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010903断想集



■ディスプレイ故障のため、更新が遅れましたことをお詫びします。
 新しいディスプレイを買いましたので、じゃんじゃん更新してゆきたいと思っていますので、これからもどうぞよろしくお願いします。(ちなみに古いディスプレイの修理代見積もりは五万五千円もするので、一万六千円の新品を買いました)




   『猿の惑星』と『タイタニック』の感想
    01/9/2.


 『猿の惑星』は子どもの頃の私にとっていちばん思い入れの強い映画だ。知性や会話能力が猿に認められないもどかしさや、人間のおもちゃが遺跡になっている展開など子供心に衝撃だった。

 『新・猿の惑星』は猿のコーネリアスとジーラが最後には殺されてとてもかわいそうだった。あと作品は五作までつづくのだが、全部見ているが、後半になるごとに印象は薄くなっている。

 TV版は、猿より劣っているとされる人間の医者が猿の病気を治してゆくという、ちょっと優越感をくすぐる内容になっていたが、いまから考えれば先進国アメリカの奢りにオーバラップして見える。

 その映画が新しくリメイクされたと聞いて、小躍りしてぜひとも見に行かなければ、と思い込んだのだが、どうも前評判がほとんど聞こえてこない。それでも『猿の惑星』は私にとっては特別なので、見にいった。

 なんともない作品だった。おもしろいのかも、よかったのかもよくわからない感じで終わってしまった感の映画だった。旧作との違いといえば、現地の人間がしゃべれることと、猿のジャンプ力やスピードが異常に速いくらいだった。いったいなぜリメイクされなければならなかったのかよくわからない映画だった。

 そういえば、監督のティム・バートンはペンギンが出てくる『バットマン・リターンズ』というひどい映画をつくっている。『シザーズ・ハンズ』ははさみの腕をもつ神経症的なアンドロイドという寓話がとてもよかったが、よい映画はあの一作だけだったのかもしれない。

 ところでずいぶん遅い話になるが、TVで映画『タイタニック』を見た。たしかにすばらしい作品だ。あまりにも悲しい、悲惨すぎる結末に涙がしぼりだされた。

 人生と死を語っているのだと思った。タイタニック沈没という一瞬の事故を借りながら、これはまさしく人の一生のことだと思った。人間はいつかは絶対死んでしまうから、生きているあいだに生や愛をじゅうぶんに愛しむべきなのだ、ということが物語から痛烈に感じられた。

 死すべきものであるからこそ、その切なさゆえに、生や愛はとてつもなく愛惜されるものに見えるものなのである。あまりにも哀しすぎる、悲惨すぎる結末はたまらなくつらかったが、生の素晴らしさはそんな中だからこそ強烈に、照射されるのである。

 階級や金の亡者に対する批判もたっぷり織り込まれていた。アメリカは現在、富者と貧者が二極分化しつつある。そういった状況をタイタニック沈没という事故の題材を借りながら、痛烈に批判していた。アメリカという船に劣らず、日本という船のほうがひじょうに緩慢だが、先に沈没しそうだ。

 いやぁ〜、いい映画でした。ぜひとももう一度見てみたい。





  お金がないのと、労働があるのと、どっちがつらいか?     01/9/5.


 失業してお金がないのはつらいことだ。しかしそれに対して労働があることはまったくの天国でもない。たしかに生活と安定は買えるけど、労働がありつづけることもけっこうつらいことだ。

 世間やマスコミでは失業は人生の一大危機と喧伝されている。だから職にありつくことは天国のごとくイメージされることになる。でもそんな対立イメージは、実感からほど遠い。

 かつては解雇された社員が不当解雇だといって、職場にもどさせようとする裁判がよくおこなわれていた。私には労働からせっかく解放されたのに、どうしてそんな労働の場に戻ってゆきたいのか、さっぱりわからなかった。

 いまはそういう裁判はほとんど聞かれなくなった。みんなリストラされても黙って解雇に応じている。無力感やあきらめなのか、それとも心情の変化がおこったのだろうか。早期退職に殺到する人たちも多いと聞く。

 むかしは解雇は悪いことだった。完全雇用や終身雇用が正義だった。だから永久就職からとつぜん降ろされた人は解雇に怒りをあらわにした。生涯ひとつの会社に守られることが絶対の幸福だと信じていたようだ。

 私には生涯ひとつの会社に縛られることが牢獄にしか思えない。永久就職や終身雇用を地上の楽園と思っている人とは、天と地ほどの開きだ。

 私は労働がより少なくなることが幸せだと思っている。しかし終身雇用に殉ずる人たちは、生涯労働を当たり前のものと見なす。健康保険や国民年金も、この発想のもとにつくられている。ほぼ生涯払いつづけなければならない。

 失業したり、働かない期間の自由や幸せがまったく考慮されていない。貯金とかがなかったらまったく悲惨きわまりないことだが、余裕があれば、これほど解放された、自由で幸福な時間はないはずである。

 戦後の人たちは終身雇用を天国と考えたから、保険や年金を間断なく払えると思い込んだ。これは逆に労働に縛りつける拘束にもなっている。働かない期間の自由や幸福はまったく忘れ去られた。終身雇用の楽園観が日本人の勤勉、労働の当たり前感をつくりだしたのだろう。

 労働があることはお金と生活の安定を手に入れられるが、けっして手放しの恍惚状態になれるわけではない。やっぱりつらいことも多い。労働が監獄のように毎日つづく日々はかなりつらいものである。

 お金がない状態と、労働がありつづける日々を、秤にかけてみるとどっちのほうがつらいだろうか。マスコミや世間はこういう発想をせず、失業の地獄にたいして職があることは天国のようにいいたがる。

 ほんとうに労働がありつづけることは幸せなことなのか疑問に思う。たしかに生活できないほどお金がなければ壮絶なことにはまちがいないが、若者なら親やパートナーの稼ぎに頼ったり、中高年なら妻や親類縁者になんとか頼ることも可能かもしれない。家族の形態が戦前のように大きく戻るのもいいかもしれない。

 労働が人生を拘束しつづけることがそんなに幸福なことなのか、もう一度、根本的に考え直してほしいものだ。





  ちかごろの世相について       01/9/7.


 株が一万一千円を割った。バブル崩壊後の最安値を更新しつづけている。一万円割れもそう遠くないことだろう。失業率も五%をこえた。じっさいはこれの二倍か、三倍の数、十%か、へたとすると十五%に近づいているのかもしれない。

 それでも社会の雰囲気が暗いのか、明るいのか、なんだかよく見えてこない。壮絶とか悲惨な目にあっている人も多いはずなのだが、なぜか社会の全体の雰囲気は、暗くもないし、明るくもないし、どっちなのか、ほとんど伝わってこない。

 社会が一丸となってひとつのムードや雰囲気をかたちづくるということがなくなってしまったのだろうか。社会全体にひとつのムードを強制されることはたまらないことだから、よいことなんだろうが、経済的に困窮している人たちにたいして、あまりにも無神経になり過ぎてはいないだろうか。

 リストラや経済困窮などのテーマが、社会全体のテーマや雰囲気となっていないし、だれもかれもの最大の関心事にもなっていない。経済の惨状が、どこかべつのところで進行しているとでも思っているのだろうか。なんかヘンな見当はずれの社会になってしまったのだろうか。

 小泉首相が大人気だが、改革をやるとかいって、さしたる変革もおこなっていない。改革断行のために緊縮財政をおこなおうとしているが、景気が悪くなるのは目に見えているが、これまでどおり公共事業で借金を増やしつづけるのもウンザリなので、難しいところだ。

 それにしても景気をよくしろといっても、だれもほしいモノもないし、大きな発展目標があるわけでもない。経済が悪くなるのは当たり前である。悪くならないほうがおかしい。みんなほしいモノがなくなれば、経済のパイは小さくなるし、職にあぶれる人も多くなる。こんな社会でどうやってみんなの稼ぎ口を見いだすか、ということが考えられなければならないのではないかと思う。

 強盗なんかも増えていると思う。かれらは犯罪者というべつのカテゴリーに属する人ではなく、事業の借金のため、追いつめられて、という人が多いのではないかと推察する。このまま世の中は犯罪が増え、人々の心は荒廃し、すさんでゆくのだろうか。

 経済が悪くなるということは、人々の生活の基盤が崩されるということである。借金が払えなくなったり、子どもの教育費が出せなくなったり、家を追われたり、家庭が崩壊したりすることである。中流という生活からこぼれ落ち、あるいは生活すらできないといった、これまで見たこともない壮絶な光景を目にすることになるかもしれない。

 でもこんなのは高度成長以前の多くの人たちが経験し、くぐり抜けてきたごくふつうの光景だったわけである。いままでの経済安定期が尋常でなかった、希有の奇跡であったと見なして、新しい没落の時代にまいもどってゆくしかないだろう。範はこれまでの時代ではなく、貧困が当たり前の時代に求めたらよいだけの話である。






  日常の世界を破った米同時テロ        01/9/12.


 突拍子もない映像だった。アメリカは経済と金融と都市のごくふつう日常がつづく光景の世界だ。そんな日常きわまりない世界の貼り絵を破るように、貿易センタービルに旅客機が二機もつっこみ、炎上倒壊し、ペンタゴンにもハイジャック機が墜落した。

 まるで世界が一瞬にして変わったようだ。経済と日常の世界がいきなり戦場と化したかのようだ。そんな突然の変化と、それがもたらす将来の延長に不安になった。

 ビルに飛行機がつっこむシーンが何度も放送された。どこかのドンパチ映画にありそうだが、爆発した瞬間にはハイジャックされた旅客機の多くの乗客が火に包まれたのである。考えるだけでものすごくひどいことだ。しかもその旅客機からは携帯電話などで外部と連絡がとられていたというなまなましい話もつたわっている。

 貿易センターから煙がふきだすシーンが何十分もうつしだされていたが、この中にはまだまだ何百人もの人がとりのこされていたかもしれないのだ。消防隊員や警察官も救助のためにビルの中に入っていっただろう。

 遠目にうつしだされるビルの煙や倒壊シーンからは、多くの人がその現場で大ケガをしたり、いままさに命を閉じようとすることがまったく見えてこない。どんな悲劇がくりひろげられたのか、われわれには知り得ないことが、なんともいえない。

 まだ犯行グループは特定されていないが、イスラム原理主義だといわれている。報復行為がおこなわれるだろうが、戦争にはならないと思う。やっぱりイスラムはアメリカにはかなわない。相手にならない。ヤケっパチの自爆行為にしかならないと思う。

 貿易センタービルを狙ったのは、世界恐慌をおこさせるためだとか、アメリカの巨大な経済力の象徴を破壊させたかったのだという話がある。

 金持ちや権力者はたえずだれかから狙われる危険性があるのは覚悟しておかなければならないことだ。踏みつけにされて恨む人や、不利益をこうむって怒りを買う人、あるいは単純な逆恨み、羨望や憧憬からくる怨恨などは富や権力からたえず派生される。アメリカ市民はふつうの人たちに違いないだろうが、後進国にとっては富と権力の行使者にほかならない。富や権力をもつことはもはや「ふつう」であることを許してもらえないのだろう。

 今回の悲惨なテロ事件は日常の世界を破った。人間はこんなことまでやってしまうんだ、ここまでできてしまうんだということを改めて思い知らされた。ごく平凡な経済の日常をつき破って、違った人間の世界のありようを垣間見せた。経済や日常が土台や背景とならない、暴力や軍事がベースとなるような世界もあるんだ、という恐ろしい認識ももたらした。それが継続しないことを願いたい。たぶんそんな可能性は低いと思うけど。





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