大阪ホームレス・テント村報告


                                                1999/10/1.




    いま、大阪市はスゴイことになっている。ホームレスの暮らすテント村がいたるところで

  増えつづけている。行く先々で青いテントが群れをなして増えつづけている。


   わたしは大阪市の南端、住吉区に住んでいるが、北も南もホームレスの青テントに囲まれて

  いる。わたしはサイクリングが好みなので、緑の公園でぼーっとしたり、河川敷をサイクリングする

  ことに快さを感じているので、そういったところはホームレスが住み着くところなので、とくにテント

  村に出会いやすいわけである。大阪市内の緑の公園はもうほとんどホームレスの青テントに占領

  されたといっていい。


   今回はそのホームレスの現状をわたしの知る限りリポートすることにする。大阪以外の人に

  いまの状況を知ってもらいたいと思うし、大阪に住んでいる人にはいまあらためてわれわれが

  住む街がどんな状況になっているか、知ってもらいたいと思う。いま、テント村のある公園を訪れ

  る人たちはその状況に驚きと当惑をもってテント村をながめているが、この人たちの気持ちが伝

  わればと思う。


   ある週刊誌によると大阪市の三大テント村がある公園は扇町公園と大阪城公園、長居公園

  であるそうだ。


   長居公園は東住吉区にあり、サッカーの競技場があったり、毎年国際マラソンが行われたり

  するスポーツのメッカである。日ごろ、多くの人がジョギングをしたり、老人たちが憩っていたり

  するところである。ちなみに生活保護をうけていた患者にひどい扱いをしていた安田病院はこの

  公園の西南側にあり、あの無骨な装飾をほどこした建物がいまも残っている。


   青テントはどのくらいあるのだろうか。ざっと見て百以上、二百、三百くらいはあるかもしれない。

  西側入口から入ると林のなかにぽつぽつと青テントが見受けられ、中央あたりにはいくつも群居

  しており、周遊道路には植物園の塀をとり囲むようにテントがずらっと並んでいる。子どもたちが

  遊ぶ児童公園のふちにも青テントはいくつか共存している。


   明らかに増えたのは今年99年と去年の98年くらいからだと思う。それまではいくつかあったか

  もしれないが、今年の増えようには驚いた。かれらはたいへんおとなしく、このあたりに犯罪が

  増えたとか、恐ろしい雰囲気があるということはまったくない。生活用品とかはけっこう持っている

  ようで、もちろん使い捨ての風潮があるからだろうし、食べ物はどうしているかよくわからないが、

  コンビニにしろファーストフードにしろ賞味期限や揚げたてが過ぎたらすぐに捨てるから、そんなに

  は困らないのだろう。空缶のリサイクルもいくらか稼げるようである。


   ここから南に下った大和川にはごくわずかの青テントが暮らす人たちが散在する。橋の下に暮

  らす人は以前からいたのだが、ベニヤ板でガラス窓までつけたりっぱな家まで出現している。

  ここの増えかたは長居公園のような激増ぶりを示していない。河川敷に立てたテントは今年の

  豪雨や台風のためにしょっちゅう水につかっていた。


   民俗学者の宮本常一によると昭和のはじめごろまでには大和川の橋の下に集落があった

  そうだが、いまはまたそういう時代に逆戻りしているかのようだ。夜になると自転車の荷台に

  大きなカゴをのせた人を見けることがたまにあるが、かれらはホームレスの人たちなのだろう。


   大和川を越えると堺市に入るが、南に下ると大仙公園や大泉緑地といった広大な緑の公園

  があるが、ここにまでホームレスの住み処は拡大されていないようである。いずれもとても気持

  ちのよい公園なのでこのまま保たれてほしいと思うが、住み処を失った人たちがそこにしか住め

  ないというのなら、仕方がない。


   住之江区の阪神高速大阪線の下には何年か前、市民の憩いの場として河川の公園化が

  おこなわれ、滝のようなものをつくったりしてなかなか心地よいところだったのだが、いまは

  やはりテントやダンボールがずらりと並ぶ風景が占めてしまっている。遮るものがなにもない

  から丸見えでかなり異様である。


   大阪城公園はたいへん広大な公園だが、ここにも数知れない青テントが林やあちらこちらに

  見られる。その数はやはりその大きさからいって相当なものになるだろう。さすがに大阪城の堀

  の内側にはほとんどないが、そのまわりがすごい。五百くらいはあるのだろうか。木のような、

  さえぎるものがあるところには必ず青テントがある。トイレのような水のあるところにはやはり

  多い。


   大阪市役所や図書館のある中之島公園にはホームレスの人が何年も前からベンチで寝てい

  たが、最近はどうなっているのだろうか。この川を上流にのぼって桜ノ宮公園にいたるまでにも

  相当数の青テントがつらなっている。川のあるところと緑の公園があるところにはいまでは、必ず

  ホームレスの青テントがあるといった具合である。家を追われた者にはそのくらいしか憩いの場

  がないということであり、ひるがえってみるなら、ふつうの市民の公共の場もその程度しかないと

  いうことだ。


   扇町公園はこのあいだ行ってみたら、なにかの工事がおこなわれており、すみっこのほうに

  まるで露店が出ているように青テントがひしめき並んでいた。ホームレスのいる公園は長居公

  園にしろ、工事がおこなわれていることが多いが、露骨な排除行為はおこなわれていないようだ。

  政府や役所はまだかれらへの対応を決めかねているのだろうか。


   阿倍野区の桃ヶ池や長池あたりの公園も、水と公園があるところには必ずホームレスがいる

  ようにやはり青テントが増えている。子連れの母がおり、老人が憩っている平和で日常的な風景

  と雑然とした青テントが共存しているのはなんとも異様だ。


   さて西成のあたりだが、ここは歴史的に路上生活者の町である。この不況だからこの町に流入

  してくる人たちもとうぜん増えたのだろう。天王寺公園には幾人も浮浪者と思われる人たちが

  たむろしており、(わたしもたまにここでジュースを飲んだり、たばこを吸ったりしているが)、ここから

  動物園前までの道にはずらずらーっとテントやベニヤの家が並んでおり、壮観である。こういう家

  を立てるようになったのは最近の傾向のように思われるが、ホームレスの人たちに意識の変化が

  おこったのだろうか。


   西成津守の西成公園はいま完全に柵がはりめぐらされている。よく知らないで中に入ってゆくと

  青テントがびっしりと並んでおり、いっしゅのスラム街のようになっていた。出口が見つからず、

  ひきかえすときにはさすがに恐ろしくなったが、同時に悲しくなった。時計の針をもどせないくらい

  状況はとんでもないところにきてしまったという感がする。


   さて大阪のホームレスの状況をざっとこんな感じであるが、このような人たちが増えたのは明ら

  かに平成不況の影響である。何年か前までは『あなたがホームレスになる日』といった本が売り

  出されてもあまりピンとこなかったし、扇情的過ぎると思ったのだが、ほんとうにこういう状況がや

  ってきたようだ。


   こんなに増えたのはやはり中高年以上の者たちの転職の難しさがあるのだろう。企業は門戸を

  閉ざし、人々はたちまち住家を追われる。中高年の社内高待遇と、若年層しか未経験者を受け

  入れないというこれまでの企業体質がこういう人たちを見事にシャットアウトし、路上での生活へと

  追いこむのである。かれらは経済主義や会社主義、進歩主義、年齢主義の犠牲者である。


   少数の企業が大儲けしたり、国際競争に勝ったとしても、こんなにたくさんの路上生活者を

  生みださなければならないとしたら、どこか絶対に歪んでいる。人間より大事にされる経済主義

  とはいったい何なのだろう? こういう個人より企業を大切にするといった戦後の仕組みがホー

  ムレスといった姿に端的に表されているわけである。


   ホームレスはじつはあのバブルの好況期から増えたといわれている。経済大国の夢を果たし

  たときと同時に個人の目標や理念は失われてしまったからだろう。また経済効率化の陰には

  都会の無関心な人間関係が進行し、この貧困さが人々を路上への生活へと向かわせたといわ

  れている。この寒々しい経済主義の世の中でがんばる気にもなれないということを、かれらは

  感づいてしまったのだろう。労働条件のキビしさや長時間労働、際限なき奉仕といった日本的

  企業のヒドさもかれらが路上へと逃げ込むことになった一因だと思う。ホームレスの中には怠け

  者だけだとはいえない、そういった面があるのを忘れないでほしい。


   テント村のある付近の人たちは、こういった現況が進みつつあることに驚き、当惑し、いちよう

  にどうしたらいいのかわからないようである。老人たちが憩っていたり、母と子どもが遊んでいる

  となりにはいくつものテントが共存している。排除しようとする気持ちを、平等的な民主主義観を

  もっているかれらはあまりもたないようだし、かといって手を差しのべたり、助けようともしていな

  いようである。ホームレスたちはこういう無関心で貧困な人間関係から逃れてきたのかもしれない。


   いま、大阪市内は川と緑の公園があるところにはホームレスのいないところはないといった

  状態になりつつある。経済大国や金持ちニッポンといった自負は、虚構の繁栄だったようだ。


   われわれにはなにが求められているのだろうか。企業のみの繁栄、個人を犠牲にした経済を

  このまま続けていってよいのだろうか。市場競争も大切であるかもしれないが、そのまえに個人

  がすぐに路上生活に転がり落ちないような仕組みと企業の社会的責任が問われるべきではな

  いだろうか。個人が企業からまったく守られないという近代以降の社会政策をあらためるべきで

  はないだろうか。






  関連エッセー

   ひたひたと忍び寄る経済の惨禍 99/7/11.
   ホームレス激増とジョブレス社会に思う 99/6/5.

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