■「太陽の道」マイブーム 2006/10/9
『神社配置から古代史を読む』 三橋一夫
六興出版 1986 1200e(絶版)
宮元健次『神社の系譜』(文春新書)を読んでがぜん興味をもった「太陽の道」。秋分、春分の日の出と日没ラインに神社や神体山がならぶラインのことである。この説は1973年に小川光三『大和の原像 知られざる古代太陽の道』によって唱えられ、1980年に水谷慶一がNHKでとりあげ(『知られざる古代』)、ひとしきりブームがあったようだ。
その後ブームがどうなったかしらないが、メガ書店で探してもそういう関係の本はいまいち見つからない。この本は古本屋でみつけた。(絶版。小川光三の本も絶版になっている。) なんかやたら三角形の図が並ぶ本であるが、太陽の道延長線上にある本かなと思う。宮元健次の本には参考文献があげられておらず、せっかくマイブームに火をつけた本なのにかなり惜しい話である。
さて、この本では神社や寺に三角形がひかれている。その三角形をいくつも結びつければ、鎖式や放射式、点在式があり、それぞれは出雲族、安曇族、住吉族ではないかと唱えておられる。その形態の分布図を日本地図でみてみると、それぞれの族がどこに分布し、どのように地域に入りこんできたかわかるということである。興味深い分布図である。
しかし私にはなんの意味もなく三角形の向きがばらばらにおかれているように見えて、あまり三角形である必要はないように感じられた。三角形である根拠が薄いのである。しっちゃかめっちゃかにおかれているようにしか感じられない。だけどその三角形をならべれば、法則性があるということだが。この三角形はなにか自然暦と関係あるのか、それとも風水とかに関係があるのか、なぜそのような三角形を作成する必然性があったのか、ここらへんをしっかりしてくれないと、つぎの論にも乗れない。
太陽の道にかんして有益な情報があった。太陽の道には冬至線が重要なのだが、その理由は、もっとも若い太陽が新しく生まれてくるのは冬至だからということだ。ここで日女は太陽と交わって太陽の子を生む。これは天皇の即位式の儀礼でも象徴的におこなわれているらしい。この本の著者はその場所が正三角形がおり重なった地点にもとめられるという。
稲作民にとって季節を知ることは重要なことである。ある観測点からどの方位や山から日の出が見られるかによって季節および田植や稲狩の時期を読みとることは死活問題ともいえる。漁民が漁場や場所を探るために山によって「山あて」したように、農民も山や太陽の場所によって季節の節目を読みとったのだろう。太陽信仰というよりか、カレンダーや農事暦に近いといえる。「日知り=聖」という知識は権力とどう関わってきたのだろうか。それが神社や寺の配置にいまも残存しているということである。
太陽の道についてはもうすこし探ってみたいと思う。われわれが住む地域にそのような知識が刻印されており、そしてその知識の痕跡が、神社や神々、または岩や死者の国などの信仰につながってくるからである。けっこう古代の人の世界観がいもずる式に出てきそうなキーポイントという感じがする。楽しみがつづきそうである。
▼著者の類似本です。
三天法による神社配置の考察―「聖三角形」が語る古代史の謎 三橋一夫
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