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■040118断想集





  男らしさが女性を傷つけている    2004/1/18


 ハーブ・ゴールドバーグ『なぜ彼は本気で恋愛してくれないのか』(KKベストセラーズ ワニ文庫)は男と女の違いをまるで手品のように明快に見せていて、どうしてここまで明確にわかるのかと感銘した。

 とくに子どものころから少年に要求される「男らしさ」が、のちに女性に冷たさや無神経さにとられるという指摘は、目の醒める思いがした。男らしさの条件づけがよくありがちなカップルの争いの原因になっているとは驚きだ。覚えておきたい言葉をいくつか引用する。

 「少年のころは、身近な人に頼らない男らしさを見せると好感をもたれました。とくに喜ばれほめられた気質は、自立心旺盛、意欲的、野心的、目標志向、ワンパクさ、責任感の強さ、活発さ、といったところでした。――ところが皮肉なことに、彼を「男らしく」見せていた気質が、将来「無神経」で女性に横暴にふるまう男に彼をしたてあげてしまうのです」

 「男は冷たい「論理」を使い、女は気持ちで「熱く」なる。これが争いのなかでどんどん極端になってゆくジレンマの一部です」

 「男性は傷つきやすさを弱くて女々しい欠点だと考えます。そのため、男らしい男性は冷たく非情にみえます」

 「私生活でのストレスを感じると、男は自分の殻に閉じこもってしまいます。それとは反対に、ストレス状態の女性は、自分から積極的に話をしようとします」

 「男性がしてほしいことを知らせず、困ったときにふさぎこむ傾向があるのは、弱く、依存的で、傷つきやすくなるのがとても怖いからです」

 「成功を可能にする気質がわざわいして、近しい人が遠ざかり、彼の成功を嘆くようになるというのがわかっていない」

 「男性にとって親密でべったりとしたつきあい方は、あまり心地よくなくて、楽でもありません。――妻が、安心するための抱擁、キス、その他の愛情表現を求めてプレッシャーをかけてくると気まずい思いをするのは、愛情を態度で示すのが彼のスタイルではないからです」

 「彼女には、どんなに君だけを愛しているよといっても、じゅうぶんじゃないんだ。一言でも『まちがったこと』『無神経なこと』をいってごらん。1000回いったいいことや安心させる言葉も意味がなくなってしまう」

 「いわゆる恋愛関係には重大なまやかしがあるね。最初はものすごくもち上げられるのに、最後には人間のクズみたいにいわれる」

 「浮気した夫と別れる、別れないにしても、将来裏切らないという約束をとりつける、といった解決法は的外れ。浮気は二人のバランスが崩れていることからあらわれたものだから、そこを変えないと、いつまでたっても同じことのくり返しになる。――パートナーのことばかり気にかかる女性は、セックスにとりつかれた男性と同じように、パートナーを逃げ出させる」

 「彼の論理的で冷静で控えめな態度は、感情が乏しくて冷ややかで、親密になるのを恐れているように感じられる。決断力があり、さっそうと先頭に立つ姿勢は、パートナーを支配したいという高圧的な欲求に変質する。パートナーの気持ちをないがしろにするようになるんだ。彼の自立心旺盛で人に頼らない姿勢は、よそよそしくそっけない態度に変わり、それをパートナーは拒否されて必要とされなくなったように感じる。野心的な目的至上主義と競争心は、関係が進むにつれて、彼をわがままで攻撃的で冷たい男にする」

 「男性は感情を見せまいとするので、冷たく思いやりがない印象を与えます。それだけに、彼女が感情的になると「わけがわからん」と過剰反応を示すのです」

 「あなたはいつだって一人になりたがるのよ。
  君はいつだっていっしょにいたがる。

 あなたってつねに黙っているよね。しゃべりたいと思わないんじゃない?
 君はつねにしゃべっているよ! ぼくに考え事をさせたくないんじゃないか?」

 「論理一点張りの態度を、彼女がよそよそしく拒絶的だと感じているのには気づかない。彼の本心にふれたい、二人がより親密になるために彼にもっと気にかけてほしい、という一心で、彼女はさらに感情的になる」

 この本を読んで驚いたことはやっぱり男らしさとしてほめられる、理性的なことや自立心が、女性には冷酷さや拒絶だと捉えられることだ。無意識にめざしていた男らしさが、女性を悲しませたり怒らさせたりしていたのである。

 男はほんとうに論理的になって感情を排斥しようとするし、会話もムダだと思うようになる。女性は感情を通わせようとしてますます感情的になるし、つながりを欲してますますおしゃべりになる。まるで正反対のことをめざしているバカもの同士である。

 男女の基本的な違いは理解したとしても、さまざまなケースにおいて男と女が心を通じ合わせることは絶望に近いほど途方もないことに思えてくる。しかしがんばるしかないでしょう。感情と論理はどうやったら結ばれるのでしょうね。







  男にとって女性の描いたものとは    2004/2/16


 さいきん、女性の描いたものばかり読んでいる、マンガに小説と。まあ、女性の心を内面から知りたいと思ったからだ。なにかが理解できるとか達成できるとかは思わないが、近づける程度にはなるとしよう。

 女性に近づけものとは思ったら、まずは恋愛小説よりマンガのほうが現代の女性の感覚に近づけると思った。よりリアルではないかと思ったのである。でも男の私にとって少女マンガしている世界はやはり拒絶感がある。入り込めもしない。書店の少女マンガコーナーに立つのも恥かしい。

 なぜなんだろう、マンガはどうして男モノと女モノがきっぱりと分かれて寄せつけないのだろう。マンガも更衣室や公衆トイレ、銭湯のように隠蔽しなければならない秘密の女体でもあるのだろうか。女が養成されるところだろうか。ほんとうは理解され合わなければならないのに隠さなければならないとは残念なことである。

 少女マンガはやはり恋愛ものばかりで男は戦闘ものばかりである。女は人とつながることばかりに熱中し、男は人と闘うことばかりに気がとられる。女モノに戦闘ものが登場したりして両者の関係は融合しつつあるのだろうけど。

 少女マンガにとって気になったテーマは少女からオトナの女に脱皮するのはむずかしいだろうということだ。少女のからだから男にじろじろとながめまわされる性の対象になることはたいそう驚きや苦痛の体験になることだろうと思う。女性はそういう関係性をうけいれていかなければならない。性をはげしく嫌悪すれば、大人の女になることはたいそうむずかしいことだろう。

 私が読んだ女性のマンガはやはりエッチもしっかりと描かれている大人のマンガになった。南Q太、桜沢エリカ、やまだないと、安野モヨコなどだ。いずれもあまり少女マンガっぽい絵柄をしていないからすんなり入れた。

 物語から遠ざかって理論や分析ばかりに熱中してきた私としては物語になにを求めるのだろうかという前提がぐらついている。共感? 教育? 経験を補うこと? 喜びや楽しさ? 想像力や空想力の訓練? いやはや、物語を読むのにこういう問いはあまり似合わない。

 南Q太は恋愛の成就としてのセックスではなく、肌淋しさをおぼえた女のセックスが描けるマンガ家として歓迎されたそうだ。でもあまりめぐまれた恋愛物語ではない。桜沢エリカはおしゃれなマンガを描き、かわいい女の子が出てきてセックスもさらりと描かれており、理想や憧れを絵にしようとしているのではないかと思う。

 やまだないとはかわいい女の子も出ているが、恋愛より欲望としてのセックスに女性がめざめたさまが描かれており、ちょっとオソロシイ。安野モヨコは恋愛狂の女性が共感をもって描かれていて、その酔狂ぶりを客観視できるきっかけをあたえたのだろう。

 大人向けのマンガがたくさん出てきたといってもマンガは幼稚っぽい印象やまだまだ子供向けというイメージはぬぐえない。おそらくそれは絵のようなダイレクトに視覚に訴える媒体より、活字のように記号だけでよりゆたかな想像力を必要とする能力が評価されるからだろう。マンガは手続きがかんたんすぎるのだ。

 女性の描く恋愛小説をいまは片っぱしから読んでいる。現代の感覚に近い女性作家をなるべく選びたい。江國香織、山本文緒、唯川恵、村山由佳、藤堂志津子など。

 いぜん私は純文学とか世界の名作だけを奉じるような偏屈な読書をしていたことがあったが、その網からはぼろぼろと漏れていたふつうの小説である。恋愛や女性について知りたいと思ったらこういう世界がひろがっていた。女性が読む女性のための小説だ。だから男の私は読まなかった。

 斎藤美奈子はこれらの女性作家群を「L文学」と名づけた。『赤毛のアン』やコバルト文庫で育ったあらたな作り手と読み手が生まれているそうだ。少女マンガやポップミュージック、トレンディドラマ、女性雑誌などの女性マーケットが小説の世界にもようやくおよんだということである。

 私としては唯川恵の小説が等身大のOLを主人公にしていていちばんよかったかなと思う。身近にもありそうな恋愛の話だし、恋愛のいろいろな感情を味わえるのがよい。山本文緒は冷静さと客観性をもちすぎていてあまりロマンティックではないのがよくないかな。

 といってもほとんど一二作しか読んでいないので、てんで全体的なことはいえないけど。村山由佳はよくできすぎたあまりにも当たり前の物語を描くのに人気があるとはどうも理解ができがたい。藤堂志津子はいろいろな恋愛バリエーションの宝庫みたいな作品を描いているが、文章がカタくていまいち今っぽくないかもしれない。桜井亜美はたぶん主観から描かれたというよりか、客観的に描かれたものだと思うので、主観的な気持ちを信用していいのかなと思う。

 現在の感覚に近い女性作家を私は読みたいから、林真理子とか内館牧子とかは除外するべきなのだろうか。まあ、私は現代のふつうの女性の世界を主観から知りたいと思っているわけである。

 物語を読めば、現代の女性の主観や世界を理解できるものなのだろうか。女性の思いや考え、気持ちなどを女性の身の上のように知ることができるだろうか。女性は現代の物語を読むことによって女性としてかたちづくられるのだろうか。それとも女性としてのかたちづくられた素質が、女性の物語を読ませるのだろうか。まあ、男の私はせいぜい物語の読書体験を共有できるくらいだろう。






   私の大阪展望と好きな書店        2004/2/29


 私はずっと大阪に住んでいる。ほかの町に住んだことがないので大阪のいいところも悪いところもあまり客観視できない。

 ほかの土地の人がいだく大阪のイメージにはかなり違和感をもっている。庶民的だとかせっかちだとか商売人だとか、漫才師みたいだとか、ほんとうかなと思う。どこにいってもそういう人はいるだろうし、そうでない人もいるから、ひとくくりにできるわけがない。

 大阪弁をしゃべるからかなりガラが悪いように聞こえるだろうけど、仕事ではほとんど敬語を使うのであまり標準語と変わりはないと思う。でもイントネーションはかなり違うんだろうけど、大阪からめったに出ないのでわからない。

 私はJRの阪和線ぞいに住んでいて、この電車は天王寺と和歌山をむすぶローカルな線で、並行する私鉄の南海電車よりイナカっぽいイメージがあると思う。天王寺のホームもほかの駅のホームもどことなく暗く、近代的な感じがしないし、私鉄の駅のようにショッピング・モールもない。あいかわらず商業化しない国鉄のままなのだろう。

 大きな書店は天王寺にいくつかあるので私はそこの書店で目を輝かせて新刊やほしい本を物色する。アポロビルの本屋がいちばん好きで専門書をゆっくり閲覧できるし、新刊文庫もずらりと並んでいて好きだ。天王寺Mioの旭屋はファッションビルの8階にあるために縁遠くなるし、中央のレジにすべての本棚が丸見えで、だからじっくり本を選べない。ユーゴー書店は専門書の階はゆっくり選べるが、地下の文庫、新書の階はなんだか雰囲気が閉鎖的で店員にすぐに顔をおぼえられそうなので足が遠のく。

 天王寺は和歌山からのJR阪和線と奈良や河内長野からの近鉄線の終点となる駅だけど、あまり商業的な繁栄をしている街ではない。でも四つ辻の陸橋があるためストリート・ミュージシャンが多くたむろしている。私はむかしそこで海ガメの子どもを買ったことがある。

 天王寺は聖徳太子のたてた四天王寺があり、そちらの通りはさびれている。北上すると寺がいくつも固まっているが、あまり観光されるような寺ではないらしい。ふしぎなことにラブ・ホテル街がちかくにあり、聖と俗がなぜ共存しているのかと首をかしげたくなるが、おそらく寺向けの宿屋がラブ・ホテルに変貌したのだろう。

 いまの私は本屋で街を図式化する習慣がついていて、たいそうな歓楽街ミナミ(難波)も私にとっては書店のありかでしかない。ブックオフが二店あり、なんばCITYに旭屋があり、千日前にメガ書店のジュンク堂があり、古本屋が南海線ぞいにあり、千日前あたりに二軒、日本橋に一、二軒あるのを回ったりしている。

 ブックオフはあいかわらず店員のかけ声がうるさい。ここは八百屋かと腹がたつ。なぜ本屋なのにじっくり本を選ぶ権利を妨害するのか。古本の安さときれいさとミュージックは捨てがたいけど。なんばCITYの旭屋はなんだか展望がききすぎて、専門書もいまいちだし、きれいな女性はたくさんいるかもしれないけど、暇つぶし程度にしか寄らない。ジュンク堂は専門書が超そろっており、目が回りそうになるが、ここの品揃えはものすごく頼りになる。ただ千日前という駅から遠い、歓楽街を通らなければならないのはちょっとネックだ。

 私にとって歓楽街のミナミはさみしい街だ。だれひとりとして知り合いにも出会わないし、ほかの人たちだけが楽しそうにしているところである。孤独をひしひしと感じるところである。

 学生のときはファッションの街であり、アメリカ村やヨーロッパ村、鰻谷、なんばCITYなどによく出かけた。また映画館がある街でもあった。居酒屋やディスコのある街でもあり、また子どものときは南海線ぞいに住んでいたから終点難波の先にはなにがひろがっているかわからない地の果てでもあり、大きくなってからは乗り換えの駅になった。

 ミナミがこんなに繁栄したのはなぜなんだろう。南海線、近鉄線、御堂筋線、千日前線、があつまるところだろうか。環状線からは離れているのに。道頓堀といえば、芝居小屋があったりしてむかしから繁栄していたところである。大阪のパワーや人びとが凝縮しているところである。

 大阪のイメージといえば通天閣や新世界もあるのだろうけど、ここは浮浪者やホームレス、日雇い労働者の住む西成とつながっているとんでもない町である。なんでこんな大阪の恥部のような町が大阪のイメージとなるのかとフシギになるが、たしかにこの町はキミョーキテレツな人たちがいたりして、ほかの郊外化、サラリーマン化した町や人々からは味わえないエキゾチックさは味わえる。

 でもここを南下して西成の町にふみいれば、日雇い労働者の治外法権のような別世界になる。昼間から寝ていたり、酒をのんでいたり、人々が無目的にたむろしていたり、フツーでない人たちがたくさんいる。日本にはこういうところがあり、日本にはありえないと思われるまぎれもない現実のすがたがここにある。西成は日本ではないのか、それとも日本のほんとうのすがたなのか。

 御堂筋や本町、北浜といったところは大阪のビジネス街、オフィスビルの中心である。働いていたこともあったが、いまはあまり縁もない。高層ビルばかりで関係のない者にはほんとうに関係のない町である。堺筋本町あたりのオフィス街では昼飯の席をとるのにずいぶん苦労したものだ。大阪の商売といえば船場だが、私も卸の店などで何回か働いたが、けっこう人なつっこい町で私もたいそう楽しませてもらったが、女性が多いのがよかったが、卸の将来はあまりよいものではないのだろう。

 キタ、梅田は私にとってはミナミでほとんど用事はすんでしまうのであまり縁のない街であるが、すこしは憧憬の街でもある。梅田は阪急が出ていたり、神戸や京都との電車が何本も走っており、大阪は北のほうが発達しているから、南大阪に住んでいる私にとってはばくぜんとうらやましさを感じていた。

 キタはそういえば大阪駅の前には阪急や阪神などの百貨店がならび、商店街は一本あるだけであり、ミナミのような庶民的なあつまりやパワーがなく、駅前ビルなどの都市計画的な街である。大型資本がつくったような街なのだろう。阪急は百貨店や宝塚、芦屋などの住宅街をつくったりして、うらやましい電車でもある。

 梅田の本屋といえば阪急駅に紀伊國屋があり、ここは巨大なフロアであるけれどもものすごく人がこんでいて目的の書棚にたどりつくのがなみたいていではない。この前は待ち合わせのメッカになっている。カッパ横丁に古本屋街があり、また駅前第三ビルにも古本屋街があり、たまには私も利用する。旭屋はジュンク堂ができる前まではかなりの品揃えをほこっていたと思うが、いまはジュンク堂にはくらべものにもならない。堂島にジュンク堂があり、ほんのたまに行くことがある。キタにはほかにも本屋がたくさんあるが、まあべつに寄り道ていどに寄る本屋である。

 大阪城はバイトをさぼったり、失業中などによく昼寝したりした。いまはホームレスの青テントにおおいつくされている。ちかくに官公庁の街があったり、高層ビルが立ったりしている。京橋は京阪や学研都市線などが出ており、歓楽街がひろがっているのだけど、私にはつかみどころのない街である。天神橋は日本一長い商店街があるのだけど、古本屋もいくつかあるのだが、おしゃれでもないし、あまり庶民的ともいえない中途半端な感じがする。

 私はいま住吉という住吉大社と高級住宅地の帝塚山がある町に住んでいる。大和川が近いのが私にはうれしいだけである。大和川を上流や下流にサイクリングしたりして、町にはない広い展望を楽しめのが気に入っている。大和川なら空が大きく見えるし、二上山や葛城山も見えるし、堤防からのながめがすばらしいところもあるし、水の流れや光の反射をもとてもきれいだし、自然の変化を楽しめるのはとてもいい。

 堺にも自転車で足をのばすこともある。郊外型の大型古本屋がいくつかあるからだ。仁徳天皇陵のある大仙公園は野原の緑がすばらしく、昼寝していたら天国かと思うほど気持ちいいときがある。大泉緑地もまあいい。堺という町は歴史の教科書にのるほど栄華をきわめた時代もあったのだろうが、いまはただのふつうの町である。堺東がいちばん繁華街なのだろうけど、底が浅い。歴史を感じさせる町でもあまりないのだろう。

 私は前から大阪の北のほうに住んでみたかったが、ハイキング好きになった私は山のほうに住んでみたいという気持ちも強くなったけど、通勤便利な地から遠ざかるのも困ったものである。大きな本屋が近くになければ困るし、でもショッピングが楽しい街に近いほうがいいいうわけではない。いつか引っ越したいと思いながらいまの地に住んでもう15年ちかくにもなる。好きでも嫌いでもない。





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