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▼テーマはセクシュアリティ 

 



■03/07/15書評集
 セクシュアリティについて考えたい




 『日本の童貞』 渋谷知美
 文春新書 2003 760e

 童貞や処女であることを恥や恐怖と感じるように現代ではなっている。マスコミではそれを日々「脅迫」している。貞操とか処女の価値ってどうなったんだろう? そういう風潮の中でマスコミ脅迫の分析と批判の声をあげたこの本はとてもエライ!

 この本の中でいわれているようにセックスしたからといって偉人や賢人になれるわけでもないし、自分の欲望を他人に干渉される筋合いはない。なにのどうしてマスコミはこう脅迫するんだろう? ファッション産業とか化粧産業、レジャー産業というのは「モテない不安」を脅迫することによって商売が儲かるからだろうか。こういうマスコミをバカにする賢明さがわれわれには必要である。




 『性の倫理学』 伏見憲明
 朝日新聞社 2000 1500e

 対談集だが、佐伯順子の「恋愛が人間を不自由にした」がいちばんおもしろかった。肉欲肯定の色と肉欲否定の恋愛の対比に目が醒める思いをした。「精神と肉体」「文明と野蛮」「理性と本能」――一方を高め、一方を貶める西欧の得意技だ。

 肉欲を否定した恋愛ってそんなにすばらしいものかと思う。恋愛ってどうもウソっぽいし、ほんとにキレイなものか? 恋愛とは義務や責任をともなうかなり経済取引的なものだ。それを崇高なイデオロギーに装飾してしまうのはおかしい。自然本来の肉欲肯定のほうがよほど人間らしい。




 『性の日本史』 中江克己
 河出文庫 1995 544e

 ただ昔の人の性を羅列しているだけの本に思える。分析や観念の変遷がなかったかな。





 『愛を笑いとばす女たち』 坂東眞砂子
 新潮文庫 2000 400e

 タイトルとテーマがいい。愛なんて性の束縛と金銭保障のことだ。性交が愛からも金銭からも独立しているタヒチで暮らす著者は、日本の愛や性的規範を批判する。愛なんて笑いとばせばいい。




 『性と愛の日本語講座』 小谷野敦
 ちくま新書 2003 740e

 性愛にかかわる言葉の変遷をつづっており、性愛の意味や観念はかなり変わってきたことを後づけている本である。ふ〜んと関心はできるが、私にとってはそれ以上の感銘はうけない本ではなかったのかなと思う。




 『愛より速く』 斎藤綾子
 新潮文庫 1990 438e(古本)

 斎藤綾子といえば性愛の対談集に出ていたりして女の欲情を表面に押し出した人というイメージがあり、一度は本を読んでみたかった。中学時代に輪姦されたり、学校のトイレで用を足されたりと(これは小説だから実体験とはかぎらないが)、悲惨な過去をおくってきたんだと思った。ただ即物的な、男のような性欲の話は笑えた。これから女もこうなる?




 『対話 快楽の技術』 斎藤綾子+伏見憲明
 河出文庫 1993 600e

 私がさがしている本というのは性の社会学というか性の哲学みたいなものだが、あんがい性を根本から疑問にさらしたり考えたりする本がないなという感慨をもった。欲情させる本や雑誌はいくらでもあるのに、その欲情と社会関係を対象化したり意識化する作業はあまりおこなわれていないのかな。そういう本がいまはあまりないだけなのかな。やっぱり性の問題は高尚な知性にはあいふさわしくないというわけか。

 この本はセクシュアリティの追究者の対談集で自叙伝的なものが多いがまあ楽しめるのだろう。




 『愛と性の美学』 松本侑子
 角川文庫 1995 495e(古本)

 松本侑子といえば清純そうなイメージかあるからこういう本を出しているギャップがいいともいえる。たしかにちょっとおカタくてフェミニズムをヘンキョーしてみましたみたいな本だけど、性を卑猥や汚らしいというイメージから、生命や人生、人との関係の肯定と捉える点はよいことだと思う。




 『スカートの中の秘密の生活』 田口ランディ
 幻冬舎文庫 1999 533e(古本)

 田口ランディって意外とスケベで経験豊かなんだなということがわかった。女のシグナルとか性欲は高校生のころがピークだったとか正直な性の話がまあ興味深い。




 『エロティシズム』 フランチェスコ・アルベローニ
 中公文庫 1986 680e(古本)

 理屈っぽい性の話を読みたいのだが、この本はじゅうぶんに理屈っぽいのだが、なんだか違うなぁ。男と女のエロティシズムの違いをのべているが、この違いって文化と歴史に条件づけられているだけではないのかと私は思うが。




 『みだらの構造』 林秀彦
 草思社 2000 1500e

 むかしの日本人は性をおおらかに楽しんだということを読めると思ったのだが、比較文化的なことが中心で、それなりに赤ラインをひきたくなる文章はあったのだが、比較文化の優劣がかなり主観的というか個人的な思い込みに支えられているようで、この本はまれにみる悪書かもしれないという思いがむくむくとわきあがってきた。




 『不純異性交遊マニュアル』 速水由紀子・宮台真司
 筑摩書房 2002 1500e

 女の子は恋愛依存的でタコ足のように男に保険をかけてヤリまくっているのに男のほうは三十近くまで童貞でいたり、親世代はまるでエロティシズムなしの生活を送っている。この性愛の危機はどうして起こったのだろう?

 この女のエロス化はマスコミの煽情された偽情報かもしれないし、男は女に対する経済的・人生的な責任が重過ぎるともいえるし、親世代は純潔と貞操と性的嫌悪をおおいに洗脳されたのかもしれないし、女は消費市場と恋愛市場で脅迫されまくっているからだともいえるのだろうか。男と女が親密でやさしい関係になるにはどういう着地点が好ましいのだろうか。




 『快楽電流』 藤本由香里
 河出書房新社 1999 1600e(古本)

 この著者の性愛にたいする真摯な問いかけの姿勢には共感をもっている。自分の悩みや不安から性愛を問おうとしているからだ。

 売春婦に憧れた著者が売春しないのは市民社会の尊厳を失いたくないからということや、愛の高揚、性の蔑視に対抗するには愛の獲得をめざすより娼婦に敬意が必要なこと、「選ばれなかった女」の強迫恐怖の根強さ、女のポルノがマズヒズムになるのは禁止された快楽は強制のかたちにならざるをえないこと、女性のセックス観は自己開発セミナーのようになっていることなどがのべられている。




 『オン・セックス』 鹿島茂
 飛鳥新社 2001 1800

 なぜかマジメそうなフランス文学者が性愛研究者や女性の性の開拓者やポルノ作家などと対談している本である。でも性に関係のない人はいないのにこういう考え方をすること自体が問われなければならないというものかもしれない。

 この本では性の世界史やポルノの世界史、性技などの知識や教養が貯まる話は読めるが、私が知りたいと思うのは性をおもに社会的な疑問や謎から考えることではないかと思う。事実収集より、なぜか、である。




 『恋愛できない男たち』 速水由紀子
 大和書房 2002 1600e(古本)

 まあ、ロリコン男や傷つきやすい男、未成熟な自己愛男とモンダイな男たちがつぎつぎととりあげられているわけだが、たしかにモンダイであると思うのも一面だが、彼らをモンダイや異常と判断、断定し、重苦しいトーンで語る姿勢自体を問い直したい気持ちになる。

 これは雑誌や広告の比較蔑視の商売戦略そのままではないのか。人をけなして、恐れをもよわせたら儲かる。人間はかつて、あるいはいままで完璧で最良な人間関係・男女関係を築いてきたとは思えないし、不器用な関係を悪く言えばいくらでも悪く言えるものだし、異常や病的といわれるものも人類の進化の途上ではありふれたものであろうし、だれがその断罪をできるというのだろうか。最後のほうの章「脱・恋愛セックス教」から人間をながめるほうがマトモではないかと思う。




 『メディア・セックス幻想』 宮淑子
 太郎次郎社 1994 1800e

 AVが好きでフェミニストである女性がAVについて語った本で、若者たちの性文化、AV業界の内実、エクスタシーの追求者、ポルノ論争などがのべられている。AVについて語るということは性をあからさまに語るということで刺激的な本ではあるが、AV女優の人権とかポルノと性犯罪とかあまり私が問いたいものではなかったと思う。





 『夜這いの性愛論』 赤松啓介 
 明石書店 1994 1300e(古本)

 一冊の本を読み終えたら世界の見え方が変っていたということがあるが、この本はまさしくそのような本である。おおらかで積極的で目からうろが落ちるようなむかしの男女の性体験、性風俗が語られていて、こういう語りこそが大人から人生を教えてもらうというものだろうと思った。

 性をあからさまに語るということはまさしく人の生きざまを語るということなのだと思う。性を語れなくなった現代というのは人生をも伝えられないということなのだろう。性に拘泥せずにおおらかに性を楽しんだむかしの日本人の姿を知ることはかなりのカルチャーショックである。とにかく読むべき本である。




 『エロティックと文明』 ルネ・ネリ
 紀伊國屋書店 1972 2200e(古本)

 性を理論的に語った本をさがしていたのでこの本はぴったりと思ったのだが、まだ違うような気がする。




 『ピンナップ・エイジ』 伊藤俊治
 ちくま学芸文庫 1989 1000e

 学術書でありながら20世紀なかばのヌード写真が山ほど拝める本である。むかしのヌード写真にエロティックやエロスを感じることはあまりないが、たんに私が世間ズレしただけなのか、現代のポルノ写真に慣れ過ぎたのか。理論的な文章はいまいちなにかをつかめたとはいいがたい。

 「昔はただセックスをしただけで罪の意識を感じたかもしれないが、今ではヘフナー(『プレイボーイ』の創刊者)のおかげで、セックスをしなければ罪の意識を感じるのだ」




 『誰が歴史を歪めたか』 井沢元彦
 祥伝社黄金文庫 1995 571e(古本)

 怨霊信仰なしでは日本を語れないという対談があったので読んだ。怨霊や霊魂は日本の初期の歴史やあるいは日本人の民俗にはまったく欠かせないものだと思う。この霊魂の世界観ってけっこう魅力的なんだな。それなしでは読めない地図の要みたいなものだ。





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