゲンキな人におじ気づいて、人間関係はひじょうに疲れた。


    プールのバイトというのは、監視と休憩が順々にある仕事だった。

    まあ子どもの数は7月だけたくさんいて、あとはかなり少なくなる。

    小さな市民プールだから、あまり溺れる心配もない。

    みんなとボーリングに行ったり、呑んだりと、いろいろ遊んでいた。

    チカンをする男の子や、ませた女の子達が事務所によく遊びにきていた。


    まあわたしはいろいろな仕事をしてきたわけだが、

   フリーターをやってきたわけは、やはり「カイシャ人間」になりたくなかった、

   というのがある。

    つぎつぎと職を変えるのは、ひとつのカイシャにしがみつくのはみっともない、

   依存するのはなさけないという考えがあったのだが、

   年功序列や年功賃金などいろいろ不利になることはわかっていたのだが、

   そんなことはたいして重要ではなかった。

    そんなものにツラレるからこそ、サラリーマンは「社畜」になったのだという怒りがあった。


    働くことやカイシャに埋没することなど、強烈な疑問をわたしはもっていたのだが、

   一生をフリー・アルバイターとして暮らしたヘンリー・ソーローの『森の生活』を読んで、

   カネを際限なくほしがらなかったら、そんなに働くことはないのだと悟って、

   そこそこの給料で生活をするようになった。

    ただカネの余裕のない生活はさすがに不安になるものだ。


    20代後半になるとさすがにアルバイトとしてやってゆくことが恥ずかしくなるし、

   条件的にもむづかしくなってゆく。

    また年金や健康保険もないものだから、ちょっと心配になる。

    こんなものに依存するから、社会や人間はいろんなところで、

   ゆがんでしまうのだという考えがないわけではないが、

   これらに加入してなかったら、ちょっと落ちこぼれのような気分がすこしある。

    いずれも破綻してしまうかもしれないが、やはり不安である。


    ということでわたしはフリーター生活から足を洗った。

    フリーターは現在のところ、やはり30歳くらいまでに足を洗っていると思うが、

   じっさい、ほかの人がどうなのか、よくわからない。

    会社や仕事より趣味のほうを大事にしたいという一本気な人は、

   フリーターとしてやっているのかもしれないが、わたしにはそこまで度胸はない。

    ほかのフリーターがどのように生きようとしているのか、ひじょうに知りたいところだ。


    とにもかくも、一生を会社と仕事に奪われるような人生とはオサラバしたい。

    だが、ゲンジツはそうなってはいない。

    みんななんでここまでおとなしいのか、なぜ自分の人生が会社に奪われても平気なのか、

   まったくもって理解に苦しむが、生きてゆくためにはシカタガナイのだろうか。

    たしかに、カイシャに人生の多くの時間を捧げなければ、

   食ってゆくことができないのだ。

    妻や子どもがいるのなら、なおさら自分を捨てなければならない。


    こうしてカイシャと仕事人間だけがやたら肥大化した、

   個人の幸福のない企業中心社会はつづいてゆくのだろうか。

    歯止めがまったくない、逃げ道のまるでない労働社会は、

   このままどこまでもつづいてゆくのだろうか。


    仕事をしなかったり、転職をくりかえしたり、海外放浪をしたりする、

   自由な生活を送ろうとすると、履歴書に残ってしまい、就職が容易ではない。

    しかたなく一生をカイシャの仕事に釘づけられなくてはならない。

    ほんとうにこのニホンの社会はサイアクだと思う。

    カイシャがあまりにも力をもちすぎて、「自由」という要素がまったく欠落していると思う。


    だから現在の大不況はおこっているのだとわたしは思う。

    このままこんなクソったれ経済至上社会は、大恐慌の奈落の底に落ち込んでしまえ、

   とわたしはほんとうに願うし、ほかの人の心の中にもこんな願望が潜んでいるかもしれない。

    この現在の経済体制をつづけている人はヒサンな目にあえばいいのだ、

   バチが当たったのだ、ざまあみろと思う。

    企業や経済という人間でないものを、個人の人間よりもっと大事にする社会は、

   異常な暴走をつづけているのだ。


    経済破綻というカタストロフィーを経験した社会は、

   この会社中心主義という「ビョーキ」を克服して、新しい社会をつくり治さなければならない。

    戦後の日本が「軍国主義」というビョーキを葬り去ったように。


    もうすでに大量生産の工業社会は終わっているのであり、

   これに適応させた不自由で規格的な社会は解体しなければならない。


    つぎなる社会の目標は、経済の至上価値を落とした、

   「自由」をもとめるべきではないだろうか。


    自由とはカイシャと仕事から、人生をとりもどすことである。


    われわれは若者や子孫のためにそのような幸せな社会を、

   構築してゆくべきではないだろうか。

    いまのジジイや大人たちが子どもたちにどんな不幸な世の中を置き去りにしてきたのか、

   じっくりと反省するべきだ。





   

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