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010531断想集



 学問バカ/五里霧中の人生/労働逃亡者のアンビバレンツ/金儲けのほかに何もないのか?/身近な動物の話で一息/




    学問バカ      01/5/31.


 学問バカというのは視野の狭さ、思いやりのなさ、融通のきかなさなどが批判されるようである。(大塚ひかり『愛のしくみ』角川文庫)

 学問知識で頭がガチガチになった人間はガンコで自己中心的で、優越意識で人を差別しそうだと思われている。情緒が欠落していて、人間的な感情に欠けているとも思われそうである。

 たしかにこれは学問知識の一面をいいあてている。知識というのは狭量で、ガンコで、思い込みが激しくなければ論者に勝つことができない。真理のためなら、人の感情や想いは削がれても仕方がないと思いこみそうである。

 こういうのは受験エリートや理科系、技術系の人にしばしば見かけられそうである。頭のよさをハナにかけたり、人づきあいがヘタで、思いやりに欠け、人を人と思わないようなところがあるかもしれない。

 人ギライのショーペンハウアーはこれは精神的優越にたいする凡人の嫉みであるから、優越を見せるべきではないといっている。たしかにこういう面から見ることもできるが、凡人が嗅ぎとっているものは知識の欠陥自体でもあるのだろう。

 知識は学問バカが典型的にあらわすように、狭量で融通がきかなく、蔑視意識をもたせ勝ちなのだろう。言葉や見解は固定的なものであり、序列や選別を必要とするものであり、他人の感情や人づきあいを除外してしまうものである。

 知識はあまり実践的なものではない。即行動に結びつけられるようなものでもない。書物や活字の中に閉じこめられるように流動的なものでも自由なものでもない。だから知識は実践や行動にはあまり役に立たなく、逆にそれを阻害し勝ちなのである。

 知識におぼれる人はこういう欠陥にとくに気をつけるべきなのだろう。知識を絶対視したり、かたくなに守り通そうとしたり、万能視したりするべきではないのだろう。知識は敏捷なものでも、身軽なものでも、柔軟なものでもない。それらを阻害するものである。

 知識や学問に縛られるとますます実践や行動からかけ離れてゆくことになる。しまいにはそれを祭り上げて、ガンコさや頭の固さはほとんど石仏なみになってしまう。

 知識は敏捷さが必要な現実にはあまり役が立たないのである。学問バカにたいする批判は知識自体がもつ本質を鋭く指摘しているのだと思う。歪んだ性格はそれを目に見えるものにしているにすぎない。






   五里霧中の人生      01/6/2.


 私は社会に出て、なにをやりたかったのだろう? いまだにわからないし、思い出してみたら、考えてみたことすらない。

 将来の夢とか計画をほとんど描いたことがない。計画を描く人生がよい子ぶっているようでいやだったし、そのほうがよいのだと思っていたのかもしれない。

 漠然と将来のすがたは思い浮かべていたかもしれない。サラリーマンになって結婚してみたいな人生は、消去法的には描いていたかもしれない。しかし現在、そういった、ふつうでまともな人生すら送れていない。

 現在の暗中模索の人生の結果を考えてみるのなら、人生の計画や夢を描くのは大切なことだったかもしれないのかなと心が揺れる。

 人生のヴィジョンを描かなかったら、なにも得られないし、なにも果たされないのではないかという気もちがする。いきあたりばったりに流されるままに人生を送っていると堕ちてゆくばかりなのだろうか。でも心の底からわきあがるような人生のヴィジョンを描けないのなら、借り物でしかないわけで困ったものだ。

 私は社会人としてなにかをやりたいとほとんど思ったことがない。目先の好きなこと、やりたいこと、あるいは逃げ出したいことばかりにかまけて、なにひとつ得ることがなかったように思える。

 趣味としては本をたくさん読んだり、文章を書いたり、人生や社会について考えはしてきたが、社会の中でなにをやりたいとか、なにを得たいとか、なにになりたいとかのヴィジョンはてんで描かなかった。それはいまの五里霧中の私の境遇に結びついている。

 私は会社人間のようにはなりたくなかった。会社や仕事ばかりの人生は送りたくないと思ってきた。たしかにそういう人生からはドロップアウトしてきたが、やっぱり心のどこかには社会的評価やきちんとした人間であること、安定した将来をのぞむ気持ちがあるのは否めない。このまなざしが私に再考をうながせる。否定だけでは人生の果実を得られないのではないか。

 社会のなかでどんなことをやりたいのか、なにを得たいのか、はっきりと人生のヴィジョンを描くことが必要なのかもしれない。

 学生のころにはまったく思い浮かばなかった。企業や仕事のことがぜんぜんわからなかったこともあってと思うが、現在のところもまったくわかっていない。人生の目的や目標、役割すらわからない。

 子どものころには恐竜博士やマンガ家になりたいと思ったことがある。しかし飽き性のためそんな夢は潰えた。いまもなにかがやりたいと思っても、自信と持続力がなくてたいがいさっさとあきらめる。ますます人生のヴィジョンは瓦解してゆくばかりである。

 人生の計画や夢はしっかりと描いて、その実現に向けてがんばるのも必要なのかもしれない。さもないとただ時間のみがだらだらと過ぎ去ってゆく、なんともとりとめのない茫漠とした私のような人生を送ってしまうことになってしまう。

 私は社会でなにをやりたいのだろうか。。。?






  労働逃亡者のアンビバレンツ      01/6/4.


 仕事と会社ばかりの人生を送りたくないと私は思ってきたが、一方ではカネや将来の保証はほしいし、プライドを満足させる仕事をしたいというものすごい矛盾をもつ。このアンビバレンツがけっこう苦しいし、私をさいなます。

 仕事から逃れたり、怠けようとして、いちばんツラくなることは、会社側からまったく信用されないことである。責められたり、批判されるのもツライ。会社に雇われるしか生計の途を立てられない私は、会社からまったく見向きもされないことも恐ろしいことである。

 仕事から逃れようとしてるのに、一方では花形的な職業や専門的な仕事なんかにも憧れたりする。仕事を拒否すれば、だれでもできる、どうでもいい仕事ばかりに落ち着かざるを得ないのだが、そんな道を選んでいながら、一方では空しさに耐えられなくなり、仕事の充実やプライドを強くのぞんだりするのである。

 ものすごい矛盾である。一方を捨てているのにもう一方を得たいと思っている。片方を捨てながら、両方を得ることなんてできない。きっぱりと割り切ることができないのである。

 働くことを減らそうとすれば、とうぜんカネは得られない。消費や生活費を削ることはそんなに苦にはならないが、将来や老後の保証も得られないし、企業から得ようとするのも虫がよすぎる話だ。私も少しばかり結婚や子どもをもちたい気もちがないわけではないが、いままでの信条と経済状況ではいつまでもたっても得ることができないだろう。

 ふつうの人は仕事を減らそうなどと考えてもみないみたいである。働けばカネが儲かる、カネが必要だからもっと働き、稼ぎたいと思っているようだ。仕事の条件と前提を疑ってみることなんてまずなくて、カネが増やせるか、がんばればカネがより多く稼げる、そんなことしか考えていないみたいだ。仕事量や会社は変えることのできない自然の絶対条件のようだ。

 労働逃亡者はこの経済社会のなかではぜんぜん市民権や容認をうけていない。ぽつぽつと労働の縮小や経済成長からの脱出などを告げる人はいることはいるが、指定席や居場所が与えられているわけではない。企業社会のまえでは太刀打ちも、座席もないのは当然である。ヒッピーなんてものも人々の視野から消え去って久しい。

 二兎は得られないのである。一匹の兎を追ってしまったからには、もう一方の兎は得ることをあきらめなければならないのである。私はまだそのあきらめがつかない。たえずもう一方の兎を指をくわえて羨ましがるのである。

 経済的富裕や経済的保証はほかのものを犠牲にしないと得られない。労働からの逃亡も安楽のみを得られるのではなく、経済的な犠牲も絶対的について回るのである。社会的なプライドや自尊心だって犠牲にしなければならない。それが労働からの逃亡にとうぜんついて回る犠牲なのである。

 労働の縮小はそれを補って余りある人生の時間や充実をほんとうに得ることができるのだろうか。人生の宝はほんとうにそこにあるのだろうか。私は迷いっぱなしである。ひとつの安楽はひとつの犠牲を招く。片方の安楽を得て、もう一方の安楽まで得ることはできないことをしっかりと心に刻むことだ。私は片一方の安楽しか見ていなかったようだ。






   金儲けのほかに何もないのか?      01/6/5.


 いまの社会は金儲けしかない。金儲けのシステムのみが社会に貫徹し、人生のはじめから終わりまでが目的づけられている。

 だから成功した経営者やまじめなサラリーマンなんかてんで尊敬できない。軽蔑の念しか思い浮かばない。

 日本社会は金儲けのほかの価値観が悲しいほどぜんぜんない社会である。近代化によって見事にほかの価値観を削ぎ落としてきた。

 ヨーロッパでは合理化や効率化がおしすすめられる一方、中世的な価値観や宗教もしっかりと残してきたのである。

 日本には金儲け以外の価値観がほぼない。経済化されすぎているのだ。経済合理性に対立する宗教集団や価値集団、もしくは親族、世論といったものがまったくない。おかげで金儲け以外の価値観が容認されず、座席もない。そこが恐ろしいというか、嘆きたいというか、呪いたくなるところだ。

 経済合理性のみに一元化された社会に、一生を賭けるに値する価値観や目的はあるのか。金儲けのみに終わる人生に情熱や目標を見出せない。これのみで終わる人生になんの価値があるというのか。

 ではそのほかに何があるというのかというと、ものすごく難しい。対立するような価値観――宗教や共同体などはことごとく批判や壊滅がおこなわれてきたからだ。金儲けの価値観はほかの反対勢力に有無をいわせないほどの勝利をおさめたのだ。

 論理では対決できないほどである。でもそのほかの価値観があるという思いは拭い切れない。何かあるはずだという思いが強いが、それが何なのかわからない。

 文化や芸術なのか。やはり宗教的価値観なのか。それともボランティアや福祉のような利他的な価値観なのか。また経済に抗しうるような武力的な価値観なのか。あるいは経済合理性が壊しつづけた人とのつながり、共同体の一体感なのだろうか。

 金儲けだけの社会は人生の崇高な目標がない。生涯を賭けるに値するものではない。日本は金儲け万能社会をつくるさいにほかの価値観をあまりにも壊滅しつづけたために、人生の目標や価値観をも壊滅してしまったのである。情けない、哀れなカネの亡者だけが日本に大量生産されることになった。

 いったいこれからの時代はなにが目指されるべきなのだろう? 金儲け以外の、崇高で生きるに値する価値観をわれわれはつくり、そのような姿で楽しむ親たちを子どもたちに伝えてゆくべきなのである。われわれは金儲けだけの人生を子どもたちに誇ることができるのだろうか。少なくとも私はそんな親の姿を軽蔑してきた。






   身近な動物の話で一息       01/6/6.


 孤独でさみしくてヒマな毎日を送っていると、身近にいる動物がみょうに愛おしく感じられたりするものだ(涙)。ハトにエサをあげる老人の気もちがよくわかる。動く、生き物と関わりたくなるのだ。

 公園で休んでいたりすると決まってハトが近寄ってくる。エサがもらえると覚え込んでいるのだろう。そうすると目の前でオスのハトがメスのあとを追いかけて求愛しはじめる。メスが迷惑そうにとことこと逃げる。どこの公園でも同じ光景が見られる。

 交尾しているカップルを見たこともあるし、くちばしをつつきあっているカップルもいた。ハトも人の知らないところで愛に勤しんでいるだなと思う。

 スズメはハトより人馴れしていないが、だれかがエサをあげていると、すばやくかっさらってゆく。五月ころに軒先に巣をつくるなんて知らなかったが、探してみたら、かわりに近くの軒先にツバメの巣はいくつも見つけられた。ツバメは農村だけで都会にはいないと思っていたが。

 カメは近くの神社や寺の池、川の合流点でよく見かける。人が寄ると隠れるばかりか、近づいてくるのは意外だが、よほど餌付けされているんだな。どこのカメもミドリガメばかりだ。むかしからいたクサガメとかイシガメはあまり見かけない。

 子どものころは用水路でごろごろ落ちているクサガメを拾ったものだ。黄土色のイシガメは見つけられたら四つ葉のクローバーなみに大喜びだった。私はカメがずいぶん好きだった。のんびりした、ずんぐりした、間抜けな感じがたまらなく愛おしいのだ。

 私はイヌ派である。へりくだったり、お愛想をふりまくるのが好きである。もしかして人間より好きかもしれない。いまはマンションで飼えないけど。

 飼っていた鳥が馴れた記憶はあまりない。ウサギもてんで馴れず、コードをかじりまくり、憎まれ者は車の下に逃亡してしまった。

 ネコはどうも苦手である。馴れないところや傍若無人のところが私の手におえない。まえにノラ猫と仲良くなって、私の部屋にやたら入りたそうにしていたが、じゃれるとツメを立てられるのが困った。私はイヌのほうが好みだが、ネコ好きのほうが自立した人ではないかと思う。

 ハイキングで大阪府の近くの山に登ったりしても、動物はほんとうにいない。鳥はたくさんいるが、動物はまず見かけなかった。餌付けされたサルとイノシシくらいだ。残念である。せっかく自然の中に入ったのだから、たくさんの野生動物と会えたらうれしいのだが。でもむかしみたいにオオカミとかヤマイヌとか、クマとかイノシシに出会ったりしたら恐いどころじゃないだろうけど。

 まあ、なんでもない話だけど、最近、動物の本をよく読むようになって動物に目が向くようになった。そういうことでちょっと動物のことを話したくなっただけである。





モニター故障はなんとか免れています。
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   ues@leo.interq.or.jp




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