■021005書評集
『読書中毒』 小林信彦
文春文庫 1993 524e(古本)
ブックガイドとして読むには、純文学からエンターティメントまで分けへだてなく紹介されていて、たいへん参考になる。バルザック、プルースト、永井荷風から、フォーサイス、ハイスミス、ミステリーまで幅広くとりあつかわれているのはありがたい。この人はけっこう年がいっているのだが、年齢不祥の文章を書く。
『戦後文学を問う』 川村湊
岩波新書 1995 620e(古本)
私は戦後文学の戦争・ベトナム・60年代安保・天皇制・在日といった話題にはほとんど身近な感じがしない。クルマ・家・アメリカといった話題には身近な感じを覚える。政治的な面で断絶されているのだろう。
『小説の読みかた』 猪野謙二編
岩波新書ジュニア 1980 580e(古本)
近代小説が小説家などによって読まれている本である。ほぼ感銘はない。
『鞄に本だけつめこんで』 群ようこ
新潮文庫 1987 400e(古本)
近代小説のブックガイドとして参考にしようと思ったらぜんぜん違う。自分のことばかりしゃべっている。「こんなのアリ?」と思ったが、小学生のこととか日常のことをたいへんおもしろく、印象深く語っているので、ついついひきこまれるが、私としてはブックガイドを読みたかったのだ。でも作者の個人的日常はたいへんおもしろい、と迷ってしまう本である。
『ねじまき鳥クロニクル』 村上春樹
新潮文庫 第三部鳥刺し男編 1995 629e(古本)
第二部をとばして第三部を読んだ。カッコイイ文章も魅力的なストーリーも謎の魅力性もほとんどない、失われた、と私には思われた。村上春樹はまだみんなにとっては魅力的なのかな。
『勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪』 アーネスト・ヘミングウェイ
新潮文庫 1933+ 552e(古本)
ヘミングウェイは短編の名手ということだが、私にはよくわからない。『武器よさらば』の文体が気に入っただけである。『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』が印象にのこったくらいだ。『キリマンジャロの雪』ってほんとうに名作なのかな〜。
『さらば愛しき女よ』 レイモンド・チャンドラー
ハヤカワ文庫 1940 600e(古本)
私はハードボイルドの文体が好きである。「〜した」「〜した」とぶっきらぼうにつみかさねてゆく文章が好きである。だけど内容も探偵もミステリーもほとんど興味がわかない。文体を味わうためだけに本を読むとはヘンな話だ。
『小説入門』 中村真一郎
光文社文庫 1962 380e(古本)
この本が出た1962年には文学はとぶように売れていたそうだ。『赤と黒』『白痴』『暗夜行路』『細雪』などはみんな読んでいたそうだ。いまは見る影もないけど。
この本は作者も自負するとおり、たいへんわかりやすい小説入門になっている。日本の文学がなぜ物語を否定した私小説に傾いていったか、バルザックやゾラ、20世紀の小説をかえたプルーストやジョイスなどの流れがわかりやすく要約されて紹介されている。そういえば、こういう全体的な文学史を私はほとんど知らなかった。
『フランス恋愛小説論』 工藤庸子
岩波新書 1998 640e(古本)
『クレーヴの奥方』『危険な関係』『カルメン』などが紹介されているが、私はほとんど恋愛小説に興味をなくしている。
『スキップ』 北村薫
新潮文庫 1995 743e(古本)
17歳の女子高生が42歳の女性にタイムスリップしてしまう話である。私としてはタイムスリップものには時間や人生のはかなさ、感傷などを期待しているのだが、この本はいきなり教師にならなければならなくなった17歳の女性のとまどいがメインになっていて、望んでいたものと違うと思った。
『火宅の人』 壇一雄
新潮文庫 上巻440e(古本)
貧乏な話を読みたかったのだが、ホテルとか旅行などの贅沢な暮らしが多かった。不倫とか妻との関係とかの日常が描かれているのだが、こういう私小説って意義とか意味とかあるのかなと思う。「私の苦労のナルシズム」ってそんなに読む価値のあるもの?
『闇の左手』 アーシュラ・K・ル・グィン
ハヤカワ文庫 1969 370e(古本)
ル・グィンは評価されているし、ヒューゴー/ネビュラ賞を受賞しているから読んでみたけど、あまり残るものはなかった。
『雪のひとひら』 ポール・ギャリコ
新潮文庫 1975 400e(古本)
思わず泣きそうになるすばらしい寓話である。人間の一生を雪のひとひらのようにはかなく、一瞬に消えるものにたとえたのは秀逸だと思う。人間の一生も雪のひとひとらのように一瞬に溶けさるものであり、そのはかなさを鮮やかにうきぼりにしたことでたいへん心につきささった。
雪のひとひらはいつ生まれたのかも、どのように生まれたのかもわからない。どこに行くのかもわからない。そしてこの世界に舞い降り、子をうみ、夫を失い、子とわかれ、この世での生の意味や意義を考えさせられる。いつも意味がわからず、孤独におかれる。人の一生もこのようなものだ。なぜ生まれたのかも、どこへ行くのかも、なんの意味があるかもわからず、ただ生きつづけるだけである。この寓話はそのはかなさや哀しさを、圧縮したかたちで、読者につきだす。この世界の孤独と懐疑が、読むたびに思わず涙をにじませるのである。
雪のひとひらは人生の終わりを悟る。どんな感じがして、どこに赴くのか。死すべき運命しかないものに意味はあるのか。その謎はわからないままである。しかし創造者の一部にもどることで、雪のひとひらはとても幸福な気持ちで終わる。この寓話は雪の一片に人生をたくすことによって、ひじょうに鋭く人生の孤独と疑問をうきぼりにして、大人だったら忘れているような人間のあり方に目を覚まさせるファンタジーである。
『小説世界のロビンソン』 小林信彦
新潮文庫 1989 560e(古本)
小林信彦という人は日本の私小説主義を批判して、物語至上主義をとなえた人である。たしかに日本の「文学性」というのはうんざりするものがある。ちまちましていて、鬱陶しくて、腐っている。私もうなずくのだが、物語が破格におもしろいとしても、でもそれだけじゃあな〜、と思うところが難しい。
この本は作者の読書体験につらなるかたちでさまざまな小説や批評がのべられていて、小説の知識がかなりふえる。『吾輩は猫である』から、推理小説、『ラブイユーズ』、大衆文芸、エンターテインメント、ヴォネガット、アーヴィング、『ふうてん老人日記』など、文学のいろいろな読み方が学べる。
著者がすすめる『富士に立つ影』と『大菩薩峠』が読みたくなって、ちくま文庫で見てみたけど、長すぎるなぁ。
『本は鞄をとびだして』 群ようこ
新潮文庫 1992 400e(古本)
この本は海外文学を紹介しているが、例によって作者の日常の話がメインである。評論家の川本三郎は解説で、評論家の常套句――たとえば「魔術的リアリズム」とか「耽美的デカダンス」をつかわないといってびっくりしているが、滑稽な話である。日常の滋養にならなかったらやはりふつうの読者にとって文学はむだなものになるだろう。
『リプレイ』 ケン・グリムウッド
新潮文庫 1986 680e(古本)
読み出したらとまらない、ものすごくひきこまれる傑作だと思う。43歳で死んだ男が18歳のときに生き返った。彼は未来の記憶をたよりにギャンブルと株で大儲けするが、ふたたび43歳で死んで18歳によみがえり、平凡な幸せを築こうとするが、また水泡と化してしまう。退廃と隠遁に生きていた彼は同じようなよみがえりの女性と出会う。
といった物語だが、未来を知っているものの強みと楽しみを味わえ、人生のやり直しも経験できるが、すべての努力が失われる悲しみを経験して主人公はなげやりになる。時間を同じようにリプレイする女性とこの謎の解明に向かうが、政治に利用されたりする。リプレイの時間がどんどん短くなってゆき、孤独を味わい、はかない時間を楽しもうとする。そしてリプレイが終わり、もとの人生にもどったわけだが、何度も人生を生きた彼はどのような選択をするのだろうか。
タイムスリップものとしてこの作品はいろいろな味わいができるようになっている。未来を知る強み、しょせんは水泡に帰す人生のむなしさ、人生をやりなおすこと、同じ時間を生きない人たちの中での孤独、といった時間の断絶から起こる情緒がさまざまに喚起される。この作品は輪廻思想も示唆しているが、人生を何度もやり直せることは幸福なことなんだろうか、あるいは倦むことなのだろうか? 仏教は輪廻の輪からはなれることをすすめている。
『イエスタデイ・ワンス・モア』 小林信彦
新潮文庫 1989 400e(古本)
これもタイムトリップものだが、この作品からは時間や知人から切りはなされた悲しみやはかなさはまるで感じられないのが残念で、ただ1959年の東京の風俗はよかったという話に終始していたように思う。主人公はもとの時代にはもどらない。たしかに1989年の18歳は、高度成長がはじまる1959年の18歳よりもう理想はないかもしれない。「失われた十年」が待っているだけである。それでも現代の若者が過去のほうがよかったというかはギモンである。過去の希望のなれの果てが現在だからだ。
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