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 ■061126断想集


 ■『氷点』は白雪姫の物語だったとは。             2006/11/26

  

 『氷点』はなんどもドラマ化されていて、三浦綾子の原作を読みたかったのだが、こんかいはじめてドラマでみた。

 殺人者の娘を育てる――しかも自分の娘を殺した犯人の子どもを――という、とてつもなく辛いドラマなのであるが、みていて辛くて仕方がなかった。とくに女の子が母親に冷淡にされるシーンがいちばん泣けて、つらかった。

 「原罪」や「罪と赦し」がテーマになっているとよくいわれているが、私はこれはまるっきり『白雪姫』の物語ではないかと思った。

 『白雪姫』は覚えていないかもしれないが、これは母親が娘の若さや美しさに嫉妬する話である。娘は若くて美しく成長してゆくばかりなのに、親として献身的に尽くす母親はそれとは逆に娘に消費されるように老いて美しさは衰えてゆくばかりである。

 いわば、娘は母にとって「殺人者の娘」としてあらわれてくるのである。若さや美しさを奪いとり、死――つまり殺人の予告者となってやってくる。そのような存在である娘に嫉妬し、つらく冷酷に当たる。『白雪姫』では義母であるが、それはもちろんじつの母親のオブラートにくるんだ表現であって、白雪姫をなんども殺そうとするのである。

 『氷点』はこのような母と娘の若さと老いのテーマの作品であって、原罪という抽象的なテーマではわかりにくい普遍的な関係が根底にあるのである。たしかに表面的には「殺人者の娘」というショッキングな内容が主軸的に展開されるが、この物語が私たちの心を激しくつかむのは、そういう表面的なありえない辛い設定ではなくて、どこにでもあるありふれた母娘の嫉妬や葛藤があるからである。

 母は自分の老いてゆく肉体をうけいれてゆかなければならないのだろう。また嫉妬したり、憎悪したりする自分の心を否定するのではなく、うけいれて、ただ浮かんでは消えてゆく心を余裕をもって眺められるようにならなければならないのだろう。私たちはその心をどうにかしようとして、その心のワナに囚われてしまうのである。つまりは否認したりコントロールしようとして、ぎゃくにその嫉妬や憎悪を強く立ち上げてしまうのである。

 またこれらの物語にはぎゃくの解釈もある。つまり娘側の嫉妬心を親に投影してしまうがゆえに――なにしろ子は親に逆らえない――親が嫉妬したり迫害したりするのだと思うようになるという精神分析家の分析もある。いったら、娘も嫉妬や憎悪をどうとりあつかうかという物語でもあるのである。

 殺人者としてあらわれてくる娘の存在はいわばわれわれが老いや死とどう向き合うのかという問題をもひきつれてくるのである。その怖れがゆえに若さや美しさを不条理に憎み、嫉妬するようになる。『氷点』のショッキングさやつらさはそういう問題をわれわれにつきつけるのである。


 ▼『白雪姫』の解釈はこれらの本に教えられました。
 





 ■年功序列の常識を厳しく問え            2006/12/16

 城繁幸の『若者はなぜ3年で辞めるのか?』は会社のつまらなさを年功序列にもとめていた。年功序列の中では下積みの仕事や安い給料も、将来の賃金アップやポストによって報われなければやってられないのだが、すでに高成長経済もなく、ポストも中高年が長蛇の列をなして待っている。若者には年功序列の見返りは期待できないのである。

 現代の若者は報われない仕事をやらなければならず、そんな会社にいや気をさして辞めてゆく。しかも年功序列を維持しようとする年長者たちは、年功序列から排除した仕組みとしての派遣やフリーターを導入して、年功序列をもちこたえさせようとしている。つまり自分たちだけは年功序列の見返りはちゃんといただいて、これからの若者は一生ポストも賃金も上らない非正規雇用に後釜をひきつがせるのである。

 こちらの賃金カーブの国際比較(社会実情データ図録)を見ていただきたいのだが、日本男性の賃金カーブはブルーカラー、ホワイトカラーともに急上昇をとげている。ほとんど上らないスウェーデンやドイツと比べると一目瞭然である。ちなみに女性の賃金カーブはほぼ上らない。

 この急激な賃金カーブを維持するためには毎年売り上げか伸びなければならないし、業務やポストは拡大してゆかなければならない。1990年代からの長期不況と低成長時代になっても年功賃金は維持され、そのために新規採用は抑制され、非正規雇用が拡大された。つまり年功序列の維持にはすべて若者に犠牲が押しつけられたのである。非正規雇用の若者の賃金は半分であり、社会的信用も将来の安定もない。

 考えてみたら、年功賃金とはおかしなものである。お客にしてみれば、その人が長く勤めたからといって、高いお金を出してモノやサービスを買うことはない。ポテトチップスやカープラーメンを買う際に、つくった人が長く勤めたからといって新人のそれより高い金を払って買うことはない。客にはまったく関係のないことなのだが、日本の社会にはそのような常識がまかりとおっているのである。

 年功序列が成立したのは高度成長の時期に重なったからだろう。市場や売り上げが伸びつづけた時代に、賃金やポストを増やしつづけることが可能であったのである。90年代の長期不況と低成長の時代になってそれは不可能になった。けれど企業と社会の風土には色濃く年功序列の常識がのこりつづけている。ひとつの会社に長く勤めつづければ、賃金とポストは上がりつづけると思い込む常識はいまだに根強い。

 年功賃金は長期勤務者には好都合のシステムであったし、企業側にしてみればベテランや熟練者をながく企業においておくことができた。しかしそれは同時に中高年の賃金高騰をまねき、中高年の転職市場を閉ざした。げんざいでも求人の年齢制限が35歳にあるのは、この経済社会には根強く年功賃金があるせいだろう。年齢で給料を決めてきた企業に、いきなり中高年の新人に中高年の賃金を払うことはできないし、それなら安い若手を雇おうということになる。高い年功賃金は同時に中高年の転職市場を殺してもきたのである。

 われわれの社会はながく勤めつづければ賃金やポストが上りつづけるものだという思い込みが強い社会である。常識にさえなっている。降格や賃金カットは屈辱的なものである。そのような常識を支えるために、非正規雇用は増大してきた。つまり給料は上がりつづけるものだという常識が、給料の上らない非正規雇用を生み出したのである。自分たちの常識を守るために、常識の「埒外」におかれる人たちを生み出したのである。

 たぶんにわれわれはこの給料やポストは上り続けるという常識を廃棄しなければならない時代に来ているのだろう。それを維持するためにはその恩恵が受けられない犠牲者を極端なかたちで生み出さなければならない。社会すべてで年功賃金の常識の終焉を共有する必要があるのだろう。低成長の時代にはそれがスタンダードとなるのである。

 年をとるごとに会社での地位や給料は上りつづけるという常識はひろく社会に共有されている。バブルが終わったころに、あるいはバブル以前にこの常識は高度成長の産物にすぎなかったと社会に共有されるべきであったのかもしれない。おかげでげんざいの社会は年功序列の恩恵にあずかれる人とそうでない人たちを生み出した。同じ仕事をしていてもその差異が適用されるのだから、その差異の説得性はまったくないまま、ずるずるとここまできた。年功序列は大なたで切られる必要があったのである。それができなかった社会は世代間や同世代間の不公平感を醸成しつつある。

 げんざいの会社員の年功賃金や年功ポストは落とすことができるものなんだろうか。このしくみのままでは若者はなんの希望もないし、報われる見込みもないし、犠牲にされるばかりである。そればかりか、非正規雇用のようにはじめから年功序列から排除された人たちをも生み出したのである。労働倫理も勤勉の論理も生み出されることはないだろう。若者はやる気やこらえ性がないと若者のせいにしたり、ニートやフリーターを非難する正当性はないだろう。かれらこそ自分たちの常識の維持のための犠牲者なのだから。

 年功序列という常識を厳しく反省しなければならない時代に来たということである。





 ■ノロウィルスにはご注意を       2006/12/19

 ノロウィルスが大流行しているが、私は12月の初旬にノロウィルスにかかった。下痢気味な上、気分が悪くなり、嘔吐した。職場でノロウィルスの患者が出たから、たぶんうつったのだろう。しかしまったく感染ルートがわからない。

 水みたいな下痢ばかりになり、トイレットペーパーは一日一本ほど必要になった(笑)。まずはトイレから離れられない。熱も出たから、しんどかった。なによりも、嘔吐のときの気分がいちばん悪かった。腹は痛くはなかったのだが、水みたいな下痢には腹の中はどうなってしまったのかと思うほどだった。

 二、三日寝込み、体力の回復を待つしかなかった。医者にいくと腹をぽんぽんされただけで、若いということですぐ帰された。ノロウィルスかの検査は、風邪のウィルスの種類が検査されないようにふつう医者はしないようである。だから正確にはノロウィルスかはわからなかったのだが、こんな水のような下痢ははじめてであるし、医者もたぶんそうだろうといっていた。

 それにしても感染ルートはわからないし、こんな下痢症状が感染でうつるとは驚きである。風邪はせきや熱が出るが、ウィルスはせきによって感染ルートをつくる。下痢の場合はトイレに流されるから、嘔吐物が衣服について感染するルートがあるのだろうか。ホテルで三百人感染したように感染力は強力である。こんな伝染病が流行るなんて驚くほかしかない。ウィルスという存在はどうして宿主を痛めつけながら、繁殖しなければならないのだろうな。

 病気から回復し出したとき、めったに食べないお茶漬けがたいへんおいしかった。漬け物もまたうまかった。病気はシンプルな食べることの喜びを味わせてくれたのである。





 ■クリスマスと性交と太陽の再生         2006/12/24

 2年前に「なぜ聖夜が性夜になったかについての考察」をおこなったが、新たな知見が加わったので訂正しなければならなくなった。

 クリスマスとはキリストの誕生日を祝う日とされているが、それより昔には冬至に太陽の復活を祈るミトラ教の儀式であったのであり、古代日本にもそれと同じような太陽の復活を祈る儀式が性交に仮託されており、ゆえにクリスマスはカップルの性なる夜になったのは先祖がえりともよべるものであったのである。

 正月に初の日の出を見にいく習慣が現代日本にもあるが、それは新しい年の再生した太陽を拝みに行くためである。日本人は現代でも新しい太陽に神秘的なものをみているのであり、また日本の最高神は天照大神であり、つまり太陽信仰が現代でものこっているのである。国旗も日の丸である。

 古代には太陽は冬至の光の弱まった時期に死に、新しく再生すると考えられていた。西の山や海に沈んだときに黄泉の国(死の国)に入り、東の山や海にふたたび甦ると考えられていた。古代エジプトではその間を太陽の舟によって地下の海を運ばれるとされていた。

 このような太陽信仰は古代の世界の各地で信仰されており、その痕跡はエジプトのピラミッドやマヤの太陽神殿、イギリスのニューグランジなどにのこっている。ニューグランジは冬至の太陽の光が奥の石室に届くようになっているのである。

 現代日本でも太陽信仰の痕跡は神社や寺、山岳などを結びつけたレイラインにみることができる。神社や山岳は冬至や春分・秋分、夏至の日の出や日没のラインで結びつけられていたのである。有名なレイラインは「太陽の道」とよばれ、伊勢神宮の古代にあった場所から室生寺、長谷寺をとおり、三輪山、二上山をへて、大鳥大社、淡路島の伊勢の森へと一直線にならぶのである。

 太陽は神であったのであり、光の弱る冬至に死に、新たに甦る。古代の人は太陽の死と再生に生命の死と再生を重ねてみたのであり、生命の豊穣をつかさどるのは性交である。よって太陽の死ぬ時期に新たな生命を性交によって生み出さなければならない。冬至に性交がおこなわれるのは太陽や生命の豊穣を願ってのことなのである。

 初代の神武天皇は三輪山の大物主神と人間の娘から生まれた子を皇后にめとった。よって天皇は神の子孫とされる。古代天皇は太陽の死と再生や、または穀霊の死と豊穣を儀式で祈った。民衆の願いを総括する意味で、天皇は太陽や穀霊の再生をつかさどる存在でなければならなかったのである。

 また天皇自身も死後、神となって再生することを願った。太陽が死んで甦るように、また生命が冬に死に、春に新しく生まれるように、天皇は古墳にそのような願いをこめた。古墳は神となって甦るための再生の子宮だったと考えられるのである。

 冬至は太陽が死に新たに生まれ変わる日である。そのような神聖な日に太陽や生命の復活は願われて性交がおこなわれる。日本の祭りは稲が収穫される秋になって感謝の意味でおこなわれることが多いが、古代には太陽の死と再生を願う儀式が先行してあったと思われるのである。日本の性はかつてはおおらかであり、祭りには性の解放がおこなわれたり、神社には性器をかたどった神体が祀られていたりした。豊穣や再生を願う意味で性は神聖なものであったのである。

 クリスマスにはかつての日本のそんな習慣が甦ったものと考えられるのである。太陽の復活を性交によって願われるのである。そして当のクリスマスも古来には日本のような豊穣を願う性の儀式があったと思われるのである。性が豊穣を願う意味から、季節の死と再生から切り離されて、たんなる快楽や誕生の営みに変わったときに、禁欲と私秘化されるものになったのである。

 クリスマスはもともとキリストの誕生を祝う日ではなかった。冬至の太陽の死と再生を願う儀式であったのである。もしかしてキリストは実在の人物ではなくて、太陽や穀物の死と再生が象徴されて人格化されたものとも考えられるのである。自分の身体の象徴であるパンやぶどう酒を弟子たちに食べさせたのは穀物の秋の実りの象徴ならとうぜんのことであり、復活の話は春に太陽や穀物がふたたびよみがえる季節のサイクルとも重なるのである。

 キリストはわれわれ人間がほかの生命を奪って生きながらえるという罪の意識を癒す存在であったのかもしれない。中南米の古代文明で生け贄が捧げられたのは大地が血を流して食物をあたえてくれたのだから血で贖わなければならないという考えがあったからである。

 このような太陽や穀霊の死と再生の物語は日本でも、また古代の世界中でも信仰されていたものである。そのような古来の慣習がのこっていたからこそクリスマスは受容され、そしてこんにちのカップルの性夜として日本に定着することになったのである。クリスマスとはじつに日本の土着的な慣習なのである。






 ■大和川にダイブ〜。ぽしゃん。          2006/12/24

 
 

 なぜか大和川にダイブした車が止まっておりました。どこへ行くつもりだったんでしょうか。007みたいに川を車で渡れると思ったんでしょうか。ここは土手が二段になったジョギング・ロードの下ですし、手前には橋がありますし、ヘンなところに落ちたものです。




 ■原付バイクでどこまでいけるか 大阪篇      2006/12/27

 去年10月にとった原付免許。齢38歳にしてのはじめてのモータリゼーションを味わって、うれしいので方々に行動範囲を広げました。地図にしてみるとこんな感じ。

 

 私は大阪市の住吉区に住んでいますが、日帰りを基準にすると滋賀県は近江八幡や大津市、奈良は月ヶ瀬村や曽爾高原、または吉野、和歌山は高野山や天川村、海南市、兵庫は三田市や三木市まで足がのばせました。これらの場所はじっさいにアホみたいに走りまくりました。

 地図は直線で引くという愚をおかしていますが、だいたい60キロくらいは走れるのでしょうか。暗くなる前に山を越えたいので、朝から出て4、5時間で折り返し地点に到達するわけです。昼からだと3時には折り返さなければなりません。40キロ平均で計算すると5時間で200キロは走れるはずですし、一時間で40キロ走れるはずなんですが、地図で見るとそんなに距離がのびていませんね。

 近江八幡でだいたい100キロなんですが、片道6時間、往復12時間かかってへろへろでした。しかも原付はたったの30キロ制限ですから、スピード違反で二度ほどつかまりました。何十キロもの距離を30キロで走るのはムリだって。狭い道をゆっくり走るのは車の迷惑だし、路注の車をよけたり右折するためには30キロで走るのはキケンのなにものでもありません。原付に乗っているとこの矛盾を強烈に味わされますね。

 バイクで走ってわかったのは、大阪の都会や平野はかなり広いものですが、どの方角も山岳地帯に囲まれているということですね。東にいくと生駒山地、金剛山地、南にいくと和泉山脈、北にいくと北摂の山々や六甲山地にぶちあたります。

 日本は山の国だということがいまさらながらよくわかりましたね。山々の風景を楽しむのは爽快なものがありますが、山道やいなか道は通過点としか考えていない車が多く、風景をゆっくり楽しめないのが残念ですね。

 バイクは冬は寒いし、山間に入るとその寒さはいっそう身に沁みますし、雨に打たれるつらさはそうとうのものがあります。車のほうがいいと思うんですが、車は高いし、駐車代なんかにとられるのはバカらしい。バイクのよさは渋滞をすりぬけられることと、季節のいいときには気持ちのいいものがありますね。

 バイクでこけたのは二度ほど。雨の日のスリップとパンク転倒がありました。さいわい軽いケガですみましたが、転倒するコワさと痛みはいやになるほど味わいましたので、雨の日は絶対に飛ばさないことと、調子に乗ってスピードを出しすぎないよう気をつけることを覚えました。生身の負傷者をみるといっそうそういう気持ちが身に沁みます。

 バイクでとごまでいけるか&山間の風景を楽しむという探索はここにきていちおう一段落しました。休みになったらバイクでどこへいこうかという気持ちはおさまり、家でのんびりする日ももどってまいりました。いまは寒いしね。また新たなバイクの楽しみを見つけたいと思っています。





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