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011202書評集
孤独の肯定ほか


▼2001/12/2.




 『孤独であるためのレッスン』 諸富祥彦  NHKブックス 01/10. 1020e

 恐れ入った。孤独をポジティヴに前向きに主張するという本はそうそうないからだ。

 孤独がいけないのは、ひとりになることではなくて、孤独であることを責める自分の中の内在化された他者の声である。それが多くの人の心を責めさいなまし、安らかな心を破壊してしまう。

 ある人たちは登校拒否やひきこもりになり、ある人たちは終始だれかといっしょにいなければ不安になるといった両極端に走ることになる。孤独を責める社会というのは、人々を病的状態にみちびく、すこぶる社会学的な問題だとあらためて思い知らされたしだいである。

 日本というのは孤独を白眼視する、ひじょうに同調的で画一的、群れや集団に属さないことを忌避する、個人が自立できない幼稚な社会である。

 孤独を失う損失は、独創性や創造性であり、自我の確立であり、また自己の心の成長であり、そして自分らしさや個性、独自性、心の自由、行動の自由、趣味の自由などである。群れや際限なき仲良しゴッコはそれを補ってあまりあるものなのだろうか。たえず友達や仲間といっしょにいる人はそれらの奴隷となり、自分を失っていることだろう。

 私たちは孤独に強くなる方法、ひとりで生きられる能力をつちかうことが必要なのである。そしていちばん大切なことは、集団から外れたり、疎外されても、自らがみずからを責めない心をもつことなのである。みんなから嫌われても、見捨てられたとしても、OKだと捉えること。他者の奴隷になるよりはよほど立派だ。

 そういった孤独を前向きに捉える心を自分の中につちかい、責める心を滅ぼしていったときに、私は心の自由、人生の自由を手に入れることができるのだろう。自由を奪っていたのは他者であり、孤独を許さない自分の心だったのである。




 『「さびしさ」にメゲない心理学』 町沢静夫 角川春樹事務所 00/5. 1600e

 ほんとうは孤独に強くなる方法、嫌われても仲間外れになっても平気になるような自己啓発書を読みたかった。人に好かれる本はいくらでもあるが、ひとから嫌われるススメの本はまずないのだろうな。現代のように人から嫌われることを極度に恐れ、他人に従順になりすぎる大多数の人には、逆に人から嫌われる強さが大必要なんだと思うんだが。

 あまりTVで有名になったような人の本は読みたくないのだけれど、孤独についての本はあまりないのでこの本を読むしかない。若者をただのオッサンみたいな目線から批判しているのはあきれるが、そのほかの事例はふうんという感じで読めた。




 『孤独』 アンソニー・ストー 創元社 88. 2500e

 精神分析が孤独は病的で異常であるという知見をひろめたみたいである。この本はそれに抗して孤独の有用性やひとりでいられる能力を静かに語ってゆくが、私にはあまりにも細かい事柄がびっしりとつめこまれているので、興味深く読めたわけではない。私は単純に孤独に強くなる方法、孤独を責めない気もちを育てたいだけなのである。




 『「漱石」の御利益』 長山靖生 ベスト新書 01/11.

 漱石は現代と同じような国家目標が失われた明治後半に生きており、フリーターやひきこもり、神経衰弱などをとりあげた作家としてひじょうに注目されるべきものがある。この本はそのような社会学的・歴史的な漱石を捉えたということでひじょうに興味あるものである。

 明治には公務員だろうと銀行員だろうと容易にクビ切りされ、将来の保証はなく、35年ローンなど組めるわけがなく、大正時代の中流階級の東京の借家率は九割だった。

 「庶民が持ち家を持つのが広まるのは、昭和四十年頃からだった。(設備投資の一段落と株式市場の拡大により)余剰になった金融資金が、住宅ローンを中心にした個人向け融資にまわされるようになった」――持ち家信仰は歴史が浅いのである。

 「女性は、時として自分が男性に依存しなければならない状態に置かれていることに憤っているが、男性の方はしばしば自分が背負わされている義務の大きさに苛立っている。女性は社会に進出して働く機会を著しく制限されているが、その一方で男は、休む間もなく働くことを強要されている」――男女の不満をうまくいい切っている。




 『パラサイト・シングルの時代』 山田昌弘 ちくま新書 99/10. 660e

 近著『家族というリスク』(勁草書房)の「依存がラクで、自立がソンな社会」にひじょうに問題を感じて読んでみたが、この本はデータばかりであまりおもしろいものではなかった。話題になってよく読まれた新書である。




 『人生を<半分>降りる』 中島義道 新潮OH!文庫 97/5. 581e(古本)

 皮肉で批判的な視線にユーモラスがあり、けっこう楽しませてもらった。有名欲の愚かしさ、善人の弱さ卑怯さ、専門家はタコ焼き屋台なみに人生が狭い、学界の電車並みの席取り競争、勝者は醜い、親は「自分のため」を子に強要する、など洞察力あふれる人間観察に共感をおぼえた。私も明るく楽しい人間関係がたまらなくウソっぽくて嫌いなのだが、会社の中では人間関係を断つこともできない。




 『人と接するのがつらい』 根本橘夫 文春新書 99/11. 680e

 交流分析というのは説得性があるのだが、私はいまは認知療法のような考え方を変える方がよいと思っているので、タイトルが魅力的であっても、この本はなかなか手にとることはなかった。まあ参考になる部分もたくさんあるが、マジメすぎる論述の仕方が殻を破らせてくれない気がしないでもない。




 『隠者の文学』 石田吉貞 講談社学術文庫 69/1. 920e

 隠者についての出版が増えているような気がする。昔は管理社会や経済成長が完成するまえに脱出するこころみであったと思うが、いまは経済崩壊の慰めのために読まれている気がする。

 心理的な意味でも、隠者は孤立や社会からの脱落を正当化させてくれるが、心理学はそれを非難し、矯正し、社会復帰させることしか考えない。だから隠者は自分のすべてのありかたを許してくれるということでたいへんな味方になりうると思う。




 『大乗仏典1 般若部経典』 中公文庫 1600e

 『金剛般若経』と『善勇猛般若経』がおさめられている。

 『善勇猛般若経』は肯定も否定もしないということが、いろいろな事柄についてくりかえし語られている。なかにはふつう仏教で聞かれる教えであったり、仏教で奨められることであったりするものが否定され、もしくは肯定もされなく、面食らってしまうのだが、くりかえしくりかえし同じことを聞かされていると、だんだんと、あ〜、これは言葉で極めることの不可能さを知らしめるためのものだとわかってくる。「わからなくてもいいんだ」「わかろうとする努力はいらないものである」ということが理解されてくると、気もちがラクになってくる。そういう効用がこの経典にあるのだと思う。

 ところでこの中央公論社の現代語訳『大乗仏典』はひじょうに入手が困難であったのだが、このたびは文庫本になり、すべてに興味ひかれ、すべてを読みたいとは思わないが、原典が現代語で読めるというのはとてもよいことだと思う。古典は歴史の洗練をへているのである。ただ文庫本については値段が高いが、どれだけの人が読むのだろう。




 『本よみの虫干し』 関川夏央 岩波新書 01/10. 780e

 文学は歴史や社会精神史として読んでほしい。そういう視点で読みといたこの本は期待以上のものではなかったが、すこしだけは時代の精神が垣間見れた気がする。




 『ひとを<嫌う>ということ』 中島義道 角川書店 00/6. 1000e

 中島義道はエライと思う。人から嫌われることを極度に恐れる世の中にあって、ひとに嫌われる、ひとを嫌うということをとことん考えつめるのはそうだれにでもできるものではない。たいていの人は嫌われていると思ったら、嫌われないように、好かれるようにと「正当」な方向にすすむ。

 これはまちがいだ。そうではなくて、嫌う嫌われる関係の波間にじっといつづけ、それを探求するというのはもっと大事なことだと思う。恐怖に駆られて逃走するだけでは、その恐怖は絶対に根絶されないのである。「貧乏」であれ、「落ちこぼれ」であれ、「負け組」であれ、すべてそうだ。恐怖から大多数の人のように勝者を正当的にめざすと、じつは恐怖を強め、増強したにすぎなくなるのである。

 中島義道は妻子からとことん嫌われたことにより、嫌うということを徹底的に考えたが、これこそが哲学することだと思う。自分の問題から考えるのが哲学であって、思想界や世間のトピックから考えはじめるのはほんとうの意味では哲学ではない。そんなのは自分のための哲学ではない。人に合わせるための世間話にすぎない。

 私は人から嫌われることをかなり恐れ、人を嫌うことすら抑圧した、他人に従順な奴隷のような人間である。だからこの本の人を嫌う気もちというのがいまいちぴんとこなかった。私は「ひとから嫌われる」という恐れを深く見極めないことには、ほんとうの自分というものを永遠に見出すことができないのだと思う。人から嫌われても気にならない心が必要なんだと思う。




 『孤独について』 中島義道 文春新書 98/10. 660e

 孤独に対する一般論の話を期待するとがっくりする本だが、中島氏の小学校のときの小便もらしの経験とかまったく運動ができなかったこととか、けっこう親近感をもてて笑えた。大なり小なり人は小学生のときこういう気もちはいくぶんか味わっているのだと思う。

 そしてその後、悩みを考え抜くことを通して東大に入学できたのだし、教授にいじめられたことはあっても大学の教授にはなることができたのである。まあ、苦しい人生だが、思考すること哲学することに価値をおくと、悩みの世界は極大化し、自己は超特別な存在になるということである。あと紙一重のところに思考を捨てるラクな道もあるのだが。





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