■020804書評集
『疲労回復の本』『筋肉疲労が病気の原因だった』『かわいいこころ』『身体のすべてがわかる事典』『肩こりはこれで治せる』『気で観る人体』『知られざる健康法』『リフレッシュ50の健康法』『プラトニック・アニマル』『「病は気から」の医学』『心身症』『心療内科』『こころと体の対話』『身体感覚を取り戻す』『さみしい男』
『疲労回復の本』 津村喬
同朋舎 1999 1300e
心の疲労がからだの筋肉の緊張やこりをもたらすということは、もっと注目するべきだと思う。その慢性筋肉疲労がさまざまな病気をもたらすということにもっと気づくべきだと思う。
この本はその筋肉疲労に注目した数少ない本の中の一冊であり、探していた本をやっと見つけたという気がした。われわれは怒りや恨みなどの感情を長くもちつづけるために筋肉が緊張し、その延長が慢性疲労や病気につながってゆくのである。
情念としての筋肉をときほぐすことはものすごく重要なことだと思う。それより前に感情が身体をどのように緊張させるか、どの部分を緊張させるのか、ということを知らなければならないと思うが、そのことを追究する人もあまり多くない。筋肉と感情の関係にもっと注目すべきだ。
この本の中の緊張をときほぐすエクササイズはちょっと絵柄が大ざっぱでくり返しに向かないのが残念だ。
『筋肉疲労が病気の原因だった』 福増一切照
総合法冷 1997 1500e
慢性筋肉疲労が万病のもとだという本である。緊張がつづくと血行障害をおこし、腰痛や肩こりになり、内臓機能を狂わせ、糖尿病や心臓病をうみだすということである。
また筋肉の緊張/弛緩は自律神経のセンサーであり、筋肉は血液を送り出す第二の心臓だということである。筋肉の役割はいままであまりにも見過ごされていたというわけである。
筋肉にも人生のパターンは記憶され、怒りや恨みは慢性疲労の大敵である。それらの感情は筋肉の緊張を長引かせる元となる。心は一過性のようにあることが大切である。
『かわいいこころ』 寺門琢己
メディアファクトリー 2001 1000e(古本)
臓器タイプによって性格がわかるという本である。肝臓タイプはシャープで怒りがエネルギーになる、心臓タイプは喜びやスリルが大好き、脾臓タイプは心配症でインテリ、といった具合である。
なんで臓器と性格が結びつくのかと思うが、むかしから中国医学でいわれてきたことのようである。ある臓器はある感情を司るという。肝臓は怒、心臓は喜、脾臓は憂、肺臓は非、腎臓は恐、だそうだ。
医学はからだを物質や道具として見過ぎだから、からだを心や感情として身近なものに感じる意味で、こういう見方は必要だと思う。
『身体のすべてがわかる事典』 川嶋昭司 知的生きかた文庫 1986 480e(古本)
身体の機能がわかる本である。こういう機能的・道具的な身体観って何度読んでも頭に残らない。私はあまりにも心理主義的である。
『肩こりはこれで治せる』 栗田昌裕
廣済堂ブックス 2000 838e(古本)
外国には肩こりがないといわれているのにどうして日本人は肩こりになるのか。「気をつけ」とか「肩を落とす」という言葉などから、肩をあげる姿勢がパターン化しているからか。日本人はどうも肩とかアゴ、腕などに力をこめすぎなのかもしれない。むかしの日本人は「上虚下実」といって腰や腹に力をこめることが正しかったそうなのに。
『気で観る人体』 池上正治
講談社現代新書 1992 600e(古本)
私の今回の興味は感情と身体のかかわりなので、今回は神秘的身体観にはあまり興味がなかった。ちゃんと西洋医学的な観察もあるが、興味なし。
『知られざる健康法』 藤本憲幸
青春出版社プレイブックス 1975 570e(古本)
感情と緊張・呼吸の関係が触れられているヨガの本だが、なんだか著者に性格の偏りがものすごく感じられる古い本だった。
『リフレッシュ50の健康法』 小池能里子
知的生きかた文庫 2000 533e(古本)
この著者は心のセラピーと体の健康法を組み合わせていて、心身の健康にはこの両面が欠かせないと思う。いまは心理的関心に片寄り過ぎていて、身体は道具になりすぎではないかと思う。心は忘れることが肝心で、身体はやわらかくすることが大切だと思う。
『プラトニック・アニマル』 代々木忠
幻冬舎アウトロー文庫 1992 533e(古本)
AV監督の本だが、エゴを落とすとかの話が出てきて、SEX神秘主義者といえそうな人である。エゴがあると快感や人とのつながりを阻害してしまう。エゴとは何か。エゴとは人からよく思われるためのタブーである。「かくあらなければならない」という偽りの自分である。エゴが死ぬと自分が自分でなくなると心配してしまう人がいるが、偽りの自分が死んで、ほんとうの自分になれるのである。
真の理性は本能の成熟によって開花する、心に豊かさがなければ人は甘えることができないなどと、納得できる指摘もあった。セックスのなかに心を開くことやエゴを落とすという深い意味があるとは思ってもみなかった。偽りの自分が死んだとき、他人や世界との障壁は壊れるのである。
『「病は気から」の医学』 阿部正
光文社カッパ・ホームス 1976 580e(古本)
古い本だが、感情は身体にどのような作用をもたらすかということがひとつひとつ究明されていて、私はこういう知識を知りたかったのであるが、さいきんの本ではこういうことはほぼ触れられていない。身体感情を客観視できないことには、感情のコントロールは不可能だし、感情にふりまわされるだけになる。
また身体感情の延長は病気に結びつくと思われる。悲しみから胸をしめつけていると心臓が悪くなってゆくし、不安から腹を固めていると胃腸がやられるし、頭に来ることばかりだったら頭の血管を破るだろう。
こういう心身のつながりがわかれば、心の持ちように気をつけたり、是正しようとするだろうが、いまの医学はあまり心身相関関係に触れたくないみたいである。われわれは感情と身体のかかわりを知らないまま、身体の病魔に犯されるだけでいいものだろうか。
『心身症』 成田善弘
講談社現代新書 1993 583(古本)
心身医学というのは板挟みの学問みたいで元気がない。心理偏重にならない自粛をたえず自分におこなっているし、患者からは心が原因であることを否定される。心と身体の関係は明白に思えるのだが。
私はもっと精神分析偏重の身体論を読みたいと思うんだが、そんな自信はいまの心身医学にはないみたいである。せめて感情をコントロールするという意味で、身体はもっと心理化、感情化されてほしいものなのだが。象徴哲学がもっとできそうに思うのだが。
『心療内科』 池見酉次郎
中公新書 1963 660e(古本)
80刷近くのベストセラーみたいだが、この心身医学の本もしきりと精神主義や怪しげな象徴の戒め、精神分析者たちの勇み足への批判など、心理主義の自重が説かれている。心身医学というのはそれほどまでに怪しい精神主義だったのだろうか。むかしそんなにいかがわしい象徴が乱発されたのか私は知らないから残念だ。現代医学にとって心はまだまだ迷信や迷妄の部類なのだろうか。こんなのでいいのか。
『こころと体の対話』 神庭重信
文春新書 1999 690e(古本)
心と身体、心と病気の関係には興味があるのだが、免疫学や物質的な話になるとだんだんおもしろくなくなる。ドーパミンやエンドルフィンなどの作用と私たちの感情を同一視する実感などわきそうにもない。こういう身体観って自分の身体を敬遠させる一方になるばかりだと思うが。
『身体感覚を取り戻す』 斎藤孝
NHKブックス 2000 970e(古本)
う〜ん、なるほどね、地に足をつける腰肚文化と型と技を見直すというのはたしかに必要だと思う。東洋的身体観ではいつも腰や腹に力を入れるとリラックスするといわれるし、古典の暗誦がのちの教養となるのはうなづけるところだ。
しかしこの身体観というのはほんとうに微妙な世界だな。野口晴哉とか竹内敏晴みたいな微妙で繊細な世界だ。よく言語化できるものだと思う。でも私はどこまでも情動化される身体に興味があるといえそうだな。
『さみしい男』 諸富祥彦
ちくま新書 2002 700e
労働至上主義への批判があったから思わず買ってしまった。自分に正直に、自分のために、時間の豊かさを感じるためには働かない意義を認めるべきだというのは私も感じてきたことだ。こういう生きかたに自信をもっていいんだろうか。労働至上主義が速く崩壊すればいいのにと思う。
この本ではほかに家族至上主義や恋愛至上主義などの隠されたイデオロギーの批判をおこなっているが、この著者は強迫的になりがちなこの国の至上価値を問い直す作業を前著『孤独になるためのレッスン』でもおこなっており、ひじょうに共感を覚えた。この国はどうして強迫的な至上価値にみんなつっ走ってしまうのだろうか。頭がワルイのか?!
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