Goodbye Little DADDYS's Town
――社会批判と迷いの浜田省吾論
1997/12/28.
わたしは浜田省吾が好きである。
18、9才のときから聴いているから、もうほぼ10年いじょうは聴きつづけている。
やっぱりメロディがしぜんによくなじむのだろう。
ふと想い出したように、浜田省吾のあのアルバムを聴きたいという気分になる。
あるときには『誰がために鐘は鳴る』が聴きたくなったり、『Promised Land』を聴こうとか、フィーリングに合ったアルバムを選んでいる。
ハマショーの曲には、だいたい大きく分けると3つのタイプに分かれる。
ラブ・ソングと社会批判と人生の迷いの曲である。
6割いじょうはラブ・ソングが占めるわけだが、はじめのころはわたしはこれにハマったが、いまはあまり心情的に傾斜する気はない。
もちろん、メロディ的にはとても気持ちが癒されるが。
わたしがいま気に入っているのはやはり社会批判と人生の迷いを唄うハマショーであり、その気持ちはいつ聴いてもとても共感する。
このエッセーでは、どのような社会批判や迷いを歌っているのか、とりあげることにする。
それをわたしはどう思うかといったことを書き連ねてゆきたい思っている。
インターネットでは、著作権がどうのこうのといろいろうるさいと思うので、きょくりょく、歌詞をそのまま引用するようなことはさし控えたいと思う。
社会批判色が強いアルバムというのは、デビュー・アルバムの『生まれたところを遠く離れて』と、『Promised Land〜約束の地』、『Down By The Mainstreet』、『J.BOY』、『Father's Son』、『誰がために鐘は鳴る』ということになるだろうか。
とくに『Promised Land〜約束の地』のなかの『マイホームタウン』という曲は、ハマショーの社会批判の集大成のような曲である。
みんな同じような夢を見て、同じようなニュータウンの家に住み、毎日毎日、むなしい仕事だけに追われつづけている、だれもがいつかこの街から出てゆくことを夢見ている、といった歌詞だ。
わたしは毎日が仕事で追われて空しくなったら、この曲を聴いてウサを晴らす。
ハマショーがこういうことを歌ってくれているだけでも、仕事だけのがさがさの日々にほんの少しの潤いを与えてくれる。
画一化した人間と、仕事だけの毎日と人生。
この「終わりなき日常」はいったいいつまでつづき、われわれの人生から幸福を収奪するのだろうか。
いったいいつになったら、われわれはこの空しい機械のような毎日を、みんなでやめよう、捨てよう、という気持ちになるのだろうか。
なぜだれもこの会社だけの毎日から逃げ出したいと思わないのだろうか。
なぜ、みんなこの退屈で窒息しそうな毎日に憤りや反感を表明しないのだろうか。
いったいだれがこんな息苦しい、人間のためでない社会の仕組みを、存続しつづけようとしているのだろうか。
わたしにとっては不思議でならないこの社会を、だれもがつづけているのはいったいなぜなのだろうか。
いったいだれのために、なんのために、こんな毎日をつづけているのか。
ほんとうにだれのためなんだろうか。
ハマショーのこの曲はわたしのこのような気持ちを代弁してくれている。
だからとても好きだ。
80年代にトレーシー・チャップマンというアメリカの黒人シンガーが、この街から早い車にのっていつか出て行こうという『ファースト・カー』という唄を唄っていたが、とてもせつないメロディが好きだった。
街から出て行こうというのは、この資本主義システムから脱け出そうということを象徴していると思うのだが、どの街に逃げ出しても、けっきょくは、この資本主義社会からは逃げ出せない。
どこかにこんな苦しい毎日がつづかない街があると夢想するだけで、われわれは慰められるしか仕方がないのだろうか。
なお、ハマショーの『マイホーム・タウン』の曲のあとには、『パーキング・メーターに気をつけろ』という殺人を犯した者の気持ちが唄われていて、ほかのロック歌手がそんな唄を唄えるだろうか。
かれは一日10時間働きつづけて、疲れ果てていて、想っているコに冷たくあしらわれて、犯行に及んだというストーリーである。
80年代に「豊か」だとさんざんいわれた社会でこのザマだ。
救いがない。
豊かさのモノサシがまちがっていたのだ。
『J.Boy』という曲はその豊かだといわれた日本社会の現実を唄っている。
仕事が終わって解放されると、怒りで叫びたくなるのが、われわれ日本人の毎日のウソ偽らずのすがただ。
掲げていた理想は遠く、守るべき誇りも失った日本の少年。
勝つためのサバイバル・ゲームは果てしなくつづく、限りなく豊かなこの国で、いったい何を賭け、なにを夢見たらいいのか――、ハマショーはそう唄っている。
われわれは「失われた世代」だと思う。
アメリカの1920年代のヘミングウェイやフィッツジェラルドのように、社会的には前の世代の夢や目標が実現されたのだが、そのために若者たちの夢や目標があらかじめ失われてしまっている。
いまの日本の若者はそれとうりふたつの状況におかれている。
しかも若者の世代にとっては、負の遺産ばかりが重たくのしかかっている。
若者はなんの夢も目標もないまま、途方に暮れている。
しかも大人たちがつくったマスコミや企業に踊らされる、消費者としてのカモの役割しか担わされていない。
若者たちはそれが自分たちの楽しみだ、カッコイイ生き方だと思い込んでいるのだろうが、たんに大人たちのつくりあげた産業戦略に踊らされているだけだ。
自分たちがほんとうにこれは楽しい、なにものにも変えがたいと思っているのなら、べつにそれはそれでいいのだが、ふとこのことに気づいたときのショックはなみたいていのものではないと思う。
踊らされ、バカにされていた自分の姿を垣間見せられたときのショックは、そうとう酷なものがある。
若者たちはこのまま、危うい「バカ殿」のまま、人生を全うできるのだろうか。
かつてはOLたちが「バカ姫」として、マスコミなどにおだてあげられていた。
「キャリア・アップ」や「ブランド品」、「海外旅行」に群がっていた彼女たちは、このリストラ時代にハシゴをはずされて、どのような生き方を選択するのだろうか。
あいかわらずブランド品とかファッションに着飾った女性たちが主流のようだが、現在の悲惨な状況の産業界と、かなりズレているように思える。
彼女たちは大きな潮流の転換を、まだまだ肌で感じていないようである。
『Daddy's Town』という唄は、タールとパルプのにおいのする、工業地帯の親父の街から出ていくという唄だ。
われわれの親の世代は、このような工業地帯の街で生きてきた。
そのような親父の象徴である街を捨てて、われわれはほかのもっとましな街に出てゆきたいと思っている。
それは工業社会に生きてきた日本人への訣別の言葉であり、これまでの日本人の生き方にたいする別れの宣言である。
われわれはアブラにまみれて生きた親父たちの生き方を、軽蔑して、なんとか越え出たいと願っている。
この曲にはそのような気持ちがこめられている。
ハマショーの曲には、サラリーマンの日常の苦悩や怒りが唄われている唄が多い。
通勤ラッシュにもまれる姿や上司にぺこぺこする姿、クビにされたり、こころもからだも病んで切り捨てられたり、心を隠して朝の地下鉄に乗ったり、仕事から解放されて彼女とメイク・ラブするだけが楽しみだといった歌詞が、随所に見受けられる。
それがまたいいのだ。
このサラリーマン、会社勤めのやり切れなさが唄われているのが心にグッとくる。
いくぶんステレオ・タイプ的、イメージ的なサラリーマン像であるが、ハマショー本人はサラリーマン生活をいくらか送ったことがあるのだろうか。
サラリーマン生活に反発してきたから、ロック歌手になったのかもしれない。
そのような人たちはやはりわたしのまわりにも多くいて、サラリーマン生活から逃れようとする人はとりあえず、ミュージシャンをめざす。
ハード・ロックのカッコをしたフリーターはどこにでもいる。
いまのような音楽だけではなく、サラリーマン生活に反発した人たちの道が、もっと開かれていたらいいととても思う。
いまではアジアやヨーロッパなどに海外放浪する道も開かれているのかもしれない。
企業家になる人や店を持ちたいという人はそんなに多くないだろう。
フリーターというのは、けっきょくはサラリーマンとほとんど変わりはない。
すぐ辞める、ひとつの会社にしがみつかないといった点では、旧来のサラリーマンの価値観にアンチを唱えているわけだが、金銭面や待遇面ではかなり不利な条件を背負わされている。
ただそんなことを求めれば、ほんとうにそのままサラリーマン社畜になってしまうのだが。
もっと多数の選択ができる世の中をつくってゆくべきなのだ。
さもないとサラリーマンをめざした、幼少期からの学歴競争の牢獄に閉じ込められた、人生コースを歩まなければならなくなる。
これではあまりにも悲惨だし、人生があまりにも貧困すぎる。
サラリーマン以外の道を開いてゆくことが急務であると思う。
それはわれわれ若者たちのこれからの、そして将来の子どものための課題ではないだろうか。
『Money』という唄はとても迫力あるイントロで、自分の生まれ育ったさびれた街を高校卒業と同時に出てゆく、といったことが唄われてゆく。
金は人を狂わせる、金はだれもかれをも変える、いつかビッグ・マネーを金持ちの前に叩きつけてやると叫んでいる。
ノリのいい唄なのでつい唄い出したくなるが、個人的には金持ちを怨んで、大金を手に入れたいとはわたしは思わない。
そんなことをめざせば、牛のように働かなければならないのは目に見えている。
わたしはそんな志向性をもたない。
あくまでも、持たない、のぞまない、のんびりした生活を求める。
デビューアルバム『生まれたところを遠く離れて』には、フォークのような、弾き語りのような唄い口で、この社会への怒りが唄われていて、とても好きなアルバムだ。
仕事だけの毎日に鬱憤がたまってきたら、このアルバムを聴きたくなる。
『壁に向かって』という曲では、こんなにみじめな暮らしの中でさえ愛想笑い、脅えている、もうやめようぜ、というフレーズがとても心に残る。
『HIGH SCHOOL ROCK&ROLL』では、親父の望みはひたすらひとり息子の出世だけ、学校のやることはひとつ覚えの大学、インチキ学校を辞めて、バイトをしていたが、いきなりクビになり、「おっかー、もうこれ以上、ガマンできねぇ」とハマショーは叫んでいる。
さいごにカネと力がなければどうにもならねえ、と怒りを結んでいる。
『とらわれの貧しい心』という曲はほんとに名曲で、脅えながら暮らす都会では、あやしげなイカサマ師たちも同じような悲しみにとらわれて生きているといったフレーズがとても心にくる。
わたしがサラリーマンの生き方を嫌うようになったのは、ハマショーの曲からだけではない。
ほかにももっと多くのロック歌手たちが、かれらを侮蔑した唄を唄っていたと思う。
どんな唄があったのかいまはよく思い出せないが、尾崎豊は中学のとき(わたしより2つ年上だから高校のときかな?)によく聴いていたし、いささか古いが、「就職が決まって髪を切ったとき、もう若くはないさと言い訳したね」の『いちご白書をもう一度』にも心をじーんとさせた。
爆風スランプの「わたしの青春を返せー」と叫ぶ中年サラリーマンを唄った、『45歳の地図』も笑えて心にのこっている。
われわれ若者たちは心のなかでこんなにサラリーマン社会を嫌っているのに、なぜこの企業社会はまったく変わらないのだろうか。
なぜ若者たちはそんなに反発する企業社会のなかに、ものを言わずにすんなりと溶け込んでいってしまうのだろうか。
現実問題として、メシを食ってゆくためにそうするしかないわけだろうか。
われわれはそのために自分たちの望む社会づくりを放棄しているのである。
これはわれわれと同じように後の子どもたちまで苦しめることを意味する。
なにもできないわれわれの世代の責任でもあるのだ。
…………
さて、これまでは社会批判としての浜田省吾を語ってきたが、少しだけ、迷いの浜田省吾をとりあげたいと思う。
『ミッドナイト・ブルートレイン』という唄だが、旅から旅へのコンサートツアーに疲れて、ハマショーがどこに行くのかも、なにをしているのかもときどきわからなくなるよ、と心情を吐露した唄で、哀切をさそうメロディがとても好きだ。
時は瞬く間に過ぎてゆき、描いた夢と叶った夢がまるで違うのにやり直せもしない、なにもかも投げ出して帰りたくなる、でもいったいどこへ……と泣きそうになる歌詞をハマショーは唄う。
ただ走りつづけることだけが生きることだ、ハマショーはいう。
『SILENCE』という唄は、同じような家と家庭を手に入れてもなにか心が満たされない、わからないよ、いまもなにを求めてこの心、さまようのか、と迷いを唄った唄である。
なにをしても、なにをやっても、われわれの心は満足することはない。
ハマショーはわれわれの心の迷いを代弁してくれている。
さいごに『誰がために鐘は鳴る』というアルバムから『夏の終わり』をとりあげる。
この曲もアルバムもいまでもとても好きで、よく聴きつづけているアルバムだ。
汚れた悲しいメロディが身を切るようにくり返す、もうだれの心も傷つけることはない、車もギターも売り払い、海辺の街で潮風と波の音を枕にひとり静かに暮らそう、といった諦観の境地を唄った唄だ。
人の心を傷つけたり、毎日の生活に疲れて、われわれはこの生活からなんとか逃れたいと思う。
そんな気持ちをハマショーはこの唄で唄っている。
現実にはそんな生き方はできないとしても、このような心のオアシスをもつだけでも、いっときだけでも、慰められはするだろう。
このほかにもハマショーの曲には名曲がたんまりとある。
ラブ・ソングは心をやさしい、あたたかい気持ちにさせてくれる。
社会へのメッセージを唄った唄もたくさんある。
これからもわたしはハマショーの擦り切れたテープとCDを回しつづけるだろう。
<終わり>
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