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■040328断想集



 リニューアルしました。         2004/3/28

 新しいパソコンを買いました。

 以前のパソコンは96年の初頭に買ったものでそれからいままで一度も買い換えず、メモリもハードの増設も一度もしたことがなかったので、新しいソフトも容量不足でインストールすることもできなくて、かなり不満がたまっていた。

 東芝のブレッツァというシリーズでCPUが100MHz、メモリが8MB、ハードディスクが450MBしかなかったのだ。Windowsは95だ。それをいいまで使いつづけていた。パソコンの性能なんてどうでもよかったのだ。でもすこしだけつらかったのは、ホームページで使うロゴのソフトがインストールできなかったこと、デジカメの使用に耐えなかったこと、雑誌の付録にあるソフトも入れられなかったことだ。

 貯金がようやく貯まってきたのでここらでひとつ新しいパソコンを買おうということになった。雑誌を見るといまは液晶モニターやテレビパソコンが主流になってきているが、ほしいと思って日本橋の電気街をうろつきまわったが、基本的にはハードディスクの容量を補う買い替えなので、またパソコン自体にはお金をかける価値もないと思ったので、安物狙いのソーテックのパソコンに決めた。

 モニターはブラウン管を使いつづけることにして、ハードディスクだけ買った。ソーテックのPC STATION PV2240Cという機種だ。69800円。ハードディスクが120GBもあれば十分であり、CPUが2.4GHz、メモリが256MBである。

 新しいパソコンを買ったらまずはホームページのデータを新しいパソコンに移さなければならない。悲劇と苦悶はそこからはじまった。ケーブルでつなげれば、かんたんだろうと思っていたが、ソフトでのつなげ方がわからず、パソコン同士はうんともすんともいわない。新しいWindowsXPには95にはあるケーブル接続のウィザードがなく、どうやってつなげるのかてんでわからない。

 あきらめきってフロッピーで引越ししようと思ったらこの場におよんでフロッピードライブが故障していることが発覚。新しいパソコンのネットワークの接続をいろいろ支離滅裂に試したあげくさじを投げた。

 最後の手段だと思い、メールでデータを送ろうとしたら今度はプロバイダにつながらなくなっている。もうやめた、と思ったけどホームページのデータは絶対に必要なものだし、メールのやりとりも残しておきたい。フロッピードライブは千円くらいで買えるので交換しようとしたが、増設の知識はまるでゼロなので交換してからWindowsの画面が立ちあがらないようになってしまい、とうとう年貢の納め時だと観念した。

 バカみたいな話だが、自分のホームページのデータをインターネット上からダウンロードしてすべてのページをHTML画面にコピーしなければならなくなった。でもまあホームページビルダーのヴァージョンをようやくV2からV8に買い換えたのである程度は楽しみながらひたすらコピーしつづけた。

 はじめから使いたかったタイトルのロゴが挿入できるようになっており、この創作はたいへんに楽しい、念願が叶うものになった。ともかくホームページの立ち上げ時からタイトルにはロゴを使いたいと思っていたのだ。ロゴのデザインを鑑賞してください。でもひたすらコピーして壁紙も新しく選択してリンクをつなげる作業はかなりだるいものだった。5年前に残しておいたフロッピーでのバックアップがすこしだけ役に立った。

 つまづいてばかりだが、いまもまたホームページビルダーが固まって開かなくなってしまい、エクスプローラーに付属しているNotepadで文章を書いている。こんなのばっかりだ。ビルダーは開いてくれるのかな。。サイトビューの調子が悪いようだ。

 ようやくハードの容量がギガの単位になったのでやりたかったことを試せる。まずはデジカメの写真を載せたいと思う。山や自然の写真や、街角や何気ない一コマの写真なんか載せられたらいいし、本の写真も載せられるかもしれない。携帯のサイトも一発変換でつくれるらしいが、このサイトはケータイで読めるものなのか。

 ハードの容量が容量だったのでインターネット接続はいまだにダイヤルアップだったのでADSLのつなぎっぱなしに換えようかと思っている。電話代の課金から解放されたらネットもようやく使い放題で、制限されていたネットの世界ももっと柔軟に広がるだろう。

 プロバイダを乗り換えて引っ越ししたらみなさんに迷惑がかかるだろうからなるべく控えたいと思うが、それにしても引っ越してからアクセス数がだいぶ減ったものだ。検索によるこのサイトへのリンクはほとんど前のアドレスのままだし。

 新しいパソコンでできることはこれからどんどん試してゆきたいと思っている。楽しみです。みなさんには新しい成果が見せられることができれば幸いです。

 でもしばらくは以前に書いたものの再クローズアップや再編集ページの作成などをおこないたいと思っている。むかしの文章も読んでいただけるよう工夫したいんです。書評集の著者別インデックスでもつくれば、サーチエンジンにもひっかかりやすくなると思うし。

 個人的には新しいパソコンでカセットテープのCD化をおこなたいと思っている。テープデッキはMDに押されてなくなってしまうかもしれないし。むかしのなつかしい音楽をふたたび聴きながら楽しみたいと思う。ただ私のラジカセにはイヤホン端子しかないのが困ったものだが。

 それでは各ページのタイトルがロゴデザインになったリニューアルサイト『考えるための断想集』をこれからもよろしくお願いします。





   『僕と彼女と彼女の生きる道』は最高でした。
     2004/3/30

 草g剛主演の『僕と彼女と彼女の生きる道』はすばらしいドラマだった。家庭をかえりみず仕事だけに生きる銀行マンが妻に逃げられ、娘とふたりで暮らさなければならなくなったことから思いやりやあたたかさをとりもどしてゆくドラマで、娘と心を通わせてゆくシーンは涙に震えた。

 さいしょのころの草g剛はほんとうにひどい男だった。仕事の価値観だけに染まり、妻に逃げられるまで気持ちをまったく思いやってやることもなく、娘もかんたんに祖母の家にあずけようとする。

 心がまるでない男なのである。いっしょに暮らす妻と娘の心もないも同然である。仕事の合理的・競争的な考えかだけでものを考えるようになっているから彼にとっては正しいことなのだろうが、いっしょに暮らして気持ちを慮ってほしい妻と娘にとってはかなり冷酷なことである。

 家庭をもつ男は経済的責任を果たそうとすれば、そうならざるを得ず、安定した収入と地位を維持しようとするのなら、彼は家庭で過ごす時間を失い、妻とも子どもとも心を通わせることがなくなるだろう。これは多くの男たちがおかれている状況なのだと思う。

 妻が家出をして娘の生活にも責任を負わなければならなくなったとき、草g剛ははじめて娘の気持ちというものに出会う。うんちが出なかったり、音楽会の練習ができなかったり、いじめられたり、娘もいろいろな問題にぶつかり、悩み、苦しんでいるということにはじめて気づくのである。

 娘に接していた冷酷さに気づいたとき、父ははじめて変わろうとする。その心の通い合いのシーンが最高だった。ハーモニカをいっしょに吹いてやったり、いじめの解決に消極的な教師につめよったり、娘を、あるいは人を本気で思いやるという気持ちが芽生えた瞬間は涙に震えるほど感激した。

 草g剛は娘の面倒を見てやるために銀行を辞める決意をする。エリートの人生を捨ててまで価値のあることを見つけたわけだ。彼の父は仕事の退職後、入院してもだれひとり見舞いにこない現実に直面しており、また出世を断たれた上司は自殺をしてしまう。このドラマでは会社人間への批判もしっかりとこめられているのはすばらしかった。

 かれは残業ができないため仕事が見つからず、レストランで働きつづけることになり、裁判で妻に娘の親権を奪われてしまう。だが、娘とできあがった心のつながりはかんたんに失われるものではないだろう。

 娘のりんちゃん役の女の子はかわいかったのだが、「はい」「はい」ばっかりいってて演技がうまかったのかよくわからなかった。家庭教師役の小雪はどうなのだろう、もうすこしあたたかみのある感じのする女性のほうが合っていたのかもとも思うが。

 ほかのドラマでは『砂の器』がすごかった。全編音楽が流れつづけるような本格的で深刻なドラマはひさしぶりで、こういう骨太なドラマがもっと帰ってきたほしいものだ。

 それにしてもどうしていま『砂の器』のような松本清張の小説がドラマになったのだろう? この作品のテーマは現代にも求められているものなのだろうか。「宿命」というテーマは現在必要なものなのか。

 やっぱりあの父子ふたりの放浪シーンがすさまじかった。日本の美しくも厳しい自然の季節をバックに放浪しつづけるのだが、最終回の前の回では30分以上えんえんとそのシーンが映し出され、強烈だった。いちばん美しく、また厳しく、迫力のあるシーンだった。

 中井正広が背負った「宿命」とは村八分のために大量殺人をおこなった父をもったということだった。最後のほうで「宿命とはこの世に生まれてくることである。宿命とは生きることである」といわれており、私には生がなぜ宿命なのか、深い想いは抱けなかった。

 この深刻なドラマにドリカムのラブソングは耳には残ったけど、あまりにも似合わない、間の抜けたものに思えた。

 『プライド』はキムタクのカッコよさをまたもや前面に出しており、こういう見せたかはもうカンベンしてほしい。恥ずかしい。野島伸司が脚本を描いて深みのあるセリフはあったけど、またもや野島商法でクィーンのロックが復活したけど、竹内結子のかわいさだけで私は見てしまいました。ゲームの恋が本気になるあたりはよかったけど。

 『エースをねらえ!』はまあなるほど隠れた才能モノは感動と喜びを与えるものだと思った。お蝶夫人とか宗方コーチがどうなるかと思ったけど、けっこうしっくりときていた。ギャグにはならなかった。でも上戸彩のきゃしゃなキャラクターで世界をめざすプレイヤーになれるものなのかと思った。






   引っ越しのリンク切れですみません。      2004/4/3


 2003年の11月にこのサイトは引っ越しました。ガリバー・インターネットというプロバイダが消滅したためです。げんざいはINTERQというプロバイダです。

 このサイトにリンクしてくださっているアドレスはほとんど以前の旧アドレスのままです。メールで連絡するべきかもしませんが、リンク設定の変更を申し込むのは少々気が引けるというか、おそらく相手方は面倒くさいと思うのです。読者の方々のブラウザの「お気に入り」のリンク切れはもっと多いと思います。

 ホームページの引っ越しなんてするべきではないと思いました。でもアクセス数もなかなかふえないので連絡もしたいと思うし。この場を借りて謝罪とリンクしてくださっている感謝の意を表明したいと思います。

 SPECIAL THANKS

 @nifty学び社会科学社会学

 社会学 社会科学 学び-infoseekディレクトリ

 2000.6.10.発行 vol.37  [不思議本大集合 号]

 目次 1    浜田省吾 ファンの エッセイ 作品集 

 artemis synapsis Visitor's Room

 namaste-net厳選リンク集

 エリシャの泉 link

 言論関係のリンク

 学びに役立つリンク集

 精神世界・神秘関係リンク集

 ぼくの輪郭 link

 NOIZE ADDICT link

 ぴかちゅ〜の大冒険

 貧乏リンク♪






     私はなにを考えてきたのだろう       2004/4/3


 私の思索と読書はだいたいある時期ひとつのテーマが決まってそれを集中的に掘り下げるパターンである。いろいろ読んでいるうちにこれを深く考えたいと思うテーマが見つかって本なり思索なりをそのテーマに向かって掘り下げる。

 てんで系統だった思索ではなくて、いきありばったりである。いなごの大群みたいなものである。だからテーマとテーマの連関はほとんどない。ひとつのことを専門的にやっているというわけでもない。全体的に見て私はなにを考えたい、知りたいと思っているのだろう。

  ということでいまままで考えてきたことおおよその概要をまとめて概観できるようにし、整理したいと思う。連関や系統はあるのだろうか。



恋愛論・性愛論      

 個人的にうまくいかない恋愛のために知ろうとした女性の気持ちのこと、心の通じ合い、性のありようなどを探究した。やっぱり男と女の感情の違い、文化の違いは知っておくべきだろう。

知識批判   
 思想家や知識人に憧れることによる弊害や害悪を考えてみた。権力への欲望や栄光への欲望、階層秩序の欲望などが知識人から見えるだろう。

専門家批判   
 商業化・専門化がすすむということは個人のひとりで生きられない無能力がすすむということである。また専門家は個人の不安をあおることによって利益を増進する。

筋肉感情論
 感情と筋肉のかかわりについて調べてみた。腹が立つときには肩の筋肉をいからせたり、不安なときは胸や腹の筋肉を固めたり。感情とは筋肉によって起こされるものなのである。

チャネリング

 霊的存在が語るというソートー怪しいものだが、心の癒し方・扱い方、また身体や物質にたいする世界観がものすごい。ほかは排してもこの部分は謙虚に学ぶべき。

社会生物学

 おもに竹内久美子の著作を読んだが、社会のありようすべてを繁殖戦略から読み取ろうとする姿勢は瞠目ものである。経済も文化も芸術もサブカルも社会現象も繁殖戦略から読み解くべき?

五感のヒエラルキー
 視覚が優遇され、嗅覚、触覚、聴覚、身体感覚が蔑視・差別される現代。視覚優位によって人間の感覚はどんなふうにゆがみ、身体の喜びや感覚が抹殺されてきたことだろう。視覚優位文明は生の貧困を招く?

童話解釈

 子供のころに読んだ童話にはどんな意味やメッセージがこめられていたのだろうか。フロイト派、ユング派、歴史学者からのさまざまな解釈と読み方が感嘆と楽しみをもたらす。


サブカル分析

 映画やマンガなどのサブカルにはどんな意味やメッセージがこめられていたのだろうか。読み解くためにはあまりにも学術的成果は少なすぎ。

民主政治と国民戦争
 民主政治とは国民総力戦のご褒美にすぎない。国家から保障される人権、平等、選挙権、年金、健康保険などは国のために死ぬ交換があるから保障されているのである。タダでもらえるものなどなにもない。代償はあまりにも大きい。

終身愛と有料セックス資本主義
 一人の人に一生の愛を誓うというロマンティック・ラヴとは企業の終身雇用の産物にほかならない。自己犠牲をともなって終身保障は約束される。タダではない。代償は一生分である。近代は女の性が抑圧され、有料になり、男はどこまでも働かなければならなくなった。女はあまりにも高くなった。一生かかっても払いきれないド資産級である。

華厳経
 一滴の滴の中に全宇宙があり、一瞬の中に永遠があるという華厳経を理解しようとして、量子力学などにも手をのばしたが、世界はひとつながりの存在であるという理解は得られなかった。

自己の虚構論
 「私」も「過去」も「他者」も頭の中の概念や言葉がつくりだした「虚構」である。そんなものはどこにも存在しない実体のないものである。頭の中で仮構されるだけである。頭の中の概念、思考、言葉が存在しない虚構と悟られたとき、大きな安らぎを手に入れられるだろう。頭で考えたことに怯えることはないからだ。

感情社会学
 感情は喜びをもたらすと同時に苦悩と苦痛ももたらす。感情はなんのためにあるのか。悲しいときには泣き、楽しいときにはうれしがり、恥ずかしいときには去る、といった社会規範を守らせるために感情の規範はわれわれに植え込まれている。感情という社会制度に管理されないためにこの感情社会学という学問はおおいにこれからの成果が待たれるところだ。

心理主義化社会
 衝撃的な殺人がおこるたびマスメディアに心理学者が登場してきた。犯罪が心理学的に理由づけられ、経済や社会、文化に原因が認められず、個人の心のみが悪いという時代が到来した。心理学に心を脅かされないために心理学者の言説には警戒すべきである。心理学者は大儲けで権力者の野望を抱え持つ。

人間の比較序列の超越
 われわれは人との比較をとおして優劣や劣等、上位や劣位、勝利や敗北の感情を味わう。仏教者はあえてそれらの敗北や劣位を選ぶことにより、比較競争の恐怖を避ける方法をさとしてきた。「愚か者」になれ、「落ちこぼれろ」といってきたのである。心の安らぎはそこにある。

労働至上主義・会社中心社会批判
 仕事ばっかりの一生、会社にどこまで奪われる人生――私はそんな社会が一刻も早く終わることを望んできた。せめてそんな価値観が崩れ去るときがいつか来ることを願ってきた。しかしいつまでたってもその価値観が変わることもなく、労働がわわれれの人生を収奪することの反省はわきあがってこない。ちかごろはあきらめ気味である。また食うためには会社に身を売るしかない。怒りと悲しみを捨てがちである。

漂泊と隠遁
 中野孝次の『清貧の思想』を読んで欲をもたない生き方におおいに共感をもった。これらの著作群や生き方には共感と安らぎが多くこめられている。『山頭火日記』、洪自誠『菜根譚』、『老子』、『荘子』、陶淵明、西行、一遍――賢者の安らぎとはこれらのなかにあるのだろう。

ビジネス書
 世界大恐慌の予測にビビり、現代の経済と社会、歴史の関係を知ろうとした。浅井隆、堺屋太一、ドラッカー、日下公人、トフラー、ハンディ。

大乗仏教
 思考や自己、認識や世界観の虚構性を知るため。『大乗起信論』、唯識論、華厳経。

トランスパーソナル心理学
 感情が思考に起因し、思考は虚構に過ぎないことを知りたかった。カールソン、ウィルバー、クリシュナムルティ、ラジニーシ。

共同幻想論  
 社会の常識や規範、世界観がただの幻想に過ぎないことを知るため。R.D.レイン、岸田秀、リオタール、ニーチェ、竹田青嗣。

現代思想・哲学
 ただ現代の知の頂点を知りたかっただけ。ポスト構造主義、構造主義、実存主義、現象学。。。

大衆社会論
 画一化・均質化する集団を嫌ったため。ニーチェ、フロム、オルテガ、J.S.ミル、リースマン。


 ▲この表はプロフィールに転用しました。






      私が考えてきたことを考える        2004/4/4


 私はひとつのジャンルにかかわらずに興味あることを考えてきた。専門がない。ある時期はひとつのテーマにかかわりつづけるが、ある程度の探索が終わるとほとんど興味を失ってしまう。一時期の熱中と埋没はどこ吹く風になってしまう。

 いきあたりばったりである。ある本をきっかけに疑問を解くためにそのテーマに埋没したり、日常の関心や考えからテーマを追求しようということになったりする。そのときは知りたい一心でテーマにあった本をむさぼり読んだり、ずっと同じことを考えていたりする。その時期を過ぎると深い関心はなくなってしまう。ある程度の知の満足がもたらされたからだろう。

 役に立ったかというと、そうであるものとそうでないものがある。役に立った筆頭はトランスパーソナル心理学、精神世界、大乗仏教だろう。悩みや怒り、悲しみの解決法のこれほどの妙薬はないと思う。

 これらが教えるのは怒りや悲しみというのは思考から起こっており、その思考というのはすべて虚構に過ぎない、つまり存在しない絵空事だということである。

 人は頭で考えたことや過去のこと、いま起こっていることを、実体あることや現実のことだと思っている。しかしそれは思考や言葉で把握するという一種の虚構でしか捉えられないことだ。考えること、認識することをやめてしまえば、そんなものはなにも存在しないのである。なにも苦しめられるものはないだろう。このことを知っておれば、大きな安らぎを手に入れられる。でもそれには瞑想によって習慣的になってしまった思考の回路を断ち切る習慣を手に入れる必要があるが。

 社会現象の意味や分析をおこなう知はたぶんあまり役に立たない。知る、理解する、新しい見解を手に入れる、賢明な知を得られる、といった役得はあるだろうが、即物的になにかの特効薬になるというわけではない。ただ近視眼的な愚かさや埋没さはまぬがれる契機にはなると思うが。

 知識は長所ばかりではなく、やはり深甚な害悪ももたらすのを忘れてはならない。知識というのは批判や悪口ばかりに傾く人間をつくってしまい、世界や自分を恨み、呪うという愚かな結末を導いてしまう。さらにはそれが賢明で知的であるという誤解さえ抱かせてしまう。新聞とかニュースというのは「悪口商社」みたいなものになっている。醜い。

 また知識は優越心と侮蔑心をつくってしまうし、商業による位階秩序、ヒエラルキーをつくってしまう。知識のない人への見下しや軽蔑を育むのなら、その知はたんなる暴力への欲望にほかならない。知識の専門化はさっこんの心理学に見られるように人々の恐怖を煽り、脅し、商業マーケットの拡大とボロ儲け、地位権力の拡大の道具になってしまったりする。知識への警戒は怠ってはならない。

 私がめざしてきた知の探究の大きな柱となると、労働社会からの脱却と感情のコントロールを手に入れること、社会の意味や分析をおこなうということだろう。

 労働社会からの脱却はずっとむかしから思いつづけてきたことで、私は二十代をフリーターとして過ごしたわけだが、30歳を過ぎたあたりから求職数が減ることから、これは社会のいうとおりクソまじめに会社に縛られて生きるしかないのではないかと少しは観念してきた。いまはあまり考えないようにしているが、それはどうしても自由をめざすと金や地位や保障があまりにも脆弱になってしまうからで、自由は二十代のモラトリアム期間しか許されないものなのかもしれない。ただこれからは金や保障が得られない時代がやってくるのはまちがいないだろうが。

 感情のコントロールは役に立った知識である。悲観的、批判的に傾きがちだった私に目の醒めるような認識や変容をもたらしてくれた。リチャード・カールソンからはじまって、自己啓発やトランスパーソナル心理学、精神世界の本はひじょうに役に立った。

 われわれはあまりにも思考や頭で考えることの客観性や傍観性の知恵が手に入れられなくなっている。思考を手放す、感情から距離をおくというコントロール法の知見があまりにも身近に見聞きできないものになっている。科学信仰が宗教の拒否反応をつくり、道徳や心のコントロール知識すら拒絶したためで、これはとてつもない損失と損害だと思う。

 社会分析は知の楽しみ自体が目的みたいなところがある。新しい見解や鋭い見方、違ったものの見方を得ることの楽しみがそれ自体の目的なのだろう。若者の脱所有現象、社会生物学や感覚のヒエラルキー、サブカル分析、有料セックス資本主義、消費社会論、大衆社会論、といったものはおもに知る楽しみが大きな目的である。ただもちろん新しい考え方、捉え方は自分の生き方や過ごし方にはねかえってくるのは間違いない。社会を見ながら私は自分の生き方、過ごし方の反省や変更をおこなう。社会とは私の生き方の鏡や基準なのである。

 私はなぜ知を求め、本を読み、考えるのだろうか。自分の考えてきたジャンルに連関や系統や意味はあるのだろうか。私はなにをめざしているのだろうか。まだ答えは見出せなさそうである。






  ニュースは恐怖を売る         2004/4/14

 バリー・グラスナー『アメリカは恐怖に踊る』(草思社)を読んだ。アメリカがいかに恐怖に毒されているかをのべた本だ。犯罪が減っているのに増えているように報じたり、恐ろしい統計ばかりをピックアップし、無害なものは無視したり、ティーンエイジャーや母親がすべて凶悪人のように報じたり、と日本とまるで変わらない恐怖売りの現状が報告されている。

 思えば日本のニュースも恐怖ばかりを売っている。若者の凶悪犯罪がふえただの、虐待する母親がふえただの、潜在的な犯罪者としてのひきこもりの増加だとか、ストーカーだとか、医療ミスだとか、ウィルス感染だとか、「恐怖商品」はきょうも私たちの心に釘打ちされる。しかもグラスナーの本にあったように統計上は減っているにも関わらず、衝撃的・感情的な事件が起こるとあたかも増加したように思わされるのである。

 ニュースというのは事実を売っているのではなく、「恐怖」を売っているのだろう。人が情報や知識をいちばん欲しがるのは恐怖を感じたときである。恐怖の対策を知りたいときである。恐怖を感じたときに新聞や雑誌はいちばん売り上げを増やし、ニュースの視聴率は増える。

 売り上げを増やすためなら恐怖はもっと叩き売らなければならない。減少している統計を無視したり、恐怖させる統計をピックアップしたり、水増ししたりするのはもう当たり前のことなのだろう。恐怖というのは最大最高の営業戦略なのだろう。

 「ニュースは恐怖を商売の元手にする」ということをわれわれはいやというほど頭に叩き込まなければならないのだろう。人々が恐怖を感じてくれればくれるほどニュースは売れる。社会の人々が悲観的になったり、絶望的になったり、厭世的になったりとしても、おかまいなしなのだろう。ニュースは売れればいいだけだからである。

 ニュースばかり見ている人は「世の中どんどん悪くなっている」とか「犯罪がうなぎのぼりだ」とか、「暗いことばっかり」と口々にいうが、そうではなくて、われわれは恐怖や不安を煽ることによって儲けようとするニュースの手口に乗っているだけなのである。

 ニュースは倫理や道徳を問えるのだろうか。ニュースとて商業であり商売である。売れなければニュースは発信できないし、倒産の憂き目すら遭う。恐怖を元手にメシを食う以外ないだろう。ニュース業者の倫理を問えるか。

 UFOが出ただの、雪男が出ただの、タブロイド紙をわれわれは容易に信じないだろう。しかし朝日や読売だの四大紙の報道は信じる。うそをついているわけではないからだ。ただ恐怖を煽る報道や情報がより多くピックアップされることを肝に銘じなければならない。商業紙というものはそう義務づけられていると認識すべきなのだろう。自衛しかない。恐怖の水増し分は自分で割り引いて見なければならない。

 市場化社会というのはいろいろ産業や人々から恐怖を煽られる社会なのだろう。人々の恐怖を煽ることがいちばんの儲けになることは商売の最低限の鉄則である。医者は病気の恐怖、専門家は無知の恐怖、保険は将来の恐怖、モノを売る商売なら劣等感や蔑視の恐怖を煽るものである。

 われわれの社会というのはたくさんの人々や商売から恐怖を吹きかけられ、煽られ、脅され、毒づかれ、汚染されあう社会なのだろう。恐怖は最大の顧客である。吸引力や吸着力もすごい永続的な顧客になってくれる。われわれはたくさんの恐怖を人々や産業から吹き込まれる哀れな商業社会のカモなのだろう。

 この社会の仕組みをしっかりと頭に叩き込んでおくことだ。人々はわれわれに恐怖を植え込みたがっている。恐怖がその胸中に花咲けばかれは最大の顧客になる。だからわれわれはこの社会の恐怖というものを割り引いて考えなければならない。われわれが恐怖すればだれがいちばん儲けるのか。だれがいちばん得するのか。この恐怖はだれによって意図されたものなのか。恐怖という感情にはそのような勘ぐりや裏読みが必要なのである。

 中でもニュースにはいちばん気をつけるべきである。われわれの世の中の捉え方や日ごろの心のあり方を決定づけるものだからだ。われわれはたいそう悲観的で絶望的で厭世的になっていることだろう。凶悪な殺人や悲惨な事件ばかり知らされてわれわれはたいそうこの世の中への不信や絶望をつちかっていることだろう。でもそれが世の中のすべてではないし、すべての現実でもない。

 私たちが見る現実というのは私たちがいつもしているように自分で選べるものだ。悲観的なものばかり見ていると世界は悲観的になるし、楽観的なものを見れば世界は楽観的になる。われわれは絶望的なニュースばかりをいつも頭に思い浮かべているわけではないし、日常の生活の中では絶望や悲観は追いやって暮らすのが健康な人の生活というものだ。ニュースは恐怖を売ることを知って毎日の日常を楽観的に暮らしたいものだ。





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(Googleイメージ検索で拾ってきました。著作権がありましたらごめんなさい。(で、すむのか?)




























































































































































































































































































































































『アメリカは恐怖に踊る』

   
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