■030412書評集
▼2003/4/13
『ゴシップと醜聞』 玉木明
洋泉社新書 2001 680e(古本)
人が人を裁くおぞましさを、メディア報道はまったく感じていないようだ。なんでメディア報道者たちはあんなにエラクて、人を裁き、断罪する権利があるのだろう。犯人もおぞましいが、人を平気で裁くマスコミやそれに賛同する一般人もおぞましい。そんな不気味な権力になったジャーナリズムを分析した本である。
『ニッポンの知識人』 桂秀美 高澤秀次 宮崎哲弥
KKベストセラーズ 1999 1500e
三人の対談集は知らないことばっかりで私は少々劣等感を感じた。こういう気持ちが知識欲を煽られるのだと思った。人に負けまいとする恐れは正当な知識欲の原動力なのだろうか。
61名の知識人ミシュランはなかなか批判が利いていてよかったと思う。
『批評の事情』 永江朗
原書房 2001 1600
90年代にブレイク、デビューした批評家を論じた本である。それぞれの批評家はなにを語っているのかを同調的に追跡しており、少々薄口ではある。批評というのは悪口とはいわないでも、弱点や欠点、汚点をえぐりだすのがおもしろいのではないかと思うが、でも胸くそが悪くなるような批評よりましだろう。高所から批判するような立場は性格とか権力欲から出てくるのだろう。いや、やっぱり真理とかまちがいを正すための論理を第一義に考えるからか。
90年代にブレイクした人は宮台真司や宮崎哲弥、鷲田清一、中島義道、山田昌弘、森永卓郎などがいる。一冊の本がブレイクした人、出版ラッシュをかけている人、テレビで売れた人などいろいろである。80年代の輸入モノ紹介から自分で考える人たちがふえてきたように思うが、あまり大きなことは語っていないようだな。
『まれに見るバカ』 勢古浩爾
洋泉社新書 2002 720e(古本)
人をバカよばわりするような本はあまり読みたくないが、いまの私のテーマである知識人批判があったから読んだ。まあ、自分のバカさ加減を意識できない人をバカとよぶそうだ。人をバガバカとよんでなにかカタルシスがあるのかどうかはわからないが、どうせなら笑える本ならよいかも。
さいきんこの勢古浩爾という人は新書を中心に出版攻勢をかけているが、『わたしを認めよ!』(洋泉社新書)は名著だったと思うが、ほかの本は新書の学問入門書という範疇からはあまりに逸脱しすぎていると思う。タイトルの衝撃と魅力はあるのだが、これは学問ではなくてエッセイじゃないかとつきあう気をなくしてしまう。いいのか、こういう本でと思ってしまう。
『まれに見るバカ女』
別冊宝島Real043 2003 1200e
こちらの本のほうはけっこうおもしろくて読みがいがあった。ほんとうにバカというか、批判にはけっこう納得できた。
中川智子というエロ告白本をだした議員はほんとうにいるのか、柳美里は私生活をドラマにしすぎだと思うし、北川悦吏子は恋愛教の狂気だとたしかにいえるし、石原里紗は成り上がるために専業主婦を利用したらしいのは問題、香山リカはたしかになにも語っていない。
女だから叩かれたのか、それともおこないがあまりにも下劣だったからか。公共に商品を売っている以上、品評はまぬがれないというものだ。ただ人物批評というのはむずかしい。人を傷つけたくないというのもあるし、人物批判はかならず自分に返ってきて、自分はエラソーなことはなにもいえなくなる。向上をめざした批評だからよしとしようか。
『インテレクチュアルズ』 ポール・ジョンソン
講談社学術文庫 1988 1350e
人類愛や平等、社会の変革を語った知識人が、個人的には子を捨てたり、人と衝突しつづけたり、大衆を蔑視したり、金儲けに走ったりといった実像に迫った本である。思想は私生活やその性格にこそ真実のすがたを現わすのではないのか。
この本にはルソー、マルクス、イプセン、トルストイ、ヘミングウェイ、ラッセル、サルトルの醜悪な個人生活がとりあげられている。とくにルソーとマルクスは胸くそが悪くなるくらいで、自尊心のバケモノや野心と権力欲の塊のすがたが如実に表されている。
知識人は人類を教え導こうとしたが、倫理や判断に関してほんとうに資格があったのだろうか。自分の奉ずる思想が社会を変革できると考える強大な自尊心、人類の友でありながら人間の友ではなかった知識人に指導者の資格はあったのだろうか。私生活にあらわれた知識人の姿はその思想の陰であり、一面である。
近代の思想実験がもたらした惨劇からわれわれは知識を、知識人を警戒しなければならないことを学んだはずである。知性の欠陥を、弊害を、病理を明確に自覚しなければならない。
それにしても知識の反省のなんと少ないことか。このテーマにそっくりと合った本を探すのはとてもむずかしく、まわりくどく思想家批評や思想史を採集しなければならないではないか。思想の影響による結果論や因果論が必要だと思う。
『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』 副島隆彦
講談社+α文庫 1995 1000e
アメリカ思潮の人物と全体像がわかるけっこうおもしろい本である。私としては本を読んだことのあるガルブレイス、ダニエル・ベル、ライシュ、フリードマン、フクヤマなどが出てきて、どういう位置や評価になっているのかわかってよかった。
アメリカは覇権国なのに日本ではフランスとドイツの思想が流行ることが多いのはどうしてなんだろう。ハリウッド映画、ロック、マクドナルド、コーラと大衆文化は押し寄せてきているのに、思想の人気はいまいちぱっとしない。高級品輸出は仏独の土壇場なのだろう。
大きな流れとしては共和党保守と民主党リベラリズム、リバータリアンなどがある。リベラル派は自分勝手な弱者救済の正義感・倫理感にこりかたまったきれいごとをいう人たちである。主流・多数派であるが、ハイエクやフリードマンなどの保守の説得力が増していると思う。
『好奇心と日本人』 鶴見和子
講談社現代新書 1972 370e(古本)
日本人の好奇心を語った本であるが、学ぶことはほとんどなかった。
『紅一点論』 斎藤美奈子
ちくま文庫 1998 780e
アニメや特撮の中ではどうして男の集団の中に女ひとりなのだろう? その理由をさぐったかなりおもしろい本である。抱腹絶倒といってよい本である。
アニメでは男の子の国は科学と軍事大国である。女の子の国は魔法と恋愛立国である。チームの紅一点は博士や所長の身元のしっかりした娘である。職場の花である。紅の戦士には女の友達がいない。悪の女王はオールド・ミスである。目の醒めるようなアニメの特徴がわかって、たいへんおもしろい本である。アニメで育った子どもは戦争(会社)ボケと恋愛ボケになるばかりである。
『ヤマト』『ガンダム』『エヴァンゲリオン』、『コナン』『ナウシカ』『もののけ姫』の分析もおもしろかった。ただ伝記の国の分析はあまりおもしろくなかった。余計かな。
『ドイツロマン主義とナチズム』 ヘルムート・プレスナー
講談社学術文庫 1935 971e
知識がナチズムと結びついたさまをさぐりたかったのだが、なんだかひじょうに詩的というか、抽象的というか、文章がかなり読みとりにくかった。哲学者の国はナチズムと必然的に帰結したのだろうか。
『面白いほどよくわかる現代思想のすべて』 湯浅赳男
日本文芸社 2003 1300e
思想家の顔写真や写真を多用し、ドイツとパリの思想にわけ、簡明に思想家を紹介したよい本である。思想家の本を読むのも大切であるが、こういう全体像をつかむこともやはり必要である。
私としては批判的に知識の弊害や欠陥を読みとりたいと思って思想史に目を向けたのだが、そういう読みとり方はやっぱりむずかしい。思想史を書く人は思想に意味があり価値があり読む薦めを書いているわけだからスタンスが根本的に違う。それでも一節くらいは知識批判や反省はつけくわえるべきだろう。思想にも薬みたいに副作用や使用上の注意書きが必要である。
『明治人の教養』 竹田篤司
文春新書 2002 680e(古本)
いま知識や教養にこだわっているから読んでみたが、なんの本なのかよくわからなかった。
『大阪まち物語』 なにわ物語研究会【編】
創元社 2000 1300e(古本)
郷土愛にめざめよう、あるいは大阪の町から歴史を読みとりたいと思ったのが、むずかしいな、歴史から楽しみを見出すのは。船場や天満、平野という町から歴史を読むこころみはおもしろいかもしれないが、タワーや橋などのキーワードからくくる歴史はいまいちおもしろくなかったかもしれない。町の歴史を楽しむ方法というのはどういうものがあるのだろう。
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