タイトルイメージ
本文へジャンプ ▼テーマは顔・霊魂 

 


020309書評集
顔・肉体・魂


▼2002/3/9.更新




 『顔相の科学』 浅野八郎 祥伝社NONBOOK 1998. 1300e

 顔は性格を現わすか。やっぱり性格が現れるのはとうぜんだと思う。人相術は占いや迷信としてかたづけられているが、フランスでは形態心理学として心理学の一分野になっているそうだ。ただ顔のパーツから運勢や相性までを占うのはちょっと行き過ぎの感がするし、そういう顔を読む―顔学への招待関心の方向性が人の信用を失うのだと思う。





 『日本人の顔』 山折哲雄 NHKブックス 1986. 900e

 仏像や彫刻、肖像画に現れる日本人の顔にはどのような意味が読みとれるか。土偶の目鼻立ちのはっきりした顔は南方系の縄文人に由来し、埴輪のあっさりした顔は北方系の弥生人、仏像は青年の象徴、神像は老人の理想化、武士の荒っぽい顔と貴族の端整な顔立ちに現われた価値観の変遷、などのふつうには気づかない側面を著者は読み解いてゆく。




 『顔を読む』 レズリー・A・ゼブロウィッツ 大修館書店 1997. 2500e

 まあ、童顔や平均的な顔がいかに得をしているかという話である。ただ顔から期待される性格に人は抗ったりするから、顔と性格は一筋縄ではいかないということである。




 『顔の科学』 西原克成 日本教文社 1996. 1648e

 生物の進化から読むと、顔はむかしの生物の内臓から発達したそうだ。むかしの生物では快不快を感じる機能はそこにあり、人間ではそれが表に裏返されているわけだ。だから解剖学では顔のことを「内臓頭蓋」とよぶ。また腸から脳は生まれたといわれる。

 ということはあなたの愛する美人の顔は「腸」であり、わたしの顔は「内臓」の現れである。げーっ!




 『魂との対話』 マイケル・J・ローズ 徳間書店  1987. 1600e(古本)

 自然と対話ができるという、まるで現代に甦ったアニミズムみたいな話だが、概念的には「ワンネス」の世界に慣れてきた私にはべつに違和感はない。私がいちばん学びたいことは自分は肉体ではないということである。

 「きみにとっては、肉体的なアイデンティティがきみ自身であると信じているものだ。それは何千年もかかって作られてきた執着で、実に強い思考の形態と信条となっている。しかしそこから抜け出さなければならない」

 「肉体を持った人間には、見えるか、聞こえるか、臭いがするか、触れられるか、味わえるかしなければ、受けて入れてもらえません。すなわち、人間の五感に訴えるものです。それはあなたの牢獄の四方の壁と天井に等しいものです。そんなものはみな放棄しなさい」




 『宇宙の根っこにつながる生き方』 天外伺朗 サンマーク文庫 エヴァ・シリーズ 1997. 524e

 タイトルがいい。この著者のいいところは精神世界のことがよく整理されていて、現代的で、新しい光の当て方をすることである。だから知らなかったり、忘れていたりした意外なことがわかったりする。たとえばアメリカの成功哲学はインドのヴェーダ哲学であり、瞑想は脳内麻薬を出すこと、禅は神や仏にであったら殺せといってきたこと、など。




 『霊と肉』 山折哲雄 講談社学術文庫 1979. 900e

 私は人間が肉体ではないというのはどういうことかを知りたいのだが、この本はほぼ興味を惹かれなかった。




 『アウト・オブ・ボディ』 ジャネット・リー・ミッチェル 三交社 1981. 1800e(古本)

 現代の遊体離脱はおどろおどろしい超能力の文脈から考えられることが多いが、私はこれは癒しの要素からも考えてよいと考えている。なぜなら人間は肉体ではないと捉えることは、たいそうラクで安らかな発想だからだ。

 私たちの苦痛や苦悩は身体や筋肉の痛み、不快感、病気となって現れる。また肉体はいずれ死してしまう。身体とは苦痛の巣窟である。この苦悩をポキッと折ってしまう方法は、自分を身体に同一化しないことである。

 身体のどこかに感覚を合せているだけで――しかも不安や恐れに焦点を合せていると、ますます身体は不快感や病気を増長させてしまうのである。だから肉体から離れる方法はたいそうラクな話である。身体に感覚の焦点を合せないだけでも、かなりカラダにいいことなのである。

 ほんとうに遊体離脱ができるかはわからない。ただ古来の宗教者や世界の多くは信じてきたことがらである。精神的な機能面から利用できないかと思う。

 ▼HP「楽しい体外離脱」 金縛り状態から体外離脱し、それを「幻覚」だと自覚し、楽しむまでになった有栖さんの体験談。




 『コズミック・バイブル』 知花敏彦 たま出版 1994. 1500e(古本)

 私がこれまで読んできた精神世界と同じことをいっていると思うし、学びたいところも多いのだが、言葉がいささか古く、古臭い神憑り的な宗教臭が強く、日本の土着的な憑依霊とかの関わりもあって、もっと現代的であればよかったのにと思う。




 『心を生みだす脳のシステム』 茂木健一郎 NHKブックス 2001. 1070e

 物質である脳からどうして心が生まれるのか。クオリアという質感は興味魅かれるものと思ったが、脳科学とか認知科学ってどうもつまらない。物質的な問題ばかりで、人間的・精神的な問題にぜんぜん肉迫しないからかもしれない。




 『チャネリング・フォー・ユー』 秋月菜央 二見書房 1991. 1500e(古本)

 チャネリングってやっぱりいい。こんなに怪しくて、いかがわしいものはないのだが、心が軽くなる要素がある。現実にしがみ勝ちな心を幻想の世界に解き放ってくれるからなのか。霊魂や肉体からの離脱というあまりにも古典的で中心的な宗教観を、大宗教にありがちな罰則も社会的規律も抜きに、全体像として呈示してくれるからなのか。チャネリングに出会ってはじめて私は古来の人が信じてきた魂や霊という世界観を身近に感じることができるようになった。




 『宗教とはなにか』 小林道憲 NHKブックス 1997. 970e

 宗教の根源を、大いなるものへの畏怖や大地と生命、死と再生などの原初的な感情からもとめた書である。太古の人たちは大自然やこの世界にたいして畏怖や厳粛な気もちを抱いてきたと思われるのだが、そのような感情を失ってしまったわれわれはたいへん悲しい、寂しいことだといわざるをえない。




 『宗教学入門』 脇本平也 講談社学術文庫 1983. 1000e

 概括的な宗教学の本であまりおもしろいとはいえなかった。




 『聖と呪力の人類学』 佐々木宏幹 講談社学術文庫 1989. 900e

 古来の日本人は霊魂をどう捉えてきたのだろうか。チャネリングによって霊魂観にはじめて接した私としては、日本人の霊魂に対する主観的な捉え方というものを再認識したいと思ったのだが、この本はあまりそういう主観的内容というものを伝えていないのかもしれない。




 『死後の世界』 フランソワ・グレゴワール 白水社文庫クセジュ 1956. 951e

 古今東西の世界、宗教、哲学者たちの死後の世界観が語られている本である。まあ、世界の人が考えてきた死後の世界というのはたいがい現世生活の理想化であったり、罰則や法律の現出化であったり、じつに空想的・想像的に感じられるものである。このような世界を人はほんとうに信じてきたのか、それともただの慰めか、権力者たちの罰則規定なのか。

 このような現世の観念的模写にしか思えない歴史的な経緯をもつ死後世界でも、現代において臨死体験やチャネリング、前世記憶などによってふつふつと死後体験のリアルさは創出されているのである。しかし歴史に見るのは空想の産物の屍ばかりである。遠くにこそ真実は見えるものなのだろうか。





 ご意見ご感想お待ちしております!    ues@leo.interq.or.jp



020203書評集 チャネリング・アナザーワールド――顔の哲学 2002/2/3.更新 

|TOP|断想集|書評集|プロフィール|リンク|







顔相(フェイス・リーディング)の科学―運・相性の"読み方"がわかった!
 



日本人の顔―図像から文化を読む
 



顔を読む―顔学への招待
 



顔の科学―生命進化を顔で見る
 







魂との対話
 









宇宙の根っこにつながる生き方―そのしくみを知れば人生が変わる
 


霊と肉
 



アウト・オブ・ボディ―第三の超能力=遊体離脱を体験する
 
















コズミックバイブル―私達がキリストになる時代
 


心を生みだす脳のシステム―「私」というミステリー
 


チャネリング・フォー・ユー―本当の自分自身を生きるために!
 


宗教とはなにか―古代世界の神話と儀礼から
 


宗教学入門
 


聖と呪力の人類学
 



死後の世界
 







   
inserted by FC2 system