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 ■051102書評集



 ■非市場社会の夢想。                2005/11/2

 『経済の文明史』 カール・ポランニー
 ちくま学芸文庫 1975編 1400e

 


 非人間的な生産労働と、無益な物質消費を強制させられるこの経済社会はどうにかならないものか。

 そのような問いに答えるものとして、栗本慎一郎の経済人類学という学問があった。経済が生まれる原初を未開社会に探るというもので、そこにはなにか人間らしい経済や経済のほんとうの意味がのべられているように思えた。

 その栗本慎一郎に影響をあたえた先人として、ジョルジュ・バタイユとカール・ポランニーがいる。それでちくま学芸文庫から出たこの本に注目していたのであるが、難しそうなので手を出すのをこまねいていたのだが、読んでみたらやっぱり難しかった。人類学的知見が多いのなら楽しめたのだろうが、かなり経済学的で理解が難しい。私にとっては読んでもあまり意味のある本ではなかった。

 ただ、現代の市場経済社会は人類史上きわめて特殊な制度的所産であるという見解には、目からうろこが落ちそうになった。現代の経済社会をひっくり返して見せるのは一筋の希望をあたえてくれる。人間は経済的存在ではなく、社会的存在である、原始経済では利潤の欲求をもっていなかった、等々の経済至上主義いがいのものの見方を垣間見せてくれるのである。この経済社会いがいの生き方はないものだろうか、と私は夢想するのである。


 ▼栗本慎一郎の著作
 





 ■近代の性の異常視                 2005/11/5

 『性家族の誕生 セクシュアリティの近代』 川村邦光
 ちくま学芸文庫 1996/9 1100e

 


 いまいちだったかな。性についての学問は目からうろこが落ちるような新たな知識をえぐり出せるはずだと思っているのだが、この本は性意識の変遷をつづっているだけで、べつにあまり感銘をあたえるものではなかった。

 明治になって精神的な恋愛が神聖化され、性欲や肉欲は下劣なものとして低俗化・汚濁化される。そして過剰な性欲や手淫、処女や純潔でないものが医学的知識にとりこまれ、神経病や精神病として脅されることになる。近代は学問的権威による性の異常視に彩られているのである。

 歴史ではなくて、なぜ性は禁圧されなければならなかったのか、それは経済的なかかわりから出ているのか、あるいは政治的、権力的なものから要請されたものか、解いてほしいのである。性の禁止は経済や商業のかかわりから生まれてきたものなのか。または国家や権力の必要なのか。セクシュアリティはもっと学問される必要があると思うのである。

 なお、この本は96年に講談社選書メチエから『セクシュアリティの近代』として出ていたものが、なぜか04年にちくま学芸文庫にとりこまれている。どのような関係になっているのだろうか。


 ▼参考文献
 セクシュアリティについて考えたい 2003/7/15
 エロス探究 2003/8/17

 





 ■老害バッシングはおこるのか            2005/11/8

 『パラサイト・ミドルの衝撃 サラリーマン 45歳の憂鬱』 三神万里子
 NTT出版ライブラリーレゾナント 2005/10 1600e

 


 前半はすごい本ではないのかと思ったのだが、後半の知識産業者の生き方については私は業種がまったく違うので、雲をつかむような話にしか思えなかった。

 まあ、45歳以上が日本企業を滅ぼすという話である。この著者の語り口はなかなか緊迫していて魅力的なのだが、無能な私はそれを伝えることはできない。私なりにというと、95年以降競争が劇的に変わっているのにその場にいさえすれば食べていけると考える45歳以上が企業の競争力や若者を犠牲にしながら居座りつづけているということである。

 若者のニートやパラサイト・シングルはこの45歳以上の親の会社内での立場と同じではないかというのである。大量生産の与えられる仕事でやってきた世代にとって、たぶん自分で稼ぐとか、行動するとかできないのだろう。ぶら下がるのが得だという価値観はそのまま子どもにも伝わる。年金や退職金があるから無難に食い逃げしようとする姿勢が、変化を押しとどめる体質を生み出してしまっているのである。

 社会保障などに手厚く守られてきた中高年世代と、社会保障もなく賃金も値切られる若手世代とのギャップはどんどん進行する。それはそのまま時代環境の違いである。変化は新しい時代の若者に多くあらわれ、そして守られた中高年世代を突き上げようとしている。会社にパラサイトする中高年は既得権を食い逃げできるのだろうか。

 ちなみに銘記しておきたい話をふたつ。2007年に改正年金制度が施行され、専業主婦が離婚すると夫の年金の半分を得られるようになり、熟年離婚の危機がくるということ。

 女性の約四割は結婚相手に年収600万を希望しているが、該当する男性は3.5パーセントしかおらず、男性の年収でいちばん多いのが200万から400万円で43パーセント、この水準を期待する女性は4.3パーセントしかない。アホかと思うが、たぶんこれで独身女性は希望額に近い親父にパラサイトしつづけることになるのだろう。

 さて、これからパラサイト・ミドルのパッシング・ブームはやってくることになるのだろうか。これは「社会主義の世代」と「市場主義の世代」の衝突といってもいいだろう。すでに市場主義に安く買い叩かれている若者たちは、あるいはマスコミや世論は、かれらをどう遇するのだろうか。次の対決は「市場主義」と「家族主義」になるのではないだろうか。中高年の家族保障は突き崩されることになるのだろうか。

 ▼かなり古いですが、知識産業について。
 





 ■癒された。                    2005/11/12

 『ぐうたら学入門』 名本光男
 中公新書ラクレ 2005/10 740e

 


 アンチ勤勉を唱えたところで、カネや身分で優劣が決まる世の中で、安寧な心を保つのはむずかしい。会社勤めのなかでは長時間勤務があたりまえである。何冊かアンチ勤勉の本を読んでも、どうしようもないという思いが強くなって、読んでもムダという気持ちに傾いていたのだが、読んでみると内容は説得性があって、癒された。

 ぐうたらや怠けを善しとする価値観を日本の昔話から探り出すという本であるが、現実にはなんの効用もない結果になると思うのだが、気もちがなごやかになるというのは意外な発見であった。競争的価値観を落としてくれるからだろうか。

 闘わなければならない価値観はたぶん勤勉にならなければメシが食えないとか日本が競争に負けるだとか、カネやモノや身分がなければみっともない、みじめだという価値観なのだと思う。アンチ勤勉を唱えたところで、私たちは絶対になごやかに怠けることはできない。何冊かのアンチ勤勉の本を読んでいつも思うことである。

 よい言葉をいくつか。

 「就学前の子どもたちにとって、一番大事なのは「いま」。いま楽しく遊べるか、いまどれだけ気持ちよく寝られるか、いまどれだけおいしく食べられるか。〜大人にとって〜そんなことより、今晩飲むだろう冷たいビールのことでも考えながら、無意味な「いま」ができるだけ早く過ぎ去ってくれるのを待っている」

 「私たちが<まめ>であることによって利益を得るのは、果たして私たち自身なのか、それとも……。少し目を凝らして、いまの日本や世界の姿を見回せば、答えは自ずから明らかだろう」

 「私たちは、幸福とは有り余るモノに囲まれながらも、さらに新しいモノを求め続ける先にあると思ってきたが、サン(ブッシュマン)にとっての幸福とは、できるだけ楽しい時間を過ごすことにあるのである」

 「獲物を射止めてキャンプに帰った(サンの)ハンターは誰かに尋ねられるまで黙って座っている。人々は、こうした普段よりもかえって控え目な態度から彼が大きな獲物を倒したことを察するのである」

 「〜「贈り物」の際に、私たちが謙遜して「つまらないものですが……」と言い添える習慣だ。〜私たちはそれを卑下することによって、贈り物を受け取る立場の人と贈る「私」との間に上下関係ができないようにしているのではないだろうか。

 ▼怠け者のすすめ
 

 ▼追記 また著者本人からメールをいただきました。ありがとうございます。
 「社会の役に立たなくとも、どんな人にも価値がある」というメッセージを伝えたかったそうで、言いたいことの十分の一も書けなかったそうです。なぜ癒されたのか、これで納得できました。セラピー・ブックのような気がしていました。

 ただ、どんな人にも価値があるといえば、それはまだ「社会にとっての」価値を気にしているわけですね。あえてその価値を積極的に捨てようとした良寛や隠遁者にも学ぶべきものがあると思いました。

 





 ■レーサー・オタク向け。              2005/11/16

 『ライディング事始め』 村井真+つじ・つかさ
 グランプリ出版 1987 1000e

 


 レーサーに憧れたこともなく、バイクが格好いいと思ったわけでもなく、ただエンジンで走るからラクだという理由だけでバイクに乗りはじめた者にとって、この本はあまりにもレーサーみたいなライディング志向が強く、そういう面はついていけないなと思った。

 いまの私が知りたいのは右折はどうしたらいいだとか、車との関係はどう保つべきなのか、事故はどう防ぐか、などといった実際的ことなどである。レーサーみたいにカッ飛ばしたいわけではない。

 乗りはじめたころはエンストばかり起こしたし、公道の中をどう走ったらいいか不安だったから入門書はむさぼり読みたかったのだが、慣れてくるとあまりそういう必要はなくなっていった。

 まあ、もちろんいろいろな知識が参考になる入門書であるのはまちがいない。情報量はだいぶある本である。

 それにしてもバイク雑誌の志向性とか格好いいと思う方向がどうも私にはしっくりこない。私はたんにエンジンで走ればいいとくらいしか思わない。バイク乗りの人たちって、みんながみんな格好よさを志向して乗りたがっているものなんだろうかと思った。

 私には余計である。バイクは道具でいい。目的ではなく、手段である。パソコンオタクとネットをやりたいだけの人との違いのようなものである。商品経済というのはいつも手段を目的化する。手段でしかお金を稼げないからである。この社会の人生の方向性もこのためにまちがってしまうのだろう。

  このくらいの入門書でちょうどいい。





 ■可もなく不可もなく。               2005/11/20

 『古代中国の文明観―儒家・墨家・道家の論争』 浅野裕一
 岩波新書 2005/4 700e

 


 文明観をそれぞれ孔子、墨子、老荘の思想に探るという本である。可もなく不可もなく、いまいち魅力にとぼしい本であるかもしれない。文明観は肯定するより、全面的に否定もしくは不安になるような本のほうが興味魅かれると思うんだけどな。

 儒家は大公・貴族に贅沢な格好や奢侈を奨めていたとは驚きである。そうすることによって身分格差が明確になり、社会秩序が維持されるというのである。こんにちの平等主義からすれば鼻持ちならない考え方である。孔子を支持する人はこういう考え方をもっているのか。でも現実の世の中ってこういうものかもしれない。

 儒家は文明を全面肯定し、墨家は肯定のために節約を説き、道家は文明そのものに批判的であった。はるか2500年も前に文明観のひととおりの型が出そろっていたというのは驚きである。やっぱり私は老荘の逆説的思想に脱帽である。

 




GREAT BOOKS

 ■恋愛結婚の終焉と救済               2005/11/21

 『萌える男』 本田透
 ちくま新書 2005/11 700e

 


 かなり興奮する書物である。革命的であると思ったくらいだ。ぜひみなさんにお薦めしたい本である。

 この本でいっていることは恋愛結婚は終わってしまったということだ。70年代に政治に絶望した若者が見い出した閉塞的な恋愛の世界が、宗教や政治に変わる自我の安定や救済をもたらすものとしておおいに求めたられたのだが、80年代をへて商業化にとりこまれ、恋愛資本主義と化す。神や政治に変わる恋愛という救済のシステムが強迫的な商業システムとなったのである。

 しかし家族や恋愛は崩壊し、晩婚化や非婚化で逃げ出す男女は急増し、狩猟的な恋愛市場に救済をもとめられない男の一部はオタクとして脳内の満足で自己の救済をもとめる思考実験をおこなってきたというのである。つまり他者に救いを求められないのなら、自分で自分を救おうというわけである。萌える男とは自分自身の内側に「神」を見い出そうとする試みなのである。

 私としては恋愛結婚が終焉してまったということにいちばんインパクトがあった。オタクはその商業化に対する反逆であることはわかっていた。恋愛結婚というのは男に対する女の生産的・経済的な搾取であるという一面があるからだ。崇高な恋愛を経済活動にしてほしくないのだ。しかし女にとって恋愛結婚は経済取引であり、いかに高額な利益を得られるかの経済活動であり、オタクはその経済打算に自己の救済をあきらめてしまったのである。

 こういうことは一般的にも大衆的にもよくわかると思うのでこの面をもっと掘り下げてほしかったと思うのだが、この本は「萌え」についての本である。萌え系恋愛ゲームとかアダルト・ゲームの話になると、私は一度もやったことがないし、萌え系キャラというものにもなにも感じないので、いっていることはわかるのだが、いまいち感情移入しにくいところがあった。「恋愛結婚は終わった」という宣言をのべる段階で止めたほうがもっと一般性が獲得できたのになと思う。

 それにしてもものすごく好奇心を刺激される本だった。いろいろな疑問が噴出したし、もっとほかの考え方もできるのではないかと、おおくの思考が頭の中を駈け巡った。いろいろ考えてみたいと思わせる本であった。

 なんといっても恋愛結婚は終わってしまったということがいちばんの衝撃である。商業化にまみれたそれは総スカンや反逆、廃棄を迫られる時代になったのである。オタクはさっさと自我の安定や自己の救済をほかに求めるようになった。女やマスコミはその商業利益を、あるいは共同幻想をいまだに強迫的に追いかけ回している。

 現代は恋愛資本主義にアンチを唱える宣言が必要なのだろう。この本はそのくさびを打ち込む宣言書になった。あるいは萌える男についてより、恋愛資本主義の終焉をもっと声高に主張するべきであったか。

 恋愛という神は、あるいは恋愛という商業主義はもう捨て去らなければならない――経済化されすぎたそれは若者の総スカンを喰らいはじめているのである。このことをわれわれはしっかりと認識するべきだ。その反逆を早くから行っていたのがオタクであり、かれらは新しい思想運動を生み出そうとしていたのである。

 いろいろ啓発されることの多かったこの本を私の「GREAT BOOKS」に推したい。

 ▼リンクと恋愛資本主義についての本。
 終身愛と「有料セックス資本主義」 00/8/30. 私の考え。
 00年秋 性愛市場―総力戦 00/10/30. 参考文献。

 あすとろはた 本田透のHP

 





 ■恋愛の国民的崇拝とその死              2005/11/29

 『電波男』 本田透
 三才ブックス 2005/3 1429e

 


 本田透は女性向けに本を書くべきだと思う。それも負け犬女性向けに。カネにまみれた恋愛を呪詛するのである。男に萌えのススメを書くより、女性に恋愛資本主義の終焉をアナウンスすべきなのである。それでこそ本田透のメッセージは真価をもつものだと思う。

 この本はあまりにも過剰な文章やおちゃらけが多すぎ、買うのを何度もためらった。恋愛資本主義については興味があったのだが、その過剰さで読めなかった。『萌える男』(ちくま新書)でようやくこの本の意味がわかったが、読んでみるとやっぱり大部分を削ぎ落としてほしいと思ったのは変わらない。鋭い読みには感心することも多いのだが、やっぱり感心しない。

 恋愛が商業化され、金にまみれた売春になってしまったという本田透の嘆き。男はうすうすそのことに勘づいているのだろうが、たぶんメッセージや思想として声を大にして批判するということがなかった。なんとなくいやだな、と晩婚や非モテに退去するしかなかった。

 オタクだからこそ――女にモテることをあきらめ、二次元の美少女に癒されることができるからこそ、オタクの中から恋愛商業主義の汚さや醜さ、からくりをあからさまにして罵ることができたのである。商業主義の連中がオタクを嫌悪するのは、その不安であったのかもしれない。みんなで恋愛という共同幻想をやらないからである。

 ほんとうにもうこの恋愛資本主義はどうにかならないものかと思う。純愛だとか精神的な愛だといっているうちに恋愛は商業化し、売春化してしまったではないか。金の排除を宣言しておきながら、見事に金目当ての恋愛に終わってしまったではないか。

 愛する気持ちも人を慕う気持ちも、女性の性や身体もすべて商品化され、金の取引や交換、ビジネスとなり、けっきょく金のためだけに恋愛や結婚する世の中になってしまったではないか。おそらく男女分業や労働の性差別、処女や貞操のイデオロギーなどがつくられたときにその帰結は決まってしまっていたのだろう。

 男女の関係は完全に金銭関係に支配されてしまったのである。私たちはこんな関係や世の中を望んでいたのだろうか。恋愛関係に絶望し、晩婚やオタクとしてひきこもってしまうのは故なきことではない。

 70年代に政治に絶望した日本人はいままた希望の光であった恋愛に絶望する時を迎えたのである。愚かな夢であった。恋愛や美少女アイドルに崇高な価値があるという国民的熱狂。政治に絶望したからといって、恋愛に国民的崇拝を見い出すのはあまりにも愚かであった。それは恋愛の金銭化と売春化という最悪の結果に落ち込み、ひとりのオタクにその死を宣告された。井上陽水に「傘がない」と政治の死を告発されたみたいに。

 私たちは恋愛が死んでしまったということに気づくべきなのである。そしてその共同幻想、あるいは宗教から目を醒ますべきなのである。まるで私たちは新興宗教のお守りとか水晶に大金を巻き上げられる信徒のような存在であったのである。その尖兵が負け犬女性であったのはいうまでもないことだ。

 私たちはこの絶望の丘で男と女の関係をどのように構築していったらいいのだろうか。私は残念ながら本田透が提唱するような二次元の萌えには希望は見い出せないが。




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 友だち強迫から離れる。
4
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 まちがった仮面や自己、思考に同一化するわれわれ。
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19
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 童貞と処女を強迫する時代。
22
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23
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24
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25
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 『昔話の魔力』 ブルーノ・ベッテルハイム
 

 昔話研究の金字塔。
27
 『整体 楽になる技術』 片山洋次郎
 

 身体とは心である。
28
 『愛の風景 1 (1)』 高見まこ
 

 禁断モノのエロス。
29
 『どう生きるか、自分の人生!』 ウェイン・ダイアー
 

 考えと現実は同一ではない。
30
 『さよならみどりちゃん』 南Q太
 

 映画化ねぇ〜。



   
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