2001年冬の書評
ほか
▼2001/2/1更新分
▼2001/1/8更新
白州正子『かくれ里』 講談社文芸文庫 71/12. 1100e
能や美術品に造詣の深い著者による関西の紀行文。この本の中で私もいったことがあるのは吉野、滝の畑、丹生都比売神社、葛城といったところである。山々の風景や自然の楽しみ方といったものを教えてもらおうと思ったが、あまり感ずるところはなし。
稲増龍夫『アイドル工学』 ちくま文庫 89/7. 580e(古本)
80年代初頭のアイドル・ブームは、メッセージ主体のニューミュージックに対する反発が根底にあったそうである。その十年前も同じ構図があり、70年代前半にもアイドル・ブームがあり、反発から拓郎や陽水のニューミュージックに流れた。またそれがメッセージはダサイとなって、80年代アイドルになったということだ。
そして80年代以降はサウンド志向のニューミュージック(ユーミンやサザン)がずっと支持を得ているというわけだ。アメリカでもボブ・ディランの時代も同じような構図だったらしい。私は浜田省吾のようなメッセージ・ソングが好きだが、たしかに尾崎豊のようなあまりにもシリアスで入り込み過ぎるのは行き過ぎという感がする。虚構への警戒感とか、虚構への嘲笑があるのだろう。
80年代は虚構を肯定する、虚構を虚構という約束事のうえで楽しむという方向になってくる。たとえばドラマ『翔んだカップル』は、従来の「自己完結されたドラマ」という約束事をうち破り、NG集という虚構の生成過程を見せるようになった。こういう流れは『スター誕生』、「おニャン子クラブ」、「モーニング娘。」などにひきつがれて現在に至っている。なるほど「虚構とのつき合い方、距離のとり方」がテーマというワケか。
木全公彦・林公一『大人になったのび太少年』 宝島社文庫 99/10. 571e
のび太だけではなく、まことちゃん、ひみつのアッコちゃん、キャンディ・キャンディ、星飛雄馬などのマンガ・キャラの精神分析と大人になった姿を想像した本である。
まことちゃんと星飛雄馬はきわだって異常なキャラである。糞便への興味と厳しすぎる父親は精神分析の格好の考察対象だろう。
精神分析というフィルターを通すとどのマンガの主人公も異常キャラに思えるが、幼少期にこれらのマンガの主人公に憧れたり、マネしてきたりしたわれわれも、その性格パターンや思考習慣をいくらか兼ね備えているのかもしれない。
田中直毅 長田弘『映画で読む二十世紀 この百年の話』 朝日文庫 94. 660e
映画で二十世紀を読み解くという本である。この本でとりあげられている『ジャイアンツ』『第三の男』『非情城市』『博士の異常な愛情』『ディア・ハンター』といった映画はすべていちども観たことがないのが残念だが、たぶんじっさいに観ても退屈だと思うので、時代背景とかなにを語っているのかとかが分析されたこの本のほうがおもしろいと思う。
テーマは近代化や大衆、貧困、アメリカン・デモクラシー、日常、変化する社会、市民の自由などで、こういう切り口で読み解かれた本の方が楽しめるし、二十世紀を身近な感覚で展望できるというものである。
このなかで最高によかった作品はさいごにとりあげられた『ジャーニー・オブ・ホープ』という90年のスイス映画である。トルコで食えないわけでもないし、家族も農地も家もある家族が、ただその先の希望がないという理由だけでスイスに密航する物語である。
貧困からの脱出や抑圧からの自由、搾取からの逃走といった大義はまったくない。ただ、希望やよい生活を求めるという「それだけ」の理由で、土地や国を捨てる。しかし「それだけ」のものがなんなのか、どういうものかわからず、困り果てるしかない。これは何もかもが壊れてゆく二十世紀の終わりの時代をまさに象徴した状況である。
大きな物語が壊れたあとの二十一世紀にはどんな希望があるのだろうか。これがたまらなく難しく、重く、辛いものである。なにもかも満たされているのに希望だけが見当たらない。身近なチャチなことに幸福を見出すか、あるいは中世のように旅をして、労働や宗教をもとめるさまよえる時代になるのだろうか。これはまさしくわれわれ自身に今つきつけられている最大の難問であり、私自身もわからない。(のちに映画を見たが、とてもそんな深いテーマを見つけられなかった)
別冊宝島編集部◎編『音楽誌が書かないJポップ批評』 宝島社文庫 98/12. 562e(古本)
どう感想を書いていいんでしょーか。おもしろかった気もするし、後には残らなかった気もするし、目からうろこが落ちるような批評とも出会ったわけではない。全体のことを語ろうとすると、なにも言葉が出てこない。「あー、そうだな、ワタシもそう思う」ということを言葉にしてくれただけでも、ありがたいことなのかもしれない。
ジュリエットB.ショア『浪費するアメリカ人 なぜ要らないものまで欲しがるのか』 岩波書店 98. 2200e
消費がバカらしくなるには、このような消費分析の本を読めばいい。自分の見栄や優越願望、他人に負けたくないという気持ちが透けて見えて、なさけなくなる。そして消費で得ている自信や優越感というのは、借りモノや偽造されたものである、というカン違いの構造が見えてくる。てんで「私自身」ではない。
この本では減速生活者の「ダウン・シフター」や、消費欲望の抑制の仕方などがのべられていて、実践的であり、これからの生活の指針にもなりそうなところがよかった。
消費というのはときには魅力的な世界を見せてくれることもあるし、自信や社会的に認められている気持ちを与えてくれることもあるし、落伍感や精神的苦痛といったものを防いでくれることもある。
しかし「新しいカウチが三週間の労働に値する価値があるかどうか、四泊五日のバハマ旅行が一か月の稼ぎに匹敵するものかどうか」考えてみたら、消費とそれにセットとなっている労働時間というものをあらためて考え直さなければと思うだろう。二度とない人生のたいせつな時間が消費と労働の自転車操業に奪われてゆくままでよいのだろうか。
私たちはカネや消費によって得られる自信や社会的認知、または落伍感や精神的苦痛といった楽と罰の心のワナに嵌まらないようにすべきなのだろう。この心のパターンをほかの方法で飛び越えるべきだ。
夏目房之介『手塚治虫はどこにいる』 ちくま文庫 92/6. 485e
いや〜、なつかしい思いをさせてもらった。私も小学校のときに手塚治虫のマンガは山のように読んだ。ちょうど講談社全集が出たころだ。そのあとずっと遠ざかっていたが、批評というかたちで再読できるのはありがたいことだ。
ただ私にとってははじめての手塚批評なのでテーマから作品を読み解く本を読みたかったのだけど、この本は描線やコマ割りから読み解いているのでちょっと順番が違った気がするが、手塚の描線や絵のタッチの変節の理由などがわかって、まあよかった。
松本市壽『良寛 乞食行脚』 光文社カッパブックス 00/12. 829e
この本は「お金という世俗」や「無欲になる」などというテーマのくくり方がよかったのだけど、良寛の人柄を褒める言葉というのはつい批判的に見たくなる。行動については、人間はそれを打算的・結果的に考えたうえで行動できる能力があるワケで、無垢とか純真の行為なんてものは信じられない。まあ、よい言葉を引用――。
「奪い合えば足らぬ。分け合えば余る」
「人の欠点を数え上げたり社会の欠陥を探そうとすれば、いくらでも見つけられる。その逆に、人の見ない恩恵に感謝すべきことも同様ではないか。感謝して、味わうべきこと、うやうやしく尊敬にあたいすることは身辺にあふれているではないか」
○「自分の見方に似ているのは、良くなくても正しいとし、自分の見方と違うものは良くても正しくないとする。ただ、自分の良いとする点を正しいとし、それを他の人が良くないとしているのにどうして気づこうとしないのか。良いとか良くないとかという判断は、始めから自分自身に置いているが、真理の道はもともとそのようなものではない」
鈴木透『現代アメリカを観る 映画が描く超大国の鼓動』 丸善ライブラリー 98/4. 780e
映画でアメリカを読むという本だが、前半には映画の話がほとんど出てこない。でもマッカーシズムが順応主義や利己主義をもたらし、60年代に学生たちのカウンター・カルチャーがおこったということを知ることができたので、まあよしとしよう。
映画ではおもに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『フィールド・オブ・ドリームス』『ダンス・ウィズ・ウルブス』『フォレスト・ガンプ』『ポカホンタス』などがとりあげられている。
アメリカのヒーローについてだが、80年代はロッキーやランボー、レイダースのような単純なヒーローが人気を集めた。それに対して60年代後半は『俺たちに明日はない』や『イージーライダー』『ダーティ・ハリー』のようなアンチ・ヒーローが現われていた。
そして90年代は二つの対立した世界に苦悩する人たちが描かれる。過去と現代、白人とインディアンなどである。ふーん、たんなる娯楽映画と思われているものだって、社会のすがたを色濃く写しているんだなと感心。
▼2001/2/1更新
上野俊哉/毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』 ちくま新書 00/9. 660e
これを読んだあとでもカルチュラル・スタディーズがなんなのかよくわからない。いままでのメディア・文化研究となにが違うのだろうか。ひじょうにおもしろいことに触れているような気もするし、あまり興味のないところまでくくられている気もするし。わかンね。
代表的なものは58年のホガートの『読み書き能力の効用』とウィリアムズの『文化と社会――1870〜1950』、スチュアート・ホールといった人だそうだ。
石川三登志『手塚治虫の奇妙な世界』 学陽文庫 77/12. 780e
メディア分析をやりたかったので読んでみたが、あまり印象なし。著者は昭和20年代のリアル・タイムの手塚ファンであり、私は昭和50年代以降のファンで、35年あたり以降の作品からしっくりくることから、ズレがあるのかも。『0マン』(昭和34年)、『キャプテンKEN』(昭和35年)、『ナンバー7』(昭和36年)あたりからは読めるけど、それ以前は。。
吉弘幸介『マンガの現代史』 丸善ライブラリー 93/4. 600e
マンガってじつに時代を映すものだと思う。たとえば『あしたのジョー』や『巨人の星』は現在では描かれなかっただろう。まあ、この本は現代のマンガをざっと概括したもの。
副島隆彦『ハリウッドで政治思想を読む』 メディア・ワークス 00/8. 1600e
「ある社会には、活字になることはないが、しかし当然にそこの人間なら誰でも知っている諸事実というものがある」――これを映画から暴こうとするのが著者の意図のようである。ちょっとケンカ腰だったり、陰謀説めいたことをいうのは困ってしまうが、生活者の実感レベルの知識はためになる。
たとえばイギリス人はアメリカ人の下品な大衆文化を軽蔑しているとか、現在日本の田舎財閥は占領軍によく仕えた結果だとか、戦場の兵士というのは映画のドンパチが主役ではなく、土木作業員のようなものだとか、それと日本のリベラル派の人は隠れ社会主義者で金持ち嫌いで民衆迎合主義者だとかいったりする。まあ、そういう知識はある程度はおもしろい。
映画では『メリーに首ったけ』や『市民ケーン』、『怒りの葡萄』、『アンナと王様』などが紹介されているが、ほとんど脱線。章のタイトルはよく、おしゃれ。
呉智英『現代マンガの全体像』 双葉文庫 86/4. 562e
評論家批判がものすごくキビシく、コワイ〜。理論とか概史はあまりおもしろくない。ただし時代描写やマンガ家の語ろうとしたことの言及は鋭く、魅かれる文章もある。作家論・作品論は作者がこんなことを語ろうとしたのかとわかって、とてもわくわくできた。
小此木啓吾『「本当」の自分をどうみつけるか 映画でみる精神分析』 講談社+α文庫 96/1. 600e
映画ってなにを言おうとしているのかわからないことがある。それを精神分析で読み解いたこの本は願ってもみないものだ。過去の名作のストーリーを紹介してくれたうえ、精神分析までしてくれる。何度も感極まって泣けた。名画をまとめて観た気分だ。
この本ではテーマ別に作品がわけられているのだが、とくに気になったのは「偽りの自己とナルシシズム」の『太陽は夜も輝く』と『トト・ザ・ヒーロー』、「羨望と乗っ取りのエディプス・コンプレックス」の『太陽がいっぱい』、「中年の惑い」の『黒い瞳』、「人はいつ本当の自分になるのか?」の『アレジメント』『ヘッドライト』である。
これらの作品に共通してあるのは、成功や名誉を手に入れようとして他人にすりかわろうとしたり、自分を偽ったり、そして手に入れた成功や名誉を中年になって失う、あるいは放り投げてしまう話である。
これはまさに現代社会――資本主義や消費社会に生きなければならないわれわれすべてが抱えなければならない欲望の問題である。金持ちや成功者になろうという欲望は、他人になろうとする羨望や執念にほかならない。
現代に生きるわれわれは宿命的にこのような羨望や欲望を背負って生きる。だからそういう欲望にうちひしがれ、つぶれてゆく主人公の生きざまやすがたが描かれたこれらの映画は私の印象に強く後を引いたのである。またこれはある意味では戦後日本のすがたでもある。
小此木啓吾『愛の真実と偽りをどうみわけるか 映画でみる精神分析』 講談社+α文庫 96/1. 600e
この本では愛や家族、母なるものなどがテーマで、前著が男性向けだとしたら、こちらのほうは女性向けということができる。
ここでは『パリ・テキサス』、『エデンの東』、『ステラ』、『ゴッド・ファーザー』、『自転車泥棒』、『禁じられた遊び』、『ひまわり』、『風と共に去りぬ』などがとりあげられている。
聞いたことはあるけど観る機会にめぐりあえなかった名作のストーリーを知ることができるうえ、テーマはなんだったのかも教えてくれる。よい本である。
井上輝子・木村栄・西山千恵子・福島瑞穂他『ビデオで女性学』 有斐閣ブックス 99/10. 2100e
映画を分析する本を読みたかったので読んだが、この本のおかげで女性であることの不自由や苦悩、とりまく環境といったものがかなりよく見えたような気がする。
とりあげられている映画は『赤毛のアン』『プリティ・ウーマン』『カミーユ・クローデル』『クレイマー・クレイマー』『ステラ』『フライド・グリーン・トマト』『告発の行方』などである。どちらかというと映画が語られているというよりか、女性論のためのたたき台みたいでもあるが。
女の文句ばかり聞いていると、それなら男も働きづくめでたくさんソンをしているじゃないかと反論したくなるが、おたがいが批判する反面、利益や安穏は手放したくないという共犯関係にあるのだろう。
男を会社人生から解放するためには専業主婦や保険控除を廃止しなければならないし、企業や政府、女性たちの男が働き、養うという男性逆差別意識も問題だろう。女性の労働政策はだいぶ平等になってきたのだから、女性はトクをとればソンをひとつとらなくてはならない。
コレット・ダウリング『シンデレラ・コンプレックス 自立にとまどう女の告白』 三笠書房知的生きかた文庫 81. 450e(古本)
女は男に依存するうちにますます無力になり、自信や勇気を喪失する。自由になったり、自立したいと思うようになる。しかしこんどは成功する恐れや女の失格だという恐れが出てくる。女はいま依存と自立の板挟みにたたされている。
頭で望んでいることと心の恐れという相反する経験を私もしたことがある。群れや集団を嫌ったとき、私の心は恐れや孤独にひっつかまれた。心や気持ちがいうことを聞いてくれないのだ。
心は子どものころや社会に植え込まれた感情を無意識に反復する。社会の「感情規則」というものに従うのである。人はこの感情に囚われたり、反復したりするために、慣習や規範の奴隷となる。それはたいがいは恐れや不安である。
こういう慣習に盲従する感情というものをコントロールするためには、その感情規則やパターンといったものを客観視する必要があるし、感情の恐れをコントロールする技能を身につける必要がある。この試みは感情社会学や認知療法、トランスパーソナル心理学などで試みられているものである。つまり感情というのは言葉や思考から生まれるもので、それを書き替えたり、消せばいいというものである。
この本は自立しようとした女性が、これまで女性たちを縛りつけてきた旧来の恐れや不安に気づくという本である。そして自分の感情というのは、頭で考えていることと違う恐れをもよわせたりして、社会的な監獄や統制装置でもあることに気づく話でもある。オー、恐ろしや〜。
深川英雄『キャッチフレーズの戦後史』 岩波新書 91/11. 620e(古本)
戦後の広告史であるが、なぜだかばっと読み飛ばしてしまう本である。印象やひっかかりがちょっと弱い。
むりになにかを書こうとすれば、昭和44年ころから高度成長に陰りが見え始め、「モーレツからビューティフル」や「せまい日本 そんなに急いで どこへ行く」など人間らしさやゆとりを志向する転換期にさしかかったのだが、日本はこのことからてんで進歩していないぞ怒!
立石洋一『インターネット「印税」生活入門』 メディア・ファクトリー 00/2. 950e(古本)
ブックオフで百円だったから買った。(古本をぴかぴかにする洗浄液がワタシもほしい)
この人は「SUNDAYNIGHT
REMOVERS 前橋梨乃のTV小説」というHPで女装をテーマにした小説を五百円で売り、出版時までに250万円の売り上げをあげたそうである。
この本で書かれている読者の立場を考えて文章を書けというのはためになった。文章は人に読まれるためにあるという発想はさすがである。私は読者を想定するというのがニガテである。自分がおもしろかったら人もおもしろいんではないかというカンくらいしか働かすことができない。(自分と同じ価値観、趣味の人はいないかもしれないのだが)
私もネットで印税生活の夢はずっと憧れているのだが(切実なる願いにもなりそーだが)、まあ、しばらくは謙虚にやってゆこうとは思っている。(恵んでやるという方はいませんか。。。)
現在、著者はCD-ROMで全集版を出している。そうか、そういう手もあったのか。たしかCD-ROMはふつうのパソコンでもつくれるんだったな。でも私のエッセイの愛蔵版がほしいというキトクな方はおるんかいな。
岩佐陽一『なつかしのTV青春アルバム!――VOL.3 清貧編』 芸文社 97/10. 1500e
子どものころに観たアニメや特撮を社会学的に分析した本を探していたのだが、なかなか見つからず、とりあえずはこのTVアルバムは資料的にうれしい。
この巻では「清貧」をテーマになつかしのTV番組が集められていて、それもありがたい。「ビンボー!」といえば、『あしたのジョー』(69年)であり、『巨人の星』(69年)であり、『おしん』(81年)、『タイガーマスク』(69年)、『俺たちの旅』(75年)、『俺たちの朝』(76年)、『新ゲゲゲの鬼太郎』(71年)である。
TVに出てくるヒーローや主人公はなにかしら貧乏であったり、貧乏のカゲをひきずっていたり、あるいは貧乏をバネや恨みにしてのしあがったりする。貧乏はずっと背景であり、あるいはテーマや主役でもあり、またはエネルギー源でもあった。
いまではすっかり姿を消して、TVは軽薄とシリアスさのない世界ばかりになった。そして社会は目標と方向を失ってしまい、虚無感と閉塞感だけが漂っている。貧乏は絶対に脱け出さなければならない何かであったのか、豊かな空しい現代から改めて考えてみなければならないと思う。
岩佐陽一『なつかしのTV青春アルバム!――慟哭編』 芸文社 97/1. 1545e(古本)
いぜんなつかしのTV番組を見るというスペシャルをたくさんやっていたけど、最近はすっかり見かけなくなった。「わー、なつかしー」だけで終わってしまったからだろうか。この本はそのころの派生本なのだろうか。
この本は「泣く!」というテーマで、『フランダースの犬』、『赤いシリーズ』、『タイガーマスク』、『デビルマン』、『銀河鉄道999』などがとりあげられている。なつかしさで泣く〜というワケか。
岩佐陽一『なつかしのTV青春アルバム! VOL.2 闘魂編』 芸文社 97/6. 1500e(古本)
この本のテーマは「燃える!」である。『木枯らし紋次郎』『スペクトルマン』『俺たちの旅』『ゆうひが丘の総理大臣』『バビル2世』『新造人間キャシーン』に燃える〜!というワケである。
著者は私と同じ67年生まれだが(33才)、なんだかまだアニメ・怪獣オタクをやっているみたいだ。子どものころの楽しかったことを大人になっても固着できるのは偉大なことなのか、それともやっぱりちょっとヤバイーのかな。。。
⇒今回の書評は一日仕事になってしまった。はあ〜、チカレタ〜。
ご意見ご感想お待ちしております! ues@leo.interq.or.jp
2000年冬の書評「戦争論―自然風景」
|TOP|断想集|書評集|プロフィール|リンク|
|