2000年夏の書評2
ほか
▼2000/7/16更新
▼2000/8/8更新
2000/7/2更新
岡野守也『唯識のすすめ 仏教の深層心理学入門』 NHKライブラリー 98/10. 1120e
トランスパーソナル心理学をやっている著者のことだけあって、説明は現代的でひじょうにわかりやすく、とても興味のひかれるものだった。仏教案内としては出色である。
とくにつながり合い、融け合った世界観にはひじょうに興味をもった。われわれはふだん私がいて他人がいて、モノがあってというふうに物事をばらばらに見ているわけだが、ほんとうは分離も分断もできない世界が「ひとつながり」にあるだけであるという。
動植物の生態系はもちろんのこと、外界にあると思われている世界も心を離れてあるわけではないし、世界や環境のない心もありえないので、すべては「ひとつ」であり、「つながっている」といえる。
しかしひとつに融け合った世界というのを実感するのはひじょうにむずかしい。やっぱりどうしても私は私、外界は外界というふうにばらばらに分けて見てしまうものである。う〜ん、ひとつながりの世界を実感した〜い。
町田宗鳳『<狂い>と信仰』 PHP新書 99/7. 657e
私としては現代医学でいわれる精神病が、悟りやその過程とどうつながっているかということを説明してくれればおもしろかったと思うが、この本はそういうことをいっているわけではなくて、印象も感銘にのこるところもなかった。
鎌田茂雄『華厳の思想』 講談社学術文庫 88/5. 860e
ひとつながりの世界、一滴の水の全宇宙、一瞬の永遠のことをいっているのは『華厳経』で、この世界観をぜひとも理解したいと思ってまた華厳についての本を読んだが、どうもその壮大なる世界観になかなか近づけない。
この本で一ヶ所感銘したところは、「ホトトギスがいて鳴くという動詞がつくのではない。鳴くという現実があって主語としてホトトギスがあとからつく。絶対の現実は「鳴く」というところにある」というところだ。
櫻部健・上山春平『存在の分析<アビダルマ>』 角川ソフィア文庫 仏教の思想2 69. 780e
仏教というのはテーゼ(正)としてのアビダルマ、アンチテーゼ(反)としての中観、ジンテーゼ(合)としての唯識と捉えたらよいそうである。
ちなみにヨーロッパ近代哲学では大陸合理論―カント批判哲学―ヘーゲル思弁哲学だそうだ。
アビダルマを研究するには唯識3年にたいして8年もかかるといわれているそうだが、どんなことが言われているのか読んだ程度である。ヴァスバンドゥの『倶舎論(抄)』(中公バックス)をさらりと読んで、興味をもつまでに8年かかりそうだと思った。
田村芳朗・梅原猛『絶対の真理<天台>』 角川ソフィア文庫 仏教の思想5 70. 780e
天台というのは中観や唯識のようにカンバンになるテーマがないみたいだが、日本仏教の創始者をかずかず生み出してきたそうなので、ちょっと興味本位に読んでみただけである。
ダライ・ラマ14世『ダライ・ラマの仏教入門』 光文社 知恵の森文庫 92. 495e
「縁起と空」がやさしく説明されているようなので読んだ。もっと縁起や相互連関の世界について知りたいと思うのだが、もっと深く追求した本はなかなか見当たらない。
ところで最近ダライ・ラマの本が書店によく出ているみたいだが、『チベット死者の書』以来のチベット・ブームがつづいているからなのだろうか。その前に(チベットではないけど)サイババとかが出ていたけど。それにしてもこの本は本人が書いたのかやっぱり疑ってしまう。
山田史生『混沌としての視座 哲学としての華厳』 春秋社 99/3. 3500e
ともかく華厳の世界観を知りたい、「カオス・複雑系」の科学にも言及しているようなので、現代科学的な華厳の理解ができるのなら、私の興味とぴったりだと思い、大枚をはたいてこの本を買ったが、難解で、てんで理解にいたらなかった。チクショ〜。
難解さにはいろいろ種類があるが、この難解さはたぶん語る意味合いがあるのかという類ではなかったかと、難解だから識別するのはむずかしいが、あとから考えるにそう思う。
ちなみに難解の種類をいうと、ヘーゲルの『小論理学』はどこの、なにを、語っているのかさっぱりわからなかったし、ハイデガーの『存在と時間』は薄皮をへだててわかりそうだったが、氷の上をつるつるすべるような難解さだった。理解できないのは惜しいが、わからないのは私にとって存在しないに等しい、役に立たないものである!
『仏教書総目録2000』 仏教書総目録刊行会 頒価300e
四天王寺にある仏教書専門店「四天王寺書林」さんからタダでいただいた。これから仏教書を読みたいと思っていたところなので、たいへんに役に立ちそうな目録である。カンシャ。
鎌田茂雄・上山春平『無限の世界観<華厳>』 角川ソフィア文庫 仏教の思想6 69. 780e
華厳の世界観を知りたいからまた読んだけど、歴史とか概要なので、やはり深い理解はできない。相互連関や融け合った世界を科学的スタイルで説明されるがいちばんなんだが。複雑系とかカオス、ゆらぎ、なんかの現代科学は華厳と近いことをいってるのかな。
奈良康明『原始仏典の世界』 NHKライブラリー 98/4. 940e
大乗仏教の理論や心理学的なことからすれば、ブッダの語ったことは物足りなく思わなくはないが、あまり理論的なことにかかわりすぎると心が渇いてくる。
道徳的なことがおもに説かれているけど、エゴイズム的で心理的な観点からも、ブッダのいうことは的を得ていると思う。解釈や怒りや怨みは、相手ではなく、自分を傷つけているのである。対象に思うことは全部私の心の中のことだ。
この世は「変化のプロセス」であって、ひとつもとどまるものがなく、「我の思いどおり」になるものではないという自覚と実感がひじょうに大切なんだろう。私自身のからだすら老いや病気になったりして自分の思いどおりにならないものである。
この世では「変化」こそがいちばんの主である。変化に勝てるものはない。
▼2000/7/16更新分
新田雅章『天台小止観 仏教の瞑想法』 春秋社 99/9. 2800e(古本)
天台智ギ(538-597)の瞑想法についての現代語訳である。
「われわれをとりまく現象世界は、心が思念することによって、その存在性を獲得するものである」
「心が対象についてなんらかの像をとることがあれば、そのすがたは大いなる迷いに陥ったすがたといってよい。対象に向って像を取らないすがたが涅槃である」
「諸法は固定的、実体的なものではない。つねに心によってあらしめられているものである。こうしたことを知って空を観見する者は、いかなるものについても想念を起こさない」
う〜む、像をとらない心なんてあるのか。わからない。
宮坂宥勝・梅原猛『生命の海<空海>』 角川ソフィア文庫 仏教の思想9 68. 780e
万物一体の世界観をもとめてこの本を読んだ。でも曼荼羅の世界観というのはちょっとわからなかった。
空海が依拠する密教はそれまでの欲望否定の仏教とちがって、欲望と生命の肯定を説いている。混乱するが、欲望があるからこそ悟りがあり、執着するなということなのだろう。
田上太秀『迷いから悟りへの十二章』 NHKライブラリー 99/12. 1070e
かなり多くの経典から引用されていて、仏教のエッセンスが凝縮されている本である。私もだいぶ仏教書は読んだから耳になじんだ言葉ばかりだったが、いろいろな教えを概括することができる。
『大乗仏典8 十地経』 中央公論社 3200e(古本)
『華厳経』の核となった『十地品』の現代語訳である。
微小な世界が広大な世界であり、一瞬の時間が永遠の時間であるといった世界を知ろうとしてこの本にいどんだが、翻訳の違いからか、あれ、ちょっと意味がちがうようだと感じたし、その世界観が説かれている部分も少なくて、やっぱり得るところは少なかった。
この経典での一即多、多即一は段階的に悟ってゆく境地のごほうびみたいなもので、世界観そのものについて語られているわけではないようだ。
天外伺郎 茂木健一郎『意識は科学で説き明かせるか 脳・意志・心に挑む物理学』 講談社ブルーバックス 00/3. 820e
華厳の世界観を理解したくとも仏教ではちゃんと教えてくれないので、現代科学から理解しようとして、とりあえずは仏教や神秘思想とも近しい人の著作を読む。
私はめちゃくちゃ物理学や量子力学に興味があるというわけではないが、どんな世界観が語られているのか偵察的に読んでみようと思っている。
現代物理学と仏教の似ているところをところどころ指摘していて、私としては入りやすい本だった。断片が全体をうつすというホログラフィー、関係性を重視するツイスターの考え方は華厳や仏教の世界観と似ているのかな。
ロジャー・ペンローズ『心は量子で語れるか』 講談社ブルーバックス 97. 1040e
現代量子力学でどんなことが語られているのか偵察的に読んでみたが、残念ながらあまり興味もひきつけられず、したがって理解も好奇心もともなわなかった。
和田純夫『量子力学が語る世界像』 講談社ブルーバックス 94/4. 900e
電子は波になったり、粒子になったり、物体は一ヶ所にしかありえないのに電子では複数に共存していたりとひじょうに奇妙なふるまいをするためにいろいろ頭を悩ませているようである。
量子がこのようであれば、この日常世界も複数であったり多世界であるという原理で解釈されるべきだという考え方もある。複数の世界が同時進行しているとはまた摩訶不思議な世界だ。
私としては深い興味があるというわけではないので、つぎつぎと洞察したくなるのではないので残念だ。なんだかこの量子の世界の実感がわかない。
何年か前にNHKで『アインシュタイン・ロマン』という番組をやっていたことがあって、印象にのこっているが、私はこの世界の入り口でもっと興味をもつことが必要なんだろう。
佐治晴夫『宇宙の不思議 宇宙物理学からの発想』 PHP文庫 90/12. 505e
宇宙への興味と想像力を開拓するために、このやさしく、詩的に書かれた本を手にとった。
ひじょうにほんわかとしたムードで、「宇宙はどこからきたのだろう」とか「人間はなぜ存在するのだろう」という根本的な問いが発せられているが、宇宙の分析がこの問いの満足ゆく答えを出せるかはちょっと違うんではないかと思わなくもない。
部分の中に全体に似たかたちが映しだされていて、逆に全体は部分のかたちを映している性質のことを「フラクタル」というそうだが、おお、これは華厳だ。
たとえば宇宙からの地上の川の分岐模様と身体の血管の網目模様はひじょうに似ているし、渦巻きの台風とコーヒーにたらしたミルクの渦巻き模様などはそっくりである。部分は全体であり、全体は部分というのはこういうことなんだろうか。
野本陽代『宇宙の果てにせまる』 岩波新書 98/7. 640e
宇宙の果てというのは大きな謎である。もし果てがあるとしたらその外にはなにがあるのか、もし果てがないとしたらどういうことなのか、まるでわからなくなる。
とうぜん宇宙の果てはまだわからないが、この本では宇宙の年齢や暗黒物質、進化する宇宙などが語られている。
ニーナ・ホール編『カオスの素顔 量子カオス、生命カオス、太陽カオス……』 講談社ブルーバックス 91. 854e(古本)
私としては古典的な機械的世界観より、カオスのようなわからない世界観のほうが好きである。世界は法則とルールだけでできていてはあまりにもつまらない。壊れているほうが楽しい。
西欧の研究者によって語られたカオス理論だが、私としてはフラクタルの自己相似形に興味をひかれたが、ほかはよくわかったというわけではない。
野本陽代、R.ウィリアムズ『ハッブル望遠鏡が見た宇宙』 岩波新書 97/4. 940e
ハッブル望遠鏡がうつしだした宇宙のすがたはカラフルで、きれいであり、また摩訶不思議である。
われわれの世界はこういうワケのわからない宇宙に囲まれている。ながめていると宇宙の多くは霧や雲、ガスのようなもので構成されているようだが、この世界の物質も同じ構成をしているのだろうか。
都筑卓司『10歳からの量子論 現代物理をつくった巨人たち』 講談社ブルーバックス 87/1. 980e
量子論は初心者の私にとってけっして理解しやすいものではない。人物と歴史からみると量子論はもっとわかりやすくなるはずである。量子論が問題としてきた知識が段階的にわかることにもなるし、人物への親近感もわきやすい。
この本は小松修のイラストもとてもかわいくて哲学的だ。あたらしく学問を学ぶときは人物と歴史を手かがりにするのが理解を助けやすいようだ。
岩田慶治『道元との対話 人類学の立場から』 講談社学術文庫 84+86 1050e
いまの私は森羅万象との一体感をもとめているのだが、それが仏教では果たせないから物理学とか宇宙論などのサイエンスを経由しているわけである。
道元は「心とは山河大地なり、日月星辰なり」といっている。この本はそういうことにずっと関わっていると思うのだが、とくべつに鋭い言葉と出会ったわけではない。
『道元』 中公バックス 日本の名著 (1200-1253) 1500e
哲学的にも評価されている道元の『正法眼蔵(抄)』の現代語訳である。
残念ながら目が啓かれるような言葉にはあまり出会わなかった。語っていること、文章にもひきつけられたわけでもない。言っていることの論理がわからないというところもあったが、語っていること内容自体にひきつけられなかった。
佐藤文隆『現代の宇宙像』 講談社学術文庫 79+α. 820e
現代の宇宙論を概括できるが、むずかしかったり、興味がなかったりした。
桜井邦朋『自然の中の光と色 昼の月はなぜ白い』 中公新書 91/7. 600(古本)
川面に反射するきらきらとした光はほんとうにきれいである。透明な水や波が織り成す光と影の模様もなんてすばらしいんだと思う。木々の葉に光る光や、地に落ちる葉模様の影もきれいである。
光とはなんだろうか。自然の中の光や色はなぜこのように見えるのだろうか。なぜ自然の光や色はこんなにきれいで、ずはらしいのだろうか。
サイエンス的な答えが必ずしも私の求めているものとは同じものとは思えないが、太陽の光や空の色、目と太陽など手がかりになるものが語られている。
それにしても光や色をつくりだす可視光というのが、ラジオと同じ電磁波であるというのはいったいどういうことなんだろう?
吉永良正『「複雑系」とは何か』 講談社現代新書 96/11. 641e
複雑系は世界観を変えるといわれているが、この本でもまだなにがスゴイのか、なにができるのかということはよくわからなかった。
本間三郎『素粒子の世界』 NHKライブラリー 97/4. 870e
量子力学だけではどうも理解の整合性ができてこないので、素粒子の世界でその隙間をうめられるか。いや、まだだ、目に見える物体と素粒子のあいだが感覚的につながらないよ。
広瀬立成『超ひも理論と「影の世界」』 講談社ブルーバックス 89/8. 900e
超ひも理論のことより、従来の量子論の世界のことが多く語られていたようだが、もう私は興味を失ってしまったので、べつにどーでもよい。
桜井邦朋『光と物質』 東京教学社 86/4. 1854e
光と物質とはなんだろうかと思って読んだが、この本の説明のていねいさとやさしさには感心したが、私の知りたいことが満足されたわけではない。
西本吉助 綿谷千穂『色はどうして出るの』 裳華房 91/6. 1500e
色とはなにかということが、女学生を主人公にした小説仕立てに説明される本なのだが、いきなり天使が出てきたりして、なんでこんなまずいハナシにつきあわされるのか、意図はわからないでもないが、あまりにもひどい。
田部重治『山と渓谷』 岩波文庫 1929/5. 560e
冠松次郎『渓(たに)』 中公文庫 79/4. 552e
私は山にのぼったり渓谷をめぐったりして自然の美しさを堪能するのが好きなのだけど、その清らかさや気持ちよさを活字の本で疑似体験しようと思ったのだけど、どうも私には自然の美しさを活字によって喚起する力はないようである。やっぱり写真でないとその良さがぜんぜん感じられない。(こういう傾向はたぶんエロスの世界にも通ずる?……)
またやっぱり信州などの山を語っているから、関西の山しかのぼったことのない私には親近感がどうもわかない。
廣松渉 吉田宏哲『仏教と事的世界観』 朝日出版社 エピステーメー叢書 79/12. 800e(古本)
現代哲学と仏教の出会いということで興味ある話が聞けると思ったが、残念ながら。
ルクレーティウス『物の本質について』 岩波文庫 (BC94-AC55) 620e(古本)
ローマの詩人哲学者による物質やこの世界のありようを語った原子論的自然観の本である。その論理的でひじょうに整合性のある文章には舌を巻く。
ご意見ご感想お待ちしております! ues@leo.interq.or.jp
2000年夏の書評1「自己と境界―私とは何か―仏教」
断想集「一滴のしずくの中の全宇宙』
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