自らの職業を肯定できないことについて


                                               1999/8/25.






    いまついている仕事を「仮のものだ」とか「いつか違う仕事をするんだ」みたいな気持ちをもって

   いる人は多くいると思う。その職業をどうしても肯定できなかったり、誇りをもてなかったり、自分

   と職業を同一化できなかったりする。「いつか必ず」と思っていても、なにがやりたいのかもわか

   らないし、やりたいことにどうやって手をつけたらいいのかわからないし、そういうふうにしてずる

   ずると時間をついやしてゆくことになる。


    わたしもこういう気持ちがひじょうに強くて、片時もその気持ちが離れたこともなくて、ふらふらと

   さまよいつづける職業遍歴をくり返してきた。もともと社会に出るときもそういった気持ちがひじょう

   に強くて、ひとつも魅力的な仕事もめぼしい職種も見つけられずにモラトリアム期間へと彷徨をは

   じめた。


    むしろひとつの職種に自分が限定されてしまうことがひじょうに恐ろしかった。人生の終わり

   のような、自分の価値はたったこれっぽっちでしかないのかと、心の底からわきあがる恐怖と

   いうか、恐ろしさを感じたものだ。これはいまでも変わらない。ただアルバイトなら仕事は片手間

   とかあくまでも仮のものという意識をもつことができるので、そういった恐ろしさと対峙することを

   避けることができる。だからアルバイトなら割合、どんな仕事でも平気にすることができた。


    こういった意識はいまどんどん広がりつつある。高卒者の進学も就職もしないフリーター率は

   都内23区で22%、全国で8%に達するそうだ。大卒のプータローで10万人。就職氷河期という

   背景があるにせよ、目的や目標もある人もいるだろうから一概にはいえないが、職業役割に

   否定的な人が増えているのだと思う。社会に出て就職しても転職する人はどんどん増えてい

   るのだから、こういう人はより多くいるはずである。


    わたし自身いまもってなぜこういう気持ちになるのかわからない。ひとつの職業に自分が限定

   されてしまうことをひじょうに恐れている。なぜなんだろうか、どうしてなんだろうかといつも思う

   のだが、納得ゆく答えを見出したことがない。こんなのでは立派な大人(?)になれないとか、

   生計費や将来の計画をたてられないというプレッシャーもいくらかはあるのだけど、どうも自己

   限定の終了というふんぎりや見切りがつかない。


    前回のエッセー「職業貴賎と軽蔑」で職業貴賎つまり職業侮蔑的なものがそのような気持ち

   にさせるのだというひとつの考えを出してみたが、この要素もいくらかあるのだと思う。カッコイイ

   仕事、羨ましがられるような仕事につけば、みずからの仕事を否定したり軽蔑したりしなくなる

   かもしれない。だいたいわたし自身はそういう仕事に程遠い職種についている。


    だけどそういう期待もすべて幻影だろう。憧れの仕事につけば不満はなくなるというのは、

   おそらく起こらないだろう。どんな仕事についてもそこにはランクや階層があって軽蔑感をいだ

   いたり、自らの仕事をさげずんでいる自分がいることだろう。


    けっきょく自分自身の捉え方や考え方が問題なのだろうか。職業の否定は職業のみでは

   なくて、自分自身そのものへの否定なのだろうか。自分自身がいつも満足できないということ

   なのだろうか。あるいは自分の頭の中に軽蔑や侮蔑する思考の習慣をつくりあげてしまったが

   ゆえにすべての物事をそのように見なしてしまうのだろうか。


    もしかして自己誇大症みたいなものなのかなとも思う。自分はもっと優れており、もっとよい

   仕事、もっとよい境遇に値する人間だと誇大した自我をかかえこんでいるのだろうか。自分の器

   や才能や頭脳の限界を知らずに分をわきまえずにもっともっとという誇大妄想をかかえもって

   いるのだろうか。自己愛とか全能感が肥大化したまま、わたしは現実との着地点をどこにも

   見出せずにいるだけなのだろうか。


    逆に現代というのは自己愛とか誇大自己をどんどん煽る社会である。もっと勉強したり努力

   したりすれば高い地位高い収入を得ることができる、この車に乗ればこのアイテムを身につけ

   ればあなたはもっとすばらしくなると妄想を煽りつづける社会である。そういった誇大妄想を

   吹聴しつづけているのがこの社会であり、われわれは人生の大半を――とくに最近の若者は

   マーケットの主役であるから――際限なくおだててあげられた消費者と過ごしている。こういった

   汚染のためにわれわれは天にも昇るような全能感や誇大自己を身につけてしまったのだろうか。

   そういった自己像をもっているのなら、働いたり、作業したりする矮小な自己は耐え難きもの

   に思えてしまうかもしれない。


    誇大自己がみずからの職業にたいする違和感や不満感を醸成するのだろうか。わたしは

   もっともっとデキル、可能性がある、もっとよい仕事があるはずだ、と思わせるようになるのだ

   ろうか。自分自身の感覚としては誇大自己というよりか、どんな仕事もみじめでみすぼらしい

   という意識がまず先にくるようである。逆にいえば、そう思うのはほかにもっとそうでない仕事

   があると思われているからそう思うのであり、やはり理想像がどこかにあるのだろう。そういう

   幻影や虚構をわたしは追い求めているのだろうか。


    わたしは自分のこの職業に対する恐れとどう向き合ったらいいかわからない。自分の不満や

   恐れはただ自分の身勝手や誇大自己から出たものなのか、それとも社会や時代になんらかの

   問題点があったり、過渡期であったりするからなのだろうか。自己限定を嫌う心性はだいぶ前

   からモラトリアム人間の拡大化という現象にあらわれているし、転職や流動化が盛んになる

   これからはもっと広がりを見せることになるだろう。こういう迷いはこれからもっと深くなってゆく

   のかもしれない。


    しかしモラトリアムをいつまでもつづけてゆくわけにはゆかない。あるいはモラトリアムの

   無意識の目的は自己の可能性を限定させてゆくこと――挫折へと導くことなのかもしれない。

   誇大自己の破綻をめざしているのだろうか。夢が醒めるまでわたしは彷徨をやめられないと

   いうわけだ。


    しかしたえず自己否定や自己侮蔑にさらされているのはとても気持ちがよいものではない。

   職業を軽蔑ばかりしていたら、この貨幣経済のなかではとても食っていけるわけではない。

   どこでこの職業軽蔑を刷り込まれたのかわからないし、どのようにして自分のなかでその

   意識をつちかっていったのかわからないが、人様になにかを売ってでしか生計を立てられない

   現代ではこういった考えを転換させる必要がおおいにあるわけだ。


    小学校の先生のようにどんな職業にも価値と役割があり、誇りがあるという側面に目をつけ、

   その意識を強化してゆくことが必要である。わたしはほんとに職業のみじめなことや軽蔑する

   側面ばかり見ていたことを告白しなければならない。これではとてもまともには企業社会を

   渡ってゆくことはできない。


    そして見えない職業貴賎、つまり職業侮蔑をつちかうような社会ではこのような意識をもつ

   人がたくさん潜在していることは否めないだろう。ある種の職業を軽蔑するということは、

   職業全般にわたっての職業侮蔑の芽をはぐくむことになる。そしてそれはきっと自分自身の

   仕事にも向けられるし、そのような職業につかざるをえない自分への憎悪、否定をつちかう

   ことになるだろう。


    他人への軽蔑はかならず自分に返ってくる。それはまさしく自分自身の首を絞めることになる。

   軽蔑していたことが自分の身にふりかかってくることもあるだろうし、軽蔑の上に築かれた

   自己というのはひじょうに危ういものである。現代のわれわれというのは職業侮蔑の上に

   築かれた高い塔に住んでいる可能性がひじょうに高い。競争社会の勝つことや人より優れよう

   とする原動力はまさに軽蔑という感情にあるからだ。軽蔑や劣等感が社会を動かしている。


    いろいろな仕事の誇りや価値といったものをふたたび見出すべきなのだろう。偽善的教育の

   ためなんかではなくて、まさに自分自身の心の平安、人間の成長のために必要なものだと

   思う。できれば、わたしは心のこのような習慣を、遅まきながらであるが、かたちづくってゆき

   たいと思っている。


    どんな仕事にも誇りや価値があるということ、このようなまなざしをもつことはひじょうに大切

   だ。軽蔑のまなざしをもっていたら――たとえば大企業ではないとかホワイトカラーではない、

   かっこよくないとか華やかではないとか、そういったまなざしをもっていたら、自分の携わる

   どんな仕事も愛せないだろう。

   





    みなさんはどうですか? 自分の仕事に満足していますか、もっとほかにいい仕事とか
   ほかになにかあるはずだと思っていませんか? やっぱりそこには自分の仕事にたいする
   軽蔑とか侮蔑心をもっているのではないでしょうか。ご意見お待ちしております。
                          ues@leo.interq.or.jp




   誇大自己や自己愛についてのくわしい本はこちら。

   小此木啓吾『モラトリアム人間の時代』 中公文庫
          『自己愛人間 現代ナルシズム論』 ちくま学芸文庫

   わたしも反省の意味もこめてもう一度読み返そうっと。



   リンクです。このエッセーのもとになったのは現在指圧鍼灸師をしておられるヒッコリーさんの
    回顧録です。自分の職業を肯定できなかったのは職業への差別心があったのだと気づか
    れる経緯はかなり迫真をおびています。多くの人がこんな心の傷を抱えているのだと思い
    ます。 「自らの職業を肯定できなかった」


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