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▼テーマは物語読解 

 



2001年春の書評
物語を読む―童話心理学ほか



                             ▼2001/3/26更新分





                             

▼2001/2/27.



 山中康裕他『シネマのなかの臨床心理学』 有斐閣ブックス 99/11. 1900e

 この本では成長や家族、無意識というテーマで、『マイ・ガール』『イージーライダー』『八月の鯨』『エデンの東』『恋愛小説家』『ショーシャンクの空』などがとりあげられている。

 たいして感銘をうけなかったが、『ぼくの美しい人だから』(90年アメリカ)のアニマ・アニムスにはひきつけられた。人が男性の役割に完全に同一化してしまうと、削ぎ落としてきた内なる女性性にむしょうに魅きつけられるという話である。この統合の過程をユング心理学で「個性化」というが、このことをもっと知りたくなった。でもユング関係の本って絞ったテーマにぴったりの本もないし、神話に飛び過ぎだ。




 筈見有弘『映画で見る20世紀 1900〜2000』 朝日ソノラマ 95/4. 2000e(古本)

 20世紀の映画年表史である。映画の写真がふんだんにとりいれられているので、見ているだけで楽しめる。20世紀の歴史も映画が題材となれば、ぐっと身近なものに感じられる。ただこの一冊だけでは、20世紀の深い洞察は得られなかった。




 藤井淑禎『純愛の青春誌―昭和三十年代の青春を読む』 新潮選書 94/6. 1000e(古本)

 昭和三十年代といえば両親の青春の時期であり、石川達三とか石坂洋次郎とか、マジメそうな時代になんとなく興味は魅かれていたので読んでみた。

 この本では昭和三十年代に流行った『愛と死をみつめて』や人生論、石坂洋次郎、『忍ぶ川』などがとりあげられているが、たいしておもしろくなかった。




 藤本由香里『私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち』 学陽書房 98/3. 1600e

 少女マンガを分析するこのような優れた本はもっとたくさん出てほしいものだ。マンガを分析するということは、知らず知らずのうちに刷り込まれた原イメージをもういちど捉え直すということである。私たちは思いのほか子供マンガのくびきにかけられている。

 少女マンガの根本的なテーマは自己否定されている自分を、ほかのだれか(好きな男)に肯定されて居場所が与えられることだそうである。女性は自己否定を両親から与えられ、男によって補完しなければならないわけだ。

 ドジでマヌケな私だけど、「そんな君が好き」と乙女チックマンガはいってきた。男に愛されてしか存在の肯定を得られない女性はたしかに苦しい生き方だ。「人ひとりが完全であるために、他の人間をこれほど欲さなければならないというのはどういうことだ。わたしという人間はそれほどまで欠落した部分を持って生まれたのか」

 少女マンガはこの闘いや克服をこれからもくりひろげてゆくことだろう。




 『このアニメがすごい!』 別冊宝島 97/1. 1000e(古本)

 アニメを心理学的、学術的に捉えた本というのはまだあまり出ていないみたいだ。大マジメにアニメを「なにを語っていたのか」と分析してもおかしくはないと思うんだけど、その試みは必要だと思うけど、まだ時期は早いのだろうか。




 河合隼雄『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』 講談社+α文庫 77/10. 854e

 童話分析ってこんなにおもしろいものなのかと思わせた本だった。童話を心理学的に分析、意味を解明するのは感嘆するほどあざやかである。童話とはこんなことをいっていたのかと改めて思い知らされる鋭い分析である。

 童話というのはユング派の心理学的解釈によると、心理的な自立とか成長とか、無意識の統合などをあつかっているようである。異界とか他界というのは無意識の世界であるというのはなるほどである。こういうふうに解釈するものなのかと納得。

 この本では『トルーデさん』『ヘンゼルとグレーテル』『ものぐさ三人むすこ』『二人兄弟』『いばら姫』『忠臣ヨハネス』『三羽の鳥の羽』などがとりあげられている。これらの物語を読む進むうちに人間の心の成長に必要なものがなんなのか改めて思い知らされた。




 森省二 氏原寛編『名作童話の深層』 創元社 89/5. 1600e(古本)

 この本では『白雪姫』『銀河鉄道の夜』『イワンのばか』『かぐや姫』『オズの魔法使い』『人魚姫』『幸福な王子』などポピュラーな童話がとりあげられていて、オトクな一冊である。

 忘れていたり、知らなかった童話のストーリーにもういちど触れられるのはオトナになってもけっこうウレシイものである。『幸福な王子』は泣けた。

 ところで童話や子供マンガに出てくる悪魔や悪というのは自分の内なる悪を志向する力のようである。だから私たちは悪を徹底的にやっつけなければならなかったわけだ。ただこんどはそれを自分の内なる心だと統合しなければならない時期がやってくる。それを外側の他人や嫌いな人に投影ばかりしていると心の成長は見込めない。




 山中康裕『絵本と童話のユング心理学』  ちくま学芸文庫 86/8. 950e(古本)

 佐野洋子の『100万回生きたねこ』は思わず泣けてくる傑作だった。100万回も生きたことを自慢するねこがそんなことをなんとも思わないめすの白ねこと出会って、彼女の死をきっかけに最期に死んでしまう話である。

 この本では絵本と童話のさし絵もたくさん載せられていて、それをながめるのも楽しい。童話によくある「なまけ」の話も読む価値あり。できないことがあったのなら外界ばかり見るのではなく、内界にも目を向け、力を得てくるという発想が必要というわけである。

 『アモールとプシケー』の話もあざやかである。住居や食べ物はふんだんにあるが、夫や召し使いの姿はいっさい見えない女性が、その禁を破って夫の姿を見てしまい、そこから試練がはじまる。

 これが象徴しているのは現状に満足してれば幸福であるのだが、意識の光が届くとその幸せはたちまち失われてしまうということである。疑問や懐疑の光を当てるのは賢明である一面、かならずしも幸福ではないのかもしれない。




 林道義『心のしくみを探る ユング心理学入門U』 PHP新書 01/1. 660e

 アニマ・アニムス、自我と影ということを知りたかったので読んだ。いぜんも影に興味をもって探ろうとしたけど、この本を読んでも自分の中の影やアニマといったものを実感することはどうもできなかった。

 影については、他人に見えるいやなところや不快なところというのは、ぜんぶ自分の影の投影と見なしてもよいのだろうか。だとしたら自分の悪として切り離した影はもういちど自分のものとしてとり戻される必要があるようである。

 攻撃や怒りを他人に投影してしまうと、他人や世間からいつも攻撃をうけているように感じるようになるそうだ。じつはそれは自分の怒りや攻撃なのであり、自分の心であるというワケである。他人や世間に感じることは自分の「ソト」ではなく、「ウチ」なのである。




 M.L.フォン・フランツ『永遠の少年 『星の王子さま』の深層』 紀伊國屋書店 1970. 2500e(古本)

 童話の分析を読んでいると、私の心はちゃんと成長をとげているのかといささか不安になる。私は一ヶ所にしばられるのが心底恐ろしいし、会社人間みたいに世界をせばめられるのがいやだし、女性にも束縛されたくないし、人生を生きているとはいえないかもしれない。なんだか典型的な永遠の少年なのだろうか。

 だからこの著者フォン・フランツがサン=テグジュペリと永遠の少年を手厳しく批判するのが少し気に食わなかったのだろうか。哲学するのも母親コンプレックスから逃れるためだそうだが、行動しないがゆえに母親のワナだという。

 フォン・フランツは「勇気を出して誤った内面の偉大さを切り捨てたなら、それは前よりも意味のある形で育ってくるのだ。生活も人格の地平線も狭められるどころか逆に拡大される」といっている。そういうものなんかなあ〜。。。




 田嶋陽子『ヒロインは、なぜ殺されるのか』 講談社+α文庫 91/11. 880e(古本)

 「男の言うことを聞かないで゛出て行け!″って言われたら、食えなくなりますから、怖いですよね。女は、仕事に就ける状況になくて、赤ん坊と同じで、養ってもらわなければ生きていけないとしたら、男に可愛がられる女になることが生存していくための条件になるわけです」

 たしかにこういう生き方は苦しく、不安が大きく、愛なんて危うい感情にぶらさがるなんて大変なことだと思う。人の恩情にすがる生き方なんてやっぱり私ならできない。こういう立場におかれた女性の危うさや成長をとざされた生き方というものが、この本にとりあげられたいくつかの映画から直に感じられた。

 紹介されている映画は、『ベティ・ブルー』『秋のソナタ』『女優フランシス』『愛と追憶の日々』『存在の耐えられない軽さ』などである。とくに『存在の耐えられない軽さ』は依存と自立の男女の関係があざやかに描かれていて、考えさせられた。




 河合隼雄『ファンタジーを読む』 講談社+α文庫 91/8. 854e

 この本は残念ながらストーリー紹介がほとんどで、心理的分析がいまいち弱かったせいか、ほぼ感銘するところはなかった。印象的なファンタジーの作品は多かったかもしれないが、それ以上のものではなかった。




 森義信『メルヘンの深層 歴史が解く童話の謎』 講談社現代新書 95/2. 650e(古本)

 心理学者の童話解釈はたしかに興味の魅かれるものだが、制度史・社会史からの解釈のほうがもっともだという気もする。この本は心理学解釈に加えて、歴史の観点からの解釈もなされていて、内容の濃いものとなっている。

 心理学解釈は埋もれている真実をつきつけられた斬新さがあるが、なんだかきてれつで突飛な気もしないでもない。歴史とか社会からの解釈のほうがしっくりとくる気もする。

 童話には財産の略奪や差別の正当化といった物語もけっこうある。鬼や悪魔だから殺害や略奪が正当化されるといったものである。この本はそういう点からも光をあてていて、なんだかより実状に近い気がする。社会はいつでも自分たちの国が「正義」で、「正しい側ゆえに侵す権利がある」と子どもに教えてきたのものである。




                             

▼2001/3/26.





 M.L.フォン・フランツ『おとぎ話の心理学』 創元社 ユング心理学選書@ 1970. 1500e(古本)

 フォン・フランツはユング派の童話の心理学解釈の第一人者ということで読んだが、神話とか象徴とかの話があまりにも多く出すぎて、あまりわかりよい本ではなかった。




 森省二『アンデルセン童話の深層』 創元社 88/5. 1300e(古本)

 童話の心理学解釈のおもしろいところは、童話のいっていることが心理学的に説明されながら、もういちど童話の物語に触れられることである。童話ってタイトルとかだいたいの話を知っていても、くわしい内容まで知っていることは少ない。なるほど、こういう心理学的意味が込められていたのかと知ることは新たな驚きと楽しみである。

 この本では『マッチ売りの少女』『赤い靴』『おやゆび姫』『みにくいアヒルの子』『はだかの王様』等の心理学的解釈がほどこされている。ちなみにアンデルセンはペローやグリムとちがって創作童話であり、個人の心理分析もおこなわれている。




 鈴木晶『グリム童話 メルヘンの深層』 講談社現代新書 91/1. 600e(古本)

 この本では出版時のグリム兄弟の経済状況や、プロップの昔話の形態学、心理学的解釈、グリム兄弟はだれから民話を聞いたか、書き替えなかったかという、いろいろな説が検証されている。




 松居友『昔話とこころの自立』 洋泉社 99/10. 1700e(古本) 

 童話の心理学的解釈でこれほどわかりやすい本はない。ユング派の解釈などとか読んでいるとだいぶ頭がこんがらがってくるけど、この著者のように「自立」というキーワードで読みとけば、ひじょうに話がわかりやすくなる。

 『三びきのこぶた』も『ヘンゼルとグレーテル』も、『三枚のお札』『白雪姫』もいずれも自立をしようとする子どもと、それを阻もうとする親との自立の闘いの話である。鬼や狼、魔女や鬼婆とあわされるものは、子ども自身の自立を阻もうとする気持ち、破壊的な感情が形をとったものだといえる。また子どもの自立をいつまでも阻もうとする親の心でもある。

 そういうふうに読めば『三枚のお札』の鬼婆は子どもの自立をいつまでも阻もうとする恐ろしい母親にほかならないし、『白雪姫』の継母は若さを娘に奪われてゆくじつの母親の嫉妬にほかならないということだ。昔話にこんな親への自立の警告が込められていたなんて思いもしなかったし、自分の家庭もかえりみずにはいられなかった。





 ブルーノ・ベッテルハイム『昔話の魔力』 評論社 76. 2200e(古本) 

 昔話の心理学的解釈の古典とか金字塔とかよばれるように、たしかにすばらしい本だ。400ページの二段組のぶあつい本だが、一行一行に深い、含蓄のある言葉が込められていて、まったく長さや倦みを感じさせない。

 昔話の意味や効用が説かれたあと、だんだんと物語解釈へと入ってゆく。現代の児童文学は衝動や荒々しい感情の葛藤の存在をまったく否定するため、子どもはそういったものをどうあつかったらいいかわからない。昔話はそういった葛藤が自分だけのものではないことの安心を知り、解決する方法も教えてくれるというわけだ。

 物語の解釈をしながら、子どもの心がどんなものだったか、どのような成長を経なければならないのかといった心の世界が、驚くほどの豊穣さと細かさをもって語られている。すぐれた物語解釈でありながら、子どもの心の内的世界の百科全書のようなものになっている。

 私はフロイトのエディプス・コンプレックスとか性的解釈にほんまかいなという気持ちを抱いていたが、この本ではじつに納得できるかたちでそれが呈示されている。『シンデレラ』の姉妹間の競争意識は親の愛や評価がその火付け役になっているのはよくわかるし、昔話によくある動物の花婿が人間の王子に変わるのは花嫁の性的抑圧がとけたからだという解釈はひじょうによく納得できた。とにかくびっしりと内容の濃い名著だ。




 イーリング・フェッチャー『だれが、いばら姫を起こしたのか グリム童話をひっかきまわす』 ちくま文庫 72. 660e(古本)

 著者は西ドイツのマルクス主義者である。したがって心理学解釈と異なったおもしろい童話の社会経済的解釈がおこなわれている。心理学者の解釈なら心理学的用語でまぶされていたものが、まったくちがった経済的用語で解釈されるのは爽快でもある。必要ならそういう角度からも解釈されるべきだろうし、この本では文献学、心理学からの解釈もおこなわれていて、いろいろな光の当て方はほんとうに必要だと思った。





 桜井徳太郎『昔話の民俗学』 講談社学術文庫 57/3. 874e

 ヨーロッパの童話ばかり読んでいるととうぜん日本の昔話も読みたくなる。この本では異郷譚、小子譚、遊魂譚などの分類のもと、昔話があつめられている。日本にも『シンデレラ』とよく似た継子いじめの話があったとはびっくりだ。また日本の昔話の特質として、じいちゃんとばあちゃんがよく出てくる。

 まあ、この本には心理学解釈のようなおもしろさは求められないかもしれないが、少なくとも日本の昔話に触れられることができる。




 河合隼雄『昔話と日本人の心』 岩波書店 82/2. 2000e(古本)

 これはややこしい。物語を読み込むというよりか、日本文化論、日本の自我のありようを分析したり、西洋文化との比較論であったりして、試みは壮大かもしれないが、私としては単純に物語の読み方を教えてほしかった気がする。

 異類の嫁さんの正体がばれて去ってゆく話とか、『浦島太郎』のような異郷譚はなにを意味するのか、どんなメッセージなのかを知りたいと思ったのだが、なんだか私には要領が得ない。

 ユング派というのは、英雄の怪物退治をフロイト派の父親殺し=エディプス・コンプレックスと解釈するのではなく、自我を呑み込む太母との戦い、無意識や社会文化的規範からの自我の自立を意味するのだと解釈するようである。私には人物を自我や無意識、自然との関係で捉えるということがどうも難しい。人物の輪郭を失ったスープのような世界観をイメージすればいいのかな。




 ロバート・ダーントン『猫の大虐殺』 岩波書店同時代ライブラリー
        84. 850e(古本)

 ヘンなタイトルなので印象はあったが、童話の歴史学的解釈の有名な本と知って、古本屋を探し回る羽目になるとは思ってもみなかった。

 所収の「農民は民話をとおして告げ口する」は心理学者の童話解釈の歴史無視を批判しながら、当時の歴史状況が残酷な童話そのものであったことをうきぼりにしている。人生とは死との過酷な戦いだったのである。民話はそういった無慈悲な世の中からは無慈悲な人生しか期待し得ないことを人々に教えたのである。

 「猫の大虐殺」はじっさいの印刷工場でおこった、印刷工たちの親方にたいする象徴的な憎悪の表明方法であったという話で、なかなかおもしろい。




 アンソニー・ストー『人格の成熟』 岩波書店同時代ライブラリー 60. 850e(古本)

 童話は心理的成長を語っている。だからもっと明確な心理的知見を知りたいと思ってこの人格の成熟についての本を読んだ。興味ある「投影」についての話があったり、人との関係の成熟が心の成熟であるということや、それなりに重要な指摘や文章にあふれているのだが、成長の目標やゴールが私にはよく見えなかった。




 マリア・タタール『グリム童話 その隠されたメッセージ』  新曜社 87. 2884e(古本)

 さまざまな学者による解釈の戦場と化した童話解釈の総合化・審判のような本である。さまざまな学説を聞いていたら混乱することまちがいなしだし、錯乱を正してくれるような比較書はぜひとも必要だと思うのだが、でも解釈者の数と見方ぶんだけ現実があるという知見のほうがもっと大事に思える。

 この本のなかではおとぎ話に出てくる主人公たちの法則とかパターンを抽出する章がおもしろい。つらい目に会う者と探しに行く者が大方を占め、そして貧乏人や弱い立場、崩壊家庭から、金持ちや王家、新家族へと「ふたつの世界を旅する旅人」となる。

 おとぎ話ではいちばん出世しそうにもない者がいちばん出世したり、財産をすべて失って喜ぶアンチヒーローが出てきたり、いかに女性が家事労働から逃れるかといった話もあったりして、おとぎ話は順応的なイデオロギーのみを説いたわけではなかった。

 娘に嫉妬する継母の話の裏には、近親相姦的な父親の存在があり、だからこそ母親の異常な嫉妬がはじまるのであり、それをあからさまにした物語が削り去られていった経緯もなかなか興味深い。グリムは性的な話は徹底的に削除し、暴力的な場面はかれの検閲をとおりすぎたようである。

 この本はさまざまな学者の解釈によって暗い森でさまよったときにはうってつけの本であり、一筋の光となることだろう。いろいろな解釈をそそぎこまれるとほんとに混乱するが、私としてはユング派の解釈はいまいち頭で理解できなく、松居友とブルーノ・ベッテルハイムのフロイト派の解釈がいちばんしっくりときたし、「好み」でもある。




 マックス・リューティ『昔話の本質』 ちくま学芸文庫 62. 940e(古本)

 昔話の特徴や本質が、心理学的な偏りをもたずに語られている。たとえば昔話では心の中はかたちやモノとして現れる、人間の発展や成熟にはかならず一種の死が必要になる、人間は自己を超え、最高のものに到達できる存在であると昔話は語っているなど。安定した解釈を楽しめる。




 桜澤麻伊『グリム童話99の謎 童話ってホントは残酷第2弾』 ニ見書房 99/4. 533e(古本)

 どこかの本に書かれていることばかりが集められているが、まあ頭を整理できるし、より多くの話に触れられる。

 ところで昔話の解釈はここらへんで終わりにしたいと思う。まだまだいくらでも読めるかもしれないが、これ以上読んでもあまり得ることが多くないような気がするからだ。物語の法則や方程式をみちびく技術はとてもおもしろいが、それは物語秩序の内部でしかない。





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 2001年冬の書評「サブカルチャー分析―マンガ論―映画論」

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『絵本と童話のユング心理学』 山中康裕 ちくま学芸文庫













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『メルヘンの深層』 森義信 講談社現代新書



























『アンデルセン童話の深層』 森省二 ちくま学芸文庫
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グリム童話―メルヘンの深層





『昔話とこころの自立』 松居友 洋泉社

















『昔話の魔力』 ブルーノ・ベッテルハイム 評論社



















『だれが、いばら姫を起こしたのか』 フェッチャー ちくま文庫










昔話の民俗学










『昔話と日本人の心』 河合隼雄 岩波現代文庫













『猫の大虐殺』 ダーントン 同時代ライブラリー









人格の成熟












『グリム童話』 マリア・タタール 新曜社

























『昔話の本質』 リューティ ちくま学芸文庫






グリム童話99の謎―童話ってホントは残酷〈第2弾〉

   
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