■道徳や禁止は必ず失敗する 2006/3/12
『不道徳教育 擁護できないものを擁護する』 ウォルター・ブロック
講談社 1976 1600e
すぐれた本である。世の中の不道徳なことが、それを禁止することによってもっと悪い方向に転がることを教えてくれる本である。
つまりは道徳や福祉を強制すると、まったく逆の悪い方向に効果をよぼしてしまうのである。人間の意図は、それとは逆の効果をもたらすのである。まるで老荘思想のようだが、だから自由市場の神の見えざる手に任せたほうがうまくいくというわけである。
この本は1976年に発表され、アメリカで大きな話題を巻き起こしたそうだが、「2ちゃんねらー」や「ホリエモン」といった最新のキーワードも頻出しているのは、橘玲という訳者が「意訳」や「超訳」しているわけである。
自由主義者の主張を具体的な事例で説明する手腕には驚かされる。ミルトン・フリードマンの『選択の自由』もそうだったが、人間の計画や禁止が社会にいかに悪い方向や逆の方向に導くのかという説明にはいつもながら驚かされる。
人間の称賛されるべき道徳や慈愛に満ちた福祉が、ぎゃくに市場や人々の生きる権利や自由を阻害したり、人間や社会を壊滅させるとは意外を通り越して、驚嘆に値するが、自由主義者の説明をきくと、まったくそのとおりだと思ってしまう。
つまりは人間のすばらしき道徳や福祉はその意図とは逆にまったく逆の効果をもたらしてしまうのである。たとえば麻薬は悪いからと禁止してしまえば、闇市場で値段が暴騰してしまい、シャブ中は犯罪に手を染めてでも高額をそろえなければならなくなる。またアフリカの貧困に対して食糧がとどけられると、政治家の票集めに利用されるか、タダ同然の食糧と現地の農家は競争しなければならなくなる。
児童労働は悪いというけれど、それを禁止してしまえば貧しい家庭では収入の道を閉ざされ、物乞いや売春するしかなくなる。最低賃金や労働基準法は私たちを守ってくれていると思うのだが、それは経営者に安い労働力をあきらめさせて、雇用を抑制して、失業者を増やすことに貢献してしまうのである。同様に男女雇用機会均等法も子育てにとられる女性の雇用を抑制する方向にはたらく。
なんか政府のやっていることはぜんぶ失敗に落ちるみたいである。たぶん人為的な強制や禁止は人々から自由な選択を奪い、選択の抜け道をさがす方向にすすむからなんだろう。禁止は人の自由を奪い、また悪い症状を生み出してしまうのである。
そもそも国家は無能であっても市場から退出する仕組みを持たない。失敗しても公務員はクビにならないし、給料も変わらないし、自分のふところが痛むわけでもない。生き残りをかけて必死に自分の金で努力する商人とはえらい違いである。自由市場は愚かな経営者を退出させる賢明なメカニズムをもつ。
われわれの社会には金儲けに対する拭いがたい敵意がある。そして国家に対して富の分配を迫るのだが、それは権力者や独裁者を生み出してしまうだけなのである。自由経済ならば会社を辞めたり、顧客を変えたりする自由は開かれているが、管理された経済ではほかの選択肢はいっさい認められず、独裁者の支配を許してしまうのである。だから自由主義のほうがマシだとリバタリアン(自由原理主義者)たちはいうのである。
リバタリアンがいうには福祉制度というのは労働者階級のためにあるのではなくて、特権階級による支配や服従のための装置だということになる。やっぱりなという感がする。私たちは道徳や福祉を国家に要求してしまうと、独裁者の権力を増大させることに貢献することになり、私たちの自由や選択はどんどん奪われてゆくことになるのである。私たちの要求が自分たちの首を絞めるとはまことに愚かしいパラドックスである。
禁止は社会の報復をもたらす。私たちは政府の禁止による残骸物を現代でも目の前でたくさん見ているのだろう。自由主義は格差や貧困をもたらすと反対する人も多いが、私は人の自由に生きる権利を奪われるよりマシだと思う。戦後昭和の社畜として生きなければならなかったサラリーマンの不自由を思い出せといいたいのである。
|