99年秋に読んだおもしろい本
テーマ職業と学校ほか


1999/11/15.更新 新着順です。



 吉村昭『海も暮れきる』 講談社文庫 80/3. 380円(古本)

   

 漂泊の俳人尾崎放哉の伝記的小説である。放浪の自由な生というものを知りたくて読んだのだが、この小説は放哉の最期の地小豆島に渡ったころから書き始められており、終わりのほうではほとんど肺結核の病状日記になっていき、これはたまらんと思った。

 庵の空きを探したり、知人友人に金の工面をたのむあたりは山頭火とひじょうに似ており、俳人というのはこういう運命を迎えざるを得ないのだろうか。寺に寄宿する人間は食うために仏教を利用しているのかもしれないという言葉は、少しあったわたしの甘え心に刺さった。




 櫻木健古『人間における自信の探求』 ワニ文庫 80. 400円(古本)
 『大きい人間』 ワニ文庫 78. 490円(古本)

  人間における自信の探求―信じるに価する自分を発見するために
  大きい人間―いつも泰然と生きる心

 人間の相対的な価値観を超えるという本はなく、しかたなく櫻木健古の本に帰ってきた。こういうことをいっているのはこの人くらいしかいないのだろうか。

 『大きい人間』ではガマンすることによって仕事が好きになると述べられていて、かなり反感と古臭さもあるのだが、いつの時代も仕事とはそういうものかもしれないな。

 自己啓発はつねに現状肯定になり勝ちだが、社会矛盾にたいする答えとして自己批判や自己矛盾を投影しているに過ぎないといい、ありがたい世の中だと思っている人だけに社会を変える力と資格はあるといっている。う〜ん、そうかもしれないし(ドラッカーも短所を治すより長所を伸ばすべきだといっている)、あるいは体制維持のイデオローグにしか過ぎないのかもしれない。




 栗田勇『良寛入門』 祥伝者NON BOOK 85/9. 690円(古本)

   

 バカになることによって人間の相対的な価値観を超えるという下記の本を読んで、ぜひそのような本をほかに読みたいと思ったのだが、自己啓発書にありそうだったが、残念ながらほとんど見当たらない。

 ということで「大愚」として生きた良寛の生涯を追ってみたのだが、この本はおそらくそういうことをテーマにしていないようだから、あまり感銘はなかった。ただこの著者もいっているのだが、人はだいたい40才くらいに人生に目的も栄光もない、なんにもない、という人生の曲がり角にぶつかる。そういう無残な人間の裸の姿を悟ったときに、良寛の無垢な生き方というのがわれわれの心の先達になるのだろう。




 櫻木健古『捨てて強くなる ひらき直りの人生論 ワニ文庫 81. 380円(古本)

   

 ひまつぶし程度に読んだら驚くほどの名著だった。馬鹿になることによって「こだわり」や人間の相対的な序列とか価値観を超えるという本だった。愚かになり、無価値や無意味に生きれば、つまらない価値序列にこだわらなくてよいというひじょうに達観した人生観には驚いた。そうか、こういう価値観を脱け出すことが悟りという境地なのかもと心高鳴った。

 人間の世評でいう優れた人、エライ人、または劣った、落ちぶれた人という基準やモノサシに喜んだり、悩んだりしているうちは、まだまだほんとうの自尊心をもつことができないのだろうな。「大愚」と称した良寛の生き方のよさがはじめてわかった。




 三浦朱門『人生の荷物のおろし方』 光文社カッパプックス 99/10. 829円

   

 「人生をおりる」ということは下り坂の時代にはひじょうに大切な知恵である。夢や出世、がんばろうといった価値観をもっていると、かならず現実から痛い目にあって心身を切り刻む結果に陥る。だから心身に染みついてしまった高い理想水準を低くおろす必要がある。

 自分を安く売り安く見積もれば、多くのことに腹も立たなくなるし、悲しむこともなくなるし、無理やプレッシャーを重ねる必要もなくなる。手放しちゃえば、ほんとうにすっきり楽になるよ、ということをこの本は教えてくれるわけだが、よい章題はいくつもあるのだが、中身のほうはちょっとタイトル負けしているんではないかと思わなくはない。




 岩川隆『どうしやうもない私 わが山頭火伝 講談社文庫 89/5. 680円(古本)

 『どうしやうもない私―わが山頭火伝』 岩川隆 講談社文庫 

 この本はひじょうによかった。山頭火の人生と内面が手にとるようにわかって感動した。

 母の自殺や父の事業の失敗、弟の自殺といったショッキングな事件をへて行乞や放浪の旅、知人友人にあつかましくも金の工面をたのんだり、鬱病とアル中をくり返したりと、物語りを読んでいるようで楽しかった。最期の死のシーンでは死んでほしくないと思ったくらいだ。

 山頭火はほんとうに「どうしやようもない人」であり、地元の人から疎まれた乞食坊主であったわけだが、そんな人が後の世に評価されるとは皮肉なものだ。だれもが逃れたいと思っている日常の生活から、さげずまれたり、迷惑をかけたりしながらも、自由と放浪に生きたということでわれわれの憧憬を駆り立てるのだろう。他人の蔑視や自分自身への自縛から逃れられるのなら、わたしだって山頭火のように自由に生きたい。




 小原信『退屈について』 知的生きかた文庫 73/4. 450円(古本)

  退屈について―こころの時計をもって生きる

 いま、わたしは金欠のうえ、退屈だということで古本のこの本を手にとったわけだが、ちょっと時代も古いこともあって、よい言葉もいくらかあったが、「退屈」であった。



 オバタカズユキ『だから女は大変だ』 扶桑社文庫 94/11. 533e(古本)

   

 成功者ではない、ごくふつうの女性たちの進路選択の迷いをつづった本。彼女たちの選択はひじょうに参考になる。男のわたしだって似たような思いをいっぱい抱いている。

 女性たちには「個性的な私になりたい大変」だとか「いい男がいないという大変」、「結婚で自由をなくしたくないという大変」などいろいろ抱えているが、わたしはさしずめ「仕事で自由を奪われたくないという大変」になるだろうか。人生選択に迷いっぱなしのうえ損すること多しである。



 嶌信彦『自分を活かす構想力』 小学館文庫21世紀論点シリーズ 98/4. 552e

   

 けっこういい感じの本である。TVの『ブロード・キャスター』に出ていた嶌さんの本である。

 いまのサラリーマンの危機的状況や嶌さんの新聞社からフリーになった経緯、などが語らている。個人のライフストーリーはけっこうおもしろく、孫正義や榊原英資の意外な話が聞ける。

 イタリア的な「人生は楽しむためにある」という豊かな生き方はほんとうに学びたいところだ。アメリカでは一流大学一流企業の学生は二流三流、ベンチャー的な生き方がアメリカン・ヒーローになっているという話だが、日本のエリートは他人に任せっ放しで自立的な生き方ができない哀れな人だということだ。




 青木雄二『唯物論 ナニワ錬金術 徳間文庫 97/9. 514e

    

 ひじょうにエゲツないものの見方をするし、わたしには偏ったものの捉え方をしているように思えるし、これはどうしても影響されたくないという考え方が目白押しだが、それでもこの人の本が売れているのはやはりこういった経済的なエゲツない話や裏街道的なものの見方というものがいまのわれわれには欠けている、必要であるということなのだろう。

 あまり戦後民主主義的な平等観とか正義観、社会観とかのキレイ事だけでは世の中渡ってゆけないし、どうも現実の姿ではないのではないかという思いが日本人に強くなっているのだと思う。そういうときに裏街道を生きてきた著者の知恵がおおいに役に立つということだ。

 戦後の文部省が飼い犬の教育をしただとか、サラリーマンやOLはカッコつけてもしょせんは最下層の労働者やという言葉には目からうろこだった。文部省とマスコミの洗脳からどれだけ脱却できるか。




 苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ 学歴主義と平等神話の戦後史 中公新書 95/6. 700e

   

 学歴社会というのはたいへん大きな問題をはらんでいる。あまりにも多くの問題があり過ぎて何から問えばいいのかさっぱりわからなくなるくらいだ。

 この本では学歴取得以前の不平等や学歴と職業遂行能力の乖離、批判が学歴競争を強める、日本の学歴エリートの無階級的文化などが語られていて、たいへん刺激に富んでいる。

 わたしがいちばん疑問に思ったのは学校の勉強と職業になんの関係と必要性があるのかということだ。職業科目以外、学問は仕事にほとんど必要ないし、子どもたちが将来ひとりで長く生きてゆかなければならない職業社会や企業社会の現実やスキルといったものをあまりにも教えなさ過ぎるように思うのだ。

 これでは認識不足で人生選択に迷わざるを得ないし、自分に合った仕事や生きかたなんてまず見つけられないし、市場でのキャリア・アップも計画できないというものだ。

 エッセー学校教育とはなんだったのだろうか……  受験学力と大衆の教養軽視




 鎌田慧『ぼくが世の中に学んだこと』 ちくま文庫 83/2. 480円(古本)

   

 著者が印刷工や新聞社、製鉄所、自動車工場などで働いたナマの経験を語っているわけだが、この人は労働のヒサンさやひどさ、残酷さといったところばかり捉えていて、いまはたしかにこういった労働悲惨観といったものは完全に衰退して時代から消え去ったようにも思える。

 でもほんとうのところ、こういった悲惨な労働といったものはいまでも現実に存在する。なくなったわけではない、たぶん人々が見なくなったり、あえて目をそらそうとしているだけではないかと思う。どうしてこんなに人々の口にのぼらなくなったかというと、消費の豪奢さや統計上の豊かさに人々の目が奪われているからなんだろう。

 労働というのはやっぱりヒドイものである。そしてそんな犠牲の上にしか築けない文明なんて、享受するに値するものなんだろうかと大いに疑問に思う。われわれが享受している身の周りのモノ、たとえばテレビやパソコン、洗濯機、自動車なんてものは全部一分一秒でも手を動かさなければならない労働者のライン作業によってできあがっている。かれらの苦しみやつらさを一度でも考えたことがあるだろうか……?

 それにしても労働者のすがたや職業というものはホント見えなくなった。人生の大部分を覆う労働なのになぜ人々はこんなに興味を失ったのだろう?




 ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども 学校への反抗 労働への順応 ちくま学芸文庫 77. 1408円

   

 学校での不良学生が労働階級の文化と仕事を継承してしまうと分析した本だが、かれらの労働観がわたしとひじょうに似ていることに驚いた。

 仕事にやりがいやおもしろみを求めず、昇進や昇格の幻想をみずから断ち切り、仕事中心の生活から逃れようとすることはわたしが目指してきたものでもあった。そしてそれは労働階級という社会体制を再生産するだけだという解釈には恐ろしさと腑に落ちないところを残した。

 階級だけで優劣と有不利を順位づけることはできるのかと思ったし、社会的上昇によって仕事の不毛さからは逃れうるとは思えないからだ。そのへんのところはよくわからないが、野郎どもの職業観や学校と職業のつながりはたいへんおもしろかった。

 自分自身と野郎どもをかんがみて。わたし自身のなかの『ハマータウンの野郎ども』




 町田洋次 富沢木実『「市場の法則」がわかる本』 成美文庫 99/8. 505円

  「市場の法則」がわかる本―ビジネスから景気、マネープランまで、「流れ」はこう変わる!

 これまでわれわれは経済は既存企業が動かし、国家が統制し、その世界にお客として入ってゆくという思いが強かった。しかし市場経済になると「プレーヤー」として活躍しなければならない。そういう時代の転換に必要な知恵をこの本は与えてくれる。

 そうか、アイデアによって市場に参入できるのか、それはおもしろい時代だ、と少しだけ興奮するのだけれど、やっぱり既存企業へのお客としての意識が強く度胸のないわたしは萎縮するばかりである。心理的な飛躍が必要なのだろう。雇われ人のあやつり人形という既存の役割をどうやったら脱ぎ捨てることができるのだろう? これはむずかしい。





 ※出版年数のお断り
 1. 文庫本の場合、単行本で出版された年月を記載しています。
 2. 翻訳ものは海外で出版された年月を使用。翻訳された年月ではありません。
 内容にとって大事なことはその本が出版された年月であると思います。



 99年夏に読んだ本 宮本民俗学や文明批判、反勤勉思想の本など。

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