2004-1999
■ことしのベスト本は男女の違いを語った恋愛本である。 2004/12/30
ことしのベスト本は二冊だけである。不発だったというよりか、夏ころから読みはじめた古代史の評価がむつかしかったからだ。
古代史というジャンルは愛好家を多く擁する、しろうとでも専門化が高度化したジャンルである。だからこの本はベスト本に選んでよいものか私には判断しかねたのだ。
ことしの読書の流れとしては、はじめは恋愛に悩まされた私、女性というものを理解しようとしてメディアから女性を知ろうとこころみた。マンガや小説によって女性たちはできているのだろうか。
私自身をかえりみれば、少年のときに見たマンガや映画に人格形成や恋愛観をつくられたことが多かったので、女性を知るにはメディアを知ることがたいせつだと思ったのである。
そのなかで下記の恋愛本は度肝を抜かれるような本だった。
男と女は感じ方がこう違うのか、そして男らしさが女を傷つけているという意外な指摘などにたいそう驚かされた。私は男も女も同じだと思っていたから、この違いにはあっけにとられたし、ものすごく納得するところが大だった。男女ともども読んでほしい本である。
学術を趣味とする私は恋愛ジャンルはあまりにも思索をめぐらせられなくて、あまり楽しめなかった。女性のマンガや恋愛小説をいくらか読んでこの興味は終息した。
それから新しいテーマが見つかるまで新書で本を読んでいたりして、関西の山登りの趣味から地名の歴史に興味をもったりして、関西の地政学というか、地域の勢力史みたいなものに興味をもった。近世までは最重要な交通機関は船であったから、水運や海運から地域の発展史が読めたらおもしろいなと思った。
歴史地理というジャンルはあまり充実していなくて、古代の地名になじむうちに連想的に古代史に興味が向かい、いまは古代史の本をぼちぼち読んでいる。
私は現代の社会問題を中心に考えることこそが価値あることだと思っているから、現在の生き方に方に知恵や見識をもたらさないような推理の楽しみだけの古代史の迷宮には抵抗がある。だからベスト本も選出しにくいのだろう。
だけど古代史の興味というのは連想的にわいてくるものである。これはどうなっているのだろう、ここはどういうことなのだろう、と言葉やキーワードが連想的につながって興味を駆りたてる。推理のための推理のような迷宮にひきずりこまれるのは私の価値観から外れるが、しばらくは興味の魅かれるまま知識の探索はつづけたいと思っている。
古代史の探究はげんざい生きてゆく私になんらかの知恵や恵みをもたらすのだろうか。それとも知識のための知識だけに終わるのだろうか。そのへんの思索も忘れずに古代史を楽しみたいと思っている。
2003年、ことし読んだベスト本 2003/12/28
ことしの前半は知識批判の本を読んでいて哲学していたけど、なかばからは性愛論とか恋愛ハゥトゥー、はては女性マンガを読むようになってほとんどテツガクしていない。個人的に女性にふりまわされた半年だった。
年はじめはお金がないから安い小説を読んでいて、ベスト本に出会ったのはまずは宮本みち子『若者が≪社会的弱者≫に転落する』(洋泉社新書)だ。若者がフリーターになるのはラクや怠けたいからではなく、企業が若者を買いたたくようになったからだという認識の転換が必要ということだ。
つぎはロルフ・デーケン『フロイト先生のウソ』(文春文庫)だ。フロイトは過去をほじくりだすことに重きをおいたが、私はそれは健康になるよりか、より災難をみちびくだけだと思う。思考や言葉が苦悩を私たちにもたらすのだ。東洋思想に学べと思う。
小沢牧子『「心の専門家」はいらない』(洋泉社新書)はかなり重要な本である。心が商品になったこと、専門化社会に警鐘を鳴らしたという点で、瞠目の書である。犯罪がおこるとすぐに心理学者が出てきてすべて心の問題に帰してしまう。社会や経済に問題に求めないで、個人の心のみに問題を押しこめるのはかなりキケンではないか。心理主義化してゆく社会というのはしっかり問われなければならない問題である。
それから私は専門化社会の批判や知識の弊害や害悪を考えてみることにした。市場経済の専門化がすすむということは個人がひとりで生きてゆく力を失ってゆくことである。知識批判はこれまで私が現代思想などを読んで、社会の批判や怒りに生きることの痛みや屈折の経験をふまえて、その弊害や影響を反省してみたかったのだ。
知識批判の本はあまりなかった。たぶん教養的な知識は批判してうれしがるほどの重要な価値ではなくなったのだろう。谷沢永一『人間通でなければ生きられない』(PHP文庫)は批判や悪口しかいわない知識人を批判した本で、社会への呪いや恨みばかりに生きる人生が幸福なわけがないと私は思う。
それから私は性の現在がどうなっているかを探ろうと思ったのだが、性についての社会学的・哲学的な優れた本はほとんど見当たらなかった。自分でもなにを問いたいのかもわからないし、どのような問いを立てればよいのかもわからず、とりあえず性愛についての本を読んでみた。
とうしょは愛という人格愛より性欲が肯定されるほうが必要だと思っていたが、人を想う気持ちというのも大切だと思うし、まあ私はあまり性愛・恋愛については決断も哲学もできなかったということだ。
赤松啓介『夜這いの性愛論』(明石書店)はかなり人生観がゆさぶられる本だ。一夫一婦制以前の日本のおおらかな性のありようが描かれていて、性を語ることは人生を語ることでもあると思った。性を隠した社会は人生をも語れないのである。
それから私は個人的に女性とうまくいかないことがあって、恋愛ハゥトゥー本ばかりを書店の恋愛コーナーで女性がいないスキをねらって買いあさってみた。ああいう本は女性が読むのだと恥かしいわけである。男もこそっとベンキョーしたりするのだろうか。
もしかして人は同じ恋愛パターンばかりをくりかえしているのではないかという説などが興味をひいた。異性と心を通じ合わせることはこんなに困難が多く、難しいことなのかと思わずため息をついた。
恋愛ハゥトゥ本ではものすごくよかったという本はあまりなかったが、松本一起『恋愛セラピー』(KKロングセラーズ)はかなりよかった。愛しているからこそ喧嘩や嫉妬をするのであり、愛する人を失うためではないと、愛したり許したりする気持ちの大切さを何度も思い出させてくれるいい本である。
石井希尚『この人と結婚していいの?』(新潮文庫)も男と女のすれ違いをこれほどまでに明確に説明してくれた本はないと想う。女性は男性を非難しているのではなく、ただ感情を共有したいだけという説明は経験あるだけにそうだったのかと感嘆することしきりである。男と女の気持ちのすれ違いに悩む人にはものすごく役に立つ名著になると思う。
いまは女性の気持ちや女性のリアルを知ろうということで女性マンガを読んでいる。女のマンガを男が読むというのは少しやましさがあり、とくに書店の少女コミックコーナーに立つのは恥かしい。だからワイド版や文庫では混同しているのでそこで買う。
南Q太、やまだないと、桜沢エリカ、内田春菊、岡崎京子などのエッチ作家、オトナ作家とよばれるものを読んでいる。どうなんでしょーか、女心をほんとにベンキョーできるんでしょうか、それともいつかサブカル・恋愛分析ができるようになっているんでしょーか。まあ、たんなる娯楽に終わりそうですが。
ことしは8月から三ヶ月くらいプロバイダー消滅のためHPは閉鎖していた。ひっこしてからアクセス数がほとんど増えないが、いぜん来てくれていた人たちは復活したことを知ってくれているんでしょうかね。
ことしはひつじ年で私は年男だったわけだが、年男というのはなにかいいことがあるのだろうか。まあすこし恋愛に燃えたが、なかなかうまくいかないけど、仕事はほどほどに安寧としていたから、まあよかったほうの部類に入るのかな。干支の12年は人生のあたらしいサイクルに入ったということを教えているのかな。来年もよりよいことがみなさんにも、私にもあるように。
2002年、ことし考えてきたこと 2002/12/7
ことしの前半は興味が薄れてあらためてふりかえると、われながらあまりにも一般性のないことに没入していたんだなと思うが、霊魂のことについて考えてきた。霊魂があるかないかということより、そこから得られる知識と、むかし人々が霊魂とともに存在する世界観に生きていたことに不思議な感をおぼえた。
ことしはハリー・ベンジャミンの『グルジェフとクリシュナムルティ』(コスモス・ライブラリー)という本とであってから、だいたい方向性が決まった。
この本にはまだあやふやな理解だった自我の虚構性がはっきりのべられており、それとわれわれがしじゅうおこなっている「内なるおしゃべり」――他人が自分をどうあつかったとか自分の価値賛美キャンペーンなどを頭の中で語りつづけること――の愚かさに気づかせてくれて、たいへんに感銘した。おかげで心を清澄にするいい契機になった。
この考えは神秘家のグルジェフがもとになっているから、グルジェフの本を何冊かたてつづけに読んだのだが、あまり得ることはなかったと思う。
心の幻想性や身体の幻想性に気づいてから、もっと怪しい知識もOKという気持ちになり、チャネリングの本を数冊読んだ。『バーソロミュー』(マホロバアート)、『エマヌエルの書』(VOICE)、『ラムサ』(角川春樹事務所)、『セスは語る』(ナチュラルスピリット)はスゴイ知識だなと思う。霊界の存在が語っているということになっているが、そういう霊的な世界観はかなりアヤしいのだが、心理的な知識にかんしてはまったく非の打ち所がないことを語っており、学びがいがあった。
チャネリングの本を読んでから、霊魂の実在性を信じてきた古来の日本の霊魂観をさぐりたくなって、日本のむかしの民俗学あたりを読んでみた。日本は霊魂というものの実在を信じ、それは怨霊や神となって政治すら動かしてきた歴史があったのである。霊魂は愚かな迷信としてしりぞけられないほど、歴史を大きく動かしてきたのである。
そのあと片山洋次郎『整体――楽になる技術』(ちくま新書)にであい、ある感情は身体をどう動かしているのか、筋肉から知りたいと思うようになった。たとえば怒りは背中の筋肉を固めたり、不安や恐れは胸や腹の筋肉を固めるといったことなどだ。こういう感情と筋肉の関係を知り、感情のコントロールをもっと容易なものにしたいと思ったのだ。こういうことを追究している人も本もあまりないみたいだ。
しかたなく身体雑学の本などをいくらか読み、精神と病気のかかわりを解明する心身医学に歩をすすめたが、病気を精神分析的に解明する知識はいまはかなり御法度みたいだった。精神的に解釈しすぎると科学でなくなるからだろう。でも精神的な病気観は役に立つと思うし、おもしろいと思うんだけど。
そのあとは失業中の金欠のため百円本を中心におもしろうそうな小説をてきとうにさがしもとめた。純文学/大衆文学という分け方に縛られずに、ともかくおもしろい物語をみつけたいという気持ちで本をさがした。なにがおもしろいのかわからないから暗中模索だ。ポール・ギャリコ『雪のひとひら』、ケン・グリムウッド『リプレイ』、北杜夫『輝ける碧き空の下で』(新潮文庫)などがとくによかった。
まあ、ことし考えきたことはだいたいこんな感じだ。グルジェフ、チャネリング、霊魂の民俗学、心身医学、小説といった感じだ。あまり社会的、経済的なことは考えなかったな。おもしろい小説をさがしつづけるかはまだわからない。評論系の本のほうが価値があり、おもしろいという感もあるから、もどるかもしれない。
それは興味ひかれる本との出会いしだいである。そういう本にであえば、ひとつのテーマを深く掘り下げる楽しみができる。こういう読書がいちばんたのしく、充実している。これはお金がなければできない。高い単行本を買えないと専門的なテーマ読書はまずできないからだ。仕事をしっかりとつづけて、来年は深く掘れる読書ができればいいなと思っている。
この本はなぜよいのか 2001年版 01/12/16.
ことしの前半は、自分をつくってきたマンガやアニメ、ドラマ、映画などのサブカルチャー分析をしたいと思っていた。それらを心理学的・社会学的・哲学的にいまいちど掘り下げた分析を読みたかった。
しかしこれらのジャンルの満足する水準のものはなくて、映画を精神分析した小此木啓吾の『本当の自分をどう見つけるか』(講談社+α文庫)だけがとくによかった。成功や栄光という「いつわりのパーソナリティ」の悲哀が、強い印象をのこした。
物語分析を深くおこなっているのは、童話の心理学である。ユング心理学、フロイト心理学、歴史学などが入り乱れてそうとうに有益で興味深い分析をそれぞれにおこなっている。童話のワケのわからないお話にはこんな深い意味やテーマが込められていたのかと、ためになることばかりである。
私がとくに気に入ったのは、松居友『昔話とこころの自立』(洋泉社)、ベッテルハイム『昔話の魔力』(評論社)、タタール『グリム童話』(新曜社)、山中康裕『絵本と童話のユング心理学』(ちくま学芸文庫)などである。
ずっと読みたかったマクルーハンの『人間拡張の原理』(竹内書店新社)を古本の百円で見つけて、やっぱり深く感銘した。活字・印刷文化が画一化の大量生産を生み出したという説は驚きだった。また印刷文化が五感のうちで視覚優位の社会をつくりだし、感覚の序列を生み出したということにも感銘した。クラッセンの『感覚の力』(工作舎)が西洋外の感覚世界を豊かに掘り起こしていた。
五感の世界をさぐりだしているうちに竹内久美子のいくつかの著作にであった。遺伝子や繁殖戦略から、男女の関係だけではなく、社会や国家のありかたまでを説明する技法はたいへんに興味を魅かれた。そのなかから一冊あげるとすると『パラサイト日本人論』(文春文庫)がとくによかった。このジャンルを社会生物学といって私はその信憑性や可能性をもっとさぐりたいと思ったのだが、ときすでに私は失業中の金欠状態で、その追究は先には進めなかったのである。
金欠の夏を百円本でしのぐうちに時は流れて金力が回復しだしたとき、三浦展『マイホームレス・チャイルド』(クラブハウス)に出会った。団塊ジュニアに「脱所有」の流れが芽生えはじめていることにたいへん興味をもった。所有の時代はこれから崩れてゆくのだろうか。
諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』(NHKブックス)もとくによかった。現代はひとりでいることが悪いことにいわれる時代である。だからいつもだれかと群れなければならず、ひとりや孤独になれば、自分で自分を責める声から逃れられない。こんな世の中ではとくに孤独を肯定したり、ひとりであることを承認する考えがおおいに必要なのであり、孤独をここまで前向きに捉えた本はエライと思う。
『なまけ者の三分間瞑想法』デイヴィッド・ハープ(創元社)は心の澄んだ状態をめざして、実際的な思考を捨てる方法がのべられていて、日々の思考とたたかう私としては重宝した。
ハリー・ベンジャミン『グルジェフとクリシュナムルティ』(コスモス・ライブラリー)は最近まれにない感銘を受けた本である。「想像上の私」や心の「自己正当化」、「内なるおしゃべり」など、まるでふだんの自分の卑怯な頭のなかをそのまま見せつけられているようで、ものすごく感銘した。
これでしばらくはグルジェフ追究の道が決まった。グルジェフは宇宙論を展開して、いままでとっつきがたかったのだ。私はただ自分を苦しめる思考から逃れる知識がほしかったのである。しばらくはニューエイジ系の追究がつづくと思う。
今回は心や身体の虚構性というものもだいぶ感じることができてきたので、かなり怪しい神秘世界までちょっと手を伸ばすかもしれない。自分の存在している感覚自体がソートー怪しいんだから、この世界はもっと怪しくてもおかしくないと思う。
2000年 ことしの読書の流れとベスト本 00/12/26.
ことしは収入的に安定していて、八ヶ月ものバケーションをとった去年と違って、比較的本はたくさん読めた。お金がなかったら、単行本を買うのを控えるし、文庫本や新書がメイン、はては古本ばかりとなって深くテーマを掘り下げられない。
読書のおおまかな流れとして、98年後半から99年前半にかけては漂泊とか隠遁、老荘などの東洋思想にハマっていた。中野孝次の『清貧の思想』(文春文庫)の影響である。そのあとはべつにテーマもなしに宮本常一『生業の歴史』(未来社)とか櫻木健古『捨てて強くなる』(ワニ文庫)などがヒットした。
ことしに入って横森理香の『恋愛は少女マンガで教わった』(集英社文庫)はよかった。われわれマンガで育った世代にはマンガの影響なしに自身を語れない。マンガをオトナの言葉で読み解いたこの本はひじょうにベンキョーになった。
森真一の『自己コントロールの檻』(講談社選書メチエ)は衝撃だった。感情のコントロールというのは「良い知識」だと私は思っていたが、社会の管理や支配としての道具であるという指摘にはたいへん考えさせられた。
それからこの感情社会学の本ばかりを読んだ。岡原正幸他『感情の社会学』(世界思想社)、岡原正幸『ホモ・アフェクトス』(世界思想社)などだ。感情というのは統御不能だから自分らしさだと思われているが、そのため社会が人を支配するための有効な道具となっている。
「自分の感情は純真なもの、自然発露的なもの」という思いこみは捨てた方がいい。感情は客観的に見るべきだ。そういう訓練をしてくれる、つまり感情を「客体化」する感情社会学をもっと深く知りたいと思ったが、いまのところ、主著の翻訳はまだまだだ。
小此木啓吾の『秘密の心理』(講談社現代新書)もなかなか重要な本だ。隠すことによって、自他の境界、自分という感覚が生まれてくる。家族や仲の良い集団も秘密を共有することによって境界が生まれる。隠すことが自分だとしたら、自分とはなんなのだろうか。自分の境界とはなにか、自分とはなにかと考えさせられた。
そのあとに可藤豊文『瞑想の心理学』(法蔵館)に出会った。これはひじょうに名著だ。われわれの見ている世界が虚妄であるという『大乗起信論』のことばをわかりやすく説明してくれていて、ひじょうに感激した本だ。
岡野守也の『唯識のすすめ』(NHKライブラリー)では、われわれにはこの世界はモノや人がばらばらにあるように見えるが、ほんとうはすべて「ひとつながり」の世界であるとのべられていて、ひじょうに興味をもった。仏教でそれをいっているのは「一瞬の時間に永遠があり、一雫のなかに全宇宙がある」という華厳経である。この華厳経を理解しようとして、現代物理学とか量子論とかのサイエンスからそれを探ろうとしたが、ほとんど失敗に終わった。
そのあと性愛の交換関係にこだわっているうちに民主制や平等も総力戦の交換条件であるということに気づき、カイヨワの『聖なる社会学』(ちくま学芸文庫)や『戦争論』(法政大学出版局)、猪口郁子『戦争と平和』(東京大学出版会)などにその指摘を見出すことができた。民主制は国民総力戦という交換条件でしか得られない悲劇的な事実をどう考えるか。
ことしのおおまかな読書のおもなテーマは「感情社会学」と「華厳経」、「民主制と総力戦」にくくることができる。てんで系統立ったテーマにならなかったのは残念に思えるが、私の読書は自分のいま興味あることを追究してゆくやり方なので、まあ、いつかはなんらかの成果に結びついてゆくと考えることにしよう。
いまはちょっとメディア分析、サブカルチャー分析に興味をもっている。自分が見てきたTVやマンガ、音楽などをあらためてどのような意味やメッセージがこめられていたのか考えてみたいと思う。自分をつくってきたものを再検討してみたい。社会学的な分析がいまいち充実していないのが残念だが、どこまで切り開けることだろうか。
1999年、今年読んでよかった本 99/12/25.
今年は8ヶ月にわたるロング・ヴァケーションをとっていたために金銭的な節約をしなければならず、あまりたくさん本が読めたとはいいがたい。ひとつの深く掘り下げるテーマを見つけたわけでもない。ちょっとわたしにとっての読書の収穫は不作のほうだった。
98年は漂泊者というテーマを追求するのがおもしろかった。おかげで山奥や山村などを散策するのが楽しみになった。今年はそういったひとつのテーマを見つけられなかったが、今年のうちに読んでよかった本を7冊だけあげることにする。
■『老子・荘子』中公バックス もちろん中国の古典である。逆説的な論理、無為自然など、たいへん多く学ぶことのあった人生の名著である。これからも深くかみしめたい本だ。
■トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』岩波文庫 『聖書』につぐ世界第二位のベストセラー。宗教書というよりか、世俗的・一般的なセラピー書といったほうがふさわしい。ためにひじょうに有益な本だ。
■日下公人『新しい幸福の12章』PHP 古本でしか手に入らない古い本だが、あらためて日下公人のすごさを再認識した。ビジネスから日本を読みとくと社会がよく見えるし、立身出世やビジネス主義から降りることも考慮に入れている点がすばらしい。
■『だめ連宣言!』作品社 働かない生き方を実践している人たちの集まりで、わたしも内心ではやりたいのだが、じっさいにやっているとは驚きだ。クソ働き社会に一石も二石も投じつづけてほしいと思う。
■宮本常一『生業の歴史』未来社 民衆の働き方=生き方を紹介したすばらしい本だ。学校の歴史では政治屋の歴史で、民衆の存在はまったく抹殺されていた。われわれ民衆にとっていちばん大事なのはご先祖さまの生きて、働いてきた姿だ。たくましくも立派なご先祖さまのリアルな姿が見える。
■櫻木健古『捨てて強くなる』ワニ文庫 人間の勝ち負けや価値観を超えるというたいへんすばらしい本。人間の上下や地位を気にしているようではまだまだだ。そんな価値観を超えたところに人間の成長と平安がある。
■ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』ちくま学芸文庫 イギリス労働者階級の労働から身をかわす方法がひじょうに感銘をうけた。日本ではそういった反抗文化は学校どまりで、社会に出るとみんな中流階級幻想とともに働きキチガイになる。まちがっているって。われわれは使い捨ての労働者なのだ、勘違いすんな。
あなたのご意見・ご感想ぜひお待ちしております!
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書評集 壊れた愛の物語 2003/12/6
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