97年秋冬から01年初春までの私の超オススメ本をセレクト。
手放しで賞賛できるすばらしい本ばかりです。
「社会・経済篇」もよろしく。
2001/2/8
野田知佑『旅へ 新・放浪記1』 文春文庫 95/10. 600e
『旅へ』はバックパッカーやフリーター、プータローとして生きる人たちの「バイブル」になりえる本だと思う。カヌーイスト野田知佑の自伝的著作である。就職を拒んだ野田青年の憤りやみじめさが現われていて、私としてはとてつもなく共感し、感動した著作である。
「大人たちはたいていぼくの顔を見ると、「早く就職してマジメになれ」と説教した。馬鹿メ、とぼくは心から彼らを軽蔑した。マジメに生きたいと思っているから就職しないで頑張っているのではないか。不マジメならいい加減に妥協してとっくにそのあたりの会社に就職している」
「あの下らない、愚かしい大人たちのいう「人生」とかいうものに食われて堪るか。俺はあいつらのすすめる退屈な、どんよりと淀んだ人生には決して入らないぞ。そんな反抗心だけが唯一の支えである。――あの俗世にまみれた、手垢だらけの志の低い輩ども。俺を非難し、白い目で見、得意な顔をして説教を垂れた馬鹿な大人たち。俺はただ「自由」でいたかっただけなのだ」
「ヨーロッパはいいぜ。あそこは大人の国だから、君がどんな生き方をしても、文句はいわない」 日本で会ったアメリカのヒッピーの青年がいった言葉が、外国に出るきっかけになったのだ」
「北欧の人たちは「青年期とは滅茶苦茶な、狂乱の時期である」ことを判っているようだった。――「俺も若い時に世界を放浪したよ。そうやってもがいているうちに自分にぴったりの穴の中に落ちつくものだ。グッドラック」
岡野守也『唯識のすすめ 仏教の深層心理学入門』 NHKライブラリー 98/10. 1120e
トランスパーソナル心理学をやっている著者のことだけあって、説明は現代的でひじょうにわかりやすく、とても興味のひかれるものだった。仏教案内としては出色である。
とくにつながり合い、融け合った世界観にはひじょうに興味をもった。われわれはふだん私がいて他人がいて、モノがあってというふうに物事をばらばらに見ているわけだが、ほんとうは分離も分断もできない世界が「ひとつながり」にあるだけであるという。
動植物の生態系はもちろんのこと、外界にあると思われている世界も心を離れてあるわけではないし、世界や環境のない心もありえないので、すべては「ひとつ」であり、「つながっている」といえる。
しかしひとつに融け合った世界というのを実感するのはひじょうにむずかしい。やっぱりどうしても私は私、外界は外界というふうにばらばらに分けて見てしまうものである。う〜ん、ひとつながりの世界を実感した〜い。
小此木啓吾『秘密の心理』 講談社現代新書 86/4. 550e
なぜ小此木啓吾が秘密について考えているのかなと思ったけど、秘密や隠し事をもつということは自己意識をうみだしたり、自己と他者の境界線、延長して内輪とよそ者の境界線をひく役割をもつ、かなり重要なものであるということがこの本によってわかった。
また自己の確立ができないと、自分の考えやにおい、不安などがもれてしまうという「自我境界喪失」におちいるそうである。だから隠しておく限り他人には知られないという確信をもつことが必要であり、自己の確立もそれによってできあがるということだ。
この本を読んでがぜん秘密や隠すということに興味をもった。人間はさまざまなものを隠している。隠すことによって快楽や陶酔が生まれている場合もあるし、原初には世界に区切りや境界を設けるはたらきをなしたかもしれないのだ。
隠すことと羞恥というのは後天的で人工的なものかもしれない。それをめぐって人は暴露と隠蔽というとりひきやゲームに快楽や熱中を生み出すことになる。ううむ、たしかに「秘密」「隠す」ということは深い。根源的なものだ。
榎本博明『<私>の心理学的探究 物語としての自己の視点から』 有斐閣 99/9. 1600e
私とは何か。私とは「物語」であると捉えた視点はとてもよかった。いま目にみえる身体や光景、地位や役割、特徴をいくら並べたところで私は見えてこないからだ。
この本では記憶や想起がどんなにゆがめられているか、過去の想起は現在の視点であるといったことがのべられていて、驚きとともにひじょうに参考になった。
著者は自分は物語であるから危機のさいにはその書き替えができる、カウンセリングとして役に立つというようなことをいっていたが、「私」というのは「虚構」であるという認識とすれすれのところにいるのだが、そういう方面には進もうとしないみたいである。
私は、自己や過去とは「虚構の物語」である、だからその「実体化」をやめて「捨ててもよい」という読み方ばかりしていた。
可藤豊文『瞑想の心理学 大乗起信論の理論と実践』 法蔵館 00/5. 2400e
『大乗起信論』は「この世界はわれわれの心がつくりだした虚妄の世界」であり、「心を見なければ世界は消える」というひじょうに信じがたいナゾをつげた書であり、だからたまらなく理解したいと思う書である。
その『起信論』を解説したこの本は東西神秘思想を研究した著者のことだけあって、仏教的専門用語でなく、わかりやすく、論理的に説明しているので、とても理解しやすかった。すばらしい本であるといいたい。
心は心がつくりだした虚妄の世界を見て、分別し、愛着することによって苦悩しているが、じつはこれは自分の心が自分の心を追い回しているだけという。また視界や外界は自分の肉体と別に存在しているように思えるが、じつはそれは同じひとつの心であると実感することはとても大事なのだろう。
ほかに肉体は真の自己ではないといったことや、「私」は怒りや悲しみを制御しようとしたり、無心になったりしようとするが、これは一つの心が二つに分裂しているだけだという指摘にはたいへんうるところがあった。
われわれが見たり、体験したりするこの世界はすべて自分の心「そのもの」であることを理解し、実感すること、心を離れて世界は存在しないこと、このことを知ることはきわめて重要である。
森真一『自己コントロールの檻 感情マネジメント社会の現実』 講談社選書メチエ 2000/2. 1500e
げんざいの心理主義化してゆく社会を批判的に考察した書で、わたしはかなりうちのめされた。関連書や参考文献をたくさん読みたくなったひさびさのヒット作である。
心理主義化してゆく状況をフーコー的な権力・自己監視の視点で読みとくというのは驚いた。心理学というのはかならずしも人を救済させる知恵だけではなく、権力のよそおいももっていることを思い知らしめた。これからもこういう視線で心理学を捉えるということもたえず必要だと思った。
ほかのキーワードは「人格崇拝」と「合理化(マクドナルド化)」である。この社会は個人の宗教化と聖なる自己の高度化・厳格化がおこっており、この規範が厳しくなっているために「キレる」若者が増えているということである。合理化は社会や組織の段階から、個人の心理・内面化へとうつりかわっているということだ。
この本はほんとうにわたしに衝撃を与えた。心理学や自己啓発を批判的に捉えるという視線はほとんど欠落していたからだ。だけど心理学や犯罪報道などの心理還元主義や内罰化には迷惑や憤りを感じていたので、この方面からの批判はぜひとも必要だと思った。問題は個人の心や人格だけにあるのではなく、やはり社会矛盾や社会状況からひきおこされていると考えるほうが妥当だからだ。
心理学が強くなっている時代というのは、政治や社会、経済の変革能力がまったく欠如している証拠である。現状維持と適応と順応だけが絶対化される時代である。哀れな現代人は自己の内面を責め、攻撃し、変革するしかないというわけだ。
横森理香『恋愛は少女マンガで教わった』 集英社文庫 96/7. 457e
たぶん男のわたしも少女マンガの影響をいくらか受けていると思う。アニメの『キャンディキャンディ』に熱中したり、アネキのマンガを読んだりして、少女マンガ風の一途な恋愛感情といったものを知らず知らずのうちに刷り込まれていたと思う。
ゲンジツを知ったオトナの目から見ると少女マンガは恋愛のカンチガイと誇大妄想の宝庫である。著者はそのブッとび具合を見事に解説してくれて、この本はとてもおもしろい。
カンチガイと誇大妄想はときには恐ろしくなる。自分にはすばらしい才能が眠っていて、それをコーチが発掘するという物語は『エースをねらえ!』などにあって少女はダイスキなわけだが、自分はこれだけの人間ではないという想いはこんなところで植えつけられたのかもしれない。
少女マンガというのは女のエゴイズムと全能感をどこまでも満たす空想である。エゴがどこまでも満たされるひじょ〜に自分の都合だけが通る空恐ろしくなるくらいの物語りである。オトコはたえず二人が愛してくれて片一方がダメだったらもう一方に落ち着いたり、努力しなくても足長おじさんのような存在が助けてくれるといったタナからボタもち的物語りが満載されているというわけだ。でもそのなかにはひじょうに深い人生観とか恋愛洞察とかがつめこまれていると著者はいっている。
エゴと自己都合だけが通るマンガはたしかにとても楽しくて満足するものである。でもゲンジツというのは、たいがいその逆であり、またどちらでもなく、こういうカンチガイの刷り込みはよいことなのか、よくないことなのかちょっと考えさせられた。
どこまでも満足できない人間をつくりだしたとするのなら、やはり不幸なことだろう。エゴと自己都合が通る認識をつくってしまうと、たいがいのゲンジツはガマンならなくなってしまう。刷り込まれたエゴに振り回されているのに気づかない結果になってしまうかもしれない。でも人はずっと昔から自分の思い通りになるマンガや空想が大好きなのである。
櫻木健古『捨てて強くなる ひらき直りの人生論』 ワニ文庫 81. 380円(古本)
ひまつぶし程度に読んだら驚くほどの名著だった。馬鹿になることによって「こだわり」や人間の相対的な序列とか価値観を超えるという本だった。愚かになり、無価値や無意味に生きれば、つまらない価値序列にこだわらなくてよいというひじょうに達観した人生観には驚いた。そうか、こういう価値観を脱け出すことが悟りという境地なのかもと心高鳴った。
人間の世評でいう優れた人、エライ人、または劣った、落ちぶれた人という基準やモノサシに喜んだり、悩んだりしているうちは、まだまだほんとうの自尊心をもつことができないのだろうな。「大愚」と称した良寛の生き方のよさがはじめてわかった。
トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』 岩波文庫 1472. 570円
清らかな心を望みたくなったら、キリスト教の聖的なことばが心に染みる。清らかな言葉、聖なる言葉、へりくだった言葉――そういったキリスト教的言説の文体・字面は現代人にはちょっとコッ恥ずかしいが、ここに心の浄化があるのだろう。
この著者、本のことについてあまり知らずに読んでみると、どうもこの本は一般的な人生訓、処世術を説いていて、ひじょうに生き方の糧になる。
あまりにもよいことば、人生訓があったので、この本は気に入った箇所の赤ラインと上方の折り込みでいっぱいになった。
この本の要点を、世のはかなさ、苦悩の比較、人間関係、自己否定にエッセーとしてまとめましたので、興味のある方は読んでみてください。――「認知療法として読むトマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』」
『老子 荘子』 中公バックス 世界の名著 1500円
老子は短いので気軽に読めるが、荘子はなかなか気負いがいる。
よいことば、役に立つ人生訓がたくさんあり、荘子の世界にどっぷり浸かれる。対立差別のない万物斉同の世界、不立文字、無為自然――と安らかで運命に任せようという気持ちになれる。
ところで荘子の書でありながら、孔子やいろいろな人が出てくるのは、やはり後世のいろいろな人の説がごちゃまぜにされているわけだな。
洪自誠『菜根譚』 岩波文庫 16世紀末 660円
達観し過ぎているすごい人生の知恵の書である。中国人の人生訓というのはかなわないなと思う。西洋人の人生論でこのような名著に出会ったことはない。
結果や結末から心の働きや人々の行いの過ちを伝えている。人生から一歩退いて客観的にながめるさまはさすがに達観している。まだ読んでおられない方にはぜひお勧めしたい一冊である。
現代人に必要な言葉を引用します。「財産の多い者は莫大な損をしやすい。だから金持ちより貧乏人の方が、失う心配もなくてよいことがわかる。また地位の高い者は、つまずき倒れやすい。だから身分の高い者よりは身分のない庶民の方が、いつも安心していられてよいことがわかる」
『陶淵明全集』 岩波文庫 (365年〜427年没) 上下各500円
前に読んだ『中国の隠遁思想』のなかに陶淵明という人物が触れられていたから、書店でぱらぱらとめくってみたら、とても心が和らぎ、読後感がいい。
諦観であったり、脱俗であったり、安らかな自然や心境を詠ったり、ささいでほんわかとした日常の幸福をうたっていたり、ときには後悔や悲嘆を正直に吐露して、ひじょうに心地よい詩である。隠遁と世俗を否定した生き方が魅力的なんだろうな。
隠遁と心の平穏について考えてみました。「陶淵明の隠遁と脱俗について思う」
藤原新也『全東洋街道』 集英社文庫 82/11. 上下各714円
壮絶で、すさまじい、と形容するしかない全東洋旅行記と写真集。
アンカラの娼婦たちの写真、人界からまったく断ったチベット寺院への、夢物語のようなエピソード、ビルマを境にするアジアの鉱物世界と植物世界の対比、人を見ず物だけを見る中国人など、人々の生きざま、生きるということ、アジア世界の風景景色がなまなましく伝わってくる秀逸した写真集だ。
藤原新也の写真集と文章というのはかっこよくて詩的なんだな。生きざまをダイレクトに捉えた写真があるからなおさらなまなましい。旅行記は文章だけではやはり想像力が補えない、やはり写真がないと光景や人物はダイレクトではなく、興味が乏しくなる。
藤原新也『印度放浪』 朝日文芸文庫 93/6. 1000円
ざらざらした材質のカバー、三冊分はある分厚さ、インドの猥雑で壮絶な写真、とてもいい感じで異郷に赴いた風になる写真集である。
インド人というのは、人間の生きざまというのを如実に現していて、すさまじい。日本のように生も病も死もすべて施設に隠され、人生そのものまでもが郊外住宅地のように理路整然と整理されたうら寒い国とは大違いだ。
聖も俗もごっちゃにされ、人間の生きざまが赤裸々にさらされたインドの風貌を、印象深い旅行記とともに、この写真集は伝えている。
『シレジウス瞑想詩集』 岩波文庫 1675 上下各520円
世俗のことばかりに埋もれていたら、清らかな心をのぞみたくなる。シレジウスは17世紀の神秘主義的宗教詩人で、2行詩のこの本は読みやすい。
神を信じなくとも、この本は心のテクニックをいろいろ教えてくれる。望みや思いを捨てることによって、神の国に入れるようだ。
だがわれわれの社会は欲望をあおることによってしか経済は回らない。欲望は苦しみしかもたらさないことを知りながら国を豊かにするほうがいいのか、それとも心の豊かさ(捨てることでしか得られない)を望むほうがいいのか。
「ああ人間よ、あなたは自分の中に神とすべてのものを包摂しているのに、どうして外に向かって何かを求めようとするのか」
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