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 ■040103書評集
 女のマンガに女のリアルを読む






 『この人と結婚していいの?』 石井希尚 
 新潮文庫 2000 476e(古本)

 男と女のすれちがいに悩む人には最高の名著だと思う。男と女の感じ方、考え方のちがいをこれほどまでに明確に具体例をあげて教えてくれる格好の本はないと思う。

 たとえば女性が「話したくない」といったとき、傷付けられたことを訴えたいだけであって、男は言葉どおりにうけとって黙ってしまいがちになるが、そうではないという。女性は気持ちの共感や同情がほしいだけなのである。

 女性は大切にされているという実感をとても大切にするが、その安全基準がどこにあるのか男にはまったくわからない。だから男性には女性がなんで怒っているのか訳のわからないことが多い。タオルの置き場所を怒ることによって、大切にされていない不安を訴えたりする。男性は女性の感情生活により神経をそそぐことが重要なのである。

 男なら女性の脈絡のない会話に閉口したことがあるかもしれないが、男は要件や用事のない会話はムダだと思うからだが、女性は会話する安心感や共有する充実感をとても大切にするため、沈黙をひどく怖れる。関係が破綻しないよう男はなんでもない会話でも共有する努力を怠ってはならない。

 この本はほんとに男と女の言葉と感情のすれちがいを見事に解明してくれていて、感嘆と発見と驚きの連続の本である。経験したかもしれない男と女の言葉や感情のすれちがいの原因をあちこちで見出すことになるだろう。




 『愛しすぎる女たち』 ロビン・ノーウッド
 読売新聞社 1985 1600e(古本)

 たぶん恋愛中毒や依存症の女について書かれていたと思うが、ほとんど忘れてしまってすいません。




 『わかりあえる理由 わかりあえない理由』 デボラ・タネン
 講談社+α文庫 1990 780e

 男と女の言葉と感情のちがいをもっと理解したいと思って読んだ。『この人と結婚していいの?』の後に読むと同じようなことが書いてあるように思うが、この本もけっこう重要なことが書かれているのだろう。

 女性は男性が悩みを聞いてくれないと訴えたりするが、それは女同士では悩みの共感や同情によって慰めるが、男同士では悩みを否定することによって慰めるからである。男同士は地位のレンズで見るから同情することは相手を見下すことになり、思いやりから同情を控えるのである。

 女性は自分の思っていることや感じていることを話す相手がいないと孤独感にさいなまされるそうだが、しかし男性はよほど重要なことか、要件のないことでないと口に出してはならないと思っている。女性が第三者にプライバシーを話すのは男性にはひじょうに不快なのだが、女性は秘密を話すことは親和を強めるための一種の義務なのである。

 私は男と女はあまり変わらないと思っていたが、一種の違う文化圏に生きているんだなとあらためて思ったしだいである。でも脳が原因ではないと思う。文化と慣習だ。




 『たとえば恋愛コミックはこう読む』 井の頭作文堂
 同文書院 2000 1500e

 女心がわからない。それなら女性が描いた女性マンガなら女心を学べるかもしれない。とゆーことで女性マンガのガイドブックだ。

 数人の作家研究と恋愛コミック100選があって、女性マンガ初心者にとって読みたいマンガ、作家を見つけやすくなっている。とくに十人の女性作家を限定してくれたことは選びやすくなって大助かりだ。岡崎京子、いくえみ綾、くらもちふさこ、南Q太、やまだないと、岩館真理子――主要な作家がわかる。

 どの作家が評価が高いのか、どのマンガが人気があったのか、好みのマンガはどれか、読みたそうな本はどれか、などたいへんわかりやすくなっているガイドブックである。

 でも男が書店の少女マンガコーナーに立つのはひじょうに気恥ずかしく、ワイド版と文庫なら男女混同なのでそこから選ぶことにしよう。ブックオフの百円本はたいへん助かる。以下の書評はマンガがつづきます。




 『さよなら みどりちゃん』 南Q太
 祥伝社 1997 933e(古本)

 人物がリアルである。少女マンガしていない。エッチもさらりと描いていて、恋愛の成就としてのセックスもない。

 物語は束縛しあわない男と女の関係がゆらゆらと描かれていて、自分のモノにしようとしたとき、つきあいは終わるという話だ。私にはわからない。どこがいいのか、なにがおもしろいのかも。なんの話だ〜!と叫んで終わり。




 『僕は月のように』 内田春菊
 光文社コミックス第一巻 1990 800e(古本)
 知恵の森文庫A 552e(古本)

 男と女のすれちがいが描かれていて、彼女のヒチャコの拒絶したり、じらしたりするさまがかわいくて傑作だった。でも男のほうは年上の女教師とヤルことばかり。拒絶するヒチャコとおろおろする男のさまが何度見てもおもろしくて、笑える。




 『ジャスト・ラヴァーズ』 桜沢エリカ
 マガジンハウス 1989 880e(古本)

 桜沢エリカのマンガはオシャレで、かわいい女の子がたくさん出てきて、エッチもさらりと日常的である。乾いていて、カッコイイ。恋愛のさりげないヒトコマが軽い音楽のように流れているような感じだ。でもそれだけなのかな。




 『フレンチドレッシング』 やまだないと
 双葉社 1995 920e(古本)

 エロティックで、魅惑的で、セックスにも愛にもなんのこだわりももたないコワすぎる女子高生が主人公の話である。オヤジとやったり、ガソリンスタンドの若い兄ちゃんを誘惑したり、教師を破滅させたり、童貞を捧げた男をふったり。コワすぎる女である。

 こういう女がじっさいにいたらたぶん見た目の形相が悪かったり、ファッションが壁になったり、雰囲気ですぐにわかるだろうから敬遠するだろうが、マンガの女の子はロリ顔でいかにも清純な顔をしているから、コワいのである。惚れっちゃったら身の破滅のコワイ女だ。これはこれからの女性の姿になるのか。それとも浮気ばかりしてきた男への挑戦なのか。




 『愚図な女ばかりじゃないぜ』 南Q太
 ぶんか社 1997 900e(古本)

 南Q太の描く女性ってもしかしてカッコよくなくて恋愛においてけっこう弱い立場の女性が多いのかもしれない。モテモテで男を食い物にする女性よりか、すがりついたり、弱みにつけこまれたりする女性が多いかも。まあそういうほうが現実に近いというものだろう。

 『恋人と別れる日』はあたらしい彼の力でやっと不倫の関係から脱け出そうとするのだが、彼との関係がまだ不安定で別れる決心をした男とまた寝てしまう。男にすがりつく女の弱さやひとりで立てない心がよくあらわれていると思う。




 『あたしの女に手を出すな』 南Q太
 飛鳥新社 1999 952e(古本)

 この短編集で二作ほど転機の瞬間を捉えるのがうまいと思った。『不幸せでもいいじゃない』ではつきあうと思っていた女性がタイミングが合わず友だち止まりだったのだが、一歩エッチに踏み出したときにはもう男の結婚が決まっていて、終わってしまう話で、叶いそうで叶わなかった切なさを残す作品である。

 『しゃんしゃん』はいっしょに暮らしはじめた男が約束したそうじもしないのでキレてほかの男と寝たのが発覚し、カレに冷たい言葉を発せられ、「終わりかな」と涙をためたとき、ふいに「オレそうじ当番をするわ」とカレが口に出す。失う覚悟をしたときのあたたかい言葉には感激である。でも現実の男はたぶん男と寝たという結果しか見えず、彼女のキレた原因もわからず、ワケわかんねーよでブチギレて終わるというものである。




 『ハートバージンをうばって』 まなづるちずこ
 光彩コミックス 2002 600e(古本)

 ティーンズのためのセックス教育書のようなマンガである。完全に少女マンガの絵でセックスシーンが克明である。ハゥトゥだとかひとりHだとかのセックス指南書の役割を果たそうとしているマンガのようである。女の子はこういうマンガで性の学習をするのだろうか。男ならたんなるオカズにしかしないと思うが。




 『ラブ・ストーリーズ』 桜沢エリカ
 集英社ヤングユーコミックス 1991 460e(古本)

 桜沢エリカのマンガはオシャレでかわいい女の子が出てくるから、内容がたいしたものではないと思っていても、なんどでも読みたくなるのだが。

 著者はヨーロッパの旅行記をのせたりしているが、「記号」的消費のとりこのようである。恋愛も生活もファッションも「カッコイイ」記号を費やすことに回っているようである。まあまだバブル期の本だ。空疎で虚無的で上っ面の人生はバブル崩壊後の現在でも上滑りしているのだろうか。桜沢エリカはそれだけではない人生の深みをいちどはのぞけるようになったのだろうか。まあたいがいの人はバブルのときはそうだったと思うけど。




 『ヘテロセクシャル』 岡崎京子
 角川書店 1995 860e(古本)

 岡崎京子はいろんなところで評価されている。でもなんでだろうと私にはよくわからない。絵柄はPOPだったのかもしれないが、私はそんなには好みではない。物語もそんなに共感するものでもないし。暴力とか死が出てくるから深いと言われているのかな。世間サマのいうことを聞かないとバチが当たるかな。




 『はあはあ』 吉原由起
 小学館文庫第1巻 2003 562e(古本)

 女性の発情したさまがおもしろい楽しめるマンガである。女性の発情がギャグになるということは、嘲笑して蔑視するのではなく、共感をもたれて受け入れられているということなのだろう。性欲が肯定され、余裕と距離をもって性欲がながめられる段階になったわけだ。でもまだこの人でなければならないという必然性は崩壊していないが、もう決壊寸前なのかもしれない。




 『ハッピーマニア』 安野モヨコ
 祥伝社@A 1996 857e(古本)
 祥伝社コミック文庫A 2001 571e(古本)

 こんな女いやだよ。でもぶっとび具合がとてもかわいいし、しぐさ、表情もマンガの持ち味を生かしてかわいく描かれているから、愛される人物でもあるのだろう。

 たぶんこの女性は自分のことを好きにもなれないし、だから愛することや気持ちが通じること、素直になることもできないのだと思う。幸福の青い鳥とおなじで自分や世界を肯定しなければ幸せは永遠に見つけられない。

 それで見た目のよさで新しい男につぎつぎと惚れてしまい、ときめきと恋に生きる幸福を求めて、男の遍歴をくりかえしてしまう。外側的には恋多き女であるし、交友関係も華々しく見えるのだろうが、愛せない自分をほかの男で代償してしまおうとするから、愛に満足することもない。恋多き女とは自分を愛せないゆえに相手とも通じ合えない悲しい女なのである。

 欠損や不満ばかりを凝視させるのが現代消費社会である。そういう認識の枠組みをもってしまうと、おなじように自分の欠損や不満しか見えなくなってしまう。外側のモノや男、恋愛に満足や充実をもとめても、欠損の認識はずっとついてまわるから、つまり自分からは逃れられないから、幸福はすぐに終わる。恋愛至上主義の時代というのは恋愛の欠損の制度化といえるかもしれない。幸福と欠損のジャンキーである。

 このマンガは女性に大好評ということだが、いまの女性は彼女のようなわだちを踏んでゆくことになるのだろうか。恋愛のトキメキ感を跳ね回ることに夢中で、相手と気持ちが通じ合うこともない関係を累々と積み重ねてゆくことになるのだろうか。やっぱり信頼や通じ合う関係に落ち着きたいと思うんですが。いや、そういう関係がいかに難しいか知っているからこそ女性はこのマンガに共感するのだろうと思う。




 『ヤング・アンド・ティアーズ』 やまだないと
 ぶんか社1〜3 1999 900e(古本)

 男子高校生の恋愛成長あるいは漂流物語である。美人だけどすこし幼いはじめてのカノジョとの愛欲の日々、中学のときの片想いの女性が両想いだったとわかり、とまどい、帰省中のカノジョの友だちと寝てしまい、カノジョと終わってしまう話が第1巻である。

 中学の片想いの女性が主人公にカノジョがいることを知り、ほろりと涙をうかべるところなんかはひじょうに感動的だった。私としてはこのふたりのどちらかとつづく関係をのぞみたかったのが、いまの関係はそういう想いが長続きしないほど気持ちは浅いものなのかと思った。そういうものなんだろう。

 3巻ではバイト先のグループ交際で意中のコよりかわいくない女の子と寝てしまい、女同士の友情のまえに破れる。ずるずると体の関係だけつづけていた初カノジョの友だちもカレとよりをもどすとセックスを涙しながら拒む。最後は友だちだった男勝りの女性と気持ちが通じ合うが、はなさないと誓い合った手は人ごみのなかで外れてしまうラストで終わり。はかない関係が暗示されていて、人との強い絆はずっと結べないものなのかと憂いをのこした。




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