漂泊者と隠遁者に学ぶ人生の知恵                                                1999/5/4.




    サラリーマンや管理社会の牢獄から脱け出す道をかつての漂泊者や隠遁者は示してくれる

   だろうか。あるいは金儲けや私利私欲だけにこり固まったビジネス社会、ひたすら豊かな社会や

   物質主義をめざした現代社会の過ちや間違いを指し示してくれるだろうか。

    貧困や知足安分のなかに生き、心の平安や高貴さに暮らした漂泊者や隠遁者たちから

   われわれは人生のどんな叡智や知恵を学んだらいいのだろうか。







  中野孝次『清貧の思想』 文春文庫 92/9. 485円 


     人生観を揺さぶられるすばらしい本である。金儲けやビジネスだけの卑しい日本人ばかりに

    なったこの国でも、かつては世俗や財産、名誉、地位を捨てて、あえて持たないことで

    心の自由や優雅、高潔さをめざした尊敬できる人たちがたくさんいたことを教えてくれる本で

    ある。鴨長明や良寛、蕪村、芭蕉、吉田兼好、西行といった人たちの生き方が紹介されている。

     かつての日本人にはそういった高尚な理想があったのに、現代人はなぜそのような系譜を

    すっかりと忘れ去ってしまったのだろうか。企業やテレビ、雑誌などの圧倒的な影響力

    (強制力)を無視できないだろう。

     この本は刊行当時ベストセラーとなったが、その当時わたしはヨーロッパかぶれで、

    日本の古文ばかり出てくる本には手が出せなかったのだが、最近とみに忙しくて

    その飢餓感が逆にこの本を手にとらせた。

     今までこの本の中身まで知らなかったことは残念なことだったと思う。




  中野孝次=編『清貧の生き方』 ちくま文庫 93/8. 567円


     『清貧の思想』大反響のために編まれたアンソロジーだが、

    『清貧の思想』自体が良著紹介と人物紹介の優れたアンソロジーになっているから、

    この本はそれでも足りない人のための清貧思想の足がかりになるのだろう。

     金儲けだけで品位や品格を見失った現代日本人には、高潔な生き方をめざした

    この国の人たちの系譜をもういちど省みる必要があると思うのだが、

    そういう生き方のモデルを書店で探そうとしても一苦労だ。




  紀野一義『遍歴放浪の世界』 NHKブックス 67/7. 750円(古本)


     こういう漂泊放浪に生きた人をあつめた本をずっと探し回っていたのだが、

    残念ながらこの本からはなにかを得られたとは言い難い。

     この本で漂泊者の列伝として並べられた者は、高村光太郎、

    空也、西行、一遍、芭蕉、円空、木喰、尾崎放哉、種田山頭火といった人たちだ。




  目崎徳衛『出家遁世 超俗と俗の相剋 中公新書 76/9. (古本)


     遁世者たちの生き方は管理社会から脱出する手掛かりになるだろうか。

     藤原氏の栄華の時代には醜悪な争いを嫌いエリートの遁世があいつぎ、

    鎌倉武士は所領も役職も失わずに遁世ができたため流行になった。

     この本からはそのような遁世者の系譜が知られるが、

    かれらの伝記をのべた大部分はたいして印象にも残らなかった。




  『陶淵明全集』 岩波文庫 (365年〜427年没) 上下各500円 


     前に読んだ『中国の隠遁思想』のなかに陶淵明という人物が触れられていたから、

    書店でぱらぱらとめくってみたら、とても心が和らぎ、読後感がいい。

     諦観であったり、脱俗であったり、安らかな自然や心境を詠ったり、

    ささいでほんわかとした日常の幸福をうたっていたり、

    ときには後悔や悲嘆を正直に吐露して、ひじょうに心地よい詩である。

     隠遁と世俗を否定した生き方が魅力的なんだろうな。

     隠遁と心の平穏について考えてみました。「陶淵明の隠遁と脱俗について思う」




  岡村繁『陶淵明 世俗と超俗 NHKブックス 74/12. 600円(古本)


     穏やかでほんわかとした陶淵明のイメージをはがして、

    官の栄達や利己的な貪欲につきすすんだ陶淵明の本当の姿を現そうとした本だが、

    なにもそこまで高潔なイメージをひんめくらなくともいいじゃないかと思えるが、

    客観的な真の姿を現しているという点でこの本はべつに悪いものではない。

     そもそもそんな高潔で高貴な人物なんか求める気もない。

     淵明の詩自体が苦悩と煩悶の多いだめな要素の人間を現わしているからこそ、

    長く人々に愛されてきたのだろうし。




  一海和義『陶淵明――虚構の詩人 岩波新書 97/5. 630円


     陶淵明がどのように読まれており、どのように評価されているのか、知りたいから

    読んでみた。このような解説本が出ているということは人気があるんだな。

    たしか虚構の観点からのべていたと思うが、う〜ん、べつに感想はないな。




  小尾郊一『中国の隠遁思想 陶淵明の心の軌跡 中公新書 88/12. 680円


     日本人にとっての隠遁は世捨てであったが、中国の隠遁は政争から

    生命の危険を守るための手段であった。それが老荘思想と結びつき、自由や山水を

    たのしむ隠遁へと変わってゆく。このような自然に美を観ずる中国人の心の流れを

    追ったのがこの書である。




  森三樹三郎『「無」の思想 老荘思想の系譜 講談社現代新書 69/10. 650円


     老荘思想全般と親鸞、宣長、芭蕉に与えられた影響がのべられている。

     忠臣孝子があらわれるときはそれだけ世の中が混乱している証拠であり、

    それゆえそれらの教えはますます混乱を大きくするという老子の説はなるほどである。

     中国では仏教ははじめまったく無視されたが、王朝が弱体化するまで上下の別を

    重んずる儒教が栄え、衰えると老荘思想が仏教導入の下地をつくったそうだ。

     金の材料が名剣になりたいと望めばおかしいと思うが、人間もいつもそのようなことを

    望んでおり、自然に任せろという老荘の思想は流石である。




  張鐘元『老子の思想 タオ・新しい思惟への道 講談社学術文庫 87/7. 1000円


     老子の逆説的な言い方が驚かされる。

     人為でおこなったものは、その解決を計ろうとしたもともとの原因をますます

    混乱させるのみだというのが老子の根本的な考えのようである。

     逆説のさまざまな現れをいろいろな物事から老子のように見出せるだろうか。

     この本の注釈はハイデッガーや西田幾多郎、ユングの思想をもちいて解説しているが、

    ちょっと老子の思想と向かうところが違うように感じられた。




  森三樹三郎『老子・荘子』 講談社学術文庫 94/12. 1200円


     老子・荘子の思想・伝記および仏教との関わりがたっぷり詰め込められた本。

     老子に関しては少々かじっているから荘子について知りたかった。

     荘子の寓話で、人の乗っていない船がぶつかってきても怒らないが、

    人の乗っている船なら怒るという話や、絶世の美女も鳥や獣には

    肝をつぶす恐怖の対象でしかないという話はおもしろい。




  『老子 荘子』 中公バックス 世界の名著 1500円 


     老子は短いので気軽に読めるが、荘子はなかなか気負いがいる。

     よいことば、役に立つ人生訓がたくさんあり、荘子の世界にどっぷり浸かれる。

     対立差別のない万物斉同の世界、不立文字、無為自然――と

    安らかで運命に任せようという気持ちになれる。

     ところで荘子の書でありながら、孔子やいろいろな人が出てくるのは、

    やはり後世のいろいろな人の説がごちゃまぜにされているわけだな。




  『寒山拾得』 久須本文雄 講談社 3800円


     中国天台山の山林に隠遁していた寒山と拾得の詩集である。

     清閑な山林にくらす悠々自適の心境、山水の趣き・安らかさが語られていて、

    とてもここちよい詩であり、心を俗塵からときはなち、清らかに洗ってくれる。

     ただこの世のはかなさを語るときには憎悪が含まれていると思うほど激しい。




  小野沢実『山頭火とともに 句と人生の観照 ちくま文庫 73/81. 760円


     いま仕事にかなり拘束されているので、漂泊の人生を送った種田山頭火の

    生き方に強烈に焦がれる。

     ただわたしには俳句を味わう素養まではなくて、こういう漂泊と行乞の生き方を

    した人がじっさいにいたのだ、その人がどのように感じ、どのようなことを考えていたのか、

    そういった漂泊人生の中での想いの片鱗さえ触れられれば、せめての救いにもなる。

     世俗や地位を捨てて漂泊に生きる人生もあるのだということを知っておくことは、

    サラリーマン社会の綱渡りから落ちれば破滅と思っている人には救いになるかもしれない。

     世俗や一般的な生活から転落した人生は命の終わりではなく、

    逆にそこから自由や喜びがひろがる新しい境地であるかもしれないのだ。

     サラリーマン社会の破滅地点からの喜びや幸福を山頭火は垣間見させてくれる。




  『山頭火 日記(一)』 春陽堂 山頭火文庫 89/11. 650円(古本)


     本や新聞を読んだり、酒を飲んだり、案外ふつうの人のような生活をしている山頭火の日記。

     入浴や食べることの喜び、山々の美しさが描かれているのがよい。

     皮肉なことだが、この日記は世界恐慌のはじまった昭和5年から書きはじめられていて、

    けれども経済を捨てた山頭火にはどこ吹く風のようである。

     わたしは俳句をよく味わえないのだが、すこしは心が動かされる詩にも出会った。

     「けふのべんたうも草のうへにて」

     「ひとりきりの湯で思ふこともない」

     こんな句が――あるいは情景が――いいな。




  鎌田茂雄『菜根譚 中国の人生訓に学ぶ NHKライブラリー 97/2. 971円


     ひじょうによい人生訓だった。

     「足ることを知る」「死を見つめて生きる」「悟境に遊ぶ」などのテーマがいい。

     とくに満足する心を知ることが心豊かなことだというところがいい。

     不満や不足に悩まされていては、心が安らかになるわけがない。

     不足していることを嘆くのではなく、その状態に心が満足すればいいのである。

     「不自由を常と思えば不足なし」――この言葉にすべてが凝縮されている。

     状況や環境がいかに酷なものであっても、心を澄んだ自然のように保てば、

    なにものにもわずらわされることはない。

     状況ではなくて、心なのだ――そのことをこの人生訓を貫いて言っている。




  洪自誠『菜根譚』 岩波文庫 16世紀末 660円 


     達観し過ぎているすごい人生の知恵の書である。中国人の人生訓というのは

    かなわないなと思う。西洋人の人生論でこのような名著に出会ったことはない。

     結果や結末から心の働きや人々の行いの過ちを伝えている。人生から一歩退いて

    客観的にながめるさまはさすがに達観している。ぜひお勧めしたい一冊である。

     ひたすら豊かさと金儲けに邁進する現代人にひと言送ります。

     「財産の多い者は莫大な損をしやすい。だから金持ちより貧乏人の方が、失う心配もなくて

    よいことがわかる。また地位の高い者は、つまずき倒れやすい。だから身分の高い者よりは

    身分のない庶民の方が、いつも安心していられてよいことがわかる」




  高橋英夫『西行』 岩波新書 93/4. 620円


     仏教者というよりか歌人の趣のほうが強いのがわたしにはふしぎだった。

     この本の中の西行の生涯と歌は残念ながらほとんど心に残らなかった。

     ふたつだけ印象に残った箇所は、隠遁者は世を捨てたはずなのに、

    そのことで世に認められることを願っていたということや(欲を捨てるという「欲」を

    捨てられなかったわけだ)、漂泊者は貴人の流浪の系譜として

    位置づけられるかもしれないということだ。




  梅谷繁樹『捨聖・一遍上人』 講談社現代新書 95/12. 650円


     捨てて捨てて漂泊に生きた一遍の生涯から、なんらかの解放感、癒しといったものを

    読みとりたいと思ってこの本を手にとってみたのだが、そういうのは得られなかった。

     現代人も漂泊に生きることができるのかという答えをわたしは求めているのだろうか。

     捨てる生き方というのは心の平穏を求めるためのいちばんの道標であり、

    欲望と蓄積を過剰に求める現代人への解毒剤・清涼剤になるだろう。

     「名声を求め、人々の帰依を望み、評判を求めると、身も心も疲れる。

     功徳を積み、善根を修めようとすれば、いらぬ希望が多くなる。

     ひとりぼっちで何の地位もないのが何よりである。

     ……閑居の世捨人は貧しさを楽しみとし、坐禅して深い定に入る人は閑かさを友とする」

     これは一遍がわが先達といった空也のことばである。




  久保田展弘『山岳霊場御利益旅』 小学館ショートトラベル 96/8. 1460円


    山に登っているとなんでこんなところに、という寺や修験道の跡があったりして、

   なんとなく山々に抱いてきた人々の神秘的な気持ちを知りたくなる。

    この本では全国の信仰の山々が写真を多用されて紹介されている。

    恐山、白山、富士山、比叡山、高野山、吉野、熊野といったところだ。

    人々が山々に抱いてきた神秘的で荘厳な気持ちといったものは、

   そういった信仰から断絶されたわれわれにとって不可思議なものであるが、

   じっさいに山々や自然のなかにいるとそういった気持ちがわからないでもない気がする。




  吉田兼好『徒然草』 角川文庫ソフィアほか 1331年ころ執筆? 660円


     世俗や名声、財産への批判という点では、ショーペンハウアーとか

    マルクス・アウレーリウスなども同じようなことをいっているからあまり新鮮味はなかった。

     人間にとって最高の宝は財産でも名声でも地位でもなく、死の逸れがたいことを

    日々自覚して、生きて今あることを楽しむということだけだ、というのは究極の言葉だ。

     死からものごとを捉えること、わたしはあまりにも恐ろしいのでそれを捨ててしまったが、

    そのぶん人生の楽しみや感謝が感じられなく、茫漠とした人生となってしまうのだろう。




  赤坂憲雄『漂泊の精神史 柳田国男の発生 小学館ライブラリー 94/11. 1070円


     漂泊者の精神史というよりか、柳田国男が漂泊者をどう捉えてきたかという本だ。

     定住の時代のはざまにおいて、漂泊者がどう評価されてきたか、

    天皇と差別というテーマを奥に据えながら、考察している。

     わたしは漂泊者列伝のような本を期待していたわけだが、

    ヒジリやサンカ、イタコ、ホイトなどの漂泊者たちのほんの一端に触れることができた。

     漂泊は中世に語りや芸能と結びついていたが(盲目者は目に見えない音響を

    伝えるのに適していた)、文字の文化にうつったときに漂泊者たちは没落していった。




  藤原新也『印度放浪』  朝日文芸文庫 93/6. 1000円 


     ざらざらした材質のカバー、三冊分はある分厚さ、インドの猥雑で壮絶な写真、

    とてもいい感じで異郷に赴いた風になる写真集である。

     インド人というのは、人間の生きざまというのを如実に現していて、すさまじい。

     日本のように生も病も死もすべて施設に隠され、人生そのものまでもが

    郊外住宅地のように理路整然と整理されたうら寒い国とは大違いだ。

     聖も俗もごっちゃにされ、人間の生きざまが赤裸々にさらされたインドの風貌を、

    印象深い旅行記とともに、この写真集は伝えている。




  藤原新也『全東洋街道』 集英社文庫 82/11. 上下各714円 


     壮絶で、すさまじい、と形容するしかない全東洋旅行記と写真集。

     アンカラの娼婦たちの写真、人界からまったく断ったチベット寺院への、

    夢物語のようなエピソード、ビルマを境にするアジアの鉱物世界と植物世界の対比、

    人を見ず物だけを見る中国人など、人々の生きざま、生きるということ、

    アジア世界の風景景色がなまなましく伝わってくる秀逸した写真集だ。

     藤原新也の写真集と文章というのはかっこよくて詩的なんだな。

     生きざまをダイレクトに捉えた写真があるからなおさらなまなましい。

     旅行記は文章だけではやはり想像力が補えない、

    やはり写真がないと光景や人物はダイレクトではなく、興味が乏しくなる。




  鎌田茂雄『こころの達人』 NHKライブラリー 93/12. 910円


     いま、仏教や日本の先人たちの癒しや生き方になんとなく魅かれるので、

    一遍や沢庵、武蔵、千利休、世阿弥の生き方を紹介したこの本を手にとった。

     ちょっとわたしの求めているものと違ったが、よい言葉もいくつかあった。

     心というものは実はなにもないということや、思うまいと思うことはすでに思っている、

    体を楽しませれば心は苦しむ、食えなければ死ねばいいだけじゃないか、

    というような仏教系の言葉が心にひっかかってきた。




  鎌田茂雄『己れに克つ生き方 「迷い」を断ち切る先哲のことば
             PHP文庫 85/12. 500円(古本)


     この本のなかでいちばん感銘したところは、「自由とか自在というのは、

    心が対象にとらわれないことをいいます」というところである。

     「どんなことであれ、心がとどまってしまった場合、そこには自由はありません。

    心がとどまると、そこに意識が集中し、他は脱けがらになります」

     「敵のからだのはたらきに心を置けば、敵のからだのはたらきに心を取られます。

    敵の太刀に心を置けば、その太刀に心を取られます。……どのようにしても結局、

    心の置き所はないのです。」

     「心をどこにも置かないというと、心はどこにもないように思われますが、

    心は全身一杯に満ちあふれていなければなりません。合気道などでは、

    心というよりも「気」といったほうがよく、気が全身に遍満していることが、

    心を置かないということになるのです」




  今井雅晴『日本の奇僧・快僧』 講談社現代新書 95/11. 650円


     この本では知的アウトサイダーとしての僧侶たちがとりあげられている。

     道鏡、西行、文覚、親鸞、日蓮、一遍、尊雲、一休、快川、天海、といった人たちだ。

     かつての仏教者が政治権力者たちと近しいのは、ちょっと幻滅する。

     権力や勢力によって僧侶が評価されてきたとしたら、それは仏教ではないのではないか。




  大村英昭『日本人の心の習慣 鎮めの文化論 NHKライブラリー 97/8. 920円


     これはおもしろい本だった。

     現代は欲望や情念に煽られる時代だが、古来の日本は鎮める文化だった。

     その対比が目を醒まさせるが、その鎮める対象というのがオオヤケに犠牲にされた

    ワタクシの羨みや祟りだったというのは、かなり個人主義的な風土を思わせるのである。

     現代のほうが世間や会社といったオオヤケに人生をつぶされているほうが多い。

     煽る文化は立身出世やガンバリズムと結びつき、分を知り安らかに生きてきた貧困者の

    高貴さを蹴り去り、われわれを永遠の不満に罰せられているような状況に追いこむ。

     煽る文化より、世捨て、隠遁、中庸に生きる誇りをもてた鎮めの文化のほうが幸福だ。




  高橋義夫『知恵ある人は山奥に住む』 集英社文庫 95/5. 500円


     現代の田舎暮らしはどんなものだろうかとのぞいてみたが、

    中世の僧侶のように脱俗と隠遁とかの趣はこの作者にはまったくないようだった。

     とりあえず読んでみただけ。




  諸橋轍次『中国人の知恵 乱世に生きる 講談社現代新書 73/6. 650円


     中国人の人生の達観はどこから由来するのか。

     問題を局限せず、高い次元から見るという特性があるなど、

    中国人の知恵がこの本で語られている。




  立川武蔵『日本仏教の思想 受容・変容の千五百年史 講談社現代新書
                  97/4. 660円


     最澄、空海、鎌倉仏教、室町仏教と日本仏教史がコンパクトによくわかるが、

    日本仏教の世界構造の考察、本覚思想、浄土思想などの歴史は、

    心の考察だけをもとめるわたしにとっては膨大な無意味に思える。    




  吉川幸次郎『中国文学入門』 講談社学術文庫 76/6. 580円


     中国的達観の根拠やよい詩人をもとめてこの本を読んだ。

     非虚構性、現実的、政治志向などの中国文学の性質がよくわかる。




  『杜甫詩選』 岩波文庫 (712-770) 700円


     中国の詩の安らかさ・悠久さなどを求めてこの詩を読んでみたが、

    残念ながらわたしには陶淵明の詩のような安らかさは感じられなかった。




  鈴木大拙『東洋的な見方』 岩波文庫 97/4. 600円


     90歳前後に書かれたエッセイということだが、個人的には文章の運びかたや

    書く姿勢というのか、なんだかわからないが気に食わなかった。

     わたしは東洋的な安らぎの根拠みたいなものを探ろうとしていたので、

    この本からはべつにそのようなものは得られなかった。




  ピーター・ミルワールド『素朴と無垢の精神史 ヨーロッパの心をもとめて
             講談社現代新書 93/12. 600円


     この本は富や贅沢に背を向けた西洋のシンプリシティの系譜をたどるという

    興味のひかれるものだと思ったが、わたしが期待したような自然の癒しとか、

    持たないこと、かれらの生き方といったものを具体的にのべていたわけではないので、

    かなり期待外れの、なにを語っていたのか意味不明の記憶だけが残った本だった。    




  坂崎重盛『超隠居術』 ハルキ文庫 95. 580円


     現代的感覚から隠遁を捉えている本ということで手にとってみたが、

    作者の個人的趣味の世界は好きな者でないととても読みつづけられない。





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