幸福の「歯止め」論

                                                  1999/6/22.






    現代という時代は、人生目標や人生コースという枠組みはしっかりとあるのだが、どうも

   そこから幸福や充実感はもう得られない感が強い時代である。そしてその人生コースから

   どうもがいても逃れられないという時代である。


    カネやモノがいくらでもほしいという時代はおそらく終わったのだろう。代わりに老後保障や

   生活保障はいくらでもほしい、なくなったら不安でたまらない、という時代なのだろう。おかげ

   でモノがある豊かな時代になっても、いっこうに働くことがやめられない。われわれは将来の

   不安という十字架を背負って恐れおののいているわけである。


    人類というのはいつの時代も将来のことを不安に思ってきた。かつての貧しい時代にはきょう

   あしたの食うや食わずで精いっぱいだったわけで、そんな高級な心配なんかもできなかった。

   また子どもや家族という扶助保険があったし、いざとなれば寿命でお迎えがきたわけだし、

   姥捨て山という最期もあったわけだ。貧しい時代には貧しい時代なりのセーフティ・ネットが

   あったし、また運命や悲運を受け入れる覚悟もあったのだろう。


    現代は国家がそういう不安を一手にひきうけた時代である。老齢年金に健康保険に失業

   保険に、こんどは介護保険と……。こう保障が増えてくるとこんどは不安や心配のほうが

   肥大化してくる。どんどん保障を増やしたために逆に心配で心配でいられなくなったというわけ

   である。心配は心配をよび、保障は保障をうみ、そして国家財政はパンクという結果を迎える。

   ちかごろでは企業年金も同じ運命をたどり、終身雇用という会社仲間の幻想も共倒れだ。


    ある種の集団は参加することの幸福やお得をうたい、そしてそこから外れることの恐ろしさ

   を洗脳して肥大化してゆく。恐怖と安心の循環過程がはじまるわけだ。でもそこにあるのは

   安心にほどとおい恐怖と不安の増大と、集団への依存心の肥大ばかりである。戦後は国家

   と企業がこの役割を一身に背負い、それへの過剰依存と異常献身をひきおこし、さいきんでは

   新興宗教がその役割をひきうけようとして失敗した。かつてのキリスト教でも免罪符といった

   サギ商法をおこなうほど救いは異常に安っぽいものに転化していたのだろう。


    ここにあるのは、人間の恐怖と安心の心理過程である。それが組織や集団に拡大された

   わけである。そしてさいごには恐怖は安心の構築物を崩壊させるというわけである。


    われわれはこういった安心のマインド・コントロールというものを解く必要があるのだろう。

   たしかにわれわれには何十年か先の時代や事情がどうなっているなんかわかるわけなど

   ないので、安心や保障がほしいものである。ただどこまでも際限なく保障や安心をもとめる

   というのは間違いである。どこらへんに歯止めを設けるか、どこらへんで満足するか、

   それを決めたら不安はそのときにゆずるといった強い精神も必要だと思う。人間は将来の

   安心をどこまでも求める生き物なのかもしれないけど、これまでの会社人間の過労死や

   終身雇用の崩壊、国家財政の破綻という現実を見ていたら、異常な献身や依存をもらたす

   前にどこかに歯止めが必要だと思えてならない。


    こういう怖れに極端な歯止めをかけた人たちというのが、仏教僧や隠遁者、ストア哲学の

   人たちである。そういう結果をもたらすのはとどのつまり、欲望や望みであるわけだから、

   それを捨てて心の平安に生きろといった。明日の心配なんかするな、といった。明日のこと

   なんかどうなるかわからないのが当たり前であり、自分の望みどおりコトが運ぶわけなど

   ないのでよけいな心配をせずにいまを生きろということである。


    まあ、はじめからあきらめていたら苦悩することもないというわけである。失敗を先取りする

   ということである。ただこれには強靭な精神が必要である。中途半端にこういう精神をもってい

   ると後で失敗だとか落ちこぼれだとか悲壮な恐怖感を背負わなければならなくなる。自分の

   選んだ道にそうとうの覚悟と度胸が必要なようである。


    この不安の裏返しとして、どこまでもとまらない幸福や成功の望みというものがある。これも

   不安と同じでどこまでもふくらんでゆくという性質があり、かつ同時にどこかほかにある、わたし

   はまだ得ていないという移り気なもののようである。あっちにほしいものがある、それを得れば

   すぐに飽き、またほかのものがほしいといった具合である。幸福というのはわれわれが信じて

   いる限りではハエのようにすばしっこく、カエルのように飛び跳ねてゆくもののようである。


    戦後の人たちの幸福というのは豊かになることであった。学歴を得てよい会社に入り、

   より高い地位や収入を得て、車やマイホームを買い、雇用保障や老後保障がばっちりと

   なされていることだった。でもそういうのを得てみてもあまり充実感がないし、なんだか

   満たされないという感がひとしおではないし、だいいち多くを望んだがゆえに束縛と呪縛は

   とてつもなく重荷になった。あれもこれもほしいといろいろなものを拾っていたら、気づいて

   みたらクモの巣にがんじがらめだったという哀れな欲張りジイさんという姿は、日本の昔話に

   教訓のためにひとつつけ加える必要があるだろう。


    「幸福はのちに呪縛をもたらす」ということだ。あれもこれもほしいと欲張ると拘束と束縛

   ばかりでちっとも身動きがとれなくなってしまう。しかも重荷はどんどん大きく、つらく、

   一時も手放せなくなるばかりである。その裏側に老後保障のような不安を貼りつけた幸福も

   あるわけである。学歴にしろ、生活費にしろ、老後保障にしろ、車や豪邸の維持費にしろ、

   どんどん高くなってゆくばかりである。あれもこれもと欲張った最期にはやたらと高い維持費と

   ローンばかりがひたすら自分の人生の途上に重くのしかかるのみである。しかも欲のツラの

   はった中年男にはリストラ時代という不幸が襲ってくるわけだ。この文明の遺産――いや、

   莫大な借金を背負った子どもたちはこれを幸福だと見なせるだろうか。


    戦後の社会は幸福の大バーゲン・セールだった。だれもかれもが金持ちや社長や高級車、

   豪邸もちになれると宣伝しまくった。学校でも優秀になれば、成功できるとケツをあおった。

   国家が音頭をとり、マスコミが誇大宣伝した。みんなそれを信じてがむしゃらにがんばった

   わけだが、だれもが一等賞や天才や成功者になれるわけなんかないし、幸福の維持費と

   ローンはふくらみつづけるばかりだし、幸福や成功にあずかれないと思う人たちは自虐感と

   自責心をつのらすのみだった。幸福のバーゲン・セールは不満と劣等感の大量在庫を抱えて

   しまったのである。


    戦後の日本社会に歯止めの知恵はかからなかった。みんなが成功や理想に近づけるという

   のは大いなるウソであり、そんなのは現実には不可能である。一位の人間が十人のなかに

   ひとりしかいないように、成功する者や優秀な者は数限りなく少ない。マスコミにとりあげられ

   る成功者もひじょうに少ない。それが現実というものであり、落ちこぼれや脱落者はわざわざ

   自分を責めさいなむ必要なんかない。ヘンにみんながみんな幸福や成功を得られると誇大妄想

   する社会は人々をじっさいには不幸にするばかりだろう。


    というわけでわれわれには不安に歯止めが必要だったように、幸福や成功にもみずからの

   歯止めをかけるほうが必要なのではないだろうか。ここらへんの幸福でいい、ここらへんの

   努力と結果でいい、と一応の線引きはしておいたほうが賢明である。さもなければ、どこまでも

   得られない幸福にみずからを責めさいなます結果になってしまうし、幸福と不安の維持費と

   墓場までのローンに苦しめられるばかりである。稼ぎが少ないダンナを責めたてる主婦は

   いまいちどその意味を考えてみるべきだと思うし、あれもこれもほしいと思う若者は将来の

   ツケ払いの愚かさを考慮しておくべきだろう。


    まあ、あまり高望みや多くを望まないほうがいいということである。あれもこれもという人は

   いつまでたっても幸福も訪れないし、不安も去らないのだろう。バケツにフタをしないと幸福は

   もれてゆくばかりだし、不安はどんどん増えてゆくばかりなのだろう。


    幸福なんて人類何千年もの最大の難問なのだろうけど、あれもこれもほしいと欲張ったり、

   それが得られないから自分は不幸なんだとは嘆かないにしたほうがよいようである。

   そこそこの幸福とそれなりの安心で暮らしたほうがいいというのが人類の知恵というものである。






    参考文献

     このテーマの着想は、日下公人『新しい「幸福」への12章』(PHP研究所)から得ました。
     読みたい人は、絶版だと思いますので古本の大型店などで見つけてください。
     恐怖の防衛過程についてはクリシュナムルティの一連の著作(春秋社など)に負っています。


    ご意見ご感想お待ちしております!   ues@leo.interq.or.jp 




   関連エッセイ

     「生活保障という恐れが未来の牢獄をつくりだす」 98/8/4.

     「アンチ上昇志向!」 98/4/15.



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