バナー
本文へジャンプ  

 


 ■060101書評集 結婚のさまざまなかたち



 ■売春を隠す恋愛結婚イデオロギー           2006/1/1

 『売る身体/買う身体―セックスワーク論の射程』 田崎英明[編著]
 青弓社 1997/7 3000e

 


 私たちは恋愛はすばらしいもので、売春はカネで性が売り買いされる悪いものだと思い込んでいる。だが、すこし考えてみると、恋愛や結婚というのも、男がその経済力で女を買う売春となんら変わりはしない実情に気づくはずである。ぎゃくに恋愛という至上なものでその本質を隠蔽してしまうからこそ、裏切られた気持ちになる。

 私たちは売春という制度のなかにこそ男女関係の本質を見い出すべきであると思うのである。恋愛という甘いカーテンの向こうには、女がカネのある男をさがす動きと、カネで女を買う男の姿が見えてくることだろう。

 恋愛は至上なものと謳いながら、やっていることは売春。本当に恋愛したいと思うのなら、女性も自立できる経済力を身につけなければならないはずである。だけど女性は男の経済力にすがりついたまま、消費生活の甘い蜜を吸おうとしている。ここに恋愛至上主義の最大のウソと欺瞞を見い出さざるをえないのである。

 こういうことはこの本を読むと、大正の知識人にとっては共通認識であったというのは驚きである。厨川白村、与謝野晶子、山川菊栄、堺利彦、といった人たちが結婚は売春であると明快に捉えていた(菅野聡美の論文より)。私たちは大正時代より一歩も進んでいなことに愕然とならざるをえないのである。なにが恋愛結婚かと思う。なにが終身の愛を誓う結婚かと思う。

 この本を読むと、セックスを生殖のものと快楽のものに分け、一夫一婦制にそのすべてを押し込めようとしたから、売春制とか、あるいは不倫や浮気といったものが生まれることがわかる。生殖のための一夫一婦制という制度が人間のほんらいの性をはみ出させるのである。それが国家や企業とどう絡んでくるのかもまた考えないといけないなと思う。

 なお、この本の執筆人は田崎英明、金塚貞文、小倉利丸、菅野聡美といった性や労働について考えた人たちで、少々難しい論議におちいるところもあるけど、売春制度から男女関係を捉える必要をおおいに認識したというしだいである。

 ▼関連文献






 ■店員はなぜ気まずいんだろう。             2006/1/2

 『マンガでわかる良い店悪い店の法則』 馬渕哲+南條恵
 日経ビジネス人文庫 1995/11 600e

 


 私は店員に接客してもらいたいとは思わない。自由に選びたいと思っている。だけど店に入るや否や声をかけてくる店員に辟易してしまうし、個人商店の気まずさはたまらないと思ってしまう。コンビニのようにどこの店員にも顔を覚えられたくないと逃げ回ったりしている。

 この本ではやる気のある店員ほど客を遠ざけるといったように、接客を好まず自由に冷やかしのできる店に人気が集まる理由を明快に説明してくれている。しかも店員が尻を向けているほど客は立ち止まるのである。

 客は買うものが決まるまで人間関係をもちたくないのである。一度接客につかまってしまうと断りにくくなったりするし、ほかの店との比較検討もできなくなってしまう。だからスーパーやコンビニの自由な買い物に慣れている私たちにとっては積極的に接客される店員は不快でたまらないのである。

 むかしの店は品数が少なく、しかも買う種類も少なかったので、店に入るということはその店で買うことだった。「冷やかしお断り」の張り紙!があったそうである。店主は売ってやってるんだという傲慢さをもちえたりしたが、品数や競合店がふえた個人商店は人情味あふれる地域密着の店をめざしたのだが、セルフ方式に慣れ自由に選択できる買い物を好む私たちは、店員と濃厚な人間関係をもつことがうとましく感じるようになった。

 だけどいまだにデパートのようにずらりと待ち構えている店員やハイエナのような店員のいる店に出くわしたりする。そういう変化がまったく学習されていないことが驚きである。私たちはファーストフードやコンビニのようにすぐに変わる店員との関係を好ましく思っているのである。都市民は宿命的な束縛から逃れたがっているのである。こういう関係はいつか企業や結婚のような関係にも拡がってゆくかもしれない。

 店員というのは私にとってはすごく気まずい存在である。顔を覚えられたり、買う品物を詮索される不快感をもったりする。なんでこんなに苦しい思いをするのだろうという思いは積年のものである。なぜこういう関係になるのかを分析してくれるこの本のような存在は、私の思いにナゾをとく鍵を与えてくれる。買い物は社会学や心理学でも放っておけない問題だなと思ったしだいである。





 ■私のサイトの人気本ランキング      2006/1/3

 amazonとアフィリエイト契約していると、売り上げとクリック数をみることができる。ページのアクセス解析と違って、具体的に読者の方々はどの本に関心があるのかがわかってかなり参考になる。

 ちなみに去年十月にはじめてamazonから紹介料一万が銀行にふりこまれた。約一年目にしてようやくだからほぼお年玉程度である。このサイトから買っていただいたみなさまにはほんとうに感謝します。本の書評を書き続ける私に、哀れんで恵んでやったと思っていただければたいへんありがたい。

 さて第4四半期(10月〜12月)のクリック数ランキングである。売り上げランキングはあまりにも少ないのでランキングはとれない。ちなみに第4四半期には131点の売り上げがあり、約五千円程度の紹介料である。

 

 1位は中川八洋の『正統の哲学異端の思想』(64クリック)である。民主制と平等といわれるものがいかに人の自由を破壊するかを近代思想から解き明かしており、瞠目の書である。

 2位はリチャード・カールソンの『楽天主義セラピー』(55クリック)で、私の人生を変えたといえるほどの本でイチオシである。思考を捨てれば人生こんなにラクになるんだと理論的に教えてくれた本で、しじゅう頭でものを考えて悩んだりしている人にはものすごくオススメである。私を苦しめる感情や思考は「虚構」にしかすぎないと教えてくれた知恵の書である。

 3位はケン・ウィルバーの『無境界』(47クリック)である。われわれが「自分」と思っているものは虚構の「仮面」にしかすぎなく、心や身体に同一化する過ちを説く本で、この意味を理解できる人には偉大な書であると思う。宗教がいっていることはこういうことなのかと理論的に理解できる本である。救いでも依存でも盲従でもない。

 4位は私には意外なことだが、ゴールドバーグの『なぜ彼は本気で恋愛してくれないか』(45クリック)である。もし女性の関心が高いとするのなら男のそのような姿勢を女性は感じているのだろう。みんなが求める男らしさというものが、女性の共感を阻むという本である。

 

 5位は白川一郎『日本のニート・世界のフリーター』(38クリック)である。ヨーロッパではすでに30年前から若者は高失業率に悩んできていて、私は彼らがどのように生きてきたのかずっと知りたいと思ってきたのだが、出たのは政策本であったというのはがっくりである。

 6位はウェイン・ダイアーの『どう生きるか、自分の人生』(36クリック)である。「考えと現実は同一ではない」というダイアーの教えは瞠目ものであるのだが、この深い意味に気づく人はどれだけいるのだろうかと思う。私たちはふつう自分の考えのみが唯一の現実だと思い込んでいるのだが、それがたんなるひとつの「考え」にしかすぎないと実感したときの衝撃はわかるかと思う。動かしがたいと思う「現実」の壁の脆さに気づけ。

 7位は三神万里子の『パラサイト・ミドルの衝撃』(35クリック)である。45歳以上が会社を滅ぼすという本で、この関心の高さは世代間対立の進行を思わせるものである。ただ売れたという話は聞かないが。

 8位は内田春菊の『僕は月のように』(31クリック)である。たぶんハダカの表紙に関心が集まったのだろう。内容はただヤリたいだけの高校生と、ジラす女子高生のかけひきがおもしろいマンガである。私は相原コージの腹をかかえて笑った『コージ苑』を思い出した。

 

 9位は中野雅至の『高学歴ノーリターン』(30クリック)。やはり高学歴はもうメリットがなくなったのかと興味魅かれる本である。まあ、いまは学校よりメディアや消費のほうが力や魅力をもつ時代になったから、優等生が不遇になるのは十数年前から目に見えていたわけだが。

 同じく同点10位は斉藤環の『負けた教の信者たち』(30クリック)。閉ざされた学校が就職や社会のコミュニケーションの苦手な若者たちをつくりだしたが、この欠点はどうやったら解消できるのだろうと思う。というか、社会がコミュニーケーションをどんどん拒否する方向に進んでいるのに、どうやってコミュニケーションをうまくなれというのだろう。これは個人の問題というより、社会構造の問題だと思うのだが。

 10位は本田透の『萌える男』(29クリック)。恋愛の売春化を批判して、私にはエラく共感するところがあった。恋愛イデオロギーっていやだなあと思う。男の奴隷労働を隠して女はしゃーしゃと消費生活にのさばる。ほんとうに恋愛したいと思うのなら自分の経済力をつけなければならないはずなのに、男の経済力に買われても屈辱も感じない。歪んでいるなあと思う。

 
 
 

 以下はつぎのようにつづきます。

 11位 トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』 28クリック
 12位 名本光男『ぐうたら学入門』 26クリック
 13位 岡田尊司『誇大自己症候群』 25クリック
 14位 片山洋次郎『整体楽になる技術』 25クリック
 15位 渋谷知美『日本の童貞』 24クリック
 16位 櫻木健古『捨てて強くなる』 24クリック
 17位 クリシュナムルティ『自我の終焉』 22クリック
 18位 洪自誠『菜根譚』 21クリック
 19位 辰巳渚『なぜ安アパートに住んでポルシェに乗るのか』 21クリック
 20位 三浦展 『下流社会』 20クリック

 さいごにこのサイトは本の写真をクリックするとamazonにつながるようになっているが、読者の方のなかには私の書評を読みたいという方もいるかもしれない。それができないのが残念である。めんどくさいと思うが、下のほうにあるGoogle検索で探してもらうほかない。さいきんはコワイので性能を試していないが。。




GREAT BOOKS

 ■若者の大変化に中高年よ気づけ            2006/1/4

 『新卒ゼロ社会―増殖する「擬態社員」』 岩間夏樹
 角川oneテーマ21 2005/12 686e

 


 微妙なところだなあ。若者の大変化に中高年は気づけという本なのだが、パラダイムシフトが必要だといっているのだが、変化の説得力がいまいち弱いように感じられた。

 中高年はほんとうに会社というシェルターや生活サポートの五十五年体制が、若者にとって重すぎる拘束でしかないことを知らないのだろうか。働く意識が劇的に変わっていることをほんとうに知らないのだろうか。

 89年にちょうど社会に出た私はこの働く意識の変化を身をもって感じていたのだが、会社のシェルター化はてこでも動きそうにはなかった。60年代後半生まれからはだいたい飢えの恐怖から解放され、仕事と会社だけの人生なんてまっぴらだと思いはじめていたのだが、この社会は会社のサポート体制とその拘束を手放そうとはしなかった。若者もこのサポート体制の主流やステータスをのぞむように見せかけるしかなかった。

 いまの若者はそれを変えようがないから、中高年世代の働き方やシステムに「擬態」しているだけなのである。フリーターやニートはその目に見える氷山の一角にしか過ぎないのだが、表面にあまり出てこないからこそタチが悪いのである。たまに表面に現れる若者の不可解な行動は社会にボディブローや深刻なダメージを与えつづけているのである。

 何度も聞き返したいが、中高年はほんとうに知らないのだろうか。あなたたちがほしがった会社のサポート体制や働くだけの人生なんてもういらないと思っていることを。この本の「新卒ゼロ社会」というタイトルは、そのネズミ講のような社会のシステムをいつか若者のだれもが背負わなくなるという警告なのである。

 社会がこういうふうに崩壊するのなら、せめて若者は黙って大人に従っているふりをするよりか、声に出してこの社会の変革を叫ぶべきであったと思う。これはタチの悪いシステムのつぶしかたである。護送船団に乗っているふりをして自らの重みで沈まそうとしているようなものである。いわば反論を封じ込められた若者が、大人の失敗をそのままなぞることによって、失敗の全貌をあからさまにしようとしているかのようである。ものいわぬ反撃である。あ〜あ、みんなで仲良く沈没かよ。

 社会は大きな変革を迫られているのである。会社と仕事のウェイトを減らすこと、つまり会社が個人の時間や自由を行使できる権利を大幅に制限することと、生活のサポート体制をもう放棄すること。つまりニートやフリーターが実践している生き方を社会のシステムとしなければならないのである。というか、彼らはすでにそういう生活をやりはじめているのだが、その変化の意味に気づかない中高年はいまの会社のサポート体制が永久につづくのを願っている。

 中高年はもうあなたたちがほしがった会社のシェルターなんて若者はもうほしがっていないと悟るべきであるし、長時間労働を許すような社会のシステムに拘束される必然性もなくなったのである。つまり豊かになる=近代の目標が終わってしまったのだから、そのシステムを廃棄するべき時期に来たということである。

 この本を読んで中高年は気づけということである。しかしほんとうに中高年はこのパラダイムシフトにいまだに気づいていないのか、そのバカさ加減に何度も訊ねたくなる。

 





 ■たとえば兄弟で妻を共有できるか          2006/1/8

 『性と結婚の民族学』 和田正平
 同朋舎 1988/5 3914e

 


 結婚とはなにかと考えると、世界の民族の結婚をダイジェスト的に知るのが参考になると思うのだが、さっこんの本屋にはあまりそういう本はない。晩婚化を反映して結婚について考える人が減ったからだろうか。この本はかろうじて古本屋で見つけた。

 この本では一夫一婦制とかなりかけはなれた結婚制度が紹介されている。一妻多夫制、亡霊結婚、女性婚である。

 一妻多夫はだいたい兄弟や父子に妻が共有される制度、亡霊結婚は跡継ぎのない死者のために結婚する制度、女性婚とは不妊の女性が結婚した女性に夫の子どもを生ませるためにおこなうものである。話がかなりややこしく、この本は学術的であるため、定義がかなり混乱してくれるので、正確にはいいあてていないかもしれないが、それほどややこしいのである。

 一夫一婦制があたりまえとして凝り固まった頭にはかなり混乱する話で、学術的にも厳密すぎるので、この本はだいぶ退屈なところをふくんでいた。キワモノ結婚をおもしろおかしくマンガで紹介するような本のほうがおもしろかったのかも。それは性と結婚の未来形を垣間見せるものでもあるだろう。

 たとえばもし一妻多夫制が許される社会だったら、『タッチ』のカッちゃんタッちゃん南の関係はどうなっていたんだろうと考えることができるし、『キャンディキャンディ』なら(古い!)、アンソニーとテリィと結婚してうはうはだっただろう。亡霊結婚がOKだったら映画『ゴースト』の主人公は結婚していたか(意味は違うが)。人間の社会とはさまざまな結婚制度の可能性があり、また恋愛感情も違ってくるのである。

 アラブ人とアフリカ人の土着思想には、女性を油断ならない性の「つわ者」と見ている向きがあり、アラブ人は貞操と禁欲を強制し、アフリカ人は公認された性交渉のカテゴリーを設定して(!)性的発散を可能にしたりしている。

 これらの関係に自分をあてはめてみると、いったいどういうふうに感じ、どんなふうにふるまっていたんだろうなと思う。それが人類学の役に立つ使い方だろう。晩婚に進む日本の結婚制度になんらかの方策を示唆するかもしれないのである。一夫多妻制などの形態を知りたくなった。あと、結婚とは名や家を存続させるために必死に保険をかけているんだなと思った。

 





 ■ひどい本。絶句。                 2006/1/12

 『なぜフェミニズムは没落したのか』 荷宮和子
 中公新書ラクレ 2004/12 760e

 


 ひどい本と出会ってしまった。いや、ひどい著者というべきか。これはトンデモ著者である。偏見と思い込みにこりかたまった思考にぎくっとさせられる。なんでこんなトンデモ思考が事実だと思い込めるのか頭を抱えたくなる。

 しかもはじめの一章に80年代の価値観をプレイバックしていて、それだけで私はゲロを吐いて本を投げ出したくなった。私は80年代の解毒剤として老荘や隠遁者などの中国思想を必死に学びとったのに、この人はあいかわらず80年代バブリー恐竜女である。時間が止まっていたのか、反省能力がないのか、あるいは女性はいまだにバブル的価値に生きているのか。「私は違う女よ」という話ばかり聞かされた。

 二章からはだいぶマトモになって林真理子が女性にウケた理由を説明していて、これはこれで納得できた。自分で稼いだお金で好きなことをしたり、女性が成功しても幸せな日常生活を送ることができる、といったことを体現していたからそうである。女性の不自由さやルサンチマンは謙虚に聞くべきであると思った。

 マトモなのか〜と思いはじめたら、また偏見と思い込みの文章に出会い、がくーと信用を落としてしまう。どうしてこんな偏見と思い込みの人が本を出せるのか恐ろしくなる。岩月謙司に近い感じだ。客観性やコンセンサスの欠如である。もうこの本と著者のことは忘れることにしよう。うんそうしよう。

 ▼バブルの解毒剤に
 





 ■「私が感じていたことは、皆が研究対象にしていたんだ」         2006/1/13

 『結婚しません。』 遥洋子
 講談社文庫 2000/9 467e

 


 TVでみる遙洋子は怒りっぽいようであるが、悪い人ではないという印象だ。フェミニズムを日常の生活や感覚から紹介しており、自然で、しっかりした本になっている。

 おもに家事労働の無賃労働や奉仕に怒りをあらわにしているが、学者に関する意見は私も同意見だ。「なんだ、私が感じていたことは、皆が研究対象にしていたんだ」ということである。学問はじつに日常のことを研究しているから、私もひきつけられるのである。そして問題はここから探らなければならないと思うのである。それなのになぜニュースが社会の共通問題になるのか? 最重要問題を隠蔽するためか。

 「個々の女性には、自分が個人的に関係する男性だけから抑圧を受けているかのように、つまり抑圧は私事のように見える」。この一文からフェミニズムははじまると思うのだが、どうなのだろう、テキをつくる人生はあまりよいものとは思えない。

 「フェミニズムは一種のイデオロギー、つまり利害や視点に制約された偏向した思想である」――上野千鶴子

 遙洋子は男のつらさなんて一生わからないと切り捨てた。男も同じように企業社会に抑圧されていることに思いをいたらせないとたぶんフェミニズムは自分の利害を主張するだけの思想に終わる。企業社会に人生を奪われると思う男の私は、女は三食昼寝つきでいいなあとイヤミをいいたくなるのだが、やはり両性はたがいの傷みを理解しあう必要があるのだろう。自分の利益だけを追求するのはオトナではないし、学問でもない。

 ▼結婚・家族・恋愛について
 セブン・ラブ・アディクション―なぜ失恋はクセになるのか





 ■トピックがおもしろい。                2006/1/15

 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 大竹文雄
 中公新書 2005/12 780e

 


 私は人間の関係はお金の関係でとらえなければならないと思っている。感情のやりとりや結婚、性愛関係もお金のギブ・アンド・テイクでとらえるべきだと思っている。経済的な考え方というのは大事だと思うのである。

 この本には魅力的なトピックがならぶ。「女性は、背の高い男を好むのか」、「イイ男は結婚しているのか?」、「賞金とゴルファーのやる気」、「年功賃金はねずみ講だったのか?」、「見かけの不平等と真の不平等」、「高齢化と所得格差」、「所得が不平等なのは不幸なのか」など、おもしろいと思ったので思わず買った。

 むずかしいというよりか、ややこしい。意外に思う見解も示されていたりする。結婚の話とか所得のインセンティブなどの話がおもしろかった。経済学は日常のいろいろなことも切り込めるのだと思ったけど、こじつけや実証が不可能ではないかと思うところもあった。下手に転がればトンデモ本か、ゴシップ記事なみになりそうだ。もちろんこの本はしごくまじめな研究書であり、そういうことはいっさいないと思うのだが。

 年金未納は若者の逆襲であるといったことや、高齢者の増加が所得格差の拡大をもたらしたということ、所得格差が広がったのは90年代ではなく80年代であり、格差が近年に問題になったのはやはり失業やホームレス問題が目に見えるようになったからだ、ということにはなるほどと思った。

 経済学の実証的な目で社会を見るのは大事である。

 





 ■世界一の離婚大国             2006/1/21

 『明治の結婚 明治の離婚―家庭内ジェンダーの原点』 湯沢雍彦
 角川選書 2005/12 1500e

 


 明治の離婚率は2.6%から3.6%の高い水準にあり、1%台の昭和の離婚率よりはるかに大きかった。時代は進歩すると考えられている私たちにとって、この逆進歩はなんなのだろう。世界一の離婚先進国であったのである。

 結婚は長くつづけなければならないという認識が乏しかったり、いつ別れても構わない、長つづきするのはむしろ例外だと、階層に関わりなく考えられていたようである。

 地域で見れば東北のほうが離婚率が高く、巨大な家族の前に嫁は労働力と期待されており、親族と相性が悪ければかんたんに離縁された。離婚はたんなる転職であり、離婚を恥とも残念ともまったく思わない人たちがふつうであり、良家でも離婚しないのは偶然の幸いといわれたほどだ。つまりは「終身婚」の誓いなどまったく持ち合わせていなかったのである。

 明治31年に離婚率は二割以上も激減した。家父長的な民法の発布と、それにともなう届出を出さない内縁婚が全国に二割ほどもいたそうであるから、国家の家繁栄の考え方が離婚率をおさえてゆくことになったようである。

 上層階級の結婚は攻略結婚であり、妻と感情や愛情を交えることは論外であり、それは妾とのあいだで満たされるものと考えるものも多かったのである。世間では一夫多妻制は容認されており、おそらくは最近まで男にそのような意識は強かったのではないかと思う。恋愛結婚などを大マジメに信仰する者たちだけが、一夫一婦の誓いを固く守ってきたのだろう。

 樋口一葉の『十三夜』という作品に身分違いの結婚に嘆く話が出てくる。父親から諭されるのだが、夫からずいぶん恩を受けているのだから親兄弟のためにがまんしてくれ、離婚して家を出ても子と会えなくなり、同じ不運に泣くのなら妻として大泣きに泣けといわれる。彼女は自分が死んだつもりで子を守る覚悟を決めるのである。たぶんに女性はいまでもこういう境遇で暮らしているのだと思う。

 著者によると明治の結婚の研究書はほとんど存在しないそうである。われわれも明治の結婚の話を聞かないし、じいちゃんばあちゃんがどのような結婚生活を送ったかも知らない。われわれはただ見合い結婚が減り、恋愛結婚が増えたグラフを誇らしげに見せられるだけである。むかしに学ぶことはなにひとつないといいたげである。

 明治の結婚は慣習が二人を結婚させた。年頃の男女がいれば、まわりの者たちが恋愛感情なしでも結婚させた。結婚は生活手段の一つにすぎないのであり、義務であったのである。恋愛結婚強迫の現代はその原点を忘れているのではないかと思う。

 なおこの本はちょっとおカタくて、読みすすめるのはしんどかったかもしれない。

 ▼家族をめぐる変容
  





 ■異常な経済至上主義社会               2006/1/23

 『超少子化―危機に立つ日本社会』 鈴木えり子
 集英社新書 2000/7 680e

 


 結婚もしたくないし、子どももほしくないという社会はもうそれだけで異常である。人生の目的はシンプルに子孫を継承することだと思う。それなのに先進国は軒並み少子化に直面し、それだけで異常な世界に住んでいるんだと思う。私自身もちっとも結婚が魅力に思わないし、子どもの必要性もそう感じない。先進国はいちばん重要なことが欠落した社会なのだろう。

 少子化の原因はこの本の中でもおおくの事柄に目配りされているが、いちばんの根本の原因はなんなのかわからなくなる。途上国の人口爆発が見せるように、貧困とか経済の困難があっても子どもが次々に生まれてしまうようなエネルギーが、先進国には失われてしまっているのだろう。要は後先なんか考えていたら子どもなんか生めないのである。

 日本の若い男は妻子を養う経済的負担を嫌ってフリーターやニートとして逃げ出し、女性はなんで女だけで家事や育児を背負わなければならないのかと消費やキャリアに逃げ込む。みんなこのハードな経済社会にへとへとなのである。これ以上しんどいことは背負いたくない。若者たちは人生のストライキをおこなっているのである。

 もうみんな経済に特化した社会なんてたまらないと思っているのである。結婚や子育ては金がかかりすぎてしんどいし、老後の保険としての子どもの役割は、福祉国家なみに期待されていない。どうもいまの社会システムのすべてが子育て拒否の方向に向かわしめるようである。貨幣経済なんて交換可能なものばかりに人の魅力をひっぱるから、交換できない生命の継承という最重要事が見捨てておかれるのである。

 少子化の対策というのはやっぱり身も心もどっぷりつかってしまった経済至上主義からの脱却しかないのだと思う。金と会社しかない世の中の価値観を捨ててしまうほかない。子どもが減るという事態から、われわれはどんな異常な社会に住んでいるのかとわかるはずである。異常な社会というのは金のために会社にしがみつくわれわれ自身がつくりだしているのである。

 少子化対策としても、企業に人権を奪われる男の人生は解放されなければならないのである。社会に男が帰ってきたとき、女性の家事・育児の負担は減ることになるだろう。根本は男の人生が企業に奪われることである。国は金か、子供か、どちらをとるつもりなのだろう。




GREAT BOOKS

 ■国民の健康を破壊する国民健康保険。          2006/1/27

 『国保崩壊―ルポルタージュ・見よ!「いのち切り捨て」政策の悲劇を』 矢吹紀人
 あけび書房 2003/5 1700e

 


 国民健康保険のバカ高さは異常である。たとえば福岡市の年収724万円のサラリーマンが退職して年金生活で年収が214万円になった例がある。所得税は当時は44万円、いまは10万円。会社での社会保険料は年間18万円だが、国保料はなんと年間56万円にもはねあがっているのである。年収が三分の一にも落ち込んでいるに対し、保険料は三倍にもなるのである。

 失業したり、退職したりしたら、この異常にバカ高い金額が待ちかまえているのである。ほかに大阪市の場合、年収300万円に対し41万円の国保料がかかり、収入比の13%にもなる。北海道では年収51万円に対してその半分28万円以上の国保料が課せられたり(!)、神奈川県でも年収500万円で保険料53万円である。福岡市で年収240万円の独身者が50万円である。所沢では年収40万しかない人に1000円納めてもらっているという。

 この病的な高さはなんなのか。年収が低くても月に3万から5万もとられるのである。もう一軒安アパートが借りれるくらいであり、サラ金の返済もこの額になれば苦しいだろう。

 国保は年金生活者と60歳以上が半数を越える保険制度である。そこに農林水産業の二割、自営業の二割が入る。毎年100万人ずつ増加し、リストラされた人やフリーター、無職者または中小零細企業の人が入ったりする。だいたい年収は200万以下が平均である。

 とうぜん滞納したり払えない人が出てくる。そういう人には短期保険証や資格証明証という医者にかかりにくくなる保険証が贈りつけられてくる。この本のルポには保険証をとりあげられて医者にかかれなかったり、死亡した例もあげられている。もう国民皆保険制度は終わっているのである。

 私はこんなバカ高い異常な保険料を払うのなら、保険なしで医者にかかったほうがよほど安くつくと思う。あたりまえの感覚である。保険なしでは行きにくかったり、診療してくれないこともあるのだろうか。なによりも、保険証は身分や身元の証明のような感覚があり、これがないことは恥ずかしいような感じがある。だからといって、このバカ高い金額を払いつづけるのもまともな感覚でもない。

 手術や入院になると何百万にもなるから、ぜひ必要になるのだろうけど、カゼやちょっとした不調で年に数回医者にかかるような健康な人なら大損である。まともな経済感覚のある人なら、なぜこんな異常な制度に金を払いつづけられるというのだろう。

 こんな健康保険制度なんてもういらないと思うのである。制度がなくなれば、医療はどうなるのだろう。軽い病気なら支払えないことはないだろうけど、手術や入院となると払えない危機が出てくるだろう。でもそこはまともな金銭感覚が出てきて、高すぎる医療にかかる人はいなくなり、診療代は安く抑えられると思うのである。制度はまともな市場原理をどれだけ破壊してきたのだろう。

 保険制度は国民の生命や健康を守る制度だから死守すべきものだと思う人もいるのだろうけど、月々と年間の保険料は尋常でないほどに釣り上がっているのである。健康を守る以前に、すでに生活基盤を破壊する制度に成り下がっているのである。「健康保険のために生活できない」という事態は本末転倒である。

 国保は全国の四割の人が加入している制度である。この人たちがみんな高額な保険料にいままさに直面しているのである。こんな尋常でない問題がいまも改善されないという異常さに私は頭をかしげざるをえないのである。この国はもう政治機能も自浄作用も存在しないのだろう。

  





 鬼束ちひろ SINGLES 2000-2003

 


 『月光』の歌詞はすごかった。

 I am GOD'S CHILD
 この腐敗した世界に堕とされた
 How do I live on such a field?
 こんなもののために生まれたんじゃない

 壮絶な世界観である。そしてキリスト教的な世界観である。いったいどうしてこんな悲壮な覚悟が、この人に生まれたんだろうと興味をもった。歌う姿も強烈に「入って」いる。こんな姿勢で歌う歌手は商業主義の中できわめて珍しい存在であるが、その痛々しさが愛しいと思ったりする。

 このアルバムを聴いてみて、たぶん理想が高すぎて、まわりや自分を攻めてしまうんだろうと思った。壮絶な歌詞をひろってみると、「毒にまみれながら」「身体から零れ落ちた刺」「何かに怯えていた夜」「悪魔が来ない事を祈っている」「爆破して飛び散った心の破片」「私の愚かな病」「こんなにも醜い私を こんなにも証明するだけ」――芸術なのか、それともほんとにうこういう心の状態を生きているのかと心配になってしまう。もっと気楽に考えたらいいのにと、愚かな私は思ってしまうのである。

 こういう歌詞を歌っている歌手はとうぜんのように商業主義にのらない。もういまでは活動は休止しているようである。というよりか、音楽業界なんてどんなに人気があったアーティストでもあれ?という感じで消えてしまっているのがあたり前である。数年間でも人気が出たほうがいいほうである。願わくばおだやかな心象風景で生きていってほしいものである。考え方のみが世界や自分を切り刻むのである。                           2006/1/30


 




 ■結婚とは労働力の移動だった?            2006/2/1

 『婚姻覚書』 瀬川清子
 講談社学術文庫 1957/6 1000e

 


 私たちはどうしてむかしの結婚を知らないのだろう。祖父母や先祖がどのような結婚をしたのかさっぱり知らない。むかしの結婚に学ぶものなどなにもないほど、私たちは恋愛結婚によって進歩したのだろうか。むかしの結婚によいところや感嘆するところはなかったのだろうか。

 ご先祖の結婚の息づかいや喜怒哀楽がつたわってくるような本ならよかったのだが、残念ながらこの本は読みづらかったり、ご先祖を尊敬するという気もちにまではいたらなかった。宮本常一や赤松啓介が書いたくれたらおもしろかったかもしれない。たぶん感情移入ができそうな苦労や情緒が描かれていなかったからだろう。

 むかしの家族というのは労働組織と考えたほうがしっくりくるようである。だから結婚もためしてみて家風が合わなければ女中のように給金をわたして里に返したようである。大昔の婿入婚は娘の労働力を惜しむことからおこったようである。結婚とは労働力の移動のようなものだったのである。

 現代の結婚は労働力というよりか、おたがいの恋愛感情によって結びつくため、きわめて危うい関係になってしまった。人の好悪だけで結びつく関係はあってもなかってもたいしたことない。労働力として結婚させられたほうが、恋愛感情という細い糸で結びつく関係より、座りはよかったのかもしれない。

 





 森山直太朗 傑作撰 2001〜2005

 


 なんていうか、人生を歌える歌手は少ない。森山直太朗は詩に賭ける真摯な姿勢が、ほかの若手歌手に比べて突出した存在だと思う。

 『太陽』の商店街でのビデオ・クリップが楽しそうだった。『生きとし生ける物へ』はこんなスケールが大きな唄を歌える歌手がいたのかとびっくりして好きになった。ウケ狙いとか、一般向けを狙っていないような商業主義でないところが、私の気に入った。十代以外でも聴き応えのある曲を歌っているのが若手歌手にないところなのである。

 気に入った詩をすこし引用する。

 『太陽』から。
 「咲き誇るこの小さな島にこれ以上何を望みますか 殿様じゃあるまいし」

 『駅前のぶる〜す』。
 「立身出世が男のバロメーター そんなの一抜けた 学校やめました」

 長く、深く、シブく、人生を歌っていってほしい歌手である。でもカッコよさとか、クールさをめざさないまじめな歌い手はさっこんの若者にどれだけ受け入れられるのだろうか。シングルヒットより、長くアルバムが愛される歌い手になってほしいものである。

 





Google
WWW を検索 サイト内検索

ご意見、ご感想お待ちしております。
 ues@leo.interq.or.jp

『60冊の書物による
現代社会論』特集

『60冊の書物による現代社会論』 奥井智之 中公新書
 

この本によって私はたくさんの社会論の魅力に目覚めました。よい本との出会いはよいガイドブックとの出会いでもあります。紹介されている社会論をいくつかピックアップします。

大衆社会論
『大衆の反逆』 オルテガ ちくま学芸文庫
 

みんなと同じが権力の暴虐をうむ大衆。

『自由からの逃走』 フロム 東京創元社
 

権力に逃走する大衆。

『孤独な群衆』 リースマン みすず書房
 

みんなと同じのなさけなさ。

『フランス革命についての省察〈上〉』 バーク 岩波文庫
 

民主制はスターリンやヒトラーの悲劇をまねくと予見した古典。

消費社会論
『有閑階級の理論』 ヴェブレン 岩波文庫
 

見せびらかし消費を羞恥しろ。

『消費社会の神話と構造』 ボードリヤール 紀伊國屋書店
 

記号のために消費する現代。

『何のための豊かさ』 リースマン みすず書房
 

まったくなんのための豊かさか。

管理社会論
『ウォールデン 森で生きる』 ソーロー ちくま学芸文庫
 

労働に奪われる人生に疑問をもつ。

『脱学校の社会』 イリイチ 現代社会科学叢書
 

専門化する社会の個人の無能力。

『気流の鳴る音』 真木悠介 ちくま学芸文庫
 

言葉を全否定した世界の可能性。

産業社会論
『資本主義の文化的矛盾 上 (1)』 ベル
 

豊かになれば働く気をなくすのは当たり前の帰結。

『ゆたかな社会』 ガルブレイス 岩波同時代ライブラリー
 

ゆたかさのあとにどこをめざすのか。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 ウェーバー
 

まあ、ちょっと疑問だけど。私はゾンバルト派だけど。

帝国主義論
『帝国主義論 上巻 (1)』 ホブスン
 

金儲けが帝国主義をうむのだ。

『近代世界システム 1―農業資本主義とヨーロッパ世界経済の成立1』 ウォーラーステイン 岩波書店
 

近代世界の歴史。

▼何冊かの書評があります。
「現代人はなぜ、「みんな」と同じ生き方しかできないのか」

   
inserted by FC2 system