010623書評集
金欠のため、今月は百円本ばかり読みました〜。
▼2001/6/23.
『意識の進化とDNA』 柳澤桂子 集英社文庫 91/9. 514e(古本)
生命科学と神秘思想の融合が期待させたのだが、目新しいことは見つけられなかった。この本は小説の形態をとっているが、物語の楽しさはなんらない。
『動人物、動物の中に人間がいる』 日高敏隆 講談社+α文庫 90/4. 640e(古本)
ほんとは人間の話を読みたいのだが、けっこう動物の話もおもしろい。文章が読ませるからだろうか。
『はじめての進化論』 河田雅圭 講談社現代新書 90/1. 540e(古本)
おベンキョーとしての進化論は知的興奮をもたらさない。破壊的か、奇抜、または神秘的ではないともうおもしろくはないのだろう。
『日本史にみる女の愛と生き方』 永井路子 新潮文庫 72/11. 320e(古本)
ほんとは繁殖戦略からみた動物学的な人間の歴史というものを読みたい。しかし金がないためにふつうのモノサシからみた歴史で補うほかない。歴史書から動物としての視点を抜き出すのは容易ならざるものである。
歴史は終わってしまったものだから人生の収支決算は一目瞭然である。そういう意味で歴史の人物は学ぶべきものがあるんだろうな。
『にっぽん亭主五十人史』 永井路子 講談社文庫 77/12. 360e(古本)
日本史の人物を父親や夫としてとらえなおしてみるとおもしろい。そういう本である。なぜか私は個人史が頭にのこらなく、一般論とか法則みたいな話が頭にのこりやすい性質である。なぜなんだろう。だからこういう本はとりとめのない記憶しかのこらない。
『聞き語り にっぽん女性「愛」史』 杉本苑子 講談社文庫 88/8. 420e(古本)
歴史に残るのはだいたい政治家である。私は政治のかけひきなんかほとんど興味がないのだが、こういう本を読んでいると女性のなかにもけっこう政治策略や権力闘争を好む人もいるんだなと意外に思う。私は政治の権力がどこからどこへといった話はあまり興味ない。やっぱり庶民の生きた姿や暮らしの立て方、社会意識のほうが魅かれる。
この本の中で織田信長の妹の遺伝子は徳川家にひきつがれていると系図が示されている。同じように政権争いには政敵に嫁婿が贈られる場合が多々あるから、遺伝子的にはどちらが勝ち負けなんかいえないのだろう。
『なぜそれは起こるのか 過去に共鳴する現在』 喰代栄一 サンマーク出版 96/7. 1800e(古本)
現代の焚書といわれた本の作者シェルドレイクの仮説を紹介した本である。「形の場による共鳴」でサルのイモ洗いとかシジュウカラの牛乳ビンのフタ開けとかがつぎつぎと解説されるが、べつにふつうの解説で説明できる気もするのだけどな〜。
『寄りかかっては生きられない 男と女のパートナーシップ』 千葉敦子 文春文庫 83/12. 400e(古本)
企業戦士と生きる哀れな男にたいする女性からの批判が書かれている。女性は馬車馬のように働く男を憐れむから自立を放棄して専業主婦になるだとか、日本の男は社会の価値観にほかの国の人のように疑いの目を向けることがないなど、スカっとする批判が語られている。(ほかはベストセラーの性差別批判。)
世の女性たちは男のシゴトをどう思っているのだろうか。馬車馬オトコに乗りたがる女性もあいかわらず多いと思うが、自立志向の女性たちはぜひともそういう人間らしさの欠けた男は嘲ってほしいと思う。女性が仕事人間をことごとく蹴ってくれるようになれば、日本の男の風向きも変わると思うんだけどな。でも女性はやっぱりカネの成る生産マシーンがお好き?
『さよなら恐竜男たち 女と男の共生論』 水上洋子 講談社文庫 96/10. 480e(古本)
嫌いな仕事に人生を奪われる男のことを「平成版野麦峠」「残酷物語」「レ・ミゼラブル」だといっている。安定や保証が崩れかけてきた一流コースの男を女性が憐れみ、そのカメの甲羅にのるような真似はやめてくれれば、野麦峠は越えられると思うのだけど。
「女の自由は、男の解放」と銘打っているようにそういう女性が増えてくれれば、ほんとうに競争社会のいきづまった男社会は瓦解すると思う。この本の中に批判される男の姿はぜんぶ女の姿の「鏡」のなにものでもない。「恐竜男」が滅びるためには、「恐竜女」も地層の化石にならなければならない。野麦峠の男の屍のうえには女がおぶさっている。
『お金としあわせの組み合わせ』 邱永漢 中公文庫 95/5. 533e(古本)
そうだな、お金としあわせの関係ってひじょうにむずかしい。お金を稼ごうと思えば自分の時間がなくなるし、自分を大事にすれば金がない。カネより自由だと思っても、カネのない自由もけっこうツライ。矛盾だらけだが、なんとかその分岐点を見出したい。
この本では大金持ちが羨ましくない理由がのべられており、まるで中国思想の現代版という感じがするが、お金に縁のない人はおおいに慰められる一章である。いわく権力争いのとばっちりを受ける、猜疑心が強くなる、事業のために財布は空っぽ、訴訟や財産争いに巻き込まれ、淋しい人になってしまうということだ。賢者は中金持ちをめざす。
ただ、月に使える金が百万円あるのが理想という、とんでもないカネモチの発想があって、貧乏人の私にはついていけない、違う人だな〜、という感もしだいに強くなり、吸収力は若干にぶった。まあ、お金としあわせの分岐点はいつも気を配っていたい事柄である。
『愛と名誉のために』 ロバート・B・パーカー ハヤカワ文庫 83. 500e(古本)
「失恋し、人生の目的をなくした彼は酒に溺れ、失業を繰り返し、やがて抜け殻となった魂を抱えて放浪の旅へ出る」――私はこういう人生に憧憬を感じているというか、ある程度はそういう行路をたどっているので、このくだりを読みたいためにこの本を手にとった。なにか指針を得られたらと思ったのだ。
私を主人公のようなぼろぼろの人生行路から防いでいるのは、そうなってしまったら仕事も生活も立てられないではないかという不安である。その一念が一線から踏み外すことを防いでいる。そこまでは行けないという気持ちと、もしかしてここまで自我をつきはなせれば、ものすごい解放感と安堵があるのではないかという思いもある。
それを物語のうえで体験してみたい気もちがあるのだろう。そのくだりが全編に満ちていたらよかったのだろうが、少なく、立ち直る契機がいまいちぴんとこなく、失恋した女性に舞い戻るあたりは私には共感できなかった。
『愛はなぜ終わるのか 結婚・不倫・離婚の自然史』 ヘレン・E・フィッシャー 草思社 92. 1900e(古本)
どうやら農業社会の男女の経済的依存が離婚を少なくしていたようである。経済的自立をおたがいにもてるようになると、男女も離婚や再婚がひんぱんになるらしい。これは新しいことではなく、経済的自立をもてる民族や社会、または狩猟採集時代などでは大昔からあったことなのだ。現代はふたたびそのような時代に戻ろうとしているだけなのである。
愛する人を失うショックに強くなるためには、動物学的・人類学的な愛のありようを胸にとめておく必要があるのだろう。人間は動物学的にみれば貞操と不倫による混合戦略をもっているようなのである。動物にとっても繁殖はおたがいが最大利益を得るためのだまし合いである。幻想的な愛の理想を抱くより、動物的なありようをわきまえておいたほうが賢明なのだろう。
『失敗という人生はない 真実についての528の断章』 曽野綾子 新潮文庫 88/4. 440e(古本)
心に染みるな〜。「私の人生おしまいだ」という気もちにたびたび捕らえられる私にはとても慰められるタイトルである。信仰とかカトリックの話となると深刻すぎるような気もするが、心を慰めたり、ラクにしたりするしくみがきっちりと込められていることがわかる。感銘した断章をいくつか。
「それと同時に断念もいる。…人生は…ほとんどの希望は叶わないで当たり前なのだと肝に銘じることである。そう思ってみると、運命は私に優しすぎるほど優しかったのである」
「小心な人間は、あらゆるものを得た瞬間から、失うときの用意をしておいたほうがいい。多くのものは一時的に、私たちに貸し出されたものだから」
「心配とか恐怖というのは、人間が不必要なものをたくさん所有しているときに起こるものだということを、私は知りました」
「他人には何でも与えられているのに、自分はなぜ与えられていない、っていうことやものが、この世にはれっきとしてあるでしょう。その不法だか、矛盾だか、不平等だかを承認できた人だけが、ほんとうに成熟した生涯を送ることができるんだろうということです」
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010513書評集「ちょこっと進化論的人間観」
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