■空間の聖性の開拓史 2006/11/11
『前方後円墳と神社配置』 三橋一夫
六興出版 1987/12 1365e(絶版)
神社は三角形同士で結びつけられるという『神社配置から古代史を読む』のつづきである。この巻では神武の東征の足跡から、前方後円墳の位置や設計の方法がさぐられている。
地図や空間に隠された設計や意図がこめられていたことを知ることはおもしろい。それは知らなかったことを知る好奇心の第一の楽しみであるし、空間配置に意図があるという意外な知の価値づけに驚かされるからである。
ある場所に住んでいて、ここにいけば都会、あそこにいけば田舎という序列をわれわれは知るだろう。しかしたいがいは序列も意味もないのっぺりした空間が茫漠と広がるだけである。古代人はそこに強烈な価値の序列づけをほどこした。神と人間、聖と俗、高貴と低俗といった序列を、土地に付与したのである。そのような聖性をおびた空間を知るということは、こんにちの均質化した空間からは感じられない聖俗が垣間見れて、均質のつまらなさを払拭してくれるように思うから魅かれるのだろうか。
それにしてもこの本でさぐられている三天法の三角形の意味がどうもわからない。正三角形はそのまま円になり、太陽を象るのならその意味はわかる。しかしその三天法がひかれた地図をみていても、支離滅裂に三角形がならんでいるようにしか思えない。三角形でなければならない意味が腑に落ちない。
この本では地図に線をひくことがおもに追究されているので、そういう理論面、意味面での説得力が弱いのである。三角形を引いた後でないと、見えないなにかは見えてこないのかもしれないが。
したがってこの本は三角形のつながりに方式があることから、この土地は出雲族や安曇族、住吉族が開発した土地ではないのかという話になってゆく。住吉大社は出雲族、近畿地方の大部分は出雲系の開拓地、明石だけが住吉系という話になる。それはそれで興味の魅かれる話なのだが、神社や神の聖性の意味がまったく探られないのは、いちばん重大な謎が放っておかれるのに等しい。なぜその土地や神社は神性をおびたのか、私はそれをいちばんに知りたいと思うのである。
ちなみに神武は宇佐、安芸、吉備などに寄ったが、そこは住吉族の土地ばかりであったこと、福岡は安曇族、北九州は住吉族が居住していたなどが三天法からわかるという。古墳の位置だが、地図を見るとめちゃくちゃな方向に並んでいるように思えるが、さいしょは山だて、つぎに神社だて、古墳だてにかわってきているという。磯城古墳群では山だて、佐紀古墳群では山・神社・古墳だての併用、古市古墳群と百舌鳥古墳群では古墳だてがメインになっているという。
個人的に興味をもったところが古来は住吉大社より要であったらしい東住吉区の山阪神社は仁徳陵の向かう先でもあること、百舌鳥古墳群の位置決定に重要であった大鳥大社、船待神社、百舌鳥八幡宮などである。近くなので行ってみたり、地図で確認したりしたいと思う。
知識を空間で位置づける楽しみは行動と知識欲がいっしょに満たされることで、野を駆け巡った少年のころの神秘的な世界観をかすかに思い出せるのが楽しみなのである。そういえば、私は子どものころにカメをとりにいった用水路でこの先になにがあるのかとか、山の向こうにどんな世界が広がっているのかとよく神秘に思ったものである。
▼あらたに地図作成ページを発見。地図Z。ロカポが復活しないのならやり直さないといけないな〜。
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三天法による神社配置の考察―「聖三角形」が語る古代史の謎
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