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010620断想集



 「嗜好品」や「贅沢品」としての仕事/エリートは羨ましいのか/即採用の会社はやっぱりヤバイ?/職業閲覧/企業より人間を大事にする社会/




   「嗜好品」や「贅沢品」としての仕事       01/6/20.


 究極のところ、生活費以上の仕事なんか必要ないものである。生存をまかなえる額がありさえすれば、それ以上の仕事は不要なものである。

 豊かになった日本人の発想はそのようにはならなかった。代わりにいくらでも儲かるだけカネを欲しがり、モノを欲した。マイホームもほしいし、将来が不安だから保険が必要だとどんどん欲に目がくらんで、無限上昇から降りられなくなった。

 発想を変えれば、すでに生活費はまかなえるのだから、仕事量を減らすという考えが生まれてもおかしくはないのだが、そうはならなかった。仕事とカネを増やすばかりに猛進して、ますます自分たちをがんじがらめにした。

 おかげで「ステータス」や「まとも」の基準がどんどん釣り上げられ、底上げさせられた「中流」や「平均」という基準に苦しめられているという次第である。

 たしかに生活費はいくらでも欲しいものだし、将来や生活の安心というのはいくらあっても足りないものである。この方面ばかりに目が向き過ぎた結果、人間を幸福にしない「生産マシーン国家」や「労働至上主義」はわれわれをがんじがらめにして不幸にした。

 だれでも安い値段で価値の高いものを買いたいものである。会社も同じことを考える。少ないカネで最大の労働量を得たい。会社は労働者に最大の労働貢献を要求しておいて、支払うカネは低く抑えたい。

 これまでの日本は会社の思い通りになってきた。会社は最大の労働貢献を求め、労働者はもっともっととカネを求めた。

 労働者の頭の中にはより少ない労働量で、より多くの稼ぎを手に入れるという発想はなかったようだ。終身雇用や社会保障があるから労働量はどこまでも奉仕しなければならないというギブ・アンド・テイクがあったのだろうか。

 モノや保障はどこまでいっても欲しいという考えにとり憑かれた人間にはその元手となる労働量を減らすという考えは思いも浮かばない。会社は終身保障によって最大の労働量を手に入れることができたのである。

 しかし豊かさの幻滅を通り過ぎた世代は、仕事ばかりの人生に空しさと無意味さを感じている。労働投下率のわりには人生に満足をもたらさないことを知ってしまった。

 仕事という高い代価は、それに値する見返りを与えないのである。そうするとカネを減らしてでも仕事量を減らそうという発想で仕事を見直すということになる。究極的には生活費のみが得られればいいのである。仕事というのはもともとこういうものではないのか。

 いまや、仕事は生計のためのものから、「嗜好品」や「贅沢品」の領域に入ってしまったのである。生きてゆくために総労働量が絶対に必要というわけではない。嗜好品や贅沢品はあるほうがいいが、それがなければ死ぬというわけではない。仕事の意味が、旧世代の考え方とはまるきり違う贅沢品になったのである。

 それでも仕事量を減らすことができないのは、最大の労働貢献を求める会社の権力があるからである。会社は多くのカネがほしいのなら最大の労働貢献をしなさい、さもなければクビだという。仕事は嗜好品ではなく、生存費のためだと思っているからわれわれは恐れに駆られてやみくもに従う。また「ステータス」や将来の保障という贅沢品(一部の人には生存の最低条件)がほしいから、人生を会社に全面的に捧げなければならない。

 生活費以上のものを望んだら、われわれはとんでもない目に会うということである。ここから降りる勇気や強さはわれわれにあるだろうか。不安や恐れのお地蔵さんのようになっているからムリだろう。経済的に落ちこぼれたり、怖いもの知らずの若者にしかできない芸当だろうが、未来と希望はそこから始まってゆくのだろう。






    エリートは羨ましいのか       01/6/21.


 思い返してみたら、子どものころからエリートになりたいなんか一度も思ったことがない。そんな目標すら頭に描いたこともない。

 銀行や証券会社に入ることがエリートのような風潮があった時期もあったが、カネをあつかう仕事がおもしろいなんて思ったことは一度もないし、ソロバンとか計算に関わる仕事なんてごめんだし、証券なんて興味のひとつもわかなかった。

 官僚なんてなおさらだ。なにをやっているかよくわからないし、だれかが奨めたことなんて一度もないし、将来の目標に考えたことなど一瞬もない。母親は公務員をよく奨めたりしたが、保守的すぎる忠告によけいに反発した。

 大企業や一流企業も向こうからお断りといわれると思うが、入りたいとも、行きたいとも思わなかった。安定とか保障をのぞむ気もちに反発を抱いていたし、ブランドとか肩書きにぶら下がる弱さがいやだった。

 あとになって女性はブランド会社の男に弱いという現実をはじめて知ったが、そんなつまらないことに魅かれるなんて私の理解外のことだ。

 教師になりたいとも羨ましいとも思ったことがない。人を教える立場になろうとも考えたこともない。私は読書やものを書くことが好きだから、そういう職業に一脈通ずるところがあるはずなのだが、まったくやりたいとは思わない。中学のとき、あまりにも成績が悪かったためか、もしくは教師は生徒に蹴られたり、バカにされていたからかもしれない。

 知的な仕事につきたい気もちはあるが、どうも私の知的好奇心を活かせるビジネスはあまりないみたいだし、知力も度胸もないので、趣味で楽しむしか仕方がないと思っている。

 私は世間一般でいわれるエリートなんてぜんぜんなりたいとも思ったことがないのである。会社で出世したり、地位や権力をもちたいなど望んだこともなく、逆に会社にコキ使われたり、責任ある地位についてプレッシャーを感じたり、しんどい目にあいたくないと思っている。この社会のなかで立身出世や目標をひとつももたず、カネだけは適当に稼げたらいいと思っている。

 私のような者は少数派なのだろうか。でも出世とか責任を逃れたい人はサラリーマンのなかでもかなり多くいるのではないかと思う。

 もしこんな人間がたくさんいるとしたら、エリートや学歴競争などを目指す学校のシステムはほとんど意味をなさないだろうし、近代の経済システムや企業システムというのもその原動力や中核になる力を失ったことになる。社会地位をめぐっての優越競争は溶解してしまったのである。

 私はそれが日本人の堕落とか国力の終わりだとかは非難してほしくはないと思う。そのような目標や競争は終わってしまったのである。あるいはそんなまやかしのアメには釣られなくなっただけである。そしてそんな大それた国家的な夢をもたなくなった時代のほうが、よほど一般的な社会のありかたなのだと思う。これがごくマトモな人間の姿なのだと思う。

 そういう人たちは目標や目的をまた別のところに求めるだろう。あるいは刹那的、享楽に生きるだけになってしまうかもしれない。それはそれでまたごくフツーの人間のありかただと思う。国家規模の立身出世志向があるという時代のほうが異常で、フツーではなかったのだろう。もうそういう時代は終わったのである。

 あとは立身出世や上昇志向のない人間が、競争に駆り立てる社会にどうやってその着地点や座席を見いだすかということである。競争社会は「みじめさ」や「軽蔑」を煽ることによって人のケツを叩く社会である。もともと上に憧れなかった人間である。下もたいしたものではない。






  即採用の会社はやっぱりヤバイ?      01/6/29.


 即採用の会社はやっぱりヤバイのだろうか。それを確かめる機会にこのあいだ巡り合った。

 面接に行くと社長が辞めた会社と退職理由をすべて書けといったのでそれを書き、面接ではどんなキビしいことを聞かれるかとあせっていたら、すぐに採用の話になってしまって、拍子抜けした。

 私は長らくフリーターをやってきたし、転職回数も多いし、ろくに実績や自慢できる仕事なぞやってきたことはないので、キビしい過去の尋問なしに即採用されるのは天からの贈り物のようなものだ。でもやっぱり後々、心配になってくる。

 仕事の質問もろくに受けつけてくれないし、こちらの資質や経歴なども意に介しようとしない。後からすれば、社長がどうしてこういう態度をとっていたのかよくわかるが、そのときはこんな儲け話はないし、いってみないとわからないと、心配はさっさと切り上げた。

 仕事は配達がメインの食品の卸で、私はリフトの免許をもっているのでその仕事を受けもつことになった。ものすごく狭いところでとてもリフトで作業するようなところではなかったし、品数が多く、棚からあふれた商品はおくところがなく、出荷者は台車で集荷するので、二段三段のラックは手が届かなく、これはリフトで仕事するのはまちがいだと思った。

 食品関係だから涼しい冷蔵庫かなと思っていたら、ほとんどドライ(常温)商品で、油カンとか粉袋がやたら重く、汗だくになった。ジュースをがぶがふと飲み、2、3日は食欲もてんでわかなく、体力も限界だった。

 入荷商品がどかどかと入ってきても置くところはない、リフトで上に上げてもすぐに手積みで下に積み上げなければならない、商品もものすごく重いときている。あまりの徒労さに音を上げた。ここはリフトで作業するべきところではない。

 二日で辞めた。一日二日は体力が回復するまで、消耗し切っていた。こんな重労働だから辞める人が後をたたなく、したがって即採用される必要があったわけだ。そこの主任も一週間で辞める予定で、とにかくだれでもいいから即刻に投入して仕事をつづけてくれればいいということだ。

 劣悪な職場環境を改善しようという意志はほとんどない。ただ辞めたらまた新しいやつを投入したらいいと考えているような職場だった。いや、みんな疲れてそこまで頭も労力も回らないみたいだ。職場の改善自体が必要だと思うんだが、人を入れ替えれば済むと思っているようなところだった。

 人を入れ替えればいいと考えるような会社は、いつも求人票に顔を連ねている会社である。しんどいからみんな辞めるのだが、それを反省して職場の改善を手がけるより、人を入れ替えればOKだと考えている。仕事がつらすぎて、個人の努力ではもうどうにもならない、ということもあるのだろう。こういう会社は忍耐力のある従業員に出会うまで、ずっと人を入れ替えつづけるのだろう。

 私も人がすぐ辞める会社というのをいくつか見てきた。深夜残業がつづいたり、仕事がハードで重労働すぎたり、環境が劣悪すぎてみんなが怒りっぽくなったりと、いろいろヒサンな目に会ってきた。仕事が人間の力や限界を超えているのだろう。こういう仕事に改善の余地はあるのだろうか、それともなにも知らない求職者を何人も呑み込みつつ、存続してゆくのだろうか。

 私は職業生活に自信がないから、ことさらこういう会社と関係をもつことが多くなってきた。入りやすそうな会社を選ぶと、劣悪な会社にブチ当たってしまうのだ。といっても成長中の会社も業務多忙で必ずしもラクができるとは限らないが。

 会社というのはいくらこちらの価値が低いと思っても、ある程度は強気で選ばないとロクな目に会わないということである。即採用されるような会社は、仕事がすぐに決まるありがたさはあるが、それなりの警戒心をもたなければならないということである。あ〜あ、ツライ〜。






    職業閲覧       01/7/1.


 職業というのはやってみないとわからない。でもわからないうちに決めなければならない。採用されない場合もある。あれもこれもやりたいと思っても、ひとつしか選べないし、年を追うごとにやれる仕事も限定されてゆく。

 私はこれまでなぜ今のような職業生活を選んだのか、なぜほかのものではなかったのか、ということを考察するため、参考に、偏見と独断にみちた私の職業イメージを棚卸ししてみることにする。職業というのは自分がやったことがなければ、偏見の塊のなにものでもないと思う。

 公務員■安定と保証はありそうだが、それのみを求める人生はあまりにも退屈でつまらないと思う。その職業を好んでいるわけでもない。同じイメージを一流企業にももっているから、私はこのような企業は避けてきた。

 広告代理店■表現したり、創造したりする職業ということで憧れはあるのだが、企業のちゃらちゃらした商品広告の片棒をかつぐなんてごめんだと思う。

 営業■どの就職誌も営業の募集ばかりなのだが、売り込みや宣伝言葉なんか私にはできないと思ってしまう。ステレオタイプなノルマ地獄のイメージをもっている。

 ライン工場■ベルトコンベアーで組み立てをする仕事なんて非人間的だと思っている。私は実際にやったことがあるのだが、とても長年つづけられるとは思わなかった。この仕事をずっとつづけている人はかわいそうと思うが、私と違った種類の忍耐力と職業観をもっているのだと思う。

 トラック運転手■全国を回れる仕事なんていいなあと思うが、実状は長時間残業の巣窟のようである。手積みのトラックはひたすらしんどいと思う。昔は「トラック野郎」なんてたくましいイメージがあったみたいだが、いまはどこにいったんだろう。

 百貨店・スーパー■いずれも学生バイトをしたことがあるが、モノを売る仕事につきたいと思ったことがない。百貨店はあんな貼りつくような接客はたまらないと思うし、スーパーのレジ打ちはたいへんだと思う。むかしはエレーベーター・ガールが女の憧れの職業だったとはぶっ飛ぶ。ただEVを上下するだけだよ。

 建築・土木作業員■私は人に見られる仕事が好きではない。街中でじろじろ見られ、作業服は独特だし、仕事はヨゴレるし、ハード・キケン、雇用形態や業界常識が独特だという感がする。日本の十人に一人は建築関係だということだが。バイトでも一度もやったことがないが、じつは私は高校の建築科を卒業している。

 ガードマン■近ごろやたらなんの意味があるんだろうというところにガードマンを見かける。つっ立っているだけの感もあるからラクそうにも見られるが、熱さ寒さ雨・夜間のときなんかツライんだろうな。

 ホワイトカラー■いったいなんの仕事をしているんだろう? 衆人環視とか声を聞かれる大部屋がいやだから、私は動き回れる仕事を好んできたが、イスに座って冷房のきいた部屋で仕事したいというのもある。男でも事務職で雇ってくれるのかな。

 調理師・ウェイター■私は食にぜんぜん興味がなかったから、食に関わる仕事につきたいなんて一度も思ったことがない。やっぱり食が好きな人がつくんだろうな。それとも食はだれもが食べるものだから安定性ばっちりということでだろうか。ファミレスや食堂でバイトしたことはあるが、熱い厨房で鼻血を出したり、手のついていない残り物を出したりとウラを知ってしまったこともある。

 フリーター■社会保険があるかないかの違いだけである。身分だという説もある。会社は保険をかけたがらず、若者もそれにまつわる拘束を嫌い、また間口の広さに引かれて安い労働力に甘んじる。会社はおおいにこの労働力に依存しておきながらオヤジと世間はなぜかれらを非難するのか。冷酷なビジネス顔と、思いやりのツラが、二枚舌になっているのだ。






   企業より人間を大事にする社会      01/7/3.


 この社会では企業より人間がぜんぜん大事にされてこなかった。企業が絶大な権力をもち、企業が思いのままふるまい、人間はすこしも力も自由も尊厳ももてなかったと思うのだ。

 もっと人間を大事にしなければならない。政治や法律はそういう方向に力をそそぐべきなのである。

 人間を大事にするというと、企業はいろいろ絡まり合っていて難しいと思うが、ともかく根本理念として人間の尊厳を踏みにじるようなものはいかなる企業活動においてさえ許されないといった断固さが求められるということだ。

 この国では人間の尊厳というものは二の次、三の次だった。まずは国家経済の拡大や企業利益の拡大が第一にもとめられた。人間の生活利益は企業利益の拡大と重なることが多いから、それが同一視されるようなことがあったが、企業利益と人間としての大事さは同一ではない。

 企業利益と同一視されてきたから、労働者は企業に囲い込まれ、企業に滅私奉公し、人生と時間をすべて奪われるという非人間的な目に会ってきた。政府や政治家はこういったことにぜんぜんメスを入れてこなかった。

 政府は経済規模の拡大が至上目的であるし、経済界にしろ、人間より企業利益を優先するのがとうぜんのことだ。この国の人たちは労働者としてずいぶん虐げられてきたのだが、そういったことを許してきたのはおそらく無知と無力のせいだろう。ほかの生活がのぞめるという想像力が欠如しているのだろう。

 われわれは専制国家に生きているのでもないし、独裁政権のなかで暮らしているわけでもない。民主政治の国に住んでいるのだ。われわれののぞみや要求は、政治家をとおして実現されるはずであり、実現されるべきシステムのなかに生きているはずなのである。

 人間より企業が大事にされてきたのは、経済優先を掲げた戦後の官僚システムや政治のなかで培われてきたのだろう。これらのシステムのなかには人間を大事にするという項目がないようだ。企業が対外的に害悪をまきちらす場合(公害病など)は大きな社会問題化してきたが、同じように企業内にも大きな害悪をまきちらすということにはまったく目をつぶってきた。

 冷戦という戦争は終わったのだし、近代化のキャッチアップも終わったのだから、いまこそ企業や経済を大事にするシステムは解体する潮時にきているのだ。企業はただでさえ巨大な権力をもつ機関であるから、政府はそれを支える側から、抑制・規制する立場に変わるべきなのだ。いつまでもこんな強大な権力を野放しにする非人間的なシステムがつづくようでは、民主政治の国を掲げるべきではない。さっさと専制国家か独裁国家の仲間入りをしたほうがよい。

 企業より人間がもっと大事にされる社会をつくってゆくべきなのだ。人間が企業に踏みにじられるような、いかなることもあってはならない、ぜひともそんな理念の国になってほしいものだ。

 企業より人間が大事だといっている政治家はたぶんいないだろう。共産党くらいがサービス残業はやめさせますといっているくらいだ。雇用を守ったり、賃上げを要求することが人間を大事にすることではないと思う。これは企業の力を強めるばかりだ。人間を大事にするというのは理念や共通信念として担われるべきものであり、その基本理念がすべてに優先されるような共通認識のことである。人間をなによりも大事にする――こんな当たり前のことがこの国はあまりにも欠如し過ぎていると思うのだ。






  ■しばらく、ぼんやり     01/7/10.


 スンマセーン、しばらくなにも考えず、ぼんやりしときまーす。暑いのと、お金がなくてほしい本が買えなくて考える気になれないことと、たまにはなにも考えず、のほほ〜んと過ごすのも悪くないと思ったからです。

 なにも考えないのもそれはそれなりのハッピーなことではないかとも思ってます。本をたくさん読んでもほとんど忘れるばっかだし、空白の時間に知識や考えることの価値というものも、もう一度見直すことができるかもしれません。

 またなにか考えたいこと、書きたいことがわきあがってきたら、復活すると思います。それまでしばらく、思索の休息期間にしたいと思いま〜す。ゴメンナサ〜イ。




モニター故障はなんとか免れていますが、
叩いて直す時間は長くなっております。
いつまでもつかわかりません。。。

ご意見、ご感想お待ちしております。 
   ues@leo.interq.or.jp




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