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 大阪ウォーターフロント周遊記       2004/5/29




 大阪の海は案外近くにあるはずなのですが、大阪人が目にふれることはあまりありません。工業地帯が海浜地帯を陣取っているからです。大阪の岸壁をめざしても、どこもかしこも工場にはばまれるばかりです。

 海はもっと近く親しみのある憩いの場であってほしい。海はもっと安らげて楽しめる場所であってほしい。そういう願いをこめて大阪のウォーターフロントをめぐってみました。


住之江区から大正区の要塞のような工場を写しました。いったいなにをつくり、なにがおこなわれているのか、働く人はどんな人なのか、知らない者にはさっぱりわからない工業地帯。
橋の下をレジャーボートが行き過ぎます。ボートは金持ちの道楽?  川や海を楽しむということがふつうの人にはなかなか手に入りません。
大正区のパイプでできた工場の建造物。労働の現場というのはオフィス街やショッピングモールのぴかぴかしたところばかりにあるのではありません。学校やマスコミはあまりにも現実から遠ざかりすぎです。
大阪の海側には渡し船がいくつもあります。船の航行のために橋がかけられないからですが、なんだか観光目的に乗せてもらうのは気が引けます。ほんとうにただなんでしょうね?
ものすごく高くにある橋。コワくないかな? 山の高いところにある道路をスカイ・ロードといったりしますが、まさしくこれもスカイ・ロードです。空を飛んでる気分になれるかな。
私の近くでは空き缶のリサイクル採集の光景が当たり前になりました。この人たちってみんなホームレスなんでしょ? 住宅地に不気味な光景がきざしはじめましたが、リサイクル社会というのは「金持ち」の主婦が始めるものではないのでしょう。
なにかの船着場です。漁船かな? 海という感じがします。大阪の人でも大阪の船着場ってほとんど見ることはないんじゃないでしょうか。
弁天町にある高いビル。ランドマークになるんでしょう。あれ? これはツイン・タワー? もうひとつの棟はどこ? あれれれ?
関西汽船と加藤汽船。船が見られると思ったら、加藤汽船のほうはつぶれているのかな? 中ががらがら。船会社はどこも苦しそうですね。船旅ってとってもノスタルジックな印象を残すものですが、やっぱり速さにはかなわない。
港区岸壁からUSJをのぞむの図です。私はUSJに行ったことがありません。いっしょに行く人がいないからです。むかし近くで働いていましたが、USJがオープンするためにその会社は移転していってしまいました。
大阪中央体育館ですよね? 上部は緑の多い公園になっています。私も建築の高校に通っているころ、こういう発想で郷土館を設計しようとしましたが、いまはまったく建築と関係のない仕事をしています。
その公園から街をながめるの図です。いいですよね、小高い公園から自分の街をながめられるのって。ビルやマンションではなく。どこの街にもあってほしいものです。夜なんかぼーっとしたいな。
海の上を渡る高速道路。いや、安治川だ。役に立たない海や川は道路にめちゃくちゃに蹂躙されるんだなって感じがします。
大阪ウォーターフロントの立役者の天保山の海遊館。海を遊ぶって発想はどんどん育てていってほしいと思います。ただ、観覧車とマーケットプレイス、サンタマリア号だけでは物足らなさ過ぎ。このまわりの光景はてんでふつうで躍ってません。
江戸時代、天保山は物見遊山の名所だったそうです。江戸時代の浪花っ子のほうが遊び上手だったんでしょう。だれが江戸時代を暗黒時代といったんでしょうね。
天保山の遊覧船の図です。江戸時代の人のほうがはるかに遊び時間も多かったんでしょうね。現代人は金と労働時間は山とあるけど、遊び時間に関しては江戸時代より未開で野蛮なんでしょう。だれが現代人はなんでもかんでも進歩しているなんていったのか。
大阪港突堤から南港をながめるの図です。陸地は競うように海へと伸びていっています。こういう拡張主義はいつまでつづくんでしょうね。人口が減り始めた現在、ようやく時間はとまるのでしょうかね。
同じく突堤から海へ、此花区方面へと目を向けた図です。大阪湾です。晴れていたら神戸や淡路島の山影がおそらく見えると思います。
自転車で漕ぎ疲れたから読書するの図です。今日はかなり疲れました。5.6qは漕いだんでしょうかね。この突堤はあまりにも静かでのどかなものだったのでこの後寝ました。
読書していたら轟音が鳴り響きました。サンタマリア号が通り過ぎました。風が気持ちいいんでしょうね。
港区から南港に阪神高速が走っています。鉄骨をぐるぐるに巻いて、よくこんな長い距離を保っていられるなと思います。尊敬するよりか、ここまでして陸と陸がつながらなければならないのでしょうか。
公園でオスのハトが求愛行動をしているどこにでも見られる光景です。オスのハトはメスと見えるのなら手当たりしだい誘っているみたいです。
木津川にホームレスのテント群、いや、いまは小屋群がならびます。97年くらいから大阪のテントは増大しはじめましたから、もう7年くらいはテント暮らしが定着してきたことになります。新しい文化や日本社会はすでに始まっているのかもしれません。
「商売繁盛、笹もってこい」の今宮戎です。この神社はどうして毎年1月10日になると人でいっぱいになるんだろう? 神社関係は私にはさっぱりわからない。神や仏を信じているわけではないのに人はどうして集まるのだろう? 願掛けの精神が大事なのかい。
おそらく飛田新地です。なんといえばいいのでしょうか、遊郭です、売春宿です、赤線跡です、料亭です。玄関に妖艶な女性がお待ちしております。私は自転車で通り過ぎました。カメラをかまえてよかったものなのか。
帝塚山を走るチンチン電車です。しかしなぜチンチン電車は残ったのだろう? むかしの繁栄地を通っているということで近くの人の必要があるからなのでしょうか。チンチン電車の踏み切りはほかの電車のようなまったく封鎖的なものではなく、電車が来ていても人は平気で渡るのどかさがあります。





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