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 ■040824書評集
 地形・地理・歴史




 『街道をゆく 24・近江・奈良散歩』 司馬遼太郎
 朝日文庫 1984 470e(古本)

 私はハイキンクで関西の山々を登ることが多いのだが、風景や土地を知的に楽しむというのはむずかしいと思う。風景論なのかな、地理歴史なのかな、なにがいちばんふさわしいのかよくわからない。風景論はあまりないし、歴史にあまりのめりこむのは好きではないし、歴史を知ってその場所に行っても空しさがある。

 『街道をゆく』はTVでやっていたこともあるが、この本で私の方向性が定まったわけではない。地理歴史にいきそうだが、どこまで追究できることやら。

 司馬遼太郎は近江に行くのがクセになっていたと語っていたが、たしかに近江八幡あたりの水田風景というのはなんとも美しいところだし、琵琶湖の壮大な風景というのは狭苦しい都市に閉じ込められた者には解放感をあたえられるものだ。奈良は古代のロマンがあるところかもしれないが、飛鳥はあまりにものどかな田園で、奈良は神社仏閣以外はあまりにも中途半端な田舎にしか思えない。




 『年収1/2時代の再就職』 野口やよい
 中公新書ラクレ 2004 760e

 子供が小さいうちは家庭にいたいという女性の願望は叶えられなくなりつつあり、生活のために働かざるを得ない女性たちの現実が拡大しはじめている。夫の収入だけでは生活費をまかなえず、しかも女性の再就職先は半数以上が非正社員である。

 家庭をもっている若い人、これから家庭を持とうとしている人すべてに読んでもらいたい注目すべき本である。若者が家庭や子供をもつことの現実が如実にわかる本だ。

 これからの若者はもう家庭も子どもももてないのだろうか。女性は専業主婦になるより働くほうが私は賛成だが、この過酷な企業社会で女性が働きながら子どもを育てるのはますますハードになりつつあると思う。

 戦後の企業社会は子育てという機能を女性一人に囲わせ、企業社会から切り離したおかげで経済機能を高めることができたのだが、不況によって男の給料を下げてきたのだから、専業主婦も働かざるを得なくなり、家庭や子育てという放棄した責任と向き合わなければならなくなっている。

 企業は家庭や子育てという無視すればよかった社会責任の一面を担わなければならなくなったのである。経済か、社会か――この少子化社会では選択の余地はないはずなのだが、おそらく舵取りはおこなわれず、このまま社会の家庭や子育て機能は壊滅してゆく一方になるだろう。経済総動員国家は子どもの再生産という機能に復讐されるのである。人間らしい生き方ができない国家は人間という種にいつか仇を打たれる。




 『街道で読み解く日本史』 宮田太郎
 青春出版社プレイブックス・インテリジェンス 2002 667e

 街道というのは人々の暮らしや経済がわかる道である。天下人の歴史ではなく、庶民の足跡が残る歴史である。なにが運ばれ、どんな人があつまり、なぜその町は発展したのか、といったことなどが街道からわかる。

 でもこの本の街道の多くは記憶に残らない。現地の街道や宿場町にいけば興味がわくのだろうか。自分が知っている場所やゆかりのある土地でないと記憶に銘記されないものなのだろうか。なにかが足りない。





 『日本の都市は海からつくられた』 上田篤
 中公新書 1996 720e(古本)

 ひらがなの多用といい、ものの考え方といい、ものを根本的に考えようとする梅棹忠夫ににていると思った。啓発されることの多い本である。

 日本の都市は海や川の水上交通の要所から栄えた海洋都市的性格をもっている、山や森は漁民や航海者たちにとって目印や命綱となることから神として祭られるようになった、生ものを食べるのは世界中でも日本くらいである、日本は中国や朝鮮からおおくの文明を学んだはずなのだが、木造だけは手放さず、執着しつづけた、など当たり前すぎて気づかないことに気づかせてくれる記述に満ちている。




 『景観から歴史を読む』 足利健亮
 NHKライブラリー 1998 970e

 風景を知的に楽しむひとつとして歴史地理というのがあるそうだ。景観の歴史を知る試みである。書店にはこのジャンルの本はあまりないのでこの本は歴史地理を知る上での貴重な本である。

 平安京はどのようにつくられたのか、信長はなぜ安土に城を築いたのか、秀吉の首都の構想、ため池の謎、地名の解釈など、歴史地理学の仕事を教えてくれる。

 おもしろいと思う。なぜこの土地は発展し、栄えたのか、この土地はどのような歴史を刻んできたのか、ということを地形や地理から知ることは楽しいことだと思う。ただ、なかなかそういう本はないのである。観光や旅行、登山が盛んなのだから、こういう興味はもっと広がっていいものだと思うのだが、現地にいってあ〜楽しかったで終わるようではインテリジェンスがない。学問や勉強というのはこういうことから楽しむことだと思うのだが、現在の学校教育はそういう知の楽しみを多くの人に伝えられていない。




 『癒しの地形学』 藤原成一
 法蔵館 1999 2400e

 癒しについて語っており、熊野、吉野、長谷、清水、大原がとりあげられていて、期待したのだが、なにをいいたい本なのかよくわからなかった。場所、風景、土地を語るということはたいへんに難しいことだ。





 『日本地図から歴史を読む方法』 武光誠
 KAWADE夢新書 1998 667e

 このような地図から歴史を読む本というのはもっとたくさんあってほしいのだが、ほとんどないのが残念だ。

 江戸と京、大坂の発展の理由、城下町や港町などが地理から読みとられていて、こういう試みはたいへんおもしろいと思う。土地の歴史を探ろうとすれば、農業や産業、交通などの状況も知らなければならなくなり、もっともっと掘らなければならないと思うのだが、このジャンルの本はあまり盛隆を誇っていないみたいだ。

 歴史といえば、いまも天下人史観・英雄史観ばかりで、私はあまり好きになれない。歴史の主役というのは農業や産業、経済だったはずだと私は思うのである。英雄史観というのはウルトラマンや仮面ライダーなみのヒロイズムだ。




 『難波京の風景』 上田正昭監修 小笠原好彦著
 文英堂 1995 2000e

 難波京についての本だが、古代の大坂の様子がよくわかる興味のつきない本である。

 大昔の大坂は内陸まで海がはいりこんでいて、小高い上町台地がわずかに陸にあがっているくらいだった。難波京が築かれたのは淀川と大和川が合流した難波津の近くの交通の要衝だった。大坂は古代から港町として発展し、平城京や平安京はその奥地にきずかれたのである。

 古代の大坂の海岸線や河川、湖などは現在の大阪からは想像できないかたちをしていて、存在しなくなった時間というものに茫然とさせられる。歴史というのはそこにあったのだが、いまはもう存在しないものに対する不安や好奇心を味わうことだと思う。存在しなくなった時間というものをつかまえようとする試みである。かつては存在して今はもう存在しないものに人はなにを見出そうとしているのだろうか。





 『天下の台所・大坂』 脇田修
 Gakken GRAPHIC BOOKS DELUXE(34) 2003 1600e

 こちらは江戸時代の大坂の様子をビジュアル的に表現した本である。現在の大阪は江戸時代からつながっているんだなと感じさせられる。中之島や堂島、道頓堀、船場、道修町などの繁栄はこんにちまでつづいている。

 大きく変わったのは人々のファッション、そして船から車や鉄道などの交通である。とくに私は大阪の海や河川を船が行き交っていた風景に憧れる。いまの大阪の河川や海はほとんど注目されることもなく、打ち捨てられたさまを見せているが、かつては大きな賑わいを誇っていて、人々の暮らしの中心となっていた時代もあったのである。河川が輝き、人々や船がひしめきあっていた時代というのを見てみたいものである。





 『<恋愛結婚>は何をもたらしたか』 加藤秀一
 ちくま新書 2004 720e

 『性現象論』などの注目したい本を書いているから読んでみた。

 「恋愛を通じた自我の目覚めとは、国民国家という大いなる<全体>の一部分であることの自覚でもあったのだ。このように、誰もが内面的かつ私秘的なものと思いこんでいる恋愛が、実は個人を国家に短絡させる言説上の回路であり続けてきたという事実は、私たちに苦い教訓を与えるものだろう」

 この一文は恋愛とは国家主義であるという瞠目すべき指摘をおこなっているのだが、内容的にはよくある明治・大正期の恋愛観の変遷や優性思想との結びつきがのべられていて、核心にはなかなか届いていないと感じた。

 恋愛というの1940年体制の名残りなのか、国家総動員体制の動員力なのか、といった疑惑は重くて深いものである。この問いかけはぜったいに忘れたくない。恋愛というのは戦時体制システムなのだろうか。ロマンティックな幻想に溺れてはいられない。




 『古代史紀行』 宮脇俊三
 講談社文庫 1990 629e

 歴史史跡をめぐる旅である。歴史紀行の興味は大ざっぱにいってふたとおりあると思う。歴史上の興味から現地をたずねたくなる興味のわき方か、現地に行き、あるいはなじみがあって歴史に興味がわくばあいである。私は歴史をあまり知らないので後者の興味のほうが強い。この土地はどのような発展や暮らしをしてきたのだろうと知りたくなるのである。

 しかし強烈な歴史の興味はない。その土地の歴史を知ったところでどうなるということではなし、史跡の歴史を知ること、由来や由緒を知ることになんの意味や充実があるのだろうと、ときに空しくなるからだ。歴史的場所をたずねることの疑惑や空しさにいつもつきまとわれる。せいぜい歴史のリアリティを喚起するていどにすぎない。

 そういう私にとってこの歴史紀行は歴史への興味のなんらかの手助けになるかなと思って読まれたわけだ。あの場所はそういう歴史があったのかと知ることはひとつの楽しみであるが、だからなんなのだという疑惑から私は離れられない。歴史に酔いたくない、空想の郷愁に染まりたくない、という意識もあるのである。





 『地名から歴史を読む方法』 武光誠
 KAWADE夢新書 1999 667e

 これはおもしろいかもしれない。地名というのはまったくあてずっぽうに名づけられたのではなく、その土地の状態や人々の営みによって名づけられたのであり、いまは亡き歴史の痕跡をかならず残している。現在の地名から過去や歴史を解き明かすのはひとつの推理小説やサスペンスなみに楽しいものである。

 地名には自然地形から名づけられたものや古代朝廷、武家社会、幕藩体制から名づけられたものもあるし、もともとの地名が漢字の使い方によって読み方や意味を変遷させているものもある。なるほどと唸らされる。

 地名の歴史の本を読んで自分の地元の気になっていた地名や変な地名、身近な地名の歴史や由緒を推理できるようになれば楽しいものだと思う。





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街道をゆく〈24〉近江・奈良散歩
 













『年収1/2時代の再就職』 中公新書ラクレ
 




















街道で読み解く日本史
 









日本の都市は海からつくられた―海辺聖標の考察
 









『景観から歴史を読む』 NHKライブラリー
 














癒しの地形学
 






『日本地図から歴史を読む方法』 KAWADE夢新書
 









『難波京の風景』 小笠原好彦 文英堂
 















『図説大坂 天下の台所・大坂』 脇田修 GAKKEN
 












恋愛結婚は何をもたらしたか
 














古代史紀行
 

















『地名から歴史を読む方法』  KAWADE夢新書
 









   
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