99年春、どんな本がおもしろいか
ほか
1999/4/19更新
石川結貴『ブレイク・ワイフ』 扶桑社 99/4. 1333円
ブランドやらキャリアウーマンやらあんなにちやほやされた女性たちが家庭の中に
入って、ずっと家事だけの生活に終始して我慢できるということにわたしは違和感を
感じずにはいられない。ほんとうにこんな生活だけで耐えられるのか、いつかバクハツ
するんじゃないかと心配になってしまう。「わたしの人生はこれで終わりなのか」と
思いはしないだろうか。「もう一度」と思いたくもなるものではないだろうか。
いろんなことを諦めたり、自分の限界を知ることが人生というものかもしれないが、
彼女たちの人生はあまりにも落差が大きすぎる。いや、じつはこういう人生こそがまともで
若いころに踊らされた女性およびわたしの心持ちが愚かなのだろうか。人生というのは地味で、
華やかさは速やかに去り、すぐに次の世代の生誕へと準備するだけのものなのだろうか。
個人の人生や幸福にあまりにも思い入れを強くし過ぎた生は、世代のバトンタッチという
人間の営みにしっかりと収まり切ることができない。
マンションや隔絶された地域社会での孤独な主婦たちの悩みは培養されてゆく。
豊かで効率的な社会が生み出したものは、孤独な苦悩のみだったのか。
中西輝政『なぜ国家は衰亡するのか』 PHP新書 98/11. 657円
文明の衰退論は94、5年あたりにたくさん読んだ。大恐慌が来るという本に煽られて、
この先どうなってしまうのかと不安になってしまったからだ。だけどそんな大げさなパニックは
やってこなかったし、いつしかほかのことに興味は移って文明論は読まなくなっていた。
まあ、いまは衰亡より、その逆の繁栄がそんなによいことなのかという気持ちが強いから、
べつに衰退したってどうでもいいやという気もちがする。衰退のモノサシや視点そのものの
前提こそがわたしには疑わしい。国家の繁栄と個人の幸福はほんとに正比例するのか。
それでもこの本を手にとったのは、やはり文明論の興味の体質は残っていたからだと思う。
ひじょうに興味の魅かれる本だし、国家の興亡を巨視的にながめられる。
日本の短期の繁栄と急激な凋落に問題を感じたので、その体質を批判的に
考察してみました。エッセー「急激な凋落をもたらす日本的体質」へ。
大前研一『サラリーマン・サバイバル』 小学館 99/1. 1500円
過去との訣別、これからのビシネス社会で生きてゆく勇気をこの本は与えてくれる。
けれどもビジネス書の興奮は一日や二日でその効果は薄れ、いつもとまったく変わらない
毎日の中に埋もれてゆくことになる。やや皮肉な目で見るとビジネス書というのは、
現実の日常生活からかけ離れた自己啓発の麻薬みたいな気がしないわけではない。
企業とか日常はまったくウシのように不動で変わらないものだ。わたしは何度も変わる変わる
と煽るビジネス書の興奮から醒めた経験をもっているので、そう思わずにはいられない。
ただし、この本はひじょうにおもしろいし、これからの時代とこれからどう生きていったら
いいかということが明快に示されていて、勉強になることはまちがいなしだ。だけど……。
藤岡喜愛『イメージと人間 精神人類学の視野』 NHKブックス 74/8. 773円
イメージ療法が精神を癒してゆくという不思議さについてとても興味を魅かれるのだが、
あまりそれについての本はなく、この本は人類学や生態学まで視野を広げていて、
う〜ん、そこまで興味は広げられない。
スコット・リン・ライリー 宮崎伸也=編『東方の知恵』 角川文庫ソフィア
99/3. 952円
アジアからインドの写真集にのせられた東洋の古典の言葉がとてもよい。
タゴールやブッダ、老子、大乗仏典のことばは、このアジアの風土の上において、
その深みと意味合いを増してくるように思われる。ただわたしにはこの写真集は
かなりふつうの日常を写し撮っていて、「ひたすらにスサマジイ現実」をのぞむわたしにとって
物足りなく思わないでもないが、この写真家はそういう表層的なことは批判しているらしい。
わたしはまだまだ浅い。
内田隆三『さまざまな貧と富』 岩波書店21世紀問題群ブックス 96/3. 1500円
中国古典とか仏教を読んでいると貧乏は古来ほめたたられてきた歴史があるのに、
現代にとっては羞恥や怖れの対象でしかない。「貧困」がおとしめられてきた理由、または
その歴史を知りたいと思ったのだが、あんがい富や貧困意識の変遷史といったものはない。
この本は「貧乏物語」からの章がすさまじい。『飢餓海峡』や『人間の証明』といった物語の
なかに戦後の日本が背負わなければならなかった貧困の記憶に戦慄を感じた。
あと、銘記しておきたい箇所は、一家心中は日本の伝統ではなく、大正末期のそれまでの
相互扶助システムが崩壊しだしたころから流行しはじめたとか、われわれが消費や生産を
際限なくおこなわなければならないのは破綻を回避する産業システムのためだとか、
自己実現とか心理的成長というのはけっきょくは資本主義の病理ではないかということだ。
渡辺昇一『ハイエク――マルクス主義を殺した哲人』 PHP研究所 99/2. 1429円
うんうん、たしかにハイエクはすばらしい賢者である。人間性と社会の卓越した洞察力は
人類の知的遺産と呼ぶにふさわしい。ハイエクはたんなる経済学者ではなく、人間性の
心理についての鋭い観察眼をもっていたから、計画経済や社会主義の危険性を見抜いたの
だろう。何百万人もの人々の福祉や幸福は、ただ一つの物差しで測れるものではないという
ハイエクの指摘は、世間のたったひとつの価値基準を押しつけられ勝ちなわれわれにとって、
とても救いになる言葉だ。経済統制はそのようなただひとつの幸福と価値順位を押しつける
のである。われわれの日本社会は長らくそのようなたったひとつのモノサシの土壌で
汚染されてきた。そのような社会で生きる不幸や息苦しさはわれわれ自身がいちばん
よく身をもって体験しているのではないだろうか。たとえば偏差値や学歴、富や階層などだ。
社会保障や福祉国家も人間性を破壊する。経済というのはまったく人間そのものである。
特権や利権、保護や補助が与えられると人間は腐る。まことに腐りやすい。政治では
票集めの福祉のばらまきがおこなわれているが、これからの後遺症が危惧される。
橋本治『貧乏は正しい! ぼくらの未来計画』 小学館文庫 96/5. 552円
いままでの世の中はどんなものだったのか、なにが起こってきたのか、というわたしの
興味とぴったりと重なる内容を書いていて、この本はとてもおもしろい。一巻だけを読んで、
あいだの3巻は飛ばしてしまったが、あまり興味をひかれなかったからだ。それにしても
この本は世間知らずの学生および社会人が世に出るためのひじょうによい教科書になる。
80年代に起こったこと、サラリーマンとホワイトカラー、会社、産業革命といったこの世の
出来事は知っているようで案外知らなかったりするので、ひじょうによい世界の見取り図に
なる。少し違うんではないかという説明もないわけではないが、これだけ世の中をわかりやすく
説明しようとするとどうしても捉え方が違ってくるのだろう。労働者や会社、産業革命の
説明に欠けているところがあると思ったのは消費者の観点の欠落であるようだ。
安部昭『江戸のアウトロー 無宿と博徒』 講談社選書メチエ 99/3. 1700円
「アウトロー」とタイトルがつけば、思わず新刊のこの本を買わないわけにはゆかないが、
かなり地道な無宿についての実証的研究だったので、混沌とした世の中を変えてゆくような
アウトローのパワーはこの本からは読みとれなかったのが残念である。既成秩序から
脱け出す無宿というかれらの存在は、ひたひたと押し寄せる世直しの息吹を感じさせる。
小林道憲『宗教をどう生きるか 仏教とキリスト教の思想から』
NHKブックス 98/11. 1160円
仏教の一滴の水の中にも全世界が宿っているという世界観が説明されていて、
意外にこのような世界観を知る機会が少ないので、参考になった。
ただ、けっこうこの本は難しいのだろう、読みすすめるのはちょっとしんどい。
ジークハルト・ネッケル『地位と羞恥 社会的不平等の象徴的再生産』
法政大学出版局 91. 4300円
恐れや恥ずかしさといった感情は個人にとっては害をおよぼし、むだなものである。
それなのになぜ感情があるかというと、社会規範や慣習を守らせるためにあるようである。
生得的にあると思われていた感情も、じつは社会規範を遵守させるための装置なのである。
では羞恥とは? 羞恥は地位秩序を守り、地位誇示をあらわにする戦略である。
そういったひじょうに興味ある地位と羞恥について考察した本書は、サルトルやフーコー、
ジンメル、エリアス、セネット、ブルデューといった社会学者を批評しながら論じているのだが、
だいぶ難解でわたしにはなかなか得られるものが少なかった。いやはやひじょうに興味ある
テーマをあつかっていて残念であるが、このような羞恥への考察は社会的権力からの
やみくもな拘束から逃れられる洞察をわれわれに与えるきっかけになるだろう。
それにしても法政大学出版局の本は高い! 装丁を薄っぺらなものにして安くできないか。
田嶌誠一『イメージ体験の心理学』 講談社現代新書 92/9. 700円
イメージとは何か――この本を読んでいると強烈に問いたくなる。
イメージとは思考の初期段階であると思うが、思考より身体と密接に絡んでいる。
不思議である。何なんだろうな、イメージというのは。
イメージはそれを用いて症状や悩みの解決をはかることもできる。
イメージ療法の過程を読んでいると、ほんと、イメージというのは何かと疑問がわきあがる。
自分ひとりだけで考えるのも難しい、考えようたってなにから考えればいいのかも
わからない、本屋を探しても見つからない、う〜ん、行きづまりだ。
五木寛之『大河の一滴』 幻冬舎文庫 98/4. 476円
タイトルがいいので気になっていたのだが、もう文庫本になったのか。
五木寛之はテレビに出ている文化人のなかでもとくに現代の危機をひじょうに
真摯に捉えている人だと思う。あと村上龍もそうだと思う。
この本を読んでいるとじんわりと現代人の生き方、価値観に対する批判や反省を
感じさせられる。ネガティブであってもいい、価値がなくてもいい、期待しないで生きる、
といった、五木寛之の日常の人生経験からわきあがってきた言葉であるからこそ、
心に染みわたる。心にしっとりと降りてくるよい本ですね。
オバタカズユキ『何ノ為ニ働クカ』 幻冬舎 98/10. 1200円
『デューダ』連載中からけっこうこの人に注目してきたのだが、というのはなんといっても
職業観・会社観といったものが現代の若者にひじょうに近いと思うからだ。
またわれわれの人生コース上にあり、まったく日常的なことなのにあまり議論も話題にも
されない「働ク」ということ、「カイシャ」ということに真っ向からとりくんでいる貴重な人だからだ。
ホント、この社会は信じられないほど「働ク」ということに関して議論がなされない。
「働ク」ということに関してもっと考えないことには日本人には「豊かな人生」は絶対
訪れない。そんなことを考えずに時流と社会に合せる生き方のほうが絶対に安全だ、
というのが圧倒的だと思うのだが、そりゃそうであるが、こんなに勇気がなくなったのは、
やっぱり豊かな生活を捨てるにはあまりにもメリットがなさ過ぎるということか。
生まれたときから守りに生きる豊かな世代はおそらく人生も希薄になる。
その透明さから逃れようとしたとり組みが猿岩石とかドロンズの貧窮旅行なのだろう。
カール・グスタフ・ユング『自我と無意識』 第三文明社レグルス文庫 1928. 800円
ユングの文章を読むのはわたしにとってははじめてであるが、さすがに才知に富んだ文章を
書くなという感はしたのだが、内容的にはあまり印象には残らなかった。
下條信輔『<意識>とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤』
講談社現代新書 99/2. 680円
ズバリ、ひじょうに興味あるタイトルをつけた本なのだが、知覚心理学、認知科学から
捉えられた意識というのはわたしには馴染みが薄く、けっこう難しい。
それでもすべての知覚の瞬間に過去が凝縮されている「来歴」の考え方や、環境と脳は
つながっているという考え方などがつぎつぎに紹介されていて、この本はなかなか
知的スリルに富んでいる。
久保田展弘『山岳霊場御利益旅』 小学館ショートトラベル 96/8. 1460円
山に登っているとなんでこんなところに、という寺や修験道の跡があったりして、
なんとなく山々に抱いてきた人々の神秘的な気持ちを知りたくなる。
この本では全国の信仰の山々が写真を多用されて紹介されている。
恐山、白山、富士山、比叡山、高野山、吉野、熊野といったところだ。
人々が山々に抱いてきた神秘的で荘厳な気持ちといったものは、
そういった信仰から断絶されたわれわれにとって不可思議なものであるが、
じっさいに山々や自然のなかにいるとそういった気持ちがわからないでもない気がする。
湯浅泰雄『宗教経験と深層心理』 名著刊行会 64(旧版). 3000円(古本)
湯浅泰雄のはじめての著作であるそうだが、自我についての哲学問題はさっぱり
理解できなかった。「宗教経験と深層心理学」という章では精神鍛練に関するさまざまな
瞑想(イメージ主体)が説明されていて、参考になった。
山鳥重『脳から見た心』 NHKブックス 85/6. 874円
脳からみた心
脳の障害からおこる言葉や知覚の異常をおこした実際の例がいくつも語られている。
物の名前がいえなかったり、図形が知覚できなかったり、記憶できなかったり、
われわれの当たり前にこなしている言語・知覚・記憶作用が壊れたとき、
どのような不可思議な異常がおこるかということを知ることは、われわれが知らず知らずの
うちにこなしている言語・知覚作用のはたらきを意識化することでもある。
でもそれ以上のことは無意識のことだから概念化するととたんに難解になる。
河合隼雄『無意識の構造』 中公新書 77/9. 660円
瞑想とは無意識を目覚めたまま経験する訓練という湯浅泰雄の指摘によって、
無意識とはどんなものかという問いに興味をもったのだが、ユングの無意識の概念とか、
どうも膜をはったように実感が薄い。
高橋巌『神秘学講義』 角川選書 80/3. 1400円
わかりやすく、やさしく書かれており、なかなかおもしろい本である。
意識とはどのようなものであるかという説明や、シュタイナーの魂の行については
ためしてみる甲斐がありそうである。
アンリ・セルーヤ『神秘主義』 白水社文庫クセジュ 1956. 951円
世界の神秘主義について学ぼうと思ったが、ほとんど興味をひかれた箇所がなかった。
どうもわたしはこの文庫クセジュと相性が悪い。
ウィリアム・ジェームズ『宗教的経験の諸相』 岩波文庫 1902. 上下各800円前後
さまざまな本に引用が目立つ宗教心理についての古典的名著である。
いろいろな人の心理過程の引用が多く、苦悩多き人のための人生論のようでもある。
読むのにかなり時間のかかる本だが、宗教的世界に生きる人たちの心のなかを、
垣間見るのはそうないので、なかなかよい知見ができる。
スペインの神秘主義者聖ヨハネの言葉を引用します。
「最も容易なことへではなく、最も困難なことへ……より多くを望むのではなく、
より少なく望むように……何物かを望むのではなく、何物も望まぬように……
このような心の放棄のなかに、心の平安を見出す。……心の欲望だけが、
心の苦悩の唯一の原因だからである」
どの宗教でも語られている心の原理をまたここにもみいだした。
湯浅泰雄『気・修行・身体』 平河出版社 86/11. 2369円
「東洋的心身論と現代」という章にとくに学ぶべきものが多くあった。
さまざまな修行方法を紹介したり、瞑想は無意識を目覚めたまま自由に経験する訓練、
日本武道の精神性は武士が権力を掌握した歴史の結果、とかおもしろかった。
さいきん、けっこうこの湯浅泰雄という人の著作を読むことが多いのは、
西洋的言語が抜きんがたく自分のなかに沈殿したわたしにとって、
西洋的まなざしで東洋思想を捉えようとする姿勢が共通するからだと思う。
日本の伝統的な仏教について書かれた本はどうも興味がひかれない。
道徳やキレイ事を大げさに並べ立てているだけに見えてどうも敬遠したくなるし、
心理や意識についての客観的探究の度合いが薄弱であるからだ。
西洋的フィルターを通さないとどうもわたしに得ることがない。
品川嘉也『気功の科学』 光文社カッパサイエンス 90/1.
宇宙感覚を体感する気功を科学的にのべた本であるが、別にどうってことない本だ。
高橋たか子『意識と存在の謎』 講談社現代新書 96/8. 650円
意識の探究についての図式を多用したなかなか深いものがありそうな本だが、
なにかを得られたとは言いがたい。
心理学的用語に徹すれば、もっとよかったかもしれない。
ルドルフ・シュタイナー『神秘学概論』 ちくま学芸文庫 1909年 1.300円
なんなんだろうな、この世界は?
われわれの一般常識ではほとんど理解できない世界が大マジメに論理的に
語られてゆく。
スウェーデンボルグの霊界も同じような科学的姿勢で叙述されているから混乱してしまう。
土星紀、太陽紀、地球紀などの進化の過程はさっぱり理解しかねる。
科学的世界観を払拭できたなら――この世界観も壮大なフィクションにほかならない
――このような世界観もリアリティをもつことができるのだろうか。
W・B・キャノン『からだの知恵』 講談社学術文庫 1932. 1050円
ホメオステーシス(恒常性維持)について語った本であるが、
自分の興味の薄さから驚きも発見もなかった本である。
鎌田東二『身体の宇宙誌』 講談社学術文庫 94/6. 1050円
「神秘体験と身体」の章は興味ひかれたが、あとの身体と神話の章については
ちょっとなにを言おうとしているのか興味がひかれなかった。
臨死体験と宇宙を超スピードで飛ぶ感覚、全知全能感っていったいなんなのだろうな。
宗教の悟りというのはこの状態になることをめざしているのだろうか。
修行において、頭部を神や霊に結び付ける人間神化の方法と、無念無想、心身脱落によって
人間自然化の方法があるという分け方はおもしろい。
村木弘昌『丹田呼吸健康法』 創元社 71/12. 1600円(サンマーク文庫にも収録)
人体のしくみを西洋医学的見地から説明してくれるこの本はひじょうにありがたい。
呼吸や心臓、血液や消化器系などのはたらきとか役割について案外知らない。
この本では生体の調和という言葉をつかってからだのさまざまなはたらきを説明してくれる。
呼吸の重要性は一分たりとも欠かすことのできない酸素の供給をおこなうからであり、
また心臓や血液の循環もおこなうからということだ。
胸呼吸ではそれらが全身にくまなく行き渡らないし、とくに腹圧による呼吸が
おこなわれないと下半身への血液循環がとどこおる。
つまり丹田式呼吸は血液や酸素の供給、炭素などの不要物の除去を、
心臓のはたらきだけではなく、深い呼吸によって助けることになる。(協調するわけだな)
人体のしくみについてわたしはまったく無知だったし、この本を読んだあとでも
案外それぞれの器官のはたらきをよく覚えていないのでもう少し勉強が必要だな。
湯浅泰雄『宗教経験と身体』 岩波書店 叢書―現代の宗教4 97/1. 1545円
臨死体験における体外離脱とかあの世体験についての本を読むといつも
強烈な疑問にさらされるのだが、真か偽の判断なんてまるでできない。
ただわたしは死後の世界のリアリティーをいっさいもたない人間なので、
脳内現象説の可能性が残るが、この臨死体験は宗教の悟りと酷似するし、
そのような状態をめざしたかずかずの宗教家たちの歴史があるわけだから、
まったくは無視できない問題である。
身体は見える身体のほかにどのような身体あるいは感覚を蔵しているのだろうか。
吉本隆明 梅原猛 中沢新一『日本人は思想したか』
新潮文庫 95/7. 514円
「仏教的なるもの」に魅かれるから、この三人の思想家たちが仏教の歴史的なことに
ついてどう見ているのかと思って読んでみた。
うーん、あまり興味魅かれる対談はなかったな。
河野十全『気の神秘』 サンマーク文庫エヴァ・シリーズ 85. 550円
からだを物質だけではなく、気としてとらえる見方についても知りたかったので、
この本を読んでみたが、ずっと「まえがき」がつづくような感じで、「なぜか」という
納得できる説明が物足りなかったように感じられた。
西村惠信『夢中問答』 NHKライブラリー 98/4. 870円
夢窓国師の禅門修行についての問答集である。
心を浄化するための方法がいろいろのべられている。
空や幻と説かれたものはすべて方便であるということを覚えておきたい。
けっきょく、観念や言葉で捉えたものは究極の真理ではないということか。
服部正明・上山春平『認識と超越<唯識>』 仏教の思想4 角川文庫ソフィア
70. 800円
世界は心が生み出したものにほかならないという興味ある唯識についての本だが、
唯識の重要な経典にはどのようなものがあるかとか、なにが問題にされてきたか、
などいろいろわかるが、内容はしごくむずかしい。
心が妄りにはたらくから外界・知覚が発生するという考え方は、
日常の知覚に慣れ切っている自分にとっては驚くほかない。
藤原新也『西蔵放浪』 朝日文芸文庫 95/7. 1000円
ガンジスの中洲に流れつく人間の死体しか食べない犬のエピソードは
ひじょうに壮絶だった。
あと、僧たちもたんに退屈きわまりない日常の生活を送っているとか、
チベット山壁のバスの何十倍もあるむきだしの地層の写真がすごかった。
栗田勇『白穏の読み方』 祥伝社NON BOOK 95/10. 857円
白穏という人は丹田呼吸法を説いた身体についてくわしい人らしいので、
この本を読んでみた。
読ませるのがなかなかうまいおもしろい本であるが、呼吸法の重要性について
頭をがつんとやられるような認識の転換はもたらされなかった。
湯浅泰雄『身体論 東洋的身体論と現代』 講談社学術文庫 77. 971円
貴重な東洋的身体論であり、興味ある記述は多かったのだが、メルロ=ポンティや
ベルグソンの西洋身体論はかなりむづかしく、あまり印象にのこっていない。
ひとつ驚いたのはベルグソンがいう知覚には記憶や意味が浸透しているという説で、
これは仏教の唯識のいうところの誤った過去の心の習慣性が知覚をつくりだしている
という教えと同じであるということである。
ご意見お待ちしております。 ues@leo.interq.or.jp
「99夏に読んだ本」
「98-99冬の本 東洋的心の平穏―中国人の達観―仏教」
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