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考えるための哲学エッセー集
バックナンバー1999-1997



 大阪ホームレス・テント村報告 99/10/1.
 川と公園があるところホームレスのいないところはない大阪市の状況。

 「よい人」になりたかったことと、エラソーになること 99/9/23.
 「よい人」になりたければ、エラくはなれない。「よい人」は劣った人なのだから。

 富、栄誉、権力についての名言集 99/9/18.
 戦後の人たちは富、栄誉、権力を盲目の目標にしてきた。古人・賢者たちの戒め。

 ああ、無情! 芸能界の消えていった人たち 99/9/17.
 栄光と凋落。繁栄と没落。めまぐるしい芸能界へのレクイエム(鎮魂歌)。

 無銭旅行の『電波少年』にたくされた願望 99/9/14.
 日本のヒッピー的状況と会社から放り出されて漂流する人たちの姿。

 受験学力と大衆の教養軽視 99/9/11.
 学歴信仰の強い国の一般大衆のまれにみる教養軽視のギャップ。

 学校教育とはなんだったのだろうか…… 99/9/8.
 産業界にもまれて改めて思う。学問は職業にとってほんとうに役に立つものなのか。

 わたし自身の中の『ハマータウンの野郎ども』 99/8/31.
 学校に反抗的で職業にも醒めているイギリス労働階級の少年たちの生き方。

 自らの職業を肯定できないことについて 99/8/25.
 「いまの仕事は仮のものだ」とか「自分はもっと可能性がある」と思う人は多い。自らの仕事を肯定できないのは職業への軽蔑とか差別があるからではないのか。

 職業貴賎と軽蔑 99/8/21.
 刷り込まれた貴賎と軽蔑心に操られるだけでは心の平安と成熟は得られない。

 幸福のパラドックス――欠乏なくして幸福はない 99/8/9.
 欠乏や困窮、苦悩があってこそ、喜びや満足、幸福は感じられる。過剰にみたされた社会ではなんの喜びもありがたみもないという逆説。

 年齢差別について考える 99/7/31.
 なぜ企業の求人募集はだいたい30才までなのか。職務能力や適正以外の年齢や性別で判断するのは差別ではないのか。

 豊かさとは、働かなくてよいことではないのか 99/7/26.
 金やモノをたくさん貯めることを豊かさだとわれわれは勘違いしてきた。そのために働きづめの貧しい毎日と企業を恐れる気持ちだけを増大させた。

 60年代対抗文化への郷愁 99/7/23.
 信じられないくらい超堅実・保守的になった現代に比べて、60年代というのはなぜ、あれほどまでに批判的・懐疑的になれたのだろうか。

 ひたひたと忍び寄る経済の惨禍 99/7/11.
 中高年の自殺増とホームレスの増加、失業、リストラ、家庭崩壊。自分と関わりのない各個人や各家庭の問題だけにしていいのか。

 投げ銭システムから開けてくる個人の文化 99/7/7.
 HPのコンテンツはほとんど無料だが、いくらか金が稼げたら夢が広がるというものだ。

 500万貯まったら、なぜ遊んで暮らさないのですか? 99/7/2.
 労働は苦痛であり、労働から解放された余暇を楽しむために働くのではないか。労働が自己実現であり、人生であるという異常な国への質問状。

 平成不況にたたずむアリときりぎりす 99/6/29.
 アリは過労死のつぎにはリストラ。報われないコワ〜イ童話への反論。

 幸福の「歯止め」論 99/6/22.
 幸福は際限なく求められると不安と不幸と維持費が大きくなるばかりである。やっぱりどこかにそこそこでいいという歯止めが必要である。

 職業生活に自由はあるのか 99/6/20.
 われわれにほんとうの自由はあるのか。せめて自由への想像力を。(ポエムです(涙))

 「価値崩壊の時代」をどう生きるか 99/6/18.
 価値観が崩壊するさなかでも、新しい人生の目標やヴィジョンは生まれてきていない。旧来の生き方にしがみつくか、新しい生き方を模索するべきなのだろうか。

 つまんない生き方しかない世の中をどう生きてゆくか 99/6/11.
 カネや会社などの経済的価値でしか測れない社会はひじょうにツマンナイ。経済的安定も必要だが、ブレークスルーする生き方ものぞみたい。

 ホームレス激増とジョブレス社会に思う 99/6/5.
 失業者は増加の一途をたどり、公園はホームレスの難民キャンプと化した。これからこの社会やわれわれの雇用はどうなってゆくのだろうか。

 働かない者の幸いなるかな 99/5/27.
 経済的価値だけをめざす人にはほんとうの幸福や価値は訪れない。役に立たない価値のない人間にこそ、ほんとうの幸福や価値があるのではないか。

 貪欲を戒める道徳や宗教はどこへ行ったのか 99/5/24.
 金を儲けたり、出世したり、モノを際限なく消費しようとする貪欲な社会。かつての伝統的叡智はそれを戒めてきたのではないのか。

 中国市場化における優越と劣等 99/5/17.
 市場化が進む中で豊かな人と貧しい人たちが歴然としはじめた中国。豊かさというのは貧しい人たちに対する心理的な核弾頭みたいなものである。

 「産業主義に呪縛するもの」 99/5/14.
 われわれをやみくもに働かさせるいくつかの理由。

 「なぜ人より優れたり、勝ちたいと思うのか」 99/4/30.
 賞賛されることを強く望み、世間から見捨てられる怖れを強くもつ現代人。勝ち負けも賞賛される自己もいずれも「虚構」の満足ではないのか。

 「急激な凋落をもたらす日本的体質」 99/4/17.
 70年周期ごとに日本は急激な成長と凋落をくり返している。なぜ同じ過ちをくり返すのか、その体質とはどんなものか。

 「戦後の序列順位と幸福」 99/4/11.
 出世・金儲け、よい大学よい会社という価値観をわれわれはもう信奉していない。それでもこの序列順位がまったく変わらないのはなぜなんだろうか。

 「階級意識と恐れ」 99/4/5.
 現代では階級はあるのかないのかわからないが、漠然と恐ろしいものだ。しかしそれを怖れるとその価値観のヒエラルキーを堅固にするだけではないのか。

 「社会的劣位を怖れる心」 99/3/31.
 社会的優位をめざした競争から降りるといつでも社会的劣者のラベルを貼られる。この「怖れる心」から自由になり、カネやモノ、権力の奴隷とならないために。

 「人間を知りたいという漠然とした試み――ベストセラーからみる知の欲求」 99/3/24.
 「残酷な童話」ブームやカールソンの本から読むベストセラーの時代要因。

 「ビンボーはほんとうに「不幸」なのか」 99/3/23. オンライン雑誌「IceTea」6月号掲載
 「豊かな」現代のわれわれは受験戦争と労働主義に明け暮れている。「ビンボー」の時代のほうが気楽で気ままで自由ではなかったのか。

 「「貧乏」の誕生――中流階級社会における――」 99/3/17.
 なぜわれわれは貧乏をかつてないほど怖れるようになったのか。貧乏観念のほんとうの意味と起源を探りました。

 「大阪周辺自然探訪」 99/4/27.
 大阪周辺の山、風景、自然、沢をめぐっての探訪記。山々の風景は心を澄まし、川のせせらぎは心を洗い、自意識過剰なわれわれの仮面をはぎとってくれます。

 「会社に縛られる毎日はツライ!」 99/3/11.
 毎日毎日仕事に縛られて、こころとからだは疲労の蓄積でパンク寸前だ。変わらない労働至上主義にたいする批判。

 「変性意識状態とはなにか」 99/2/20.
 意識には日常意識と異なった高次の意識レベルがあるといわれる。高揚や歓喜とともに宇宙との一体感を感じるという意識レベルについての探索。

 「身体感覚についての暗中模索」 99/1/26.
 身体や感情の制御、悟りへいたるための身体感覚についての模索。身体感覚のなかに至福の境地があるのだろうか。

 「認知療法として読むトマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』」 99/1/10.
 聖書につぐ世界第二位の大ベストセラーを認知療法として読みました。心の平安にいたる安らぎへの認識の書き替え。

 「言葉と想像力の虚無」 99/1/1.
 言葉の虚構性と道具性、無謀な分断を忘れないために。



バックナンバー1998
  働くだけの日本社会を批判する


 1998年のエッセーは、わたしがずっと以前から抱いていた、働くだけの日本人の生きかた、社会に対する憤りに的を絞って書かれています。
 わたしは親の世代のように働くことと会社しかないような人生に恐れを抱き、そんな非人間的な生き方しかできない自分の将来に絶望感を感じていました。
 いつかこんな生き方、社会はわたしが社会に出るころ、きれいさっぱり、なくなっているだろうと思っていましたが、一向に代わる気配はありません。そう思いながら社会に出て10年近く、この経済社会はぼろぼろになったことに気づきました。

 われわれはこれまでのように働くだけの生き方や社会を維持してゆくべきなのだろうか。それともカネやモノ、世間体、仕事といった価値観を投げ捨てて、新しい生き方、価値観を模索するべきなのだろうか。

 カネだけのあわれな価値観をうちたてた戦後世代、団塊世代にこのエッセーを捧げます。




 「意識的自己と非意識的自己」 98/12/30.
 非意識的自己が人間の主体であり、意識の為せることはごくわずかだ。だれも意識して心臓を働かせたり、髪を伸ばしたりすることはできない。

 「98年 知の収穫ベスト10」 98/12/23.
 98年に読んだ書物のなかからベスト10をピックアップ。『清貧の思想』『菜根譚』『陶淵明全集』『日本の終わり』『寂しい国の殺人』etc

 「欲望社会と賢者にみる人間の品位」 1998/12/4.
 かつては欲を捨てることによって人々の称賛が集まる時代もあった。そのような生き方から浮き彫りにされる現代人の卑しさ。

 「陶淵明の隠遁と脱俗について思う」 1998/11/15.
 世俗を断って清貧と心の平安に生きた隠遁詩人・陶淵明。このよい詩から世俗と隠遁について考えます。

 Photo Essays「自然が語りかけるもの」 1998/11/7.
 疲れたとき、ほっとしたい一瞬に、風景写真と随想が心を爽やかにします。

 Photo Essay「心象風景紀行」 1998/10/25.
 ネイチャーフォトとエッセイによる心の癒しへの誘いです。

 「漂泊の人生に癒しを求めて」 1998/10/12.
 世俗や財産を捨てて漂泊や流浪に生きたかつての日本の賢者たち。そのような捨てる生き方に人生の究極の心の安らかさがあるのではないだろうか。

 「孤独への疾走――ショーペンハウアーの社交論」 1998/8/24.
 画一化させる社交や集団からは逃れたいが、集団からの孤立もとてもツライ。集団からの逃走をはかったわたしの苦労と苦闘の変遷です。

 「ヘンリー・ソーローの省エネ労働観」 1998/8/15.
 人生を社会に売り払うことを拒否し、自由な生を送ろうとしたソーロー。多くのモノを求めなければ、そんなに働かなくてもいいのではないのか。

 「生活保障という恐れが未来の牢獄をつくりだす」 98/8/4.
 われわれが求めてきた生活保障が逆にわれわれの人生を拘束し、束縛する。決まりきった人生コース、牢獄の人生をつくりだしたのは安定への恐れだ。

 「上からの制度化と自分から変わろうとしない日本人」 98/7/21.
 会社や国家から与えられるお仕着せの人生ではもう幸福になれない。みずからの好みと楽しみに合った自分の人生を生きてゆくべきだ。

 「リチャード・カールソンの本が売れているそうだ」 98/7/6.
 『小さいことにくよくよするな!』という本が売れている。世界を変えることから心を変える時代に変わるのか。

 「平成不況について思うこと」 98/6/20.
 長期の深刻な不況はとどまることを知らず、螺旋状に落ちてゆくばかりだ。先行き不安におそわれるわれわれの社会意識はどうなってゆくのか。

 「ヤメられないトメられない暴走日本人に必要なストッパーとは」 98/6/1.
 従順な人間ばかりでは社会は集団暴走を食い止められない。死の行進をつづける日本人に必要なのはどのようなものか。

 「平等とはほんとうにいいものか」 1998/5/24.
 平等は高貴さや名誉といった人間の尊厳を破壊してきたのではないか。人間の自由な生き方や価値観、評価や称賛のモノサシを奪ったのではないか。

 「「理想社会」というパラドックス――中川八洋『正統の哲学異端の思想』私感」5/12.
 平等や進歩という過去の破壊が全体主義体制への道をひらくのか? 伝統や権威にこそ自由の砦があるという保守主義を考えてみました。

 「モノ貧乏/時間貧乏――「暇であること」の復権を!」 98/4/29.
 多忙なビジネスマンは貧困者であり、ホームレスはリッチマンだ。暇な時間を至上価値においた価値軸では、優劣順位が大逆転だ。

 「人類は海から生まれた?」 98/4/27.
 水中での生活が類人猿から人類への進化を導いたのか、ちょっと検討。

 「豊かになればすべての問題が解決すると思っていた親たちの貧しさ」 98/4/19.
 少年たちの犯罪化に大人たちが衝撃を受けている。富のためにキバを抜かれて隷属している大人たちへの報復だ。

 「アンチ上昇志向!」 98/4/15.
 消費生活も、組織での上昇も頭打ちだし、上昇志向はもうしんどい。上をめざさず、足るを知り、欲をすくなくしたほうがラクで楽しい?

 「旧い価値観と勤勉の強制力はなぜなくならないのか?」 98/4/5.
 もはや会社や経済がわれわれに幸福や希望をもたらす時代ではないのに、なぜ勤勉を強制する旧い価値観や会社絶対主義はなくならないのか。

 「企業社会で生きるということ」 98/4/1.
 働くことや会社勤めの目標や価値観がいまだにわたしにはわからない。グチやら批判やら閉塞状況などをうだうだと書き連ねています。

 「見えない規範、見えない言葉のタブー」 1998/3/13.
 本当の規範はまるで口にされないし、言葉は多くのタブーに覆われている。見えない規範や本当の社会の姿を暴き出すことがまず必要なのではないか。

 「ビッグバンが必要なのは国営品の人生だ」 1998/3/8.
 日本人は「よい学校に入って、よい会社に入って」という生き方しかできない。これはまさに社会主義国の国営品の人生ではないのか。

 「「会社」という日本人のただひとつのよりどころ」 1998/3/4.
 会社に所属することでしか世間の承認を与えられなかった日本人。近代化の終焉という事態に立ち向かえないゾンビの大人はどうあるべきか。

 「わたしがのぞむ生き方と社会」 1998/3/1.
 わたしはどのような生き方ができる社会になってほしいか。 自由な生き方と全体への自己犠牲を強いらない社会になってほしい。

 「諸悪の根源――法人優遇社会と言語化されない社会」 1998/2/20.
 どうやら企業至上社会の根本には法人優遇制度があるようだ。言語化されない社会も、過ちや失敗を正せない社会の原因だ。

 「なぜ個人はだれにも守られないのか」 1998/2/17.
 なぜ個人は企業の暴虐から守られないのか。個人がおとなしくなり、政治や司法が無力化したのはなぜか。

 「事件主義批判」 1998/2/7.
 コトが起こらないと問題にならないニュースは、ちょっとオカシイ? モグラが出てきたのはモグラ叩き機械からであって、モグラのせいだけか。

 「規範なき、あなたまかせ日本人の悲劇」 1998/2/5.
 日本人からなぜ規範や規律が失われ、アノミー社会になったのか。規範が、官僚や政治、マスメディアなどに専門委託されたからではないのか。

 「うれしい出版社、ザンネンな出版社」 1998/2/2.
 出版社や文庫についていろいろ言いたいホーダイ。

 「集団依存型のアノミー日本人はなぜ生まれたのか」 1998/1/28.
 日本人は社会の与えるものに疑問を抱かず、そのまま受け入れる。なぜ日本人は大人になれず、社会をアノミー状態に陥れたのか。

 「利己心・道徳・経済的繁栄」 1998/1/25.
 こんにちの利己的な経済的繁栄は、道徳的崩壊をもたらしてしまった。非人間的な市場論理だけで生きるのは、人間としてよいことなのか。

 「有閑立国――時間をたのしむ国への転換」 1998/1/13.
 閑暇をふやせば、未来産業が繁栄する。モノを買うには時間はいらないが、ソフトを楽しむためには時間が必要だ。

 「私利私欲と戦後の経済成長」 1998/1/10.
 勤勉な会社勤めも、じつは私利私欲の追求にしか過ぎないのではないか。金儲けの私利私欲を、若者たちはひそかに軽蔑しているのではないか。




 バックナンバー1997経済社会の崩壊、消費社会の終焉、 思考という虚構
                  





 Goodbye Little DADDY's Town――社会批判と迷いの浜田省吾論」  1997/12/28.
 さよなら、アブラとカネと腐敗にまみれたちっぽけなオヤジの街――。若者の心の叫び声を代弁した浜田省吾の唄を聴け。

 「のんびりした、ゆたかな社会の実現」 1997/12/13.
 江戸時代の町人は一日にたったの4時間しか働かなかったという。暴走「生産マシーン国家」から、もっとまともな社会を構築しようではないか。

 「勤勉と享楽と経済的繁栄」 1997/12/7.
 勤勉でないとモノはつくれない、享楽でないと経済は繁栄しない。勤勉な価値観を嫌っているわたしはどう考えればいいのか。

 「サイアクの職場環境から」 1997/11/9.
 転職したカイシャが長時間残業のサイアクの職場でした。 Help Me!な惨状をチクってやります。ついでにわたしのフリーター経験も。

 「カッコいい人がいなくなった――カッコよさから未来を探る」 1997/11/3.
 人間はカッコよさに憧れて、社会や歴史を動かしてきたと捉えることができる。これからのカッコよさから、未来をみいだすことができるか。

 「日本人はこれからなにをめざすのか」 1997/10/27.
 消費社会の終焉のあとに、日本人はいったいなにをめざすのか。

 「消費マインドの落ち込み」 1997/10/19.
 げんざいの消費低迷はなぜ起こっているのだろうか。物質消費社会や企業社会にたいする無言の抵抗なのだろうか。

 「暴力と騒乱の時代がやってくるのか――鈴木啓功『国家の終焉 国民の逆襲』を読んで」 1997/10/5.
 国会議事堂が爆破されたり、国民が反乱をおこしたりと、物騒な予測がされている鈴木啓功の著作の感想をのべています。

 「会社はなぜこんなにつまらないのか?――親のようには生きたくない――」 1997/9/24.  
 親のようなサラリーマンにはなりたくないという若者が増えている。若者にとって会社はなぜこんなにおぞましく、つまらないのか、分析しています。

 「全自動分業社会の虚しさ」 1997/9.
 便利で機能的なこの社会はとても魅力的だが、道具のような自己の価値観に虚しさを感じざるをえない。虚しさの理由を分析しています。

 「目的なき時代の働く意欲」 1997/8.
 社会は経済や消費での目標をなくしてしまった。若者たちは働く意欲をもちつづけ、社会機能を維持しつづけられるだろうか。

 「戦後日本社会の危機」 1997/7.
 現在の経済危機は、日本社会の危機なのではないのだろうか。企業にすべてを奪われた社会の帰結ではないのだろうか。

 「マザコン男、社会保障制度、官僚支配」 1997/7.
 保障や保護をもとめるわれわれの心がマザコン男を生み出し、そしてそれが自由主義経済の精神を失わせるのではないだろうか。

 「日本経済社会崩壊のとき」 1997/7.
 経済大国になったこの社会は大きな目標も夢も喪失してしまった。人間をひきずり回すこの経済システムは、結局は崩壊してしまうのではないだろうか。

 「書物の現実、テレビの現実、マンガの現実」 1997/7/10.
 書物の権威がこれまでの社会をつくってきたが、それは計画・予測に閉じ込められた牢獄をつくってしまった。テレビやマンガはこれを打ち破れるか。

 「もし学校教育をなくしたとするのなら」 1997/7.
 自殺者と殺人者の出る学校はもうすでに監獄以外のなにものでもない。これいじょう、犠牲者を出さないためには学校を解体するしかない?

 「われわれはなんのために働くのか」 1997/6.
 なぜわれわれは人生の大半の時間を労働に奪われるのだろうか。

 「経済、仕事、会社の価値観をひき下げろ」 1997/6.
 戦前の軍国主義と同じように、経済だけに偏重してきた現代日本社会を批判します。



    
 『思考は超えられるか 第一部』 1997/6.
 思考とは恐怖や悲しみをもよわせる原因ではないのか、それを捨てれば、その苦悩や苦痛から解放されるのではないかといったことを考えています。

 『思考は超えられるか 第二部』 1997/6. 
 思考が自分を傷つけていることや、他人や時間、視界は「虚構」ではないのか、といったこと、クリシュナムルティ、ケン・ウィルバーが紹介されています。

 『思考は超えられるか 第三部』 1997/6.
 呼吸や筋肉が悪感情や悲観的な気分を規定してしまうのではないか。無意識の筋肉や呼吸をコントロールする方法はないのか。(継続中のハズ?)



 「祝! ホームページ開設記念エッセー」 1997/12/6
 わたしはなぜホームページを開設するのか、どのようにしてホームページはつくられていったのか――舞台裏の紹介です。


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1999-1997


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 「ヘンリー・ソーローの省エネ労働観」 1998/8/15.

 「生活保障という恐れが未来の牢獄をつくりだす」 98/8/4.

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 「「会社」という日本人のただひとつのよりどころ」 1998/3/4.

 「諸悪の根源――法人優遇社会と言語化されない社会」 1998/2/20.

 Goodbye Little DADDY's Town――社会批判と迷いの浜田省吾論」 

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