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011104書評集




▼01/11/3.



 『大真面目に休む国ドイツ』 福田直子 平凡社新書 01/5. 680e(古本)

 ドイツはどうやって6週間の休暇もとれるようになったのだろうか。長い休暇にはいろいろな苦労もあるだろうけど、日本にもこんなに長いバケーションが実現されると、この国ももっとハッピーになるんだろうけどな。




 『無節操な日本人』 中山治 ちくま新書 01/6. 660e

 日本人は情緒原理主義であり、欧米は原理を中心に生きる行動原理主義であるというのはよくわかる。日本が葛藤回避社会で、他人を注意するときには第三者を介するということもひじょうによく実感できる。

 情緒原理主義はかたい行動原理をとらないから外国の思想や制度はとりいれることはできるが、場当たり的で情緒におもむくままの行動をとりやすくなる。これが戦前の戦争をまねいたともいえ、山本七平の『空気の研究』と同じことを指摘しているのだと思う。

 まあ、私は「まあまあ」「なあなあ」」社会で葛藤回避でもかまわないと思うが、その居心地のよさは無責任と無規範、最終的には破滅のご破算のツケを支払うわされるようである。原理のために角をぶつけ合うのもヤバイと思うけど。




 『敬語で解く日本の平等・不平等』 浅田秀子 講談社現代新書 01/4. 680e

 敬語で社会の階層構造をとくいうのはべらぼうにおもしろい着眼的だと思うのだが、ちょっと私の頭の階層構造がゆるんでいたようで、いまいち理解が足りなかった。

 最後のほうに指摘されている、江戸時代には上位者と下位者のコミュニケーションがとれていたのだが、明治以降は専制政治になってしまったのは、成り上がりの上位者がほんらいの上流階級の役割をわきまえていなかったという話は現在にも通じるところがあり、考えさせられた。




 『心のマルチ・ネットワーク』 岡野憲一郎 講談社現代新書 00/9. 660e

 私たちの心も多重人格のようにいくつもの声の共存であるという捉え方は、そういう可能性はなきにしもあらずと思えるのだが、べつにこの本はあまりおもしろくなかった。

 グルジェフも人間は複数の「私」で構成されており、どれもほんとうの「私」ではないといっていた。「いましがたひとつの思考であった「私」が、いまは欲望、つぎには感覚、そしてまた別の思考に変わり、果てしなく続いてゆく……。その数は無限だ」




 『家族というリスク』 山田昌弘 勁草書房 01/10. 2400e

 かなり興味深く読めた本である。家族、パラサイト・シングル、フリーター、専業主婦の未来の先細り状況がはっきりとわかるようになっている。

 パラサイトシングルはいつか親は老けるし、フリーターは単純労働のままで終わりそうだし、専業主婦は夫がリストラされたり収入が低下するリスクと無関係に暮らしている。

 このような危機感の薄い人たちを生み出したのは、戦後日本社会が社会に貢献する人に報いず、大企業や役所、夫などに依存する人にラクをせさ、自立や独立が損と感じさせる社会をつくったからだという指摘にはたいへん感銘した。

 まったくそうで、依存が楽で得というのは多くの人がもつ安定や中流意識、サラリーマン志向とつながっているし、自立が損で報われないなら若者は努力も創造もおこなわなく、親と同居し、働く気も失い、結婚もせず、やる気も削がれるばかりだろう。

 これは日本の護送船団方式や社会主義的傾向がうみだした依存主義というべきである。人々の生活や雇用、安定を守る、よいことだと思われていたことが依存という悪に転化するというのはなんと皮肉なことか。そのような依存が現在、危険になってきたのはある意味ではよいことで正しいマトモなことなのかもしれない。己の恥を知れということである。




 『リラクセーション』 成瀬悟策 講談社ブルーバックス 01/6. 860e

 無意識に入ってしまう筋肉の緊張をときほぐすというのはそうとうに困難なことである。自動化がなされていて、自分では容易にとけない。この本もまだまだだ。




 『なまけ者の3分間瞑想法』 デイヴィッド・ハープ  創元社 96. 1500e

 瞑想を宗教や神秘的なものではなく、心をコントロールする技術として即物的に捉えていることにこの本の良さがある。心や思考をコントロールする技術に限定されているから、たいへんに重宝する本である。

 心というのは、心が澄んだ状態がいちばんベストだと考えればいい。思考や過去や思い出に支配された心は、酔っ払って飛び回るサルと変わることがなく、感情や気分の怒涛に押し流され、ほとんど暴君の奴隷みたいなものである。

 私たちは思考を自己だと思いこみ、思考に支配された生活をベストや通常だと思っているが、この状態はじつは心のいちばん最悪な状況だと捉えたほうがいい。

 思考というのは、自分の外側にある岩や本と同じように自分ではない。そう考えて思考を観察し、思考に巻き込まれなくなってはじめて私たちは心をコントールできるヌシになれるのである。

 先のことも思っていない、過ぎたことも振り返っていない、こうなったら嫌だ、ああすればよかった、ああこうしたかった、そんな思考が消え、一瞬一瞬に起きていくことをすべて「それでよし」とすることができるようになれば、心は私の忠実な下僕のようになり、どんな瞬間にも適切に対応できるようになる。

 この本にはほかにも「わからない」「判断しない」「空しさや孤独に対処する」などの心とつきあうためのテクニックがいくつも紹介されていて、心についての知識が一段と向上する。でも何度も読み返して思い出さないと、いつの間にか思考の下僕になっているので気をつけなければいけない。




 『ゼニと世直し』 青木雄二 青春文庫 98. 486e

 青木雄二というのは数少ないほんとうに庶民の味方なのだろう。TVや本に出てくる文化人や知識人というのは、いつの間にか政府や上からの地点、タテマエの視点でしかものを見ない、いわなくなっている気がする。戦前の大本営に近づいているのかな。




 『東京漂流』 藤原新也 朝日文庫 83/1. 1100e(古本)

 ただの写真家と思っていたら、消費社会や管理社会を批判する立場からインドやチベット、アジアを回ってきたことを知って、かなり好感を感じた。

 日本社会の高度成長への変容、消費社会の更なる欲望の階梯、そして家族の崩壊、野生の消滅などが真に迫る文体で語られており、おぞましさが感じられるくらいだ。が、この人はアツイ人なのだろう、ささいなことからかなり膨大な深読み状態になる。私のようなシラケ世代からは、そんなアツイ情熱は醒めた目で気恥ずかしなくなるし、そんな大げさな視点がジャーナリズムの大儲けを導くんだと批判的にも見たくなる。




 『電脳遊戯の少年少女たち』 西村清和 講談社現代新書 99/10. 660e(古本)

 テレビゲームなどを分析した本だが、最後のほう以外はあまり興味をひかれなかった。




 『悪女と紳士の経済学』 森永卓郎 日経ビジネス人文庫 94/9. 648e(古本)

 生涯恋愛社会をとなえている。日本の男女が結婚後にまるで男でも女でもないような魅力のないオッサン・オバサンになるのは、男女が恋愛にエネルギーをそそぐようでは企業活動がままならないからだといっている。「終身結婚制」も企業主義によってつくられたものである。なるほどこれらも企業の策略なのか。

 恋愛を語った本だが、なんだかこの本はあのTVに出てくる穏やかそうな森永卓郎のイメージとどうもしっくりこないな。

 日本経済の壁を打破するカギはライフスタイルの自由化だといってるのはまったくそう思う。日本人のライフスタイルって多様な消費生活とは逆に労働や教育においては国民服や国営車なみの画一性をもっている。人々の心にはいまだに国営のライフスタイルから外れることの恐怖とみじめさが巣食っている。もう戦争体制は終わったのだから、心の解放と自由化がまず必要なのだろうな。日本人はもっと自由に生きていいはずなんだ。




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心のマルチ・ネットワーク―脳と心の多重理論







『家族というリスク』 山田昌弘 勁草書房

















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『なまけ者の3分間瞑想法』 デイヴィッド・ハーブ 創元社





















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