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010730断想集




  国保も市税も払えません      01/7/30.


 長年、健康保険なしで生きてきたが、去年、国民健康保険にやっと入った。さいしょは最低額の四千五百円くらいの額でこれくらいなら払えると思っていたら、新しく来た請求額にガクゼンとした。

 毎月三万五千円にもなっている! 払えるわけがない! 高すぎる! なんでこんなに高いのだ?

 毎月三万五千も払うようなら、保険なしで医者にかかったほうがよほど安くつく。しかもこの十年ほど私は歯医者と眼科にかかったことしかなく、医者とはほとんど疎遠だ。それなのに月々三万五千はベラボーに高い。

 年収二百万ほどしかなく、月収二十万もないときもあるのに、そこから月々三万五千もとられるなんて、ジョーシキから考えても高すぎる。去年の市民税は年間五万くらいで、その四百五十%(!)掛けた額が保険料になるらしい。なんちゅう制度だっ?

 銀行引き落としのため、さっそく口座から貯金を退散させるしかない。私は今年四ヶ月失業していて、生活費は貯金と合せてぎりぎりなのだ。しかも保険料免除とか減額というのは、年収三十万以下という信じられない額に設定されている。そんな人はどうやって生活できるというのか?

 健康保険ってこんなに高いもので、みんなちゃんと払っているんだろうか。保険料がこんなに高ければ、保険なんてかける意味がない。保険なしで医者にかかったほうがよほどマトモだ。なんでみんな保険なんかかけるのかと思う。

 年金も払いたいよ〜。二十五年間払わないと年金はもらえないということだから、なんとかその最低期間を満たしたいと思うんだが、なにぶん収入が安定しないと話にならない。二十五年に満たなかったら、その払った分は返ってくるんだろうかという心配のほうが先にくる。

 市民税の催促もきている。失業から立ち直った者には払えるわけがない。五万くらいはなんとか払いたいと思うのだが、失業で貯金が底をつきかけなので生活が安定するまでは払えない。

 以前も市民税の催促がきていて、たぶんそのときも失業かなんかで払えなかった。ついに「最終催促状」とかいうのもきて、「財産差押え」という警告もされたが、とられる財産もない私は放っておいたら、いつの間にか来なくなっていた。小耳にはさんだところによると時効があるみたいだ。

 税金をもし払うとしたら、使い道を指定できれば払いがいがあると思う。なんに使われるかわからないモンにカネなんか払えるかっていうんだ。

 ほとんどのサラリーマンは給与天引きだろうから仕方なしだろうが、もし自分で手続きしなければならなくなったら、使い道にもっと気を配るようになるはずだ。払わない人ももっと増えるかもしれない。天引きなんて方法は、サラリーマンを愚鈍にスポイルするだけで、やめるべきだ。

 これから催促状が市民税にプラスして健康保険料もやってくることになる。私は自分の稼ぎがとても少ない貧乏人だと思っているから、そんな者からこんな高額のカネをむしりとる政府なんて信じられない。なんで私みたいな貧乏人にこんな高額な請求書がくるのだろう? 年収二百万の私ってこの日本でそんなに稼いでいるカネモチなのか!?






   100円ショップの価値しかない     01/7/31.


 100円ショップというと、安っぽい、不必要なモノばかり売っているというイメージがあったが、金に困って生活必需品を安く上げようとのぞいてみると、けっこう生活品の多くをまかなえるようになっていて、たいへんありがたい思いをした。

 歯ブラシも歯磨き粉も100円で買えるし、タオルも買える。くつ下もこれまで三足千円のやつだったが、百円ショップなら十足も買える。ライターは100円で三本ついている。時計の替えベルトも100円だ。台所用洗剤も、シャンプーも100円でまかなえる。

 なんでもかんでも百円で買いそろえられるようになると、いままで四百円も五百円も払っていたのはなんだったのか、ということになる。

 たしかに品質はちょっと怪しいかもしれない。どこのメーカーかもわからないし、ちゃんと使えるのか不安に残るところもある。

 しかし生活必需品なんて高い金をかける価値なんてこれっぽっちもないのだ。どんどん消耗してゆくものなんて、安ければ安いほどよい。金をかける価値なんてひとつもないのだ。

 たいがいの商品なんて、じつは高い金をかける価値なんててんでないのではないかと改めて思う。それだけの価値しかないのだ。いままで値段が高かったから仕方なしにその値段で買っていたが、こうモノの値段が安くなると、モノに金をかける価値なんてないんだと再確認している気持ちになる。

 ユニクロの値段も安いが、あれは「服に金をかける価値がない」というメッセージを発しているのだと思う。だから安い服で十分なのだ。もはや服には金をかける価値がないというメッセージを着るのがトレンドなのだ。

 ハンバーガーに牛丼と外食も値段がどんどん落ちている。安くなるのはたいへんありがたいが、モノの値段が落ちるというのは値段だけが落ちるのではなくて、それに賭ける価値や重要性、必要性も同時に落しているのである。

 モノに賭ける情熱や魂、憑き物が落ちてしまったのだ。デフレは憑き物のようにモノに憑かれてきた戦後のわれわれのモノ離れの精神のありようもそのまま現わしているのだろう。モノの価値はなくなったのである。

 たしかマクドナルドかなんかのCMで、正確ではないがバーガーが1970年代の値段まで下がったというコピーを一瞬見た。これはスバラシイことというより、この三十年はいったいなんだったんだろうという気もちになった。世間では「失われた十年」とよくいうが、「失われた三十年」だと思った。

 戦後にモノの値段はどんどん高くなり、みんなは金持ちになったと思ったら、なんのことはない、また1970年代の水準に戻ろうとしているのである。いや、70年レベルではなく、50年代の戦後レベルまで落ち込んでしまう可能性も高い。なんせ、いまは冷戦の終戦後だからだ。振り出しに戻ってしまうだけである。

 カネと経済にトチ狂った戦後は砂上の楼閣のように消え去ろうとしているかのようだ。戦後の経済発展とは壮大な徒労だったと改めて思わずにはいられない。だから経済に過剰な期待をかけたこの国は、子ども時代の私にも異常に見えたのだ。






   人生てあっという間なんだな      01/8/2.


 私はことしで34歳になるのだが、この年では世間一般では結婚して、子どもが一人二人いる親になっていてもおかしくない年である。

 私にはそういう自覚がまったくない。自分が親になったり、家庭をもったりする年齢にとうに達しているという現実感がまるでない。

 自分の年齢感覚の自覚があまりないんだな。自分が若いとは思っていないが、かといって年いっているとも思わないし、親になる年齢だという自覚もほぼない。

 ただ年を重ねているだけで、大人や親の役割をてんで担いたいとは思っていない。

 親になるということは、自分の命のバトンタッチを次の世代にゆずりわたす準備をすることだ。ある意味では自分の人生の終結宣言のようなものだ。だから私は家庭をもつ願望が少ないのかもしれない。

 たとえば私と同じ年齢の女性が二十歳くらいに子どもを生んだとしたら、その子どもはもう中学生くらいになっている。中学なんて自分の中ではほんのちょっと前のことだ。子どもがそんな年に早々となるとは人生なんてあっという間なんだなと痛烈に思う。

 この年になって感じることは、親の年齢になっても、人間というのは子どもとたいして変わりはないということだ。親といっても、子どもじゃないかと思える。二十歳くらいの女の子が子どもをもっていたりすると、とくにそう思える。

 この年になってだんだんと実感してきたことは、親というのは子どものままだったということだ。子どもの目線で親を見ていると得たいの知れない立派な大きなものに映ったものだが、ある程度年を食うと親もひとりの子どもにすぎないことがわかりだしてくる。子どものまま、子どもを育てていたんだなと思う。

 自分が成長し終えてすぐに、人は子どもを育てることになる。人の一生て短いものだなと思う。のんびりしていると、あっという間に終わってしまうもののようだ。子どものときはなにも考えていなかったが、人は終わりのためのバトンタッチを早めに手をつけないと、人生はすぐに終わってしまうものらしい。






  ほんのささいな雑感       01/8/4.


 ☆なんで自転車の駐輪場ってどんどん有料になっていったんだろう? これなんてまさしく税金でまかなわれるべきだ。不法駐輪をとりしまって市民からカネをぶんどるより、公共の場として提供すべきだ。なんのために税金を払っているんだ。どうして有料になったのだろう。はじめは老人のための雇用提供のためと思って仕方がないと思っていたが、たまに使う駅に自転車をとめる場所が見つからなくてだんだん腹が立ってきた。

 ☆死にそうに暑い日がつづいていますが、ジュースやアイス・コーヒーばかりがぶ飲みばかりしています。こんな暑い日がつづくと炭酸の飲み物がのどに効きますが、前まで私は炭酸はそんなに好きではなかったのだが、暑さのせいで体質が変化して炭酸が夏期限定で好きになった。なんでだろう。子どものときはほとんど好きでなかったのに。

 ☆飲み物といえば、お茶と水が売れているみたいですね。やっぱり私はいまだにお茶や水ごときに金を払うなんてことが信じられない。もったいない気もちが拭い切れないし、そんな味の薄い飲み物がうまいとも思わない。

 ☆カップラーメンの話だけど、せっかく味を覚える前から新製品に変わってしまう。気に入ったものもすぐになくなってしまう。即席ラーメン業界はどうなっているんだろう。

 ☆たばこもマイルドとかライトとかいう新商品ばかり出るが、私はふつうのキャスターのみをずっと吸っているのに、自販機で見つけるのにひと苦労だ。いつかなくなってしまうのがいちばん恐ろしい。ほかのたばこはぜんぜんお口に合わないのだ。

 ☆私はお金がかからないので自転車で長距離をうろうろすることが多いのだが、休憩できる緑の公園がもっと多くあればありがたいと思う。休みとか暇な時間が多くなると、そういう場所のありがたさに気づく。みんな働いてばかりいるから、身近な場所でさえくつろぐ時間も余裕もないのだ。

 ☆金がなくて暇がある人には大きな河川はとてもくつろげる場所だと思うのだが、河川はもっと休息場所として見直すべきだと思う。ベンチとか木陰をもっとつくってほしいものだ。段差とかをつくって滝の音が聞こえればとても快適だと思うし、岩をたくさんおいてせせらぎが聞こえるようになれば気持ちいいと思う。

 ☆暑さと金欠のため、ものを考える気がしません。読みたい本も見つかりません。このまま興味あるものが見つけられないのかとちょっと心配もきざします。ある程度趣味に埋没していないと、自分の人生ってなんだろうとヘンな疑惑に駈られそうになりますから、できればなにか読みたい本でも見つけられればいいんですけど。。。




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