ひたひたと忍び寄る経済の惨禍


                                              1999/7/11.



    見えないところで経済の惨禍はゆっくりと進行している。不況不況、倒産、失業と騒がれて

   久しいが、目に見えるかたちでその惨劇があらわにされることはまだ少なかった。それが

   大阪市内の公園でのホームレスの激増ぶりや、中高年者の自殺増とかの報道を見ていると、

   とうとう深刻な惨劇をもたらしはじめたと思わずにはいられない。


    98年の自殺者は3万人を越え、中高年にいたっては7割増ということだ。交通事故死は

   約1万人、過労死する人は約1万人。中高年の自殺で多いのは失業やリストラを理由にする

   よりか、債務問題が約半数を占めるようだ。おそらくギャンブルや消費で借金を大きくしたの

   ではなく、住宅ローン破産や経営問題などで行き詰まったものが多いと思われる。生命保険は

   支給開始を一年から二年へとひき伸ばそうと考えているそうだ。生命保険めあてに自殺する

   人が多いわけであり、そこまで追いつめられている状況が浮き彫りにされる。


    中高年の受難の時代である。受難どころではない、惨劇が襲いかかっている。右肩上がりの

   給料ベースアップでローンを組んだり、生活レベルを設定していた人たちには、寝耳に水と

   いった事態だ。とつぜんに登らされたハシゴを外されたようなものだ。給料は上がるものだと

   思われていたし、マイホームはみんなが買うものだ、好調なときの給料ならローンを払い切れる、

   あるいは不動産屋や銀行に後押しされて、かれらは住宅を購入し、教育費のかかる学校に

   子どもたちを進学させた。株価バブルだけではなく、生活レベルの幻想が弾けたわけだ。


    ここに起こっていることは、右肩上がりの時代と右肩下がりの時代との衝突である。給料減や

   倒産、失業といった右肩下がりの状況と、マイホーム、進学、消費生活という右肩上がり時代の

   虚栄と幻想の後始末を迫られているわけだ。だけどなにもかれらだけが悪いのではなくて、

   世間や社会がそのように押しつけたきたし、むしろ生活のレベルアップは社会が歓迎、後押し

   してきたものだ。そういったツケがいま、個々人の肩に――とくに中高年に集中的にあらわれ

   ている。いったいだれが悪いというのだろうか。


    産業というのは必ず個々人と敵対するものだ。われわれの幸福を願ったり、慮ったりする

   慈善団体とはまちがっても勘違いしてはならない。たとえばかなり極端に言えば、医者は

   みんなが病気や病人になることを願うものであり、建築業者や土木業者はすべての建物や

   道路が一昼夜に壊滅してくれと思っているのであり、クレジット会社はみんなが所得では

   支払われない虚栄や分不相応の生活をしてくれることを願うのであり、生命保険はみんなが

   万が一の事故や病気を必要以上に恐れてくれと願っているし、電気産業界は商品にすぐに

   飽きたり、すぐに商品をつぶしてくれ、等々と(ほかにあげれは切りがないほど)願っているの

   である。


    産業や商業とはじつのところ、こういうものなのである。われわれ個々人の利益や幸福を

   願っているのではまるでなく、かれらの利益と貢献にしか関心がないというものだ。その根底

   には悪意や悪魔的な願望があるというのが産業者の――残念ながら――真意というもので

   ある。個々人は善人や良心的であっても、市場や産業の利益というのは究極的にこういうこと

   を目指しているわけだ。だからわれわれは産業がもたらすものにあまりにも軽はずみに信頼を

   おくべきではないし、いつも警戒の念をしのばせておくべきなのだ。産業が利益をあげるのは

   どこかに異常な偏りがある証拠であり、異常な状態であると考える方が妥当だ。


    この不況下においてクレジット会社は最高の利益をあげているという話だし、人が死んだら

   生命保険がおりるというなんとも不吉な商売のために自殺者が急増している。ローンやリストラ

   のために家を失ったり、貧困な生活を強いられている人が多くいる中でクレジット会社は利益を

   あげ、多重債務やローン破綻におちいった人たちは、みずからの命とひきかえに生命保険を

   手に入れる。こういった事態がいまひそかに進行している。父を失い、あるいはこのために一家

   離散の状態におちいった子どもたちはいったいこれらのことをどう思うのだろうか? 


    自殺者3万人とか自己破産5万、失業者何百万とかの数字ではかれらの苦悩は見えてこ

   ない。だけどかれらのひとりひとりがいま、追いつめられ、責めたてられているのである。

   その苦悩や苦痛はいったいどのようなものなのだろう? このような状態がいま、人知れず

   進行しつづけている。テレビや雑誌ではなぜかあまりそういうことをとりあげていないが、

   これからもますますこういった人たちが増えつづけてゆくことだろう。そしてそれはつまり、

   生産者にたいする消費者の割合を減らすということであり、経済がますます冷え込むのは

   まちがいない。


    中高年の自殺増には最近の中高年をじゃまものあつかいする風潮がまたその傾向を助長

   させているそうだ。会社からは給料が高いうえに働かない、利益に貢献しない、下の世代から

   は過去の障害物や老害だとつきあげられ、リストラされ、家庭でも離婚、世間の女子高生との

   かかわりですっかり「エロ・オヤジ」という下品なイメージを定着させられたし、会社の外に出て

   みれば、まったく転職先がない。


    かれらはまったく罪のない、時代の断絶に翻弄されたかわいそうな人たちなのか、あるいは

   のちの世代から総スカンを食らうほど、既得権益やカネをふりまわしつづけた哀れなハダカの

   王様だったのだろうか。わたしにしてみれば、会社人間化と会社文化しかつくらなかった、

   たしかに腹立たしい人たちではあったが、おそらく時代の強制と要請という要因もあったことだ

   と思う。いちばん高いハシゴに登らされたこそ、どこにも着地点を見出せないのだ。


    給料の賃上げや福利厚生などの権利を主張するばかりではなく、もう少し早く余暇時間の

   拡大を狙っていたら、情報社会や余暇文明の進展も見込まれて軟着陸も可能だったのでは

   ないかと思うのだが、カネに目がくらんだ人たちには成功の陥穽が見えなかったようだ。

   産業界の利益に絡みとられて政治と官僚は個人を殺しつづけ、創造と独創が必要な時代への

   路線転換をみごとに怠ったのである。個人が殺されていたら、つぎの時代の夢も希望もふくら

   まない。あとは国家とともに没落してゆくいっぽうである。


    多くの中高年たちには家族や子どもたちがいる。中高年の危機はその家族や子どもたちの

   危機でもある。この人たちが会社から放り出され、転職先もない、ローン破産、ホームレス、

   自殺といった目もあてられない状況ばかりに陥るのは大きな問題だ。これからますますそう

   いった人たちが多くなってゆくのもたしかだろう。わたしたちの身の回りでも家を追われたり、

   貧困に陥ったり、自殺者が出たりすることに出くわすこともあるだろう。


    なんとかならないものなのだろうか。もうこれは非常事態である。市場原理だけに任せて

   いてはますます悪くなるばかりだろう。だけど緊急用に土木工事とか非熟練的な雇用を

   大量に創出することはかなり難しい時代だ。ワーク・シェアリングによって雇用を増やすとか

   かなり根本的な雇用創出策が必要なのだろう。一刻も早くそのような案がおこなわれることが

   のぞまれる。傷は大きくなるばかりである。


    経済的惨禍はひたひたと個々人の生活や家庭を侵しはじめている。いまのところそんなに

   目に見えてこないが、このままでは確実に何年か先にそのような状況に陥る。そのようなこと

   になったとき、われわれは経済やこの社会についてどのように思うようになるのだろうか。

   経済的困窮と惨禍、没落の時代である。ヤケになるのか、もっとがんばろうと思うのか、それ

   ともただ経済の変化に脅えつづけるだけなのだろうか。


    ただ嘆いてばかりいてもはじまらない。生活が苦しくても、みょうな羞恥心や世間体とかを

   もたなかったら、けっこう楽しく暮らせるものだし、それなりの自由や喜びも得られるだろうし、

   工夫もするものである。返ってカネや仕事ばかりに追い立てられない生き方が実るかもしれ

   ないのだ。そういった心の転換ができるのなら、これからの社会はとてもおもしろいものになる

   に違いない。経済的格差がひろがる社会はある意味では自由に生きられる社会でもある。

   これがカネや平均、世間体に追われないほんとうの心の豊かさ、成熟というものである。





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